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はてなキーワード: たまとは

2011-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20110614234305

彼らは思いつきでたま官僚のじゃましているだけですよ。独裁者じゃありません。

政治は端的に言うと誰かを生かして誰かを殺すことなんですが、彼らにはその自覚はありません。

最後には周りの全員が敵になるんですが、なぜ敵になったのか判っていません。

自分は正しいことをしているのに!」とまじで思っているようです

政治をする上で正しいことってあるわけないのにね。ほんとうに迷惑。

 要は、彼らは勘違いしている。会話を進める、場をもりあげる、努力するとかいうことをまるでお笑い芸人が笑いを取るがごとくに振舞うことだと勘違いしている。そしてネタやらボケやらツッコミやらを要求する。それがたまらなくうっとおしい。あまつさえこちらがそのやり方に乗らないと憤慨さえする。彼にしてみればそれを作法だと思っているので当然であろう。

 笑いをとろうしたりおどけたりするのは有用だと考えている。それで場の固さが取れる、いつもは見られない人間性が表れる、思わぬ会話の発展があるなどたくさん効果があるからだ。しかしそういうものは1つの方便であって別に正義ではないとどこかで弁えていてもらいたい。 

 その場の人間あるいは観客を満足させるための基準も方法もきっとさまざまだからだ。

 

anond:20110614155721

原子力村は菅が怖い なぜか?

菅は久々の二世・三世議員ではない総理大臣である。また大企業グループのバックがあるわけでもない。つまり、電力業界がつけこむ隙がない総理なのだ。

これが二世総理なら父や祖父が世話になった義理があるし、企業グループのバックがあるなら計画停電でねらいうちにされたらひとたまりもないわけで、とてもじゃないが抵抗できない。

いま大事故が起きた時点の総理大臣が、原子力村の圧力を受けにくい菅であること。これが何よりも怖い状況なのだ。だから急いで排除しようとしている。

http://anond.hatelabo.jp/20110614131519

図書館行くのもダルいけどググッてもめぼしい情報がないとき、質問するとたまにいい情報がついてくることがあるよ。

なんだか、自分勉強したくない理由を探すのに無意識の内に必死になっていて、そのせいで頭が回らない・上の空になっている様な気がしてきた。

でも、こんな事が分かった所で何をどうすればいいか自分には見当が付かず、勉強しようにも思考能力は落ちたままだし頭の回転も鈍くてどうしようもならない。

いや、「どうしようもならない」と考えているから駄目なのかもしれない。自分にも出来る事をやらなければいけない。

それが最善の方法かどうか分からないけど。

2011-06-13

ダブルスタンダードっていけないことかな?

批判する人ってよく「ダブスタでしょ」とか言ってしてやった気になってる人とかたまにいるけど、

ダブルスタンダードってなにか悪いことでもあるかね?

別に論理だ矛盾だとか優先してない人にとってはどうでもいいんじゃないの?

やりたいことの間に矛盾があってもやればいいじゃん。

http://anond.hatelabo.jp/20110613131218

さらに関係ない話を重ねると、平成不況を一番体感したのは、実は「挑戦的飲料」が出なくなったことなんだよね。

「維力(ウィリー)」とか「スイカソーダ」とか・・・

その中でたまに「キャラメル飲料」みたいなのが生まれるのが良かったのにさ。

傘の端から滴り落ちる雨粒を見やりながら、ぼんやりとAのことを思い出していた。ぼってりとした雨雲が犇めき合う季節になると、彼は眉間に深い渓谷を刻んでしきりに舌を打ち鳴らしていた。

至る所で蛙が鳴き声を上げている。あの日も同じだった。夥しいほどの蛙が、姿も見せずあちこちで喉を震わせていた。

あの日、Aはいつにもまして苛立っていた。いつになく舌打ちの回数が多かったし、形相までもが歪み始めていたのだ。

家路を共にしていたわたしは気が気ではなかった。狂おしいほどの不快感というものを、生まれて初めて目の当たりにしていたのだ。両目が釣り上がり、眉間はもちろんのこと鼻筋にまでしわを寄せたAの容貌は、この世のものではない黒々とした悪意に乗っ取られてしまたかのようだった。

なんとかしなければならない。少し後ろを歩きながらわたしはそう考えていた。早急にAの不快感を発散させなければならない。いつその矛先がわたしに向くかわからなかったのだ。

梅雨空の下、わたしは沈黙たまま歩き続けた。つかず離れずAとの間に一定の距離を保ったまま進み続けて、不意に先生の話を思い出したのだった。

それは先生子供の頃に行っていたという遊びのことだった。パン、と弾けるのだという。ひどいことをしていたものだと、先生は苦笑交じりに語っていた。

わたしは先をゆくAにおずおずと話しかけてみた。ねえ、蛙に爆竹を仕込んでみない。

声を聞きピタリと立ち止まったAは、しばらくの間前を向いたまま立ち尽くしていた。やがてゆっくりと振り返ると、わたしが口にした言葉意味が掴めないといったような表情で虚ろな視線を寄越し始めた。わたしはそのとき意味もなく愛想笑いを返した。だけに留まらず、沈黙に耐えられなくなった末、その背中押し出ししまった。

