2021年11月07日の日記

2021-11-07

anond:20211107232350

それぞれどんな趣になるの?

anond:20211107232238

透析患者は見捨てろとか言ってる国なのに何でワクチン無料なんだろうね

本当に気持ちが悪いよコロナワクチン界隈わ

あー月曜日

立冬の過ぎてるのに年末までには製造が終わらない

レガシー言語での業務ソフトウェアの単体結合まで)

詳細設計もまだ終わってないのに

 

 

と弱音を書いておく

anond:20211107210430

未だに直接会う意味が分からないんだよなぁ。zoom使えよ。作画デジタルのくせに、電話会議も出来んのか

anond:20211107231742

俺はバグを知っているから見た瞬間に対応方法がわかるけど、俺がいなくなったら対応方法を調べるのにどのくらい時間がかかるかわからない。業務システム障害業務システムのどちらもわからないと対応できない。

anond:20211107203155

テンプレだなと思うところ

年齢→親と不仲の順番の自己紹介

スピリチュアルなすごく大雑把な法則への信仰

現状の問題説明

ただし具体的なことは書かずAKB歌詞を暗くしたみたいな感じ

もちろん未解決

いいところ

結論最初に書いている

自分の欲しいもの相手を察せさせず明確にしている

anond:20211107232132

メイド側の視点なのか

自分も客の1人なのかで趣きが変わる書き込み

呉座勇一って本当に哀れだよな

この人をおだてて自滅に走らせたネトウヨミソジニスト連中はその将来を間違いなく欠片も心配していない。

それどころかむしろ破滅を望んでいる。

そもそもこの手の連中はインテリしか文系!)を燃えるような情熱で憎んでいることを忘れてはいいか

文系インテリ左翼フェミニストをかませ合わせる展開はやつらの理想形だ。

鉄砲玉にされるだけされて後はポイ捨て

いくらなんでも哀れすぎる。

第6波に備えて

60歳以上の新型コロナ治療原則行わないよう法改正して欲しい。

キリがない

anond:20211107224236

60,70のおじいちゃん世代スマホを通して急にそういうコンテンツを知った上で十代よりはるかに駄目な方向に毒されるのは怖いもんだぜ。

メイドカフェオタクきもい

メイドカフェ、コンカフェが乱立してる

そこに通うオタクきもい

店の雰囲気が好きだからって通っている人ももちろんいるが

大抵は若い女としゃべりたいだけだ

紅茶好きだから落ち着いたメイドカフェしか行かないって言ってたオタクもっと過激衣装着てる女が見たくて系列店のガルバに行くことも多い

偉そうに雰囲気が〜とか紅茶が〜とか言わんでエロい女が見たいって言えばいいのにと思う

金払って若い女に構ってもらえて楽しいのは一時で

結局自分のものになるわけではないからと通うの飽きて他の女と付き合おうとする

だけど性格が常に女のケツ追いかけたいクソオタクから普通のことは付き合えない

から振られてまたオタクに戻るって言うのが痛い

メイドの方もそれわかってる

なのに客だけは時間空いちゃったけどいつ見ても可愛いねって薄っぺらい愛をツイートする

ゴミみたいな世界

なぜ人を殺してはいけないのか

まとめサイト

なぜ人を殺してはいけないのか?」に対するニーチェの答えが「すごい」と騒がれているが、実はもっとぶっ飛んですごい

https://note.com/fromdusktildawn/n/n0781ea1ca467

なる記事を読んで少し思うところがあったので、メモしておこうと思う。

大学時代、もう10年以上前になるが、幼児教育修士号を取得し、保育園で働くという異彩を放つ友人と二人で酒を飲んだことがある。

なんの話をしていたか忘れたが、その際、その友人が「なぜ人を殺してはいけないのか子供たちに説明ができないじゃないか。」と言ったことを覚えている。

とかく人は「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対して、道徳だとか、哲学だとかに答えを求めがちだが、少し現実をみて、「人を殺しても良い世界」を想像してみたらどうだろうか。


