「saku yanagawa」とか有名だけど🇺🇸でやってる日本人は凄いと思った
俺は男だけど、女性のいう生理的嫌悪という言葉を唯一理解できるのは千原ジュニアに対してだけだ。
千原ジュニアという、テレビの司会やゲストでよく見る変な顔の男がいる。事故であの顔になったらしい。人を外見で判断するのは良くないと昔から思っているが、彼の顔を見るだけで心の底から嫌悪を抱いてしまう。
顔も喋りも何もかも嫌だからです。人間ではない何かが人のふりをしているような印象すらある。世の中には様々な造形の顔があり、中には良い印象を受けない顔はある。
一方で彼は国民から支持をされる人気芸人だ。少なくとも顔で嫌われてはいないらしい。
なのに自分にとっては嫌悪の対象以外にみれない。何が人気なのか全く理解できない。あの顔は、視界に映るべきものではないと脳は判断している。あの喋りは耳に入れてはいけないものと思っている。
一体どうして彼だけをそこまで嫌悪するのか自分でもわからない。個人的に一切の接点がなく、彼の芸も本も一切知らない。ただ、顔と喋りがひたすら駄目だ。
世におっぱいの揺れる擬音は数あれどどれが好きかと問われればそれは…
取り敢えず思い付くままに挙げていくから選んでね!
・ぷるん
すべての基本とも言える擬音。柔らかさと弾力とを兼ね備えた、正にオールマイティかつ定番。
・ぶるん
『ぷるん』と比べ、よりダイナミックに揺れてる様を想起させる。暴れおっぱい界のデファクトスタンダードと言えるだろう。
・ばるん
基本的に二回反復で使われることも多いおっぱい擬音の世界で、こちらは単発での使用が多いように思える。継続的な揺れというよりは、服や下着から勢いよくこぼれ出た瞬間を切り取った擬音と言えるか。
・ぶりん
こちらは柔らかさや弾力より、その重さを主眼に置いた擬音。おっぱいって重いのだ。
・ふるふる
その場に佇んでいるだけでも微かに主張してくるかの様な擬音。それはゼリーの口溶け。
最初の閃乱カグラの詠ちゃんのおっぱいが正にこんな感じだったなあ。
・たぷん
表面の波打つ様を表現している。『たっぷん』と間に促音を挟んで二度美味しい。
・どたぷん
『たぷん』に『ど』を付けることで破壊力を大幅強化。超弩級な大艦巨砲主義おっぱいである。
・たゆん
『たぷん』の派生型だが、柔らかさに全振りした擬音。濁音や半濁音に頼らないおっぱい揺れ擬音の第一人者だろう。
・ぱゆん
・ぼよん
多分、『ぼよよ~ん』とかの活用形で使用されることが多いと思われる。ダッダーン!
・ぽよん
・ボイン
揺れ擬音に留まらず、大きなおっぱいの代名詞と言っても過言ではない。
細かい派生も含めれば切りがないけど、大枠ではこんなところだろうか。
書き出してみて思ったけど、基本型は意外にバリエーションが少ないなと思った。まあ揺れるおっぱいという限られた事象を表現するんだからそんなものかもね。
生まれつきのイケメンだけど気持ちわかる、外歩けばじろじろ見られるし女どもにイケメンいたとか聞こえるように言われたりしてすげーうざい。
子供の頃からだけど全く慣れないし軽い視線恐怖症。
嫉妬して意地悪したり、ありもしない噂流す同性もいたし、友達に冗談でお前は顔だけだなって言われることもあったりした。
彼女が出来てもこいつは俺の顔が好きだから付き合っているのか、老いて容姿レベルが落ちたら嫌われるのかなとか考えたりもする。
周りに言っても嫌味にしか思われないだろうから相談しづらいのもわかる。
この容姿に生まれて得だったとは思うけどイケメン・美女にも苦労があるんだよね
おいおい俺の悪口言うの止めろよ
例の旅レポ記事を見て「お願いなら承ります」という表現に強烈な既視感を覚えた。同じだ。こいつは「他人が発する声は、全て俺への『参考情報』であり、命令としての意味は無い」と思っているのだ。
こいつの「承る」というのは「俺の気に触らない限り、戯れにやってみるのも一興だとは思うぞ」という意味だ。「お茶を一杯飲んでくれませんか」と言われて、その時に喉が乾いていれば「そんなことをしてほしいんですかあ? 飲んでやりましょう」と「承る」程度の意味だ。「お互いの健康のためにマスクの着用を」と言われて「仕方ねえなあ」と着けるという意味では決してない。
結局のところ、あれは自閉症の症状なんだろう。ある種の高度な論理を扱う機能や、世界を多数の主体が存在する空間として捉える機能の発達が遅れて/止まって/失われていて、日本語は解するものの、言語コミュニケーションやコミュニティでの共同作業が行える状態にないのだ。
ここら辺全部当て嵌まって俺の事言ってるのかと思った
治療薬はないと思い続けてるし
なぜ調べない?なぜ一次ソースを見ない?