よくわからないけどさ、イライラしているんでしょう。だったらやってみようよ。嫌いな蛙を懲らしめてやろうよ。

本当に、その程度の思いつきだったのに。

わたしはAの眼の色が変わっていく様をまじまじと見つめてしまった。

それも、そうだな。

ぞっとするほど酷薄な表情を浮かべたAがそう言った。彼のものとは思えないほどに冷え切った声色だった。わたしは思わず鳥肌の立った二の腕を抱いていた。ねっとりとした暗黒色の感情が、形をなしてAの背後に立ち込めているかのようだった。

わたしは今すぐにでもその場から立ち去りたくて堪らなかった。とてつもなく嫌な予感がした。「絶対を破ってしまった後ろめたさ」のような感情が、怒涛のごとく押し寄せてきていて呼吸をするのが苦しかった。

今なら当時わたしが呑み込まれた感情が何であるかがはっきりとわかる。あれは呆れるほどに純度の高い恐怖だったのだ。生理的本能的な原始の恐怖。それが驚くべきほどの奔流となってわたしに流れこんだのだ。お陰でわたしはその場からぴくりとも動き出すことができなかった。Aと向き合ったまま、両足が地面に縫い付けられてしまっていた。

にっ、とAが笑った。

何も言わずに再び前を向いたAは、歩き出しながらわたしに指示を出した。ありったけの蛙を捕まえて公園まで待ってきてくれ。口調は穏やかそのもので頼みを聞いてもらうときのそれに近かったものの、内実その根底には逆らいようのない高圧的な意図が宿っていた。反故にすることなど、できるわけがない。恐怖に支配されたわたしの首はほとんど自動的に頷いていて、わかったと端的な服従の誓いまで口にしてしまっていた。

絶対だぞ。

念を押されたわたしは、帰宅するや否やプラスティック製の小さな水槽を抱えて再び雨の町へと飛び出した。

蛙を捕まえなければならなかった。一匹や二匹では足りない。胸に抱えた水槽から溢れんばかりに捕まえなければならなかった。そうでなければ、どうなるかわからない。どこかたがが外れてしまったような様子のAが、何をしでかすともわからない。

かえるかえるかえる。わたしは死に物狂いで蛙を探し続けていた。大きいものから小さなものまで、見つけたら片っぱしか水槽に突っ込んでいった。かえるかえるかえるかえる。まだ足りない。まだ足りない。全然足りない。

ただ、恐慌状態にあったわたしは少しだけ運が良かった。Aが指定した公園には小さな溜池とそこに向かって流れる側溝があって、そのため草むらや生垣の中から途切れることなく蛙を見つけることができたのだった。加えて、その年は例年になく蛙が以上発生していた。わたしの右手は次から次へと蛙を捕まえていった。

十五分くらいで水槽の半分ぐらいが蛙で埋まった。随分な量だった。抱える左手が重たくて辛かったことを覚えている。しかしながら、それでもまだ蛙が足りなかった。こんな量じゃ満足してもらえないと思い込んでいた。

狂おしいほどの強迫観念だった。ストレスからくる吐き気まで催していたと思う。Aという圧倒的な恐怖に苛まれていたわたしは、グロテスクな体を所狭しと寄せ合った蛙たちの上に、捕まえていたのと同等かそれ以上の蛙を詰め込んでいった。

それからもう二十分ほど探し続けて、わたしはようやく水槽の蓋を閉じた。見れば、限界まで詰め込まれた蛙が壁面に抑えつけられながらもぞもぞと動いている。腹を向けていたり、背を向けていたり。ある蛙は押し付けた眼球が潰れかかっていたし、最初の方に捉えた蛙にいたっては、底のほうで身動きも取れないまま胃袋を吐き出しているようだった。

わたしは右手に傘を左手水槽を抱えたままAが来るのを待っていた。早く公園に来て全てを終わらせてほしいと願う一方で、どうかこのまま絶対に来ないでくださいと望まないわけにはいかなかった。

雨は途切れることなく傘を叩き続けていた。根こそぎ集めたつもりだったのに、依然として蛙の鳴き声は四方八方から鳴り響き、傘に反射して頭上からも降り注いでいた。

どれほどの時間立ち尽くしていたのだろう。じっと足元に落としていた視線を持ち上げたわたしは、雨にくすんだ公園入り口に現れたAの姿を目にすることになった。ドクンと心臓が脈打つ。血流が速くなって、外気が急に寒くなったように感じられた。

Aはゆっくりとわたしの方へ歩み寄ってきた。手には買い物袋。大きな大人用の傘を差して、これから行う行為にふさわしい服装であるかのような暗い色の服に着替えていた。ただ一点、スカイブルー長靴けが場違いに目立っていた。そこだけが異質なまでに邪気がなく、わたしは急にぞっとしなくなった。

たくさん集めたな。Aはわたしが抱えた水槽を見下ろして満足そうに言った。十分過ぎるくらいだ。思う存分楽しめる。にやりと歪んだ笑みが目の前に広がった。喜んでもらえたから、取り敢えずはほっとすることができたから、わたしも笑顔を返そうと思った。けれど、こちこちに強張った表情筋はぎこちなく伸縮することしかできなくて、声さえ口に出せなかった。

