多世界解釈においては、観測前の状態において、あなたを含めたあらゆるものは、あらゆる可能性を含んだ状態の重ね合わせに存在していると考えられます。したがって、猫が死んでいる世界にあなたがいる場合、観測前から「死んでいる猫を観測することが決定づけられたあなた」ということになります。
しかし、多世界解釈においては、決定論的な要素は含まれていません。観測前の状態は確率的な状態であり、観測によって分岐が生じますが、どの世界が選ばれるかは確率的に決まるため、あらゆる可能性が等しく存在しているということになります。したがって、あなたが死んでいる猫を観測することが決定づけられていたわけではなく、あなたが観測することになった世界が確率的に選ばれたということになります。
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うーんあらゆる可能性の重ね合わせを総称した「私」を基準に考えれば確率論だけど、あらゆる可能性のうちのたった一つを取り出した「私」にとって、今後どちらの猫を目撃することになるかは、既に取り出したという前提で考えているのだから、決定論な気がするんだよな
多世界解釈に基づきシュレディンガーの猫を考えるとして、私が観測者だとします。今観測したら猫は死んでいました。しかし多世界解釈では生きている猫を観測している私がいる世界...
多世界解釈においては、観測前の状態において、あなたを含めたあらゆるものは、あらゆる可能性を含んだ状態の重ね合わせに存在していると考えられます。したがって、猫が死んでい...
猫が死んだ世界にも猫が生きている世界にも「私」がおるんやで。
解釈理論上存在している対等な私たちと特にその解釈を知らなかったら無かったことにされてる私を取り除いたあとに残る、現実にある観測結果を目撃している私を「私」として区別し...
どっちの世界の「私」も「なぜこちらの『私』だけが選ばれたのだろうか?」と考えとるで。そこに非対称性は存在せえへんで。
そこまでわかったうえでなお腑に落ちないんだよ。なんでそっちじゃなくてこっちの立場なんだろって。あっちの世界のやつも同じ問答してたとしてもあっちのやりとりは覗けないのだ...
「なんであっちじゃなかったんだろ」って、本当にあっちにいってたら「なんでこっちじゃなかったんだろ」って思うだけやんか。
だからどういう規則性というか基準でそっちいくかあっちにいくかみたいな結果が出たのかってことよ
そもそもどっちにも行ってるんやから規則も基準もないやん。振り分け自体が行われとらんのよ。 全身にカードを隠しといて観客が答えた数字のカードだけを取り出してみせるマジシャ...
でも一つの認識主体に注目したらどこかにしか行ってないよね。そこら辺が気持ち悪い。これを気持ち悪いと思ってない人の大抵はわかったつもりになってるだけだと思う
どっちも同質同等の「認識主体」やけど互いの観測ができへんから「私が唯一の認識主体や」と錯覚しとるだけやで。
だからお前の言ってる認識主体とはおそらく意味のすり合わせはできてないんだって。