これよく思う
具体的にキャラ名出されるからキッツいところがあるんだよね、たまに拡散されてるせめがうけをこうするのが良い、みたいなものはきつめの下ネタでもあんまり不快感覚えないし
保身に保身を重ね、といった具合のあれか笑
最初に、私も腐女子なので、腐女子自体をどうこう言いたいわけじゃない。
気持ち悪いって言い始めればジャンル自体が気持ち悪いのは分かっている。
だから活動もひっそり人目につかないところでするし、仲間内でしかそういう話題にはならないけど、このモヤモヤの詳細をまとめておきたかったので。
私はとあるCP(A×Bとする)が好きで、二次創作もする。下手なりにエロも書く。
嬉しいことに「好きです」と言ってくれる人もいて、同じA×B好き同士、ツイッターで仲良くさせてもらっているのだが、TLに流れてくる「B(受け)犯されろ!」とか「Bぶちおか!」とか、それ系の発言がとても苦手だ。
ただその、あまりに欲望むき出しな発言にすごく引いてしまって、どうにもTLを見るのが辛いときがある。
単にCP固定厨だから、攻めが明確にされていない状態での「B犯されろ」が嫌なのかとも思ったけど、「AがBに●●して~」みたいな発言も、露骨な言葉とか状況が入っていると同じように引いてしまう。
これはすごく矛盾した感情だし(何せ自分だってそういう状況の作品を書いてる)、自分の不快感の原因がどこにあるかも分からないけど、この感覚分かる人いるかな。
ちなみに作品としての体を成してさえいれば、かなり下品なものでも読めるし、そんなに不愉快にもならない。
つまり、ツイッターあるいはブログなど、「発信者」の存在をはっきり感じられるような場所で、そういう発言がなされていると「気持ち悪い」と感じてしまうんだ。
妄想とそうでないものの区別が曖昧な場所でそういう発言を見ると、その人が本気でそう思っているように感じてしまうのかもしれない。
ミュートするなりフォロー外すなり、対策はいくらでもあるから自衛するけど、この「気持ち悪い」の原因を考えてみたかったのと、同じ感覚の人がいるかな?と思ったので書いた。
少し整理できた。
今の彼氏そんなんだわ。ついにゴールか
はいどーも。
みなさん、野菜350gを毎日食べていますか。忙しいと野菜350gを食事に組み込むのは難しいですよね。そこで、野菜350gを簡単に摂取するメニューを考えてみました。名付けてお好み焼きキャベツ1/4作戦!。キャベツ1玉当たりの重さは1200g。1/4で300g。350gには少し足りませんが、一日に必要な野菜摂取量の85%を一気に摂取できる画期的なメニュー。お好み焼きで野菜不足から脱出です。あとは睡眠と運動と瞑想さえしっかりすれば、人間に戻れるはず。ということで、お好み焼きキャベツ1/4作戦!いってみよう。
・キャベツ 1/4個
・ちくわ 2本
・たまご 2個
・小麦粉 大さじ2
1.キャベツを千切りにします。食感が悪くならないように、芯に近い部分や固いところはしっかりとスライスし、全体的に均一な状態にします。
3.千切りにしたキャベツとカットしたちくわをボールに入れ、適度にまぜます。さらにきりいかと削り節を入れます。
4.小麦粉とたまご1個を入れ、小麦粉を全体にいきわたらせます。水は入れません。たまごとキャベツの水分だけでいきます。
5.適度にフライパンが温まってきているので、ボールの中のタネをフライパンに入れ焼き始めます。真ん中は少しへこませて、もう一個のたまごを落とします。豚肉をタネの上に一枚ずつ配置していきます。ここからは火加減は弱火です。弱火で裏表12分かけてゆっくりと火を通し、キャベツの甘みを引き出します。
6.キッチンタイマーで6分。計測します。「OK、グーグル」とか「ヘイ、siri!」と言って、「タイマー6分」と音声認識させたほうが今風ですよね。6分あるので、お皿を洗ったり、翌朝のごはんをセットしたりと家事に使える時間が生まれます。
7.6分後、直径26㎝、厚さ3㎝のお好み焼きの片面が焼き上がっております。フライ返し2本を両手に持ち、お好み焼きとフライパンの間に差し込み、手首のスナップを利かせて手前に返します。今回のお好み焼きキャベツ1/4作戦!で、一番難しいのがこのひっくり返すアクションです。初回は失敗する可能性が高いです。ますのすしの空き容器を使ってイメージトレーニングをしておくことをおすすめします。