罪なくそのようなことが許される世界であったなら、私は家の扉の外には出ないし、家族も作らないだろう。

自分に少しでも不都合であったり、不愉快である人間は、殺してしまえば全て問題解決してしまう。

そんな世界に一歩でも足を踏み出すと、いつもふとしたことで殺されるリスクがあるからだ。

そう、「人を殺してはいけない」は社会、いや、主観的判断では”SOCIETY”が最も意味としては近いと感じる、を成立させるのに”必要条件なのだ

ユヴァル・ノアハラリの著書によると、人類発展の大きな理由の一つがこの”SOCIETY”の形成だったと書いている。

とかく利口と言われるチンパンジーにおいても、そのグループ構成は多くて100頭程度。他の動物も同程度だろう。グループ間のコミュニケーションネットワークも限られている。

一方、人類国家でいうと10億人規模のコミュティ形成会社においても数万規模のコミュティ形成でき、そのネットワークチンパンジーのようなアフリカの一地域限定ではなく、世界中、いや、宇宙にまで広がっている。

言わずもがなコミュティコミュニケーションによって成立し、相互の信頼も必要となってくる。「嘘をつかない」、「話や言語が通じる」、「互いの利益を考える」等、信頼を獲得するのに必要な条件は多くあるが、最低条件が「私を殺さない」ではないだろうか。

から、もし「なぜ人を殺してはいけないのか。」と人に聞かれることがあれば、私は即座に、「社会が成立しなくなるからだよ。」と答えるだろう。

ついで聞かれる質問はおそらく「社会必要ない人は殺してもいいのでは?」であったり、「死刑はいいの?」とかだろう。

結論から言うと、私は「社会必要ない人と判断された人」=「死刑となった人」と考えている。

社会必要ない人は殺してもいいのでは?」と言う問いに対しては、「そうだろう。だが、殺していい人は厳密に決める必要がある。」と考える。

誰もが主観で「社会必要ない人だから殺そう」と実行していては、客観的にみて誤った判断による殺人が発生し、やはりコミュティ形成問題が発生する。

ルール必要だ。人間コミュティはその規模が大きくなるにつれ、約束から掟、そして法律ルール形成していった。

社会必要ない人は殺してもいいのでは?」という判断をするのが、日本で言うところの刑法なのだろう。

もっとグループが小さい、例えば国家形成前のTRIBEであったり、VILLAGE規模であれば、殺人については知見者(長老とか?)の判断により、その殺人の是非が決められただろう。だがそれは各々がお互いをよく知っているような小規模集団から成立していたものであって、国家規模の、知らない人間が大多数のグループでは成立しない。

このため、現状、国家規模での判断を決めるのが法律となる。

そう考えると自然と「人を殺してはいけない」ことがわかってくる。

一部、「特権階級は人を殺しても良い」という社会。例えば現状のタリバン政権等が挙げられるが、いずれも後進国であり、そのルールによって、社会の発展を妨げ、結果、国の発展が滞っている。

「人を殺してはいけない」はSOCIETY家族、親戚、集団会社社会政府、国等)の発展には基本的必要不可欠な、最低限の決まりごとなのだ

友人に対しては、酒を飲みながら、上記のようなことを滔々と語った記憶がある(無論、その頃ユヴァル・ノアハラリは本を書いていなかっただろうが)。その時の友人の反応をあまり覚えていないが、この答えに対する反論はなかったと記憶している。

あの友人は今、子供人格形成に大きな影響をもたらすであろう、幼稚園教育に力を注いでいると思う。

どんな教育をしているのか、今度聞いてみよう。

いろいろコメント等あったので、思ったことを追記

足りない頭でつらつらと書いた本投稿に、いろいろとコメントを書いてくれた人たちにまずはお礼と感謝を。

まず、最初に。小生、正直哲学全然履修していないし、もうちょっと言うとニーチェなんててんで興味がない。

最初ニーチェ記事引用したのは「なぜ人を殺してはいけないのか」というテーマを聞いて本稿に書いた友人との問答を思い出したためである(友人はニーチェとか好きそうだけど)。

哲学は…なんというか主観的なんだよね。「まあ、そう言う解釈もあるよね」で終わってしまいそうな問答がいつも並べられている印象。

からまり興味が持てないのかもしれない。

コメントとかで気になった内容については以下に私見を書いていく。

まず、”社会”より”SOCIETY”が感覚的に近く感じた理由

一方で

社会”はもっと大多数の人間構成されるイメージがあるから。とっても主観的から、以下は”社会”でまとめる。

望む望まないに関わらず、人は社会に組み込まれると思う。

君が住んでいる家、来ている服、食べている食べ物は全て”社会”の産物である

人が2人いれば、そこに”社会”は存在するんじゃないかな?

