はてなキーワード: 国会議事堂前とは
全くですよね。
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はコンゴでの黒人弾圧を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になるのと同様に、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という無言の主張になりますよね。
たとえフェミニストや性嫌悪者が少数であっても公共の場所では配慮されるべきだろう。
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はコンゴでの黒人弾圧を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になるのと同様に、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という無言の主張になる。
それを我慢させていたら却って多様性の実現からは遠ざかるのであり、そうならないためにも性的なポスターはむしろ積極的に排除していくべき。
表現の自由戦士は「自由権とは不快を我慢させる権利である」と言うけれど、
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。
だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にダンテ像が飾られていたら「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
国会議事堂前にオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になり、
市が萌え絵で町起こしをしていたら
「我々は萌え絵を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミはここに来るな」という無言の主張になる。
襲撃してきませんよ
もし襲撃してきたらそれこそ無実の国民への言論弾圧としてチェックメイトなんですから
仮に暗殺という形にしても不自然な死であればこちらで操作することも可能ですし
何よりネットでの死は死として扱われませんが
お前らさ、ネットだけでわいわい騒ぐのは良いんだよ
黒川や憲法改正をその罵詈雑言のお囃子で止めたのも良いんだけどさ
関係ない種苗法をストップさせた上で二つも改正案通してるの本当になんなの?
この二つの方が明らかに種苗法なんかよりも大事だったんですけど?
お前らは魚かよ、ネットで目についたことばかり槍玉にあげて思考停止で批判して
それで一番大事なものを見失ってるんだからザマないって気付かないんか
ああ気づく頭もないもんな
現場でマスコミと協力して情報を得てその上で国会前や都内で毎日デモしてんだ
それをなんだお前、有名人の声でころっと騙されやがって
本当にがっかりするわ
頑張って声あげていきましょう!とか言うけど、スルー/ストップくらい見てから選べよ本当
あのな、もうお前らのせいで2失点してんの、分かる?
現場の人数だけじゃ多勢に無勢だからお前らに期待してたのに2失点だよ この重さが分かんねぇのか
ゴミスポーツの野球や欠陥スポーツのバスケットみたいに最後に得点多けりゃよしじゃないの
烏合の衆に成り果てつつあるネットの皆さんはかつて味方だと思いました
ですがここで「無能な味方では?」という懸念が出てきたわけですよ
だからお前らはそこら辺見定めてアベや大きな声の著名人に踊らされるバカにならないで下さい(といっても無理な人が多そうですけどね……はぁ)
頼むからネットだけじゃなくて一緒に国会議事堂前で声を張り上げてください
ネットなんて架空の気持ち悪い世界で声を上げるより数百倍マシです
自分で考える力もつきます コネもできるしいざとなったら突っ込むこともできる
頼むからもう少し私たち現場で抗議し反駁の急先鋒にいるいる人を自覚してください
そして私たち現場の後ろ盾になる様動いてください これ以上失望させないで下さい
それでは、弾くべき法案を全て弾いて一緒にアベにとどめを刺しましょう
長々と長文、失礼いたしました
なに?なになに?
ハッシュタグつけて安倍やめろコールをして国民の声を届けましょう?
いやね、もうね阿呆ここに極まれり、ってやつで。閉口しますよ、本当に。
扇動者は多分ちっとも現状を考えてないと思う。
確かに反政府デモを行うのは大事ですよ。特にこの抜き差しならない状況。
一歩間違えば(既に五歩くらい間違えているのはさておき)日本が滅亡するライン。
そんな中で政府に声を届ける私たちまで間違ってどうするんですか。
ネットってのは不特定多数の賛同が得られる一方で匿名性が高いんですよ。
私たちの声を大きくできる、拡散して味方を作るにはちょうど良いんですが、デモには不向きです。
Twitterなんて、それこそアカウントなんて無限に作れること、先日のランサーズ事件でよくわかっているでしょう?
ついでにネットなんて恒久的な情報じゃあありませんから、多少騒いでも揉み消される、ということも。
(もし分かっていない方がいたら、それは救いようのない馬鹿です。自民党に鞍替えしてしゃぶり尽くされなさい!)