8.肉の面が下になりました。さらに6分。計測します。まな板や包丁、材料を混ぜたボールやフライ返しを洗ってしまいましょう。
9.6分後、直径26㎝、厚さ3㎝のお好み焼きを皿に移します。ここまできて、形を崩すのはもったいないので、大皿をお好み焼きの上にかぶせて、お皿を押さえながらフライパンをひっくり返してお皿に乗せましょう。これは、7.のひっくり返すアクションに比べると難易度は低いです。豚バラを使ったときは、油が出ていることがあるので、油を床にこぼさないようにシンクの上でやると安心です。
ということで、お好み焼きキャベツ1/4作戦!で、野菜を300g摂取を目指すの回でした。あとは、残り50gの野菜と睡眠と運動と瞑想に気を付けて、人間になることを目指してくださいね。
まったねー。
外人とのコミュニケーションが怖いと思う自分にとって、タイトルの若者はずいぶん勇気があって凄いと思うんだけど、
普通の人からしたら逃げや妥協だと思われるみたい。それが納得できない。
自分も若者と同世代だが、低収入で仕事や生活に不満を抱えているが、打開策もなく休みの日は部屋に籠っている(節約のため)
平成1年から平成20年辺りのギリギリ高度経済成長の最後っぺという時代背景と「普通の」義務教育を受けたら
「海外で生活する」なんてとてもじゃないけど考えつかないアイディアだ。
(リスクが生じることは徹底的に避けるべきと、植え付けられた)
いくら現状に不満があるからと言って、自ら日本語が通じない外国に行こうとするなんて、なんて強さだと自分は思う。
尊敬してるし、頑張ってほしい。
音楽とか映画、テレビ番組の定額配信サービス、(無料体験するまでもなく)ある作品が利用可能かどうかを検索できないと契約するハードルがだいぶ高く感じてしまう。だが検索できるサービスの方がむしろ少ないのはなんでなんだろうか。Netflixとかですら公式には存在しなくて有志のサービス等を利用しないとできないし。
高校生なんだけど、以前自分くらいに若い起業家の下で従えてた?時期が半年くらいあって、そのお陰でいつの間にか、まわりにいるのが名門卒のヤバい才能のある人ばかりになって、ベンチャー起業家とかその世界では名の通った人とか、とにかく自分のキャパ越えてくるような人ばっかりになってた。
そもそも自分の生い立ちとかが少しだけ特殊だったから中2くらいまで自分は天才だと思っていたタイプの痛い奴だったんだけど、最近はそれを彷彿とさせる同年代にモヤつかされてる。
自分は凄い器用貧乏で、かなり、凄く幅広く色んなことができるけど、極めたのが林業系であんまり今は生かせない。あとは、こんなクソ文書いているが国語だけ偏差値60越える……言ったって60だが、それくらいの能力しかないわけで、ずば抜けた才能がある人に囲まれていれば、当然自分の平均さに気がつかされるわけで。
小学生の頃にさんざん訓練されて討論はできるけど、今周りに議題をもって論ずることができるのは大人しかいないし、その大人のレベルには遠く及ばないイキったガキに過ぎない自分。
(学力が全てとは言わないが)自分の上にいた起業家は偏差値的には自分より下で、何かコメントをした時にたまに返しが盛大にズレて話題が進まなくなることがあったりするような、正直下に見ていた奴だったが、推薦で名門大学に進学が決まり、ああ、世の中って金なんだなってズレた感想を持って救いを求めることしかできなかった。
自分は学歴社会が嫌いだし、能力のある人間は伸びて然るべきだと思うんだけど、起業なんて金がある奴にしかできないし、CFにしたって将来的にというよりは「今」価値があると思われたものにしか集まりにくい。
起業資金をCFってなんかダサい気がするし(これは自分の無知故なんだろう)
話がとっ散らかっているが、今一番嫉妬に燃えているのは「何もできない本物の無能がベンチャー所属を盾に推薦を狙う同級生」だ。
悪い奴じゃないんだ。悪い奴じゃないんだけど。ひとつ違いの社長よいしょして気に入られて居座ってるだけの癖に、自分の半分しか数学も英語もできないのに、そんな奴が推薦って本当に、大丈夫なのか?と。