治療薬はもうあるし、治療法も確立されてるし、ワクチンに感染拡大を防ぐ効果なんかないし、トイレのあと指先だけ適当に濡らして髪で拭く人がまだ半分くらいいるし(手を洗わないのもべつに自由だが、手すら洗わないのにマスクはしてるっていう。洗ってない汚い手でそこらじゅうべたべた触ってスマホやお金触って、そんなんで会話中の唾だけおさえてもね...マスクもどうせ洗わずに使い続けてんだろうな)
PCR検査は色んなウイルスを増やしまくって検出するものなので新コロ用の検査ではないし
元気な人が罹っても死んだりしない、他の風邪と同様に
そもそも日本は他国と比べてもともとかなり清潔な国だから、最初から何もしなくても全然大丈夫よ、水もタダ同然でガンガン使える国だから
そしたらもうばか騒ぎは終わりにしてね
そしてこれ以上自殺者が増えませんように
外でいっぱい動いて遊んで楽しく免疫力をつけようね
そいつも「俺は診断済みのアスペだ」「俺は理性的な人間だ」「合理的な文章なら分かる」「平易に説明しろ」と主張していた。
実際はちょっと煽られるとすぐキレてスレを荒らし始め、落ち度を指摘されると「その指摘はいくらなんでも無理筋だ」「お前ら(※個と集団を区別できていない)の指示を俺が聞けばお前らの独裁制だ。俺には自由がある」「理解ができないことを言うな。説明しろ」「書き込みに中身が無い。意味のあることを書け」とか逆ギレしていた。
指摘側は無理筋でも支離滅裂でも無かった。ただそいつにとって都合が悪いことを言っただけだった(連投すんなとか、ちゃんと読めとか、お前の言ってることはおかしいとか、阿呆は帰れとか、寝言は寝て言えとか)。
そして論理代数における「逆・裏・対偶」が理解できず、「逆は真」「真でないものは全て偽」という仮定を使って頭の中でどんどん命題を短縮し、何でもかんでも都合が悪ければ「嘘」と呼んで否定していた。ミミックの鳴き声としか思えなかった。理性的でも何でもない、魂が欠落した何かだった。
例の旅レポ記事を見て「お願いなら承ります」という表現に強烈な既視感を覚えた。同じだ。こいつは「他人が発する声は、全て俺への『参考情報』であり、命令としての意味は無い」と思っているのだ。
こいつの「承る」というのは「俺の気に触らない限り、戯れにやってみるのも一興だとは思うぞ」という意味だ。「お茶を一杯飲んでくれませんか」と言われて、その時に喉が乾いていれば「そんなことをしてほしいんですかあ? 飲んでやりましょう」と「承る」程度の意味だ。「お互いの健康のためにマスクの着用を」と言われて「仕方ねえなあ」と着けるという意味では決してない。
結局のところ、あれは自閉症の症状なんだろう。ある種の高度な論理を扱う機能や、世界を多数の主体が存在する空間として捉える機能の発達が遅れて/止まって/失われていて、日本語は解するものの、言語コミュニケーションやコミュニティでの共同作業が行える状態にないのだ。
そういう奴はどう扱えば良いんだろうな。規則と強制力をセットで与えれば、それが「環境」だと認識して従おうとするが、常に機会を伺っていて、ひね曲がった自分の理屈と曲解した規則が噛み合う所を探してゴネたり他人に牙を剥いたり、強制力が緩んだ時に規則を破ったりするんだよなぁ。
フランス革命の頃なら焼き殺せば済んだんだろうが…
申し訳ない。愚痴だし、八つ当たりなのでみなさんには関係がない。
とあるイベントのライブ配信(モノを伏せるのは許してほしい。イベントに迷惑をかけたくない)で自分の姿が映った。その間俺はいつもどおり髪をいじり、落ち着きのない挙動をしていたらしい。