やるか。Aは素っ気なく口にした。わたしは命令を受け取ったロボットのように水槽の蓋を開ける。蛙を一匹取り出すと、彼の右手に手渡した。洗練された無駄のない無機質な動作だったと思う。蛙を受け取った彼は、買い物袋の中から小さなダイナマイトを取り出し、無理やりこじ開けた蛙の口に詰め込んだ。

がそごそと左手に持った薄いビニール袋を騒がせて、取り出したライターをわたしに差し出す。

点けてくれ。両手が塞がってて、何も出来やしない。

わたしはこくんと頷いて彼に従う。ライターを受け取り、石火をジャリジャリならして、揺らめく小さな炎を作り出した。

やろうか。そう、彼が言った。わたしはまたこくんと頷いて、そっと導火線に火を近づけた。

シュッと小気味いい音が聞こえて、細かな火花が飛び散った。Aはすぐさま蛙を放り投げた。

口の中に爆弾を放りこまれた蛙は、降り注ぐ雨の中、カタパルトみたいに宙空へ飛び出して、緩やかに下降していきながら、途中で、唐突に、弾けた。

乾いた音だった。蛙は空中で四散した。緑色の体から、予想もしていないほどの赤をまき散らして、四肢と臓腑をズタズタに引き裂かれた生命は、何の理由もなしに爆散したのだった。

べちゃり、と砕け散った血肉が地面を穿つ音が聞こえた。前にも増して雨は強く振り続いているのに、その音だけはしっかりと耳まで届いた。

べちゃり。

わたしは隣に佇むAに眼を向けた。

彼は声を上げず、身動ぎもせずに、じっと散り散りになった蛙の残骸を見つめていた。異様なまでに見開かれた瞳孔は、直前まで意思を持っていたはずの残骸を網膜にさんさんと焼き付けているようだった。

ぽっかりと半開きになった口に微かな笑みを浮かばせていたような気がする。その口元にだけ笑みを浮かべて、Aは食い入るように死体を眺めていた。自らの行為に心から耽溺した怪物のようだった。

ゆらりとこちらに向き直ったAは、もう一回やろうぜ、と言ってきた。わたしはこくんと頷くと、再び蛙をAに手渡した。それ以外に選択肢がなかったのだ。ライターに火をつけて導火線に近づけた。

蛙が弾けた。何匹も何匹も爆ぜて死んでいった。殺されたのだ。Aとわたしは殺戮を繰り返していた。雨降る公園が血肉に染まり、地表を覆う水たまりまでもが真っ赤になり始めても、わたしたちは蛙を殺し続けていた。

途中から爆竹を使うのが面倒になったらしいAは、おもむろに残りが半分前後になった水槽に手を突っ込んだ。そのまま躊躇いもなく手を握る。ぐーぱーぐーぱーと、ハンバーグをこねるかのように蛙たちを握りつぶしていった。

惨劇にわたしは小さな悲鳴を上げた。抱え込んだ水槽の中で生々しく蠢く蛙たちがいとも簡単に圧死していくのである。Aが右手を開閉するたびに、ぐちゃぐちゃと凄惨な音が鳴り響いた。ぷちぷちと気泡が潰れるような、密に詰まった組織が圧迫されて破裂していく音が断続的に聞こえてきていた。

わたしは水槽の中の地獄をじっと見下ろしていた。眼を閉じることができなかった。背けることも。かと言って、Aと視線を合わせることも怖かった。Aが目の前にいたから、ただじっと耐え忍ぶことしかできなかったのだ。目撃者として、共犯者として、わたしは蛙が死にゆく様子をありありと見せつけられなければなからかった。

水槽からは生温かい臭気がねっとりと立ち上ってきていた。時折血肉が勢いよく噴き上げて、わたしの服に付着していった。胃が痙攣を繰り返す。喉の奥から逆流してきた酸っぱいにおいが生臭さと入り交じって、如何ともしがたい臭気を醸しだす。滲んだ涙でわたしの視界は霞み始めていた。鼓膜には、依然としてミンチをこねる水っぽい怪音がこびりついている。

とうとう堪らなくなって、わたしは水槽を手放してしまった。地面にぶつかって、どろどろに潰された真っ赤な流動物が地面に広がっていく。中にはなんとか生き残っていた蛙が数匹残っていた。彼らは変わり果てた同胞の海から這い出すと、懸命に逃げ延びようと地面を跳ね始めた。

その一匹一匹を、Aは踏みつぶして回った。何度も何度も足を振りあげて、全体重を掛けて踏み躙った。ぐりぐりと擦りつけられた蛙は、すり鉢にかけられたかのごとく原型を留めない。それが蛙であったという事実さえ蔑ろにしながら、Aはわたしが捕まえた全ての蛙を、一匹残らず殺し尽くしてしまった。

わたしは公園から逃げ出した。Aのいないところへ行きたかった。走って、走って、全力で走って、全身水浸しになりながら家に帰った。しばらくしていから傘を忘れてきてしまったことを思い出したが、取りに戻ろうなんてことは考えられなかった。

