はてなキーワード: 東風谷早苗とは
日常ミステリを好む方でも、2009年から足掛け10年、既刊19作にわたって続く『少女秘封録』(浅木原 忍 著)という作品を知っている方は、そう多くはないかと思う。
それも当然、これは東方Projectの二次創作として制作・頒布されている同人誌であり、一般的な知名度があるわけではない。
おっと、東方に興味はないとかいう方も、もうちょっと目を通してくれ。
詳細は後からゆっくり語るが、この作品。すこし特殊な立ち位置なのだ。なにしろ、「東方Projectに関する前提知識は、ほとんど必要がない。」
どのくらい必要がないかというと、「東方はよく知っているがミステリ小説は読まない」人よりも、「東方はまったく知らないがミステリ小説はそれなりに読んでいる」という人のほうが、作中で語られるネタについて、より深く楽しめるだろうと思えるくらいだ。
ちなみに19作とはいっても、ストーリーの大きな流れはあるものの、ほとんどが連作短編集、たまに長編といった形で、各エピソードもほぼ独立していて、わりと気軽に手を取れることには言及しておく。
少しでも興味がわいたのなら幸い、もうちょっとこの語りを読んでいってほしい。
まず、この作品は、東方の中でもやや特殊な「秘封俱楽部」の二次創作、という立ち位置である。そもそもこの「秘封俱楽部」、東方の主な舞台となる「幻想郷」とは切り離され、現実世界をベースとした世界設定になっている。
でも二次創作には違いないし、キャラも知らないし? 心配はいらない。導入となる第一作では、キャラクターを一から構築するのと変わらない丁寧さで、主役となる二人の背景をきちんと描いている。端的にいって、事前情報は必要ない。
また、このシリーズの最大の特徴として、各エピソードは主役の女子大生二人と、「ゲストキャラクター」との絡みによって紡がれる。この「ゲスト」は、幻想郷の住人の「そっくりさん」ではあるが、あくまで作中の世界を生きる人々である。
たとえば、「図書館の魔女」が「図書館の司書」だったり、「姉妹の騒霊楽団」が「姉妹のバンド」だったり、「虎の妖怪」が「タイガースファンのお姉さん」だったりするアレンジのやりかたを楽しむくらいしか、原作要素はない。
(もともと現実世界のキャラである東風谷早苗がどういう扱いになるか気になる人は、『ヘビガエル・サナトリウム』を読むのだ)
大事なことなので繰り返すが、『少女秘封録』を読むにあたっては、東方Project原作の前提知識は、まず必要にならない。
「秘封俱楽部」を原作にしているとはいえ、それを「少女秘封録」という二次創作のキャラクターとして肉付けするにあたって、もっとも大きなものは、「主役ふたりを、現代のミステリ小説マニア」にしたことだろう。
第一作第一話『桜並木の満開の下』の冒頭で、語り手が手にしているのは、島田荘司『異邦の騎士』だったりする。
『三月は深き紅の淵を』の感想から恩田陸論をたたかわせる女子大生ふたりとか、ちょっとゆっくり観察したいとは思わないだろうか。
「探偵事務所」といわれて連想するのが巫弓彦の名探偵事務所だったり、カラット探偵事務所だったり、真備霊現象探求所だったりする会話は微笑ましくもなるだろう。
こればかりというわけでもないが、こんなふうに、マニアックになりすぎない程度に「ミステリ好き」を全面に押し出したミステリ小説、というのもちょっと貴重かもしれない。
背景設定が設定だけに、物語全般としてはオカルトとSFが入り混じる世界観になっている。しかし、ミステリとしてのパートはそのほとんどが「人の想い」のすれ違いによる、どこにでもある「日常の謎」である。
そうやって生まれる謎に対して、主役のひとりはまっすぐ他人の心を思いやり、もうひとりは探偵の目をもって冷徹に、挑もうとする。しかしそれはどちらも、謎を解明することで、その謎を抱えるひとを幸せにしようとし、一貫している。
ひとの気持ちは一筋縄ではいかない。だからこそ、それに逃げずに、「探偵」として「助手」として、謎に、人に、向き合う。これは、そんな「日常の謎」の物語なのだ。
そもそも、なぜ、このタイミングでこんな語りをしているのかといえば。
忘れてはいけない、この作品は同人誌。一期一会をつかみそこねたら入手が困難……
なのだが、ちょうど、ほぼ全巻の再販がかかったということで、この機会を逃すとほんとうに手に入らなくなるかも、しれないよ?