社会必要としない人」なんてもの存在するのであれば、どこか孤島で、自給自足孤独に生きる人になるだろうから自然殺人は発生しないかも。



哲学を語っていたわけではなく、社会必然性を語っていたつもり。

当為」という単語も初めて聞いた。不勉強申し訳ない(汗)

社会というものは皆で構成するものだと考えてる。

そこに権力が集中している場所権限が大きい?)はあるかもしれないけれど、それも社会構成要素の一つ。

から、「社会を維持するために社会権力に逆らってはいけない」とか、強制されて行うものではなく自発的に「社会を維持するために人を殺してはいけない」と考えるべきではないかと思う。

また、社会を維持したり、大きくすることは、その社会を存続させることに必要不可欠なことで、いわゆる生物が子孫を残すことと同様なのではないだろうか。

「なぜ人が殺し合わないように進化・発展してきたか」と「なぜ人を殺してはいけないか」は別の話ではないような。

「人が殺しあわないように進化・発展してきた」(すくなくとも自然淘汰されない程度に)からこそ、現在社会があり、その社会の維持のために「人を殺してはいけない」というルールが維持されていると考えている。

「なぜ社会を成立させなくてはいけないのか」は別に当為の話ではないと思う。

社会を成立させ続ける」という社会目的があって、初めて社会は存続してる。それがなくては社会は成立し続けない。だから社会を成立させ続ける」は我々人間が営みを続ける上で、必要条件なのかと。

そう考えると、「人を殺してはいけない」は社会存続のための必須ミームなのかもしれない。

ニーチェ記事にはやたらと”道徳”について書かれているが、

「人を殺してはいけない」という基本概念は「社会の維持」にとっては必須であり、いうなれば、生きる上で必須の事項なんじゃないかな?

ここまで書いて、ふと、確かに死にたい人間や、破滅を望む人間には「人を殺してはいけない」なんて概念通用しないと感じちゃった。

そういう人は社会性の欠如から考えると、普通の人より、もっと野蛮で野生的…?、粗野な人種なのかな。

いずれにしろ望む望まないに限らず、「社会」に組み込まれるだろうから、人を殺さないことをお勧めするかな。

でないと不自由暮らしが待ってて、いいことないし。

anond:20211107231835

ならんよ。

子ども持つ家庭はもう子ども持ってんだから金配っても増えない。

「罪のない人は叩かれない」なんてナイーブな考え方は捨てよう

よく創作物で罪もない人を殺すことを糾弾する主人公なんかが描かれるから「罪のない人を傷つけてはいけないってみんな思ってるんだ!」なんて考えてしまうがそんなことはない。

インターネットでは罪のない人間でも当たり前のように叩かれる。

から過剰に悪いことをしないように意識しなくてもいいのだ。楽しんだもん勝ちである

anond:20211107231736

10年前にアップル株やビットコイン1万円だけ買った奴が今や億万長者

投資すれば?

anond:20211107231043

何を書いてもだめな気がしてきた!

はずかしいからこっち見ないで!!(笑)

付き合ってくれるならホテル行ってもいいというバリ固女だったので逃げてきたセックス取引材料になるのは昭和までだろ

ガンダムで人括りになるの辛いな

Gガン08小隊一緒にされたくねえわ

anond:20211107230852

どの点がよくない状況なの?

anond:20211107230852

自分のやりたいことだけやるんじゃなくて、ニーズに従って動くように変えたら?

システムなんて所詮仕事にくっついてくるもんで、仕事システムに合わせるもんじゃない。

から見たら凸凹だらけかも。

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