もちろん自分が1つを極めなかったがためにこんな嫉妬をすることになったとよくよく自覚している訳だが、それにしたってまだクソガキの自分には許しがたいものがある。
この間母親の友人からのメールに「息子が起業関係のセミナーに行ってきたらしい」とあったが、どうも、「舐めてるあいつができてるんだから、アメリカとかヨーロッパに留学してる彼にも、金さえあればできるんだろう」と思ってしまって。
大学受験のために必死になって勉強している自分が馬鹿馬鹿しくなる。
釣りじゃないんだよなぁ
でもご指摘は賜りました
ありがとうございました
パーティに来ないじゃん
ヤフオクで売ってるよ。
はじめに、これは私の醜い心の内を整理する為に書くものだと明記しておきます。
今日、2年描いた自ジャンルから撤退して、推しカプを描くのをやめることにした。
私は同人活動をしている。インターネットでぽちぽちサイトをつくって遊び出してから、同人誌を制作している今までを含めて大体10年ぐらい。カウンター機能やアクセス追跡機能をつけてもアクセスしているのは自分だけ、という時代を経て、ピクシブで小説なり漫画なり描けば、ランカーとまではいかなくても、タイミングが良ければランキングに載るレベルの評価を貰えるようになった。
私が今日まで描いていた自ジャンルは、オリジナルアニメ作品で、規模としてはかなり大きい。その上、その作品のカップリングの中でも、二番手人気のカプにハマったので、書き手も読み手もかなり人口が多かった。特に、初期は書き手も少なめだったので、その頃ピクシブに投稿された人気作品には、10000単位でブックマークがつくほどだった。
私の漫画にも、10000以上のブックマークがついた。そのカプにハマってから初めて描いた長編漫画だったので、思い入れを込めて描いたものだった。そこから、フォロワーが2000人ぐらい増えた。それ以降、私がピクシブに投稿した作品は、必ず1000以上のブックマークがついた。
もちろん、ジャンル効果なのは分かっていた。漫画が評価されたけれど、私は決して絵が上手いわけではない。元々小説を書いていたから、ある程度ストーリーをつくり慣れていただけで、褒めていただけるのは話の内容が殆どだ。更に、その頃の推しカプ作品では10000ブックマーク越えなんてざらにあったので、今改めて当時の投稿者たちにランクをつけたとしたなら、私は中の下ぐらいだろうなというのが本当のところだった。
実際、イベントに出たところで、新刊は売れてもせいぜい100冊。他の参加者が新刊完売と嬉しそうにツイッターで報告する中で、私が新刊を完売したことは一度だけ、それも100冊だ。
そう分かっていたけれど、それでも、嬉しかった。
元々同人活動よりも早く、インターネットで作品を投稿するばかりだったので、お金を払って本を買ってもらうよりも、私は、自分の作品を読んでほしかったのだ。読んで、ブックマークしてもらって、タグ付けでもコメントでもメッセージでもツイッターにリンクを共有して一言添えるでも何でもいい、出来れば感想が欲しかった。
それが、自ジャンルに来て変わった。私の作品を好きだとメッセージをくれる人がいれば、イベントで面識もない私の為に手紙を書いてきてくれる人がいて、更にはメッセージで「翻訳する為に転載させてほしい」と拙い日本語で断りを入れてくる人もいた(これに関しては二次創作、腐向けなのもあり、丁重にお断りしたが)。
私の、私の為でしかなかった作品を、好きな人が沢山いる。おそろしい喜びだった。私の、推しカプに対する熱を表現する為の作品づくりは、いつからか、その人たちの目を気にし始めた。
ツイッターの存在もそれに拍車をかけた。ツイッター上には、推しカプの絵を日々量産しては、1000RT、10000RTを稼ぐような人たちがかなりの数いた。更に、ピクシブで人気のある投稿者は、おおむね1000人以上のフォロワーがいた。
しかし、私にはそれがなかった。元々、ツイッターであまり呟かない性格だし、上記の理由で、絵も全くと言っていいほどに描かない。ツイッターに上げた10RT程度の漫画が、ピクシブに上げた途端1000ブックマークつく、というのが私だった。