https://twitter.com/asagihara_s/status/997845336977625089
ちなみに、短編のうちいくつかはネット公開されているので、合うか合わないか、くらいの参考にはいいかもしれない。
http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/80/1247237593
どうもTwitter上では、『「ポスト東方」の時代 ~艦これが東方に取って代わった理由~』(http://anond.hatelabo.jp/20150222201638)という記事が話題らしい。内容はタイトルの通り、長年のあいだ同人ジャンルの頂点に君臨してきた『東方Project』を退けて『艦隊これくしょん』がその地位を奪い取ったというものだ。
まあ、実に扇情的なタイトルだし内容だと思う。『艦これ』の破竹の勢いはオタク世界に足を突っ込んでいるものなら誰でも聞いたことはあるだろうし、『東方Project』がもう最盛期ではないということは、当の東方で同人活動をしている人々が一番良く実感している事実だろう。時代は流れた、もはや同人ジャンルは『東方project』一強の時代ではない。それは確かにその通りだと思う。
だが、たとえそれが事実であったとしても、件の記事の内容には僕は首を傾げざるを得なかった。というのは、あの記事を書いた人物は自身がのめり込んでいる『艦これ』というジャンルの独自性について、全く主張できていないように感じたからだ。
僕がもっとも疑問を感じたのは、件の記事の後半部分に書かれていた「なぜ艦これは東方に取って代わることができたのか」、その理由についてである。
まず、真っ先に挙げられた「艦これという作品の魅力」について。
件の記事の筆者は「総勢100名を越えるキャラがそれぞれに個性を持つという丁寧な作りになっている」という点を挙げて、『艦これ』というジャンルが独自の魅力を持つことを主張していた。各々のキャラにボイスが着いていることも個性をより把握し易くし、それが創作意欲をかき立てる一助となっているとも。確かにそれは『艦これ』の魅力には違いないだろうが、しかし、果たしてそれが「『艦これ』独自の魅力」(それこそ、「『東方Project』を同人ジャンルの頂点から蹴落とす」ほどの魅力)なのかと言われれば、多くの人が疑問を感じるのではないだろうか。
例えば、まさしく件の記事の人物がこき下ろしていた『東方Project』を見てみよう。「総勢100名を越えるキャラがそれぞれに個性を持つ」という点に関して言えば、『東方Project』だってそう変わらない。『東方』の情報に詳しいサイトとして「幻想情報局 -イザヨイネット-」(http://izayoinet.info/index.html)というサイトが挙げられるが、ここでザッと見れば『東方』も同じように「総勢100名を越えるキャラがそれぞれに個性を持つ」作りになっていることが分かる。特に「個性」については、各々のキャラクターに詳細な設定が付与されていることから疑いようがないだろう。事実として、同人イベントでのサークルの配置の仕方が「描いているキャラクターで分けられる」程度には『東方』のキャラにだって「個性」があるのだ。従って、「総勢100名を越えるキャラがそれぞれに個性を持つという丁寧な作りになっている」という点を「『艦これ』独自の魅力」と言い切るのはさすがに無理があるだろう。まさか「近い将来完全消滅する」『東方』が持っている要素と同じものが「流行の最先端を行く」「『艦これ』独自の魅力」のわけがないからだ。
件の記事の人物は『艦これ』について「他の作品とは異なり、運営が明確に「同人活動を許可する」宣言していることで、グレーゾーンというものが存在しない」と述べていた。それが『艦これ』の同人ジャンルの発展の助けとなっているのはその通りだろうが、しかし、ここでもやはりそれが「『艦これ』独自の魅力」なのかと言われれば多くの人々が疑問を持つはずだ。
例えば、件の記事の人物が「完全に逆方向の作品」として挙げた『東方Project』を見てみよう。『東方』の版権を持っているのは「ZUN」というペンネームの個人であるが、彼は『東方』への二次創作にとても寛容だ。「個人の二次創作は基本的には制限しない」という彼のスタンスは『東方』ジャンルで活動しているものなら誰でも知っている話だし、具体的に言えば「二次創作のガイドラインが設定されている」くらいには『東方』だって運営が明確に同人活動に指針を示していたりはするのである。よって、この点も「『艦これ』独自の魅力」と言ってしまうのはいささか語弊があると言わざるを得ない。「斜陽著しい東方」と同じ要素をもって「快進撃の艦これ」の理由を説明するというのはなかなか不自然な話だ。