その日わたしはほとんど一睡もできなかった。雨はなおも振り続いていて、蛙の鳴き声はそこかしこから聞こえてきていた。

翌日。Aはどこにもいなくなっていた。

あの日の出来事は、いまでもわたしを縛り付けている。蛙が苦手で仕方が無くなってしまったし、雨が振るたびにあの水槽から沸き立っていたにおいを思い出すようになってしまった。

けれど、それも当然の報いなのかもしれない。結果としてAに加担し、わたしの蛙を殺しまくったのだから。恨まれて当然なのかもしれない。

梅雨になるたびに、意味なく奪われる命のことを考える。供養し、謝り続けようと、心に決めている。

そうでもしなければ、わたしは何時まで経っても悪夢から解放されないのだ。

傘に遮られた視界の端には、今でもスカイブルー長靴が立ち続けている。

ここ数週間朝晩9時に隣人の目覚まし時計が鳴ってる

しかたまま出勤しているらしい。

出勤しているのならいいけど、死んでると嫌だな

2011-06-12

SHARE FUKUSHIMA

見ました?人災ライブ。あ、震災復興ライブか。

USTREAM(ttp://www.ustream.tv/recorded/15303753/highlight/178456)で見れるから見てみ。

たまに会場が映るのだが、客は30人ぐらいしかいない。

ほとんど津田が引き連れていったtwitter民とスタッフじゃないのかっていうぐらい少ない。

客の総体重より機材の総重量のほうが重い。

ライブっつっても出てくるのは世間的に知名度の低いミュージシャン3組で演奏するのはポカーンな曲( ゚д゚)。

盛り上がるような音楽じゃないのだが、それにしても盛り上がってない。

ライブがすすむにつれ、スタッフ建物紙テープみたいなのを巻きつけていくパフォーマンスシュール

ライブ最中でもテープを巻きつけているのだが、誰にも気付かれないぐらいこっそりと巻きつけてる。

気付いた頃には紙テープが増えている。

まるでアハ体験

津田店長以外、中継でたまに映るスタッフや、ライブ来てる人達笑顔がなかったのが印象的だった。

よかったのは天気とセブンイレブンいわき豊間店の弁当売上げ過去最高だったことぐらい。

コンビニ視察で蓮舫議員が行ってたらしいw

ドヤ顔で何事も批判するのは一回やめようよ。

昨日であの日から三ヶ月経ったわけなんだけど。

もう何が正しいのかよくわからない。

とりあえず、家も家族も無事だったけど

職場に行けば津波はもちろん、原発関係で家や家族を亡くした人がたくさんいる。

それでも何とか日常を取り戻そうと必死だ。

3月中は物流が途絶えて水も食料も支援に頼るしかなかった。

4月中はたまっていた年度末の仕事に追われた。

5月中はまた揺れるんじゃないかっていう心配の中過ごした。

そして6月。沿岸部の片づけも進んで気持ちは前向きになってきた。

その気持ちを打ち砕くのが、やっぱり原発

「本当は危険な状態なのを隠している!」←じゃあ圏外に住んでる人は見殺しなんですか。

「このくらいの放射能なら問題ない」←じゃあなんで福島から離れた場所で発言してるんですか。

危険から原発を今すぐなくそう!」←あの、じゃ電気どうするんですか。デモするお金あるなら避難してる人にあげて。

東電のせいで被災者がかわいそう」←原発難民東電社員家族も多いはず。そういう人らはザマーミロなんですか。

「心配だからガイガーカウンター買ったわ(笑)」←関東で何言ってんの。福島県民は外にも出るなってか。

福島県民は情弱から避難することもしない」←だって逃げるところがないんだもん。

ガンバレ東北!」←おめーは頑張んないのかよ。

何だかいろんな話がテレビネットから溢れているけど、相変わらずなのが報道中心のメディア

いつも見ている「復興を目指す地元」じゃなくて「哀れな原発のお膝元」って感じにしたいみたい。

本当に危険なら福島県民みんな避難させてくれよ。カネとか場所とか言ってる場合じゃないし。

本当に安全ならどうしてメディア不安を煽ることばかり言うの。

実際わからないならどうして「わからいからほっとけ」って言わないの。

震災当時はホントにそれに腹が立っていたけど、三か月経って何も変わっていないのに逆に絶望した。

相変わらず東電責任追及ばっかり。

相変わらず放射能危険性ばっかり。反原発団体の「ほら危なかった」ばっかり。

相変わらず津波の被害で「かわいそう」ドキュメントばっかり。

建設的に動いているところはメイン報道されないで、失敗ばかりクローズアップされてる気がする。

ほぼ休みなしで罹災証明作ってる公務員仮設住宅を建ててる建設関係の人の苦労は当たり前なんだろうな。

必死で日常を取り戻したいのに、もう少しかわいそうな地元を演出しないといけないのかな。

でもかわいそうになってないと援助がもらえないからフリでもしなくちゃいけないのかな。

何だかよくわかんなくなってきたけど、結局いろんな報道を見て思うのが

「まだそこで暮らしている人」がいるってことをあんまり認識してないんじゃないかってこと。

同じ「伝える」なのに、今ぎゃーぎゃー騒いでいるのは

福島を汚染したのは誰かを決めている」

「安全か危険かわからないけどとりあえず危険ということにしたほうが見てくれやすい」

専門家の『だから危ないって言ってたじゃないですかぁ(ドヤ』」

