はてなキーワード: バージンロードとは
父と姉が手を繋いでバージンロードを歩いてきた。無口で、泣いてるところも見たことのないとても寡黙な父親が涙を流しながら歩いていた。
その繋いだ手を新郎の手に渡す時、自分とその横にいた弟も泣いていた。嬉しいのが寂しいのかよくわからない気持ちだった。
自分は別に姉と特別仲が良いわけでもなかったから、結婚の報告を聞いた時も特に強く何かを感じたわけでもなかったし、式にもそんなに期待みたいなのはしてなかった。
でも当日は泣きっぱなしだった。
式中も披露宴の時も、3人兄弟で遊んだ昔の記憶が時々蘇ってきて、寂しくて仕方がなかった。
両親は自分以上に姉と長い時間を過ごしてきたのだから、余計にそれを感じていると思う。
そして目の前で幸せそうに立っている姉を見るだけで目に涙が溜まった。
姉の「ありがとう」という言葉がその日はやたら強く感じられたのを覚えている。
披露宴の最後の両親への手紙での「私は今幸せです」という一言と、それを聞いて泣く両親の姿を見れただけで、この日を迎えられて良かったと思う。そしてこの家に生まれて良かったと感じた。
「男勝りだったお前がバージンロードとはねー。
あ、お前まだバージンなの?」
なんて他愛のない話をしてたら、突然、幼稚園のころから好きだったって告白された。
きっかけは「やーい男女!男女!」なんてからかわれてた所に、俺が
「なにやってんだテメェら!ぶっ殺すぞ!くぁwせdrftgyふじこlp」
ってよだれぶっ垂らしながら半狂乱になって助けに入ったことらしい。
「ちんちんぐらいあるよな!」
って股間まさぐったら、大事な所に手が触れて、電撃的に気持ちよかったらしく恋に落ちたんだとか。
そんなことがあったなんて、すっかり忘れてた。
俺は女を助けたと思ってなかったから、なんでこの女、俺に懐いてんだ?ってずっと疑問だったんだけど。
「あっはっは!
じゃあ、お前がまた酔っぱらいにでもからまれてる時は、ぶちキレながら助けてやるよ!」
なんて言って帰ってきたけど、なんていうんだろうね、この感じ。
悪い気はしない。
先月13日に父親が死んだ。
酒の飲みすぎのせいで入退院を繰り返していたためか、仕事をする能力がなかったのか。
それからの生活は、昼間は居間でテレビをみたり、昼寝したり。ただそれだけ。
晩酌の時間に酒を飲むと「お医者さんに止められているのにまた飲むの?」と母親に嫌味を言われるので、家族が寝静まった夜中にコンビニに酒を買いにいく父。
そんな父が嫌いだった。
実家に帰えった時に、夜中まで起きている父が
「コンビニに酒買いに行くけど、何か飲むか?」と必ず聞いてくる。
私は肝臓が悪いのに、母親に嫌味を言われるのが嫌でコソコソ夜中にコンビニに行く父が嫌いだった。
だから「いらねーよ」と冷たくあしらっていた。
実家に帰ると必ず酒を飲みながら「お前の部屋、いらないものを片づけろ」と言う。
私は「うるさい。それは妹が勝手に置いた荷物だ。」と言う。
実家に帰って昼頃に起きると父は必ず「何か食べるか?チャーハン作るけど」といった。
私は「さっき朝食を食べたからいらない」と言う。
父が入院し、余命残り少ないと告げられた。
私は母に「意識がはっきりしているうちに、父さんに彼氏を紹介したい」と相談した。
母は「まだお父さんは大丈夫」と言っていた。その週に父は死んだ。
酒が好きだった父さん。
きっと私や私の下の妹弟や、私の結婚相手と酒を飲むのを楽しみにしていただろう。
父さんのチャーハンを食べておけばよかった
父さんとお酒を飲めばよかった
父さんともっと会話をすればよかった
じいちゃん悲しんでいたよ。
何度も何度も「どうして俺より先に・・・」ってつぶやいていた。
じいちゃんが「俺はもう先は長くないから」と言って、生きているうちに建てたお墓に、子供のあなたが先に入ってどうする。
何度も何度も線香あげていたよ。線香あげるたびに「なんで俺より先に・・・」って思っていたとおもう。
だから私は「ばかじゃないの」と、棺桶の中の父さんに言ってやった。
親不幸な私と父さんにかけた言葉だ。
肝硬変とか、アルコールに気を付ければ生けたんじゃね!?と思うから。
どうして自分の体のことを気にしなかったのかな。
もっと話をしたかったチャーハン食べたかった酒を一緒に飲みたかった。ごめんなさい。
ごめんなさい。