「今だからこそ」現実にデモを起こすんですよ。国会議事堂前、いや正直都内の目立つ所ならどこだって構いません。
やれコロナだ三密違反だ言われるでしょうけど、まず話題性の確保はここで担保できます。
加えて「それらを乗り越えてでも伝えたいことがある」覚悟が伝わるわけです。
勿論中止を呼びかけ食い止める方々もいるでしょうが、彼らも手出しは出来ないでしょう。
お上の宣言した「密」を乗り越えることは、政府の犬ことには到底不可能なので。
え、もし参加して万一コロナになったら?
「こうやって苦しんで訴えかける人々がいるのに直ちに動かない政府は腐っている!」と改めて世に知らしめることができます。
重篤者・死亡者なんか出たならもう政府はたじたじですよ。実害が出た以上は対策を早急に打つ必要がありますから。
ちゃんと私たちで映像を記録し、その様をばらまき、政府を動かす。
「外出できない、してはいけない」そういった政府の思惑を逆手にとって、行動する絶好のタイミングなんですよ。
それをまあお手頃だインスタントだって、Twitterで済ませるからこそ簡単にあしらわれ、バカにされるんですよ。
コロナにかかる恐怖と政府がこのまま補償もリカバリもなしにのさばられる恐怖、貴方はどちらがマシだと考えます?
絶対嘘だろ
今日も今日とて東京じゃ商談に向かっているであろう営業車を片っ端からネズミ捕りして、日本の生産経済活動に損害を与える白色テロに勤しみ
歩けば30秒で自転車で歩道のど真ん中を走るクソ迷惑なパトロールをし、国会議事堂前ではMP5サブマシンガンがいつでもうてるように装填状態で隠して積んでると噂のバスみたいな装甲車の前で棒持った景観が10mに一人の感覚で配置されてて
暴力団や大きな半グレ組織にゲソついたわけでもない、一本独鈷の零細や個人で人に迷惑かけてるわけでもない程度のケチな商売してるやつらが検挙されて新聞に小さく乗って
カルロスゴーンに張り付いて出てくるたびに再逮捕とか暇なこと繰り返してんじゃん
「軍事政権だって、いいじゃないの」の話に便乗して、民主主義について思うことを少し書いてみたいと思う。
例の記事の中に出てきた学生の話の中に、民主主義は多数決だから、それで決まったことについては少数派も尊重しなければならないという話が出てきた。
それは半分正しくて、半分は間違っている。
社会を構成している国民や市民の価値観や立場、利害は様々であるが、議会という言論の府において、全ての国民が納得できるだけの法案・予算を通すために議論に議論を重ねる。
それが民主主義の原理であり、少数意見の尊重という理念の実現にもつながる。
そして、全ての国民(間接民主制であれば議員)が納得できる議案を可決するという理想が民主主義である。
つまりは「全会一致」を目指す。
しかし、実際の政治では全会一致の実現は不可能なんだよね。全会一致が不可能である以上は、多数決で最終的に強制的に審議を終わらせるしかないのだ。
利害が大きすぎたり、イデオロギー対立になると全会一致は絶対に実現不可能である。
分かりやすい例が、2015年9月に可決された安全保障関連法案。自衛隊法、周辺事態法、船舶検査活動法、国連PKO協力法等の改正による自衛隊の集団的自衛権の適用を含めた役割拡大の法案。
与党の立場に立ってみれば、この法案審議で全会一致を目指すなんて絶対に不可能だった。
安保法案を「戦争法案」とレッテルを張って、徴兵制復活と結び付けるようなイデオロギー丸出しの野党を説得するなんて、絶対に無理。
全会一致が不可能である以上は、両者の歩み寄りがイデオロギーの観点から不可能である以上は、多数決で法案を通すしかなかった。
このように多数決とは、全会一致が不可能なケースにおける最終的な解決のための手段にすぎない。
テレビでは強行採決のようなものは絵になるから、何となく民主主義=多数決になっているけど、基本は「全会一致」が基本である。
今朝のこと、いつもとある地下鉄で座って通勤しているんだけど、あとから隣に座ってきた女が急にスマホで俺の肩を小突きだした。
何だこいつ……俺の肩にカブトムシでもついてるのか?と思っていたら
「あの…」
「以前そういう痴漢にあったんですよおおおおおお!!!!!!わざとですか!?!?!!???狙ってるんですか?????」
「答えろよテッッメエエエエエエエエエエエエエエエブヒイイイイイイイイイ🐽🐽🐽🐽🐽🐽🐽🐽」
とか言い出してなんだこいつマジおっかねぇって思ったので
「やややっ✋✋✋触ってぃないですよ✋✋✋」
って言い返したら
「フシュフーン(超鼻息)」
となって黙りこんでしまった
その後、女さんは黙って乗って国会議事堂前で降りていったんだけどさ
はあああああああああああああああ!?!?!!!??????!!?:{:PPL_)!(@)%%%@&????