うそういうのはいいよ。

ドヤ顔で何事も批判するのは一回やめようよ。

批判したいなら事実だけを冷静に、相手を傷つけないように取り出してよ。

感情的に反論するのが馬鹿らしいっていう人ほど相手の感情を傷つけまくってる。

論理的に正しければ相手を傷つけていいんですか。

いくら間違ってなくても人を傷つけることしかできない言葉なら正論でもなんでもない。

どうすればみんなが幸せになるか、考えようよ。

誰かを貶めるような話題は、もうたくさんだ。

どうして音楽ってラブソングが多いんだろう?

音楽」っていうのは、ここでは邦楽というか、J-POPのことを指すことにする。

別に日本音楽界を批判したいわけではない。もしかしたら洋楽だって同じことかもしれないが、洋楽を語るほどに、洋楽のことを知っているわけ

ではないので。また、自分はそもそも、それほど音楽をたくさん聞かないので、もしかしたら知らないだけかもしれない。

で、本題に入る。

いつも不思議に思うのだけど、日本で聞こえてくる曲のほとんどすべてと言ってよいくらい、ラブソングばかりだ。

そして、必ずと言ってよいほど、誰かが好きだとか、誰かに振り向いてもらえないだとか、誰かを好きだったけど別れちゃった、ふられちゃったとか、

そんなのばかりだ。もう、大御所といわれるような人の歌でも、なんたら言う駆け出しのアイドルでも、み~んな判で押したように同じ、ラブソング。

しかも、2人の仲がうまく行く前か、終わったあと。たまーに、幸せすぎていまツライ的な歌があるくらい。(ドリカムさんくらい?)

で、自分不思議なのは、『2人で付き合いだして(結婚して)数年たっているけど、それでもうまくやっています』的な歌なんて聞いたことがない。

どうにも不思議音楽は売れてなんぼの商売なんだから、そんなのニーズがないだけでしょって思うかもしれないけど、仮に、J-POPと言われているものが

10代~30代後半くらいが対象とすると、「数年間、同じ相手と付き合ってます or 結婚して数年たちます」って人の数は決して少なくないと思うんだけど、

それでも、そんなことを題材にした歌を耳にすることは少ない。

なんでだろう?

適当に考えてみると、おそらく、同じ相手と付き合って数年とか言うと、どうしても慣れ合ったり所帯じみてしまったりして、トキメキが薄くなるから

ラブソングとして成立しにくいから、とか、そもそもラブソングなんてユメを見せるものだから、付き合い始めの楽し~い時期の話が曲としても一番

盛り上がるから、とかかな。自分でも今ひとつ納得がいかないけど。

でも、自分が思うのは、恋とか愛とかは政権と同じで、勝ち獲るまではそれはそれで大変だけど、むしろ本番は奪い取ったそれをいかにうまく運営し、

できるだけ長く続くように維持していくか。そのことの方がより大変だし、重要なんだ。と。


・・・と、結婚3年目の男は思いました。

でもまぁ、じゃあアンタ、そんな歌が聞きたいのかと言われると、別にそんなことはないんですけど。

取りとめのない文章ですいません。。

今日の気になること

今朝の朝日新聞コラム自殺相談への回答がヤバイwww:ハムスター速報

http://hamusoku.com/archives/4989875.html

http://b.hatena.ne.jp/entry?mode=more&url=http%3A%2F%2Fhamusoku.com%2Farchives%2F4989875.html

ここで上野千鶴子を擁護しているのがどちらかというとはてサに多いんだけど、こういう人らが池田信夫に対してのそれと反応が違うのはどういうわけなんだろう。

仮説

  1. 上野千鶴子ジェンダー論者で、はてサ親和性が高いから。
  2. 上野千鶴子女性学教授で、経済学池田信夫キチガイっぷりよりは影響が少ないか
  3. 上野千鶴子京大出身で元東大教授生粋エリートから、いってることに間違いはないだろうという学歴重視思考
  4. 相談者が独身で50代の男性孤独死候補なのでとりあえず結婚もして子供もいて孤独死はないだろう人にとってはメシウマ気分が止まらない(実は弱者に死んでほしい説)
  5. 実は上野千鶴子が好きで好きでたまらなくて罵って欲しくてたまらないどMな集まりから(さあ、みんなも投書して罵ってもらおう!)
  6. 実ははてなーのみなさんもなよなよした草食男子が大嫌いで、自分が手を下さずに粛清してくれるならぜひともそうして欲しいと願っている(いや、俺草食じゃねーし派)


自殺者三万人だとかいうのはとりあえずどうでもいいんだけど、こんな状況なら自殺をなくそうだなんていうより、死にたい奴はとっとと死ね!俺が失業したとき雇用椅子が増えるからなフハハハぐらいマッチョに言った方がウケがいいんじゃないかなと思うわけなんですが。

実際、自殺者が相談の結果どっちの選択をしようと、相談者には無関係ですからね、究極は。自己責任文化よくないとか言うけど、結局自己責任でしょ。

死にたきゃ死ね、俺に話しかけてくるな、と。

まあ要は甘えんなってことですよ。弱さを認めて、その上で隷従するか死ぬか選べってことです

50代無職男性社会的価値なんてのは、そんなもんです。僕の印象としては死んだほうが社会には益があるのでは?