また、件の記事の人物は「分かりにくい上にほとんど意味のないような薄っぺらい設定で雁字搦めになっている東方と違って、艦これには大きな枠組みこそあれどストーリーになるような設定はほとんど設けられていない」という点を挙げて『艦これ』の独自の創作のしやすさを主張していたが、この発言にも首を傾げざるを得ない。というのは、ちょっと考えればこの発言は本人の前述の主張と矛盾していることが分かるからだ。
この発言を要約すれば、「東方には面倒くさい設定があるけれど艦これにはそれがない、だから創作しやすい」ということになる。この発言は明らかに前述の「『艦これ』の魅力は100名以上のキャラがそれぞれ持つ個性」という主張と矛盾している。何をもってキャラクターの「個性」を決めるかと言われれば、多くの人は「設定」だと答えるのではないか。どういう生い立ちであるのかとか、どういう信条を持っているのかといった「設定」でキャラクターの「個性」を把握しているのが普通ではないか。
件の記事の人物によれば、『艦これ』のキャラクターには「ストーリーになるような設定はほとんど設けられていない」という。その言葉を素直に読み取れば、「『艦これ』のキャラクターには「個性」が欠けている」ということにならないのだろうか。もちろん実際の『艦これ』のキャラクターたちに個性が欠けているなどとは僕は全く思わないが、しかし少なくとも件の記事の人物の発言の上ではそうなってしまっている。件の記事の人物が何を示して「個性」という言葉を使ったのかは全く分からないが、その設定に依拠しない「個性」というものはさぞ「壊滅的な衰退を迎えている」『東方Project』には見られない独自の魅力なのだろう。とても気になるところだ。
このように見てみると、件の記事の人物が主張した「『艦これ』が東方に取って代わった理由」は、その「東方とは完全に逆方向の作品」という発言とは裏腹に多くの点が『東方Project』と共通してしまっていることが分かる。「総勢100名を越えるキャラがそれぞれに個性を持つという丁寧な作り」なのもそうだし、「同人活動について寛容」な点もそう、そしてもっと言えば「自由な創作」という点に関しても同じである。
件の記事の人物は「薄っぺらい設定で雁字搦め」や「設定の解釈を巡る面倒な争い」などと非難していたが、実際の『東方Project』がそんな風に身動きが取れない状況かというと、決してそんなことはないだろう。例えば「東風谷早苗」というキャラ一人をとっても、描き手によって千差万別の描かれ方をする。その描き手によってあまりに違う個性の在り方の例としては、次の動画が分かり易いだろう。【第6回東方ニコ童祭】早苗と奇跡【東方MTG】(http://www.nicovideo.jp/watch/sm23887649 これは異なる早苗同士がMTGというカードゲームで対戦するという動画なのだが、同じ早苗なのにあまりにキャラが違いすぎてとても面白い)。
というわけで、件の記事の人物が「なぜ艦これは東方に取って代わることができたのか」として挙げた理由のほとんどはまったくの的外れである。そんなものは「オワコン」の『東方Project』がとっくの昔にやっていたことであって、「時代の最先端を行く」『艦これ』に始まったことでは決してないのだ。これはまったくの僕の邪推だが、件の記事の人物は単にジャンル同士の対立を煽りたかっただけなのではないかとすら思う。そうでなければあまりに理由付けがテキトー過ぎる。
まあ、それでも現に『艦これ』のジャンルとしての勢いは物凄いし、『東方』ジャンルにかつてほどの活気がないのは事実なのだろう。件の記事の人物の理由付けはほとんどデタラメだったが、事実だけは事実だ。僕自身はあまり興味がないけれど、礼儀として一応「それに代わる見解」を挙げておこうと思う。
なぜ『艦これ』ジャンルはこれほどの勢いで急成長し、『東方』ジャンルが翳りを見せているのか。それは単に『艦これ』はここ二年で登場した「新鮮なもの」だからで、『東方』はもう十年は続いている「老舗のもの」だからだ。もっと詳しく言えば、上記に挙げたとおり「多くの部分が『東方Project』と共通している」作品で、且つ「新鮮なもの」だったから『艦これ』は流行った、ということになる。
ごくごく一般的な話で、人は常に新しいものを欲しているが、同時に見慣れないものに抵抗感があるという矛盾した性質を抱えている。今までは『東方』と似たものがなかったので留まっていたけれど、「同じような」「新しいもの」が来たから飛び移った、それだけの話なのではないか。そこにあったのは『東方』を「蹴落とす」ほどの「独自性」ではなく、むしろ「同じような要素」だった気がしてならない。件の記事の人物の主張では「東方サークルの多くは艦これメインに移動している」らしいが、それこそむしろ「同じようなもの」であることを裏付ける証左ではないかと思わなくもない。似たようなものだったからそうやって移れたのだろう。