何?????????ぶつかった?!?!!?????(゚Д゚)ハァ?????????????????????????????????????
大体ぶつかったのお前だが??!!!?!!!??????????
それどころか会話後にちょくちょく俺様の御御足にダーティーフィンガーが触れてるんだが!?!!!!??!?!???
今日白パンツなんだけど!!!!!脂ついたらどうしてくれるわけ!!!!!!!!💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢
っていうかさ!!!人を疑っておいてさ!!!!謝罪の一つもないってどういうわけ!?!!?
ファッキンパチンコップですら職質終わったらご協力ありがとうございましたの一言はARUZE???????
お前の一言で相手が社会的に死んでもおかしくないんだぞ?失礼しましたの一言もねーのか?
http://www.komazaki.net/activity/2016/02/004774.html
っていうことらしいしさ、3月上旬くらい目処でデモやったらよくない?
中野区でやったやつ、それなりに効果あったっぽいけど、あれだと一自治体に閉じた話だろうし、対東京都か対国か、もう少し大きな対象に向けてデモやろうよ。
どこで誰に向けてやるのが一番効果あるのかなぁ。
なんだかんだ言っても国の予算の付け方な感じもするから、国会議事堂前とかでやるのが良いのでしょうか。
教えて、そういうの詳しい人。
本当は、駒崎さんとかが企画してくれれば一番良いんだろうけど、駒崎さんもそれなりに立場がありそうで旗振り役とかは無理そうですよねー。
先日、『選挙カーがはた迷惑な大声で名前を連呼する理由を知った時のこと』という文章を書いた。
予想外の反響を得て、驚くとともに、うれしくも思う。
そもそも記事を書くきっかけとなったサイバーメガネさんも、さっそく内容をフォローするように
『無党派層はコスパが悪くて当てにならない』というエントリを書いてくださった。
なぜ、反響があったかといえば、おそらく、あの頃の自分と同じように選挙の現場を見たことがなく、
「なぜ、反感を買うだけなのに、選挙カーは騒音をまき散らしているのだろう」と疑問に思っていた人が多かったのだろう。
中には、「ああいうばあさんは、もうすぐいなくなるだろう」という趣旨のコメントもあったが、僕はそうは思わない。
そもそも、あれはまだ橋本龍太郎が総理大臣をやっていた頃の話だ。
つまり、かれこれ20年近く前の話なのだが、その後も状況にさほど大きな変化はなかったことは、いくつかのブコメを見るだけでも分かる。
次の20年で変わるかといえば、そうでもないだろう。なぜそう思うかを、書いていこうと思う。
あの頃、「無党派層」という言葉はすでにメディアに登場していた。
(wikiによれば、大阪府知事に横山ノック、東京都知事に青島幸男が当選するという「珍事」が起きた時に注目され、流行語大賞をとったそうである。
その前に「日本新党ブーム」を経て、細川内閣が誕生したころには、まだメディアではメジャーな言葉ではなかったのか)。
無党派層に心情が近かった当時の僕も、「ああいうばあさんみたいなタイプの人は、いずれいなくなるのだろう」と思っていた。
だが、少なくとも20年程度では、いなくならなかった。
思い起こしてみれば、あの当時から、「応援しているのに、なぜウチのほうに選挙カーがこないのか」と苦情をいうのは、必ずしも年寄とは限らなかったのだ。
その渦中に身を投じてみれば分かるが、選挙というのは一種の「お祭り」である。