というわけで、この男性相談せずに死ぬべきでした。ざまあw

http://anond.hatelabo.jp/20110612091331

推進派というわけじゃないし、別段原発を擁護するわけでもないけれど。

放射線とガンの因果関係って、そこまではっきりとはしてないよ。

因子が10個そろうとガンになるとしたとき、因子を9個持ってる人の10個目がたまさか放射線だったという話も考えられる。

もともと、人はガンになりやすい。

この因子が多く揃いやすくなる(蓄積すると影響が大きくなる)のであって、放射線がガンを生んだと言ってしまうと

怪しい禁煙ファシズムみたいになってしまう。

2011-06-11

ぶっちゃけ増田とかはてぶって2ちゃんでもお目にかからないような性格悪い屑のたまり場になってるよね

無職経済をガタ落ちさせるから

そのケツぬぐいを労働者がさせられる

たまったもんじゃない

働けよ、ニートども

昔やってましたよ

http://anond.hatelabo.jp/20110611171325

10数年前かな、実家風呂とシャワーがなかったのでお湯をわかして水を貯めて玄関で体をあらってましたよ。

当時のコツをいくつか。

・玄関で水を浴びるなら、排水構造はあらかじめしっかりと作って防水もしておきます

ホテルのシャワールームの防水カーテンように周りにシートを貼っとくといいです

・頭だけ洗うとき想像通り流し台であらえばいいです

蛇口に付けられるシャワーの口があると好ましい

銭湯は市内にあったのでたまに行ってました

今ならより便利に節約できると思いますマンションでは設備に手を加えられなかったり、排水がうまくできないと玄関を使うのは難しいし、実際にやるならかなり工夫のしがいがあると思う。

2011-06-10

矮小化のいくつかのケース

大なるケース

人を無視して国で括る(例:チョン、シナ

そこの国にどんな人がいようとも包括的に論じる。

発展形としては仮想敵企業社員無視して例外なく罵倒民主党員は徹底的に罵倒、被差別地域は徹底的に罵倒文系は徹底的に罵倒ニコ厨は徹底的に罵倒

どちらかというと東洋的であり、右翼がち

小なるケース

言葉を無視して人で括る(例:池田信夫藤沢数希

その人が正論を吐こうと包括的に論じる。

発展形としてはいろんな人に同じようなことをする。きっこ罵倒したり誰とも分からID罵倒したり。

どちらかというと西洋的であり、左翼がち

どっちが悪いの

どっちが、というような問題ではない。どちらも脳みその酷使を抑えるためのようなものであり、究極としてはどっちも悪い。

様相としては「社会⊃個人⊃言説」のレイヤーけがされており、やってることにさしたる違いはない。

まあ、どっちもムラ社会みたいなもんです。「日本SUGEEEEEEEEEE」か「俺SUGEEEEEEEEEE」の違いしかありません。

まあ、見た目の悪さで言えば、より包括的に扱っている分大なるケースの方が悪そうには見えますよね。後者はとりあえず、人を分断することには成功していまから

でも、いちいち判別するのめんどくさいよ

めんどくさくてもそうすることが望ましい

たとえばはてブお気に入りに、よくブクマでバカにされてる人のエントリが上がってきたとする。

で、案の定ブコメはバカにしている。

でも、記事をよく見ると特に間違ったことは主張していない。

そんな時はムラ社会空気に負けず、しっかりブコメで「間違ってないでしょ」と書きましょう。

たまIDコールで堂々と、矢印でこっそりと、矢印も付けずに罵倒されますが、グッと堪えましょう。

彼らにとっては「こんなやつが日本にいるなんて恥ずかしい!とっちめてやる!」とか「こんなやつをやっつけられないなんてどいつもこいつも恥ずかしい!俺がとっちめてやる!」とか思ってるので、どっちにしても辛抱です

まあ、構わないのが勝ちですよ。

文章からわかってしまうこと と そうでないこと

なんかそのエントリブコメを具体例で見せてもらわないとコメントのしようがないよ基本的には。


その反応や口ぶりから言って、

君のエントリに下された人物鑑定は肯定的なものではなかったのだろうけど

そういうのって本人が「はずれ!」とか「当たってない!」って言っても始まらなくねえか?