羨ましくて、絵を描く用のアカウントをつくって、そこで毎日むりやり描いたが、100RT程度が限界だったので、打ち止めた。
そんなふうに数字を気にしているうちに、周囲に敵対心までもがわき始めていた。
くわえて、推しカプはアニメ(原作設定)で現代に生きる兄弟なのだが、パロディというか、パラレル設定も多い。アイドル設定もあれば、妖怪設定もある。更に、アニメが終わってからは、アプリゲームのパラレル設定からしか供給がなかったので、溢れるほど派生がある。
けれども、私は、原作である本来の兄弟の推しカプ以外、何一つ萌えなかったので、兄弟の推しカプを永遠と描いてきた。しかし、書き手が多ければ似たような話が増えるのも仕方なく、そのうちに、推しカプ内ではパラレル設定が次から次へと流行り、もてはやされるようになった。
敵対心というよりは、山月記風に言えば、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」というやつなのかもしれない。好きな書き手がいても、自分より評価されているのが――それも自分の好きではないパラレル設定で――が悔しく、また、ツイッターでフォローしても他の人のようにフォローバックしてもらえないのが恥ずかしく、私はとうとう、ピクシブで絵を描く他の人の作品を見れなくなっていった。
そうなると、自然、イベントに参加しても、ほとんど交流することがない。数少ない仲良くしている人がその場にいなければ、もう、ずっとスペースに座っている他ないのだ。
それも、盛り上がっている初期の頃ならよかったのだろうけれど、アニメが落ち着いてからは、目に見えて右肩下がりだった。同人誌が売れない。差し入れが減って、手紙どころか、ピクシブでメッセージも貰うことはない。私を好きな人と交流したくて、ツイッター上で自家通販をしたけれど、申し込んでくれた3人中2人に連絡なくキャンセルされた。新刊の告知ページに、コメントはつかない。私の本の通販の有無なんて、もう誰も気にしていないのだ。
描く意味があるのだろうか、と思ったことがショックだった。描き始めたはじまりは、間違いなく、私がこのアニメを好きで、このカプが好きだ!と思ったから、描いたはずだったのに。いつからか、人に褒めてもらう為に描いていた。作品ではなく、私を見てほしくて描いていたのだ。
私の本を買いに来てくれる人がいる。本を買ったあとから、以前に出したこの本が好きでした、と直接一言くれる人がいる。
でも、私は、それでは足りなかった。ごめんなさい。
WEB拍手やask、質問箱、いろんなツールが流行したけれど、そのどれもに手を出さなかった。同人誌の奥付にもつけたことはない。手を出すべきだったんだろうか。私も、他の人みたいにツイッター上で返事をしてみたかったけど、もし誰もメッセージをくれなかったら、どうしたらいいんだろう。
自ジャンルが好きだ。推しカプが好きだ。自分の描く推しカプの話が好きだ。でも、そんな気持ちで描き続けて、疲れてしまった。だから、今日でおしまいにする。
同人自体はどうせ辞められないけれども、次に何か描くのはまた気が向いたらにする。そうじゃないと、いつか誰かにとんでもない迷惑をかけるような気がするので。
これ、良くないか?
パーティをやったときに、もっとカジュアルに芸者が呼べるようになったら、盛り上がって楽しいと思う
みんなで歌って、踊って楽しむときのリーダーというか、盛り上げ役になってほしい
http://00wakita.com/geisha/price
三味線と日本舞踊だけじゃなくて、もっと現代的なダンスとか出し物をやる芸者がいてもいいと思う
ちょっとした規模の街には芸者がいて、電話とかアプリで呼んだら気軽に出張してくれるようになってほしい
エロ要素は抜きで
こういうこと言うと、近頃は女性蔑視だとか言われるかもしれないけど、男の芸者(太鼓持ち)もありだと思う
要は、手軽な料金で、盛り上げ役がオッシャと気軽に来てくれる文化になってほしい
芸者の側は、伝統だのしきたりだのにとらわれずに、もっとバイト感覚でできる新しい芸者という職種があってもいいんじゃないだろうか
男で礼儀に反しない格好してても表情が相手をにらんでいれば不穏な空気になる