であれば、選挙カーという「神輿」は、自分の家の近所に来てくれたほうが楽しかろう。
お祭りというのは、参加する者にとっては楽しかろうが、部外者にとっては迷惑で騒々しいだけだ。ハロウィンを見ればわかる。
最近、高知県では、新住民からの「よさこい祭りの練習の騒音がうるさい」という苦情が増えて、祭りの伝統を守りたい人々は対応に苦慮しているらしい。
祭に参加して騒ぎたい人々と、外側にいて「うるさい」と感じる人とは、どうしても対立する。
それは、祭りのルーツがどうとか、そんなこととは、おそらく関係がない。
僕はあの頃、お祭りに参加して盛り上がるのは年寄りのやることだと思っていた。
だが、実際にはそうでもなかった。
古臭い祭りにはそっぽを向いても、なにか面白そうな新しいお祭りあれば、こぞって参加するという人たちが、世の中には相当程度いるのだ。
既成政党による「ドブ板選挙祭り」にはそっぽを向いている若者が、国会議事堂前でSEALDs祭に参加したって、なんの不思議もない。
お祭りといえば、あの選挙事務所でバイトをしていたとき、幹部がにわかに、ちょっとしたお祭り騒ぎになったことがあった。
総裁とは誰のことなのか、僕はにわかに判じかねたが、それは当時、自民党総裁にして総理大臣でもあった橋本龍太郎のことであった。
事務所の関係者は「総理」でも「首相」でも、ましてや「ハシリュウ」でもなく、「総裁」と呼んでいた。
総裁が応援しに来てくれるということは、つまり、その候補者や選挙区を党本部が重視している証拠なのだが、、
橋本龍太郎という人は日本の歴代総理には珍しく、その端正なルックスで女性人気がきわめて高かった。
慶応大学在学中に第一期東宝ニューフェイスに誘われたこともあるというから、「政治家にしてはイケてる」というレベルではない。
当然、「集客力」も高く、事務所としては、願ってもない応援弁士なのである。
今でいえば、小泉進次郎の人気が、近いものがあるのかもしれない。
当日は、それはもう「お祭り騒ぎ」だった。バイトも支持者も大勢駆り出された。
事務所の幹部は警察官やSPと打ち合わせに余念がなく、事務所の司令塔たる候補者の長女は、誇らしげな顔をしていた。
実際、当時の橋本龍太郎は、「本日、○時に、橋本龍太郎総裁が、応援演説に来られます!!」と呼びかければ、
「エッ、うそ!? マジ? こんなトコにハシモトソーリがくるの? じゃ、ちょっと見ていこうかな」
などと騒ぐほどの人気があった。
「もし、総裁が演説している最中に暴漢が襲いかかって、それをウチの先生が体を張って守って、ケガして運ばれたりしたら、明日の新聞の一面になりますかね?」
「ああ。そうなったら先生は、もう当選確実だな。お前、いっちょやってみるか?」
僕らは、大分親しくなった事務所の下っ端幹部と、そんな軽口をたたいたりした。
定刻になると、ちょうどライブの最前列でファンを押さえるスタッフのように、バイトや運動員が群衆を抑えている前に、黒塗りの車列が到着した。
SPに囲まれながら降り立った橋本龍太郎は、思った以上に背が低かったが、確かに二枚目だった。
「世の中には、選挙になると、消費税率は下げて福祉の水準は上げるなどと、夢のようなことを訴える政党もありますが、
私には、そんな魔法使いのようなお約束をすることはできません」
などと語りかけるイヤミな調子には、好き好きがあっただろうけれど。
当日、街頭には大勢の支持者が動員されていたけれど、それを上回る人々が足を止めた。
それがきっかけで自民党候補者に投票したひともいるのではないだろうか?