人間誰しも自分欠点を指摘されりゃ不愉快だし認めたがらないものだ。


その人物鑑定が本当にはずれてたのか、傷心の君が「はずれだ」と言い張ってるのか、

君の話を聞いてるだけではサッパリ判断不能だ。


まあ北極大型動物っぽいidの奴とか、

他人にうすっぺらい心理分析をかますのを日課としながら

自分の心の中のなんらかの問題から逃げ続けるような人間も少なからずいるのは事実だが

増田にふつーに一本書いて、内容へのコメントより書いた人間の鑑定が始まっちゃうっつー場合

それはやっぱ文章がよほど変っつーか、異形の自意識が溢れ出したような文である場合が多いと思う。


さぁ、そんなわけで、これを書いてる人間がどういう人間か、推理ごっこが大好きな人たちに推察してもらおうじゃないか

俺は人物鑑定は普段やってないけど

この1行だけでも君が大変自意識過剰であること、負けず嫌いであること、ぐらいはわかってしまう。

こんなもん別に心理学でもなんでもなく、「すこし鼻毛が出てるよ」みたいな見たまんまの話だ。

君が前にやられた鑑定もそういうレベルのことであれば、そりゃ勘繰りというより見たまんまを書かれてるだけだぜ。

生い立ちまでわかるとか言い出したらレクター博士だけどさ。

http://anond.hatelabo.jp/20110610063353

心理カウンセラーになりたい人たち

自分たま増田で書かせてもらうと、ありがたいことに、ホッテントリ入りしたり、ブクマコメントをたくさん頂くことが多いのですが、 せいぜい1000字程度のテキストから、なぜか必ず「こういうこと言う人って○○なんだぜ。」って、したり顔(たぶん)で人間像を当てっこする人がいて、今まで「性格悪い」 くらいしか当たった試しがないんですけど、そういう人って心理学者とかカウンセラーだったりするんですかね?もうちょっとがんばって深読みしてほしいとこです

で、こういうコメント書く人たちって文章の内容自体にまったく触れずに、いきなりそれを書いた人間人間性を疑うところから入るんですよ。「さあ、議論しようか」とテーブルについたところでいきなり「いや、その前におまえ頭おかしいから。」とジャーマンスープレックスますわけです。で、言い放った本人は自分意見も言わずに「一本とってやったぞコラー」みたいな態度だと思うんですけど、いや、すげぇな、と。

いや、確かに増田に変なの湧いてることも多いので、うわぁー・・・みたいな感情も理解できるんですが、ちょっと自分に理解できない感覚が読み取れると、匿名人間に対して「こういうことを書く人間はこういう人間です。」という推察は、「違うよ」と否定したところで議論にならない上に、アウトプットしたところで何も生み出すものがない。2chでよく見る「おまえ友達いないだろ?」っていう無意味喧嘩ふっかけてる輩と同レベルなんですが、本人は「俺、すげー分析してやった。」みたいな態度でいるのがなんかヤバいな、と。しかも間違ってるし。まだ「こういうこという人キラーイ」という意見の方がその人の役に立つわけですよ。

さぁ、そんなわけで、これを書いてる人間がどういう人間か、推理ごっこが大好きな人たちに推察してもらおうか。

苦しみとイミフ世界

自分が苦しんでいる理由が分からないことが多い。

でも一つ一つ書き出して、

それを解決するうちに、不安が晴れていくことに気付いた。

そんなものか。

でも、それでも、子どもの頃のトラウマは残ったままだ。

くだらない苦しみって、解決していくと最終的には

原初的で解決不可能な苦しみにたどり着くから

結局苦しみなんて晴れないのだろう。

からみんな自殺を選ぶんだろうか。

リセットしたいのか。あるいは、人間世界を捨てて観念世界へと逝きたいのか。

頭が痛い。金にもならないことに神経を使わないといけない事態に陥った。

何だろう。やっぱりちゃんと計画を練らなかったのがマズかったのだろうか。

2011-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20110606225523

すごくよくわかる、気がする。勘違いかもしれないけど。そして周りの人がこれを理解出来ないこともわかる。

僕ははじめて女の子と付き合うのは遅かったけど、それまで何度か告白されたことはあって、そのどれも振ったけど、「僕とは釣り合わないよね」と言うのが最大の理由だった。釣り合わないってバカにしてるように見えるかもしれないけどそんなかっこいいもんじゃない。その人とお付き合いして二人で歩いてる時に、周りの人から見て釣り合ってるカップルだなあと思われるかどうか、が重要。バカにしてたっていうよりむしろビクビクしてた感じ。ほんとに、好きか嫌いかじゃなく釣り合っているかどうかが第一で絶対重要なことだった。それで、この人の言うことはすごくよくわかる。そしてそのような女の子たちに僕が思った感情は、「ごめんなさい」だった。本当に。嘲笑とかまったくない。バカにしてもいない。キモイとも思わなかったのはこの人とは違うのかもしんない。でも、周りの人はこれを読むと、それは本質的には嘲笑しているんだとか言うんじゃないかと思う。それは理解できる。でも本当にそういう気持ちじゃなかったと言うしかない。

他の人が釣り合わない恋愛をしようというとき、この人はすごい憎しみを感じるのに対して、ぼくはそういうふうに動くことができるのはうらやましいと思うので、そこはちょっと違うけど、本質的な違いじゃないと思う。本質的に違う人は、そもそも釣り合わないとかなに?って人。これが気になる人はみんなそれなりに似たところあるでしょ。