誤解のないように先に断っておくけれど、ここから先の文章は件の記事を書いた人物があまりに楽観的すぎて個人的にイライラしているだけなので、決して『艦これ』という作品やジャンルをディスる気持ちは全くない。全くというと語弊が在るかもしれないけど本当にほぼない。僕は『東方』も『艦これ』も同じくらいには愛好している。口調が攻撃的なのは件の記事の人物のあまりに『東方』を見下した態度に反感を覚えているからである。
件の記事の人物は「艦これの未来は明るい」と楽観視していたけど、僕はこれに激しく疑問を覚える。本当にこれから「ファンは増え続ける一方」で「二次創作に流れる層も増え」、「アニメ二期、劇場版も予定されている」のだろうか? あくまで個人的にだけど、僕には全くそうは思えない。逆に、油断すれば「斜陽著しい」『東方』と同じように衰退してしまう危険性をいくつも抱えているように思えるのだ。順に理由を述べていこう。
まず第一に、かつてあれだけ隆盛していた『東方Project』がこのように「衰退」したという事実がある。最盛期に東方を活動ジャンルにしていた人々からしてみれば、まさか同人ジャンルの頂点を明け渡す日が来るなど想像もしていなかったはずだろう。なのに、『艦これ』が同じような運命をたどらないなどとどうして言えるのか。
第二に、『艦これ』はシステム上、どうしても単調な作業になりやすい。『艦これ』は提督レベルや艦娘のレベルを上げてステージを攻略していくゲームだが、艦これユーザーの中には一定数この単調な作業の繰り返しに「飽きてしまう」層が存在する。提督レベルを100以上にするほどのめり込んでいても「やってること一緒じゃん・・・・・・」と言ってそれっきりという人間が、あくまで僕の周りにだが少なからず居た。今はまだ顕在化していないが、そのような「新鮮さを失う危険性」を『艦これ』のシステムが抱えていることは確かだろう。
そして最後に、件の記事の人物は「元々の人気が高かったところにアニメ化というキャッチーな戦略が功を奏し」などと言っていたが、もう反感を覚えられること覚悟で言ってしまうけれど、目が節穴なのだろう。どう「功を奏し」たのか説明してほしい。はっきり言ってアニメの出来はズタズタだ。日常ギャグなのかシリアスなのかはっきりしない中途半端な構成、そのせいで掘り下げようにも掘り下げられない艦娘たちのキャラクター、疑問を覚える点はいくつでもある。『艦これ』を活動ジャンルにしている従来のファンからすら、いやファンだからこそ戸惑いを覚えている人が何人も居る。具体例を挙げるのは控えておくが、第4話の構成の破綻ぶりを一文で要約したタグがPixivに登録されているのがその証だ。あくまで個人の感想だけれど、このままでは新規のファンを獲得するどころか、アニメをきっかけに『艦これ』ジャンル崩壊の序曲が始まっても全くおかしくはない。現にPixivではアニメが始まるまでは『艦これ』ジャンルで活動していたのに、いざアニメが始まってみればどういうわけか「キャラを量産するだけで個性に重きを置かなかった某アイドル育成ゲームの二次創作」とやらにメインの活動を移しているような人々が何人か居る。そうした現状を目の当たりにしてもなお件の記事の人物は「アニメで更にキャラの個性がはっきりしたことから、今後も創作はよりやりやすくなっていくだろう」だの「二次創作に流れる層も増えてくる」だの寝ぼけたことを言うのだろうか。さっさと目を覚ませと僕は言いたい。
また、『東方』について言えば、実はまだ「オワコン」という結論を出すのは勇み足ではないかと僕は思っている。確かに最盛期を知っている人々の目からすれば現状は「斜陽著しい」のかもしれない。しかし、それでもまだジャンルとしての息の根は止まっていないし、何よりもこの十年のあいだ同人ジャンルの頂点に君臨し続けたのは他ならぬこの『東方』なのだ。十年、最大ジャンルで在り続けた。その耐久性の高さはそのまま生きている年月が証明している。『艦これ』の隆盛は『東方』にとって過去最大の逆風かもしれないが、それでも、実際に十年間同人ジャンルで耐久してきた実績のある『東方』がこのまま終わるとは僕はどうしても思えないのだ。主観的な話で申し訳ないが、件の記事の人物が言うほどには『東方』は簡単に「完全消滅」したりはしない、そう僕は思う。
長々と述べてきたものの、ぶっちゃけこんな話は当の同人活動をしている人々にとってはどうでものだと思う。『東方』ファンも『艦これ』ファンも、そんな最大ジャンルだとか斜陽ジャンルだとかみみっちいことを考えて活動している人はそんなに多くないだろうからだ。楽しんでいる人々はいつだって目の前のことに真剣で、そんなことを気にする奴は自尊心の欠落したさもしい人間だけだと僕は思いました。終わり