それを見たとある知人が Twitter に書いた。『"俺"さん髪いじりつづけるしうろつくし ADHD の人ってみんなあんな感じなのねwと嫁が失礼なことを言ったw』だそうだ
いやぁ失礼だろ。 ADHD に人の謝れ。
俺自身自覚的に髪の毛をいじいじする癖もあるし、じっと座ってるのが下手でそわそわする人間なのでまぁそれがみっともないという話ならわかる。超わかる。
それをあげつらってなんで俺ごと ADHD の人が無様みたいな笑われ方された上にそれが楽しい夫婦の会話の一部にされて、ほっこり(?)エピソードとしてインターネットにばらまかれにゃならんのだ。しかもイベントのキーワード入れて参加者・主催者に見つかりやすい形で?わざわざ?ご丁寧に?
せめて俺の癖をよくないと笑ってくれる分にはいい。君は知人だし俺的には友人なので何を言われても『言ったなこいつーw』である程度 OK だが、
俺をダシにして ADHD なりなんらかの属性の人まるごと笑いの種にしていいとは一切思えない。その上重要なことだが、まず俺は ADHD であると自称したことすらない。俺は診断も受けたことがなければ、彼らほど自分の有り様について悩んだこともない。友人に診断・公表している人がいるので、彼らがいかに適材適所という言葉の似合う人種かは知ってるつもり程度のにわかでしかない。
君が俺を『彼はもしかして ADHD なのかもな』と思ってもらう分にはいい。それはもう、そういうもんだし、そういう印象を与えるようなことを俺がしているのだろう。
ただ、俺は医師に診断も(いまのところ)受けておらず、自発的に ADHD を名乗って彼らの一部として誰かに迷惑をかけたり、俺個人の悪いところが彼ら全体の悪い印象につながるのをよしとはしてない。
と、いうことで腹に据えかね、これをインターネットに撒く神経と今後やっていけるイメージがないと思い至りブロックし、ついでに発言元の奥方(正味俺にとっては彼女?の方が印象が悪い。気に食わない、あるいは奇異なものにレッテルをはって即座に差別を作り出すタイプに俺には感じられてしまったから)もブロックした。
結果としてもともとの Twitter の彼は該当の書き込みを消してくれはしたものの、その書き込みはわざわざご丁寧に俺の映っていたライブのイベントを追おうとする人々らが検索でひっかけやすいような書き方をされており、イベントに携わった、あるいはイベントに興味のあった人らの目に入り、望むところか望まざるかのところとして、俺の悪癖が"ADHD らしい仕草"として勝手に笑い話と共に閲覧者に偏見として植え付けられたのであろう。
狙ってやったなら凄まじいキャンペーンだと思う。俺の悪癖をあげつらい、俺が自己認知しない病名を貼り付け、映像付きで俺("ADHD のヤツ")のダサい姿が閲覧できる(しかもイベント中なのでイベント参加者たちにうまく広まる検索用タグ付き!)。
苛立ちとブロック後の言動が知りたすぎてブロック後に少々閲覧したところ(こういうのが悪癖)、どうやら奥方は『なんでブロックされたかわからんけどブロックされてて不快だからブロックし返した』とのことである。実際ブロックされていた。当面解除しないままで居てほしいものである。
まぁすまん疲れも酔いもあって散文的だが、そういう経緯で腹が立ち、不快な気分になったという話である。
彼が優秀なエンジニアであり、インターネット上の有名人であり、影響力のある人には違いないので、インターネットの片隅で愚痴を言う(だって真っ向から言うと夫婦のかわいいエピソードに "ADHD" のやっかみ入れるなとか言われるんでしょ)が、与太話だと思って関係ない方々には流してほしい。