今僕は結果的にすごい美人さん(と我思う)と付き合っているけど、いまだに釣り合いの悪い自分が横にいることが時に耐えられなくなる。多分この人みたいな人は「釣り合わねー」と思うんじゃないかな。・・・というふうに思う。そんなふうにして自分が自信を失っているとき彼女は不機嫌になっていることもわかる。女性はやっぱ自分に自信を持った男性が好きだと思うので。という僕も、彼氏彼女関係ではな仕事をしているときには自信満々であるっぽく、そういうところを好きになってくれたのだろうと理解しようと努力する。そうするともやもやは少し解消する。釣り合いが取れてない?いや、そんなに釣り合いが取れてないと向こうが思ってるなら向こうも付きあおうとしないだろうし。もしかすると僕のことをものすごく勘違いしているのかもしれない。そして、本当に釣り合いが取れてないことが向こうに判明したなら、向こうから別れを切りだしてくるはず。気楽にいこう。というのが今の気持ち。と言ってもこの段の冒頭にいつも逆戻りしてる。そのたびに彼女は不機嫌になる。

これまでの彼女自分的には自分釣り合い取れた彼女で、精神ストレスほとんどなかった。今の彼女釣り合いストレスを感じるけど、同時に、釣り合い思考からだんだん脱して行ってるようにも思う。それをさせたのは努力。それしかないや。

こんなような僕の感情の動きの中に、彼女を愛してるって気持ちはどれだけあるんだろう。自分でもときに自問する。いや愛してると思うんだけど。結局、相変わらず釣り合ってるかどうかが一番優先されているのかも?そうなのかも。みんな簡単にブコメつけてるけどね、釣り合い重視の人が人を愛して周囲を一切気にしないで誰かを愛せるようになるって言うのは、高校時代ひきこもりキモオタ大学デビューして合コン三昧のリア充なっちゃうくらいの確率しかないのじゃないかと思う。適当だけど、つまりすごく難しいってこと。

結局こういう気持ちがどうして起こるかというのは、日本社会同調圧力のもとで、自分自分プレッシャーをかける日本人の体質的なものだろうし、それはいくつかある冷静なブコメが指摘してること。過剰な労働も、自殺も、無能なトップも、みーんなこれが原因だ(そして現代の日本社会を生み出した、世界一優秀な中産階級も)。日本社会同調圧力のもとで、いろんな環境作用して、それぞれの方向に行くんだと思う。それは日本社会根本的な問題なので、それに対する解決策があるんなら苦労しない。日本は今みたいに停滞してないと思う。

それでも彼女は救いを求めてるようなので、自分がもしあなたと似たような人間だとして、経験上いちばん有効なのは海外に行くことだ!マジこれしかない。だって原因は日本社会なんだもん。特に西欧文化圏は本当にオープンで、ていうか、オープンであろうと努力してる人間社会なんだ。だいたい白人アジア人カップルなんて釣り合うと思うかね。誰も思わねーよ。でもね、そもそも、「釣り合い」なんていう概念がない、なくそうとしてる社会だったら・・・もちろんゼロはない。でも超金持ちさんザッカーバーグの彼女中国人だったりとかそういうこともある。語学はまずつけてから行ってね。あと人種差別にはめげないように。しょうがねっす。強く生きてる華僑とか見ると少し勇気づけられる。日本みたいに、そもそも生活レベル欧米より上(これはマジです)っていうことすらないのにね。

そしてまた、海外に行くと、日本社会のそれはそれは素晴らしい特質もすごくよくみえてくると思う。それで、海外釣り合い意識から脱したら日本に帰ってもいいんじゃね。それか、超気に入ったんならそのまま海外に住んでもいいんじゃね。自由に行こうよ。もちろん苦労も多いだろうけど、こんなふうに自由にできる時代なんて、人間の長い歴史の中でそんなにないんだぜ。太平洋戦争前にアメリカに移住してた僕らのご先祖さまは、強制収容所にぶちこまれたんだぜ。それに比べたらどんだけ楽なことか。

あと病院行けって言ってる人はなーんもわかってね。社会人生をあまり知らない人っぽいや。こんな人山ほどいるべよ。統失と躁鬱と小児精神病以外は、精神科なんて本人が行きたきゃ行けばいいし行きたくなきゃ行かなきゃいいさ、病院なんて(ボケはま神経内科行け)。行きたくてたまらない人はもちろん効果ある。でも行きたくてたまらない様になっている時点で精神的にはかなり参ってる。この増田はそんなんじゃないよ、多分。

http://anond.hatelabo.jp/20110502165746

非常に良く分る。

うちもたまナプキン放置されてる事があってゲンナリするなあ。

2011-06-08

堤防は力を逃がさないのが問題では

防波堤防潮堤、堤防と呼ばれるものですが、平らな壁の形をしているので正面から津波をうけてしまいます。

津波は後ろに長く連なっているので、高さがあっても薄い壁ではひとたまりもありません。

また、厚さを増したとしても後ろからどんどん押されてくるので水は乗り越えてしまいます。

なので、波をUターンさせるように、横に倒したUの字「⊃」のような形にしたらいいと思います。

押されて登った波が後ろに帰っていくときに、押し寄せている波とぶつかり合わないように、上下の仕切りをつけて二階建てのようにするのです

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