だが、なにより、事務所に集う人々は、「総裁が来てくれた」「予想以上に人が集まった」という事実に興奮し、
例のばあさんは、街頭には来ていなかっただろうが、
「自分の支持する先生のために、橋本さんが応援に来てくれた」という事実に喜びを感じ、
ますます「近所の人に、投票してくれるように頼む」という彼女なりの方法で、お祭りを楽しんだことだろう。
「お祭りだなんて、とんでもない。選挙というのは、冷静に過去の実績や提示された政策を比較検討して、適切な候補者に投票すべきだ」
という人もいるだろう。それは、おそらく正論だ。
だが、そういう正論を唱える人たちが、政策とやらにどの程度つうじているのか。
数多ある課題の、すべての軽重を判断して、どれが適切な政策が判断することが、果たして可能なのか。
それに、どんなに「政策」が素晴らしかったとて、口先だけでは何とでもいえる。
政策はもちろんのこと、きちんと有権者に呼びかけ、汗を流している人を選ぶべきではないのか、という話にもなる。
そもそも政策など判断しかねるという大多数の人は、「難しいことは分からないけれど、あの人ならば大丈夫」という人に、判断を託すことになろう。
そして、「あの人=政策を作成、判断し、実行する人」というのは、つまり「権力者」だ。
かつての世の中では、文字通り血で血を洗う抗争をくぐり抜け、数多の屍の上に生き残った者が権力を握ったのだろうが、
そんなことで無闇に人の命が奪われるのはよろしくないということで、選挙というお祭りで権力者を選ぶようになったというのが、つまり民主政治なのだと思う。
「あの、お偉い先生も、私の一票があるから、大きな顔をしていられる」「私の一票のために、頭を下げてくれる」
そのことに喜びを感じられる人が、選挙というお祭りに参加する。
選挙カーを待ちわびる老人(のような人)とは、そういう人たちではないかと思うのだ。
そして、「お祭り」を利用して権力を上りつめようとする人間は、冷めた傍観者たちに参加を促すよりも、
「お祭り気質」な人たちを盛り上げることに注力した方が、効率が良いことを知っている。
時に、「権力者」という個人ではなくて、「戦争法案をつぶす」とか、そういう思想だが理念だか、そんなようなものを「ご神体」にしてお祭りが催されることもあろう。
多分、それがSEALDsだ。
彼らは初期の目的を達することはできなかったが、多分、世の中を意図的に動かそうと思えば、お祭りのような手段を使ってエネルギーを結集することが必要なのだと思う。
そんなこととは関係なしに、僕らから全く見えないどこかで、いつのまにか物事が決まっていく世の中は、多分、今の世より住みにくかろう。
僕はそんな世の中に住みたくないし、世の多くの人が、そう望んでいると思う。
だから僕は、「選挙カーを待ちわびる老人(のような人)」は、そう簡単に消えないと思うのだ。
消えるべきではない、といえるかもしれない。
選挙のやり方は変わっていけば、騒音をまき散らす選挙カーのような方法は使われなくもなるだろう。
選挙ではないけれど、今もネットでは、「炎上」という名のお祭り騒ぎが日夜開催され、それに参加する人もいれば、眉を顰める人もいる。
僕の粗末な頭では具体的に想像できないけれど、仮にネット選挙が今より進化したとしても、
選挙カーの連呼とは違う種類の「騒音」に悩まされ、うっとうしくなる日がくるのだろう。
ところで、僕はハロウィンに仮装して参加したことがない。今後もたぶん、参加することはないだろう。
だが、心の片隅に、あの、屈託なく仮装して楽しんでいる人たちを羨ましく思う気持ちがないかと聞かれると、全くないとは言い切れない。
選挙カーで名前を連呼する事象について言及すると「そもそも公職選挙法で規定されているから、それしかできないのだ」とブコメやトラバでご教示くださる方がいる。
仮に、連呼以外のことが認められ、選挙カーが政策を訴えだしても、「うるさい」と思う人は「うるさい」と思うだろうし、
走り回る選挙カーから、「政策に興味のある意識が高い有権者」の判断材料になるほど意義のある複雑な内容が訴えられるとも思えない。