長くない生だと思ってけど、まさか今年だとは思っていたなかった。
ちゃんとみていなくてごめんなさい。
父さんの机の引き出しから、会社から贈られた盾やメダルがたくさん入っていててビックリした。
そんなこと一言も言っていなかったじゃん。
父さんが一流企業に勤めてくれたおかげで、母さんはこれからも生活ができます。
ここまで育ててくれて本当にありがとうございました。
死んでからじゃ遅いよね。
親不幸な娘でごめんなさい。
まだ父さんの死が悲しいです。ごめんなさい。
数週間で結婚することになる。
結婚相手に関しては私にとってもったいないぐらいの人間なので不満は何もない。
ただ、私の父親に関しては黒くドロドロした淀みが心中にある。
奴は建築関係の仕事の就いているからかもしれないが、とにかく怒鳴る人間だった。
幼少から怒鳴られ、そして夜は頻繁に飲みに行く。
母は奴が飲みに行くのに車で送らされていた。
それは20年前に引っ越してきた実家となる場所に来ても変わらなかった。
むしろ、母はその家に引っ越してきてから辛そうにしていることが多かった。
実家も奴曰く、
という到底理解できない理由で6LDKの家を福岡の田舎に建てた。
その周辺では私と兄はのびのび育ったが、母はその家を毎日掃除しなくてはならず、そして炊事や草取り等の雑務も来なさなければならなかった。
そして、母は、
「私はこの家の家政婦ではない」
と私にこぼすことが多かった。
そして、相変わらず奴は怒鳴りまくった。
とにかく自分が気に食わなければ、怒鳴りまくった。
怒鳴れば何とかなると思っているのだろう。
奴の中では奴以外の人間は獣かもしれない。
そして、やはり飲みに行くことは頻繁で、時折私や兄が小学生や中学生で必死に貯めた小遣いを借りて飲み代に当てていた。
だが、子供から金を借りて飲み代やパチンコ代に当てることに内心呆れていた。
また、休日も家族でどこかに行くということはほとんどなかった。
それも子供心ながら寂しくも恨んでいた。
深夜に酔っ払って帰ってきて、暴れまわったり大声を出してわけのわからないことを喚く。
挙句の果てには吐瀉物をまき散らす。
しかもその後奴は寝てしまい、その片付けは私達や母にやらせていた。
吐瀉物の件で最も許せなかったのはSFCにぶちまけたことだ。
奇しくも、SFCは綺麗に拭いてなんとか壊れずにすんだ。
不幸中の幸いである。
そして何より、幼少の私達に対して、
「家のローンは俺が死んだらお前たちが払わないとならないんだ」
「金が無い金が無い。あー、きつい」
といった金に関する発言をことあるごとにしていた。
そしてその言葉が重荷になったことを奴は気付いていなかった。
子からの借金や私達兄弟への理解がなく、己の妄執に基づいた「常識」を押し付けてきた。
母は私達をかばってくれ、そして理解しようとしてくれた。
そのため何度も離婚話が出ても、私は母に付いていくことを明言していた。
だが、その母も私が20歳の時に亡くなった。
絶望だった。
兄との仲は良くもなく悪くもなくだ。
だが奴との関係は最悪だ。
話しても理解しようとせず、己の中で凝り固まったものを押し付けることしかできない奴しか親がいなくなることが絶望的だった。
この時、どれだけ母ではなく奴が死ねば良かったと思っただろうか。
いや、この時だけではなく今でもあるが。
母は所謂新興宗教の信者ではあったが、お金を取られるわけではないので私自身は構わないと思っていた。
むしろ、そこは火の車っぽかった。
度が過ぎるのであれば、忌避するべきであるが母は私にそれを押し付けなかったのだ。
私自身としてはやはり信仰心は大切にするべきものとあるという考えがあるので、特に何も言わなかった。
だが、母は所謂仏教の葬式をあげてほしくなかったらしく、その宗教の葬式をあげて欲しい旨を私に伝え、それを私は奴に伝えた。
だが奴はそれを一蹴した。
世間体のためだった。
奴は特に信仰していない仏教の葬式をあげ、おまけ程度に母の宗教の葬式をあげた。
これで満足だろうと言わんばかりにだ。
私は憎んだ。
母の信仰心を汚した奴をとにかく憎んだ。
母が大切にしてきたものを奴は20年以上共に生きていても理解していなかったのだ。
私の大切な母を奴は殺したのだ。
だから、憎んだ。
念のため、学費を払ってもらって就職してからも盆と年末年始は実家に帰省した。
だが、2,3日もすると家の中の空気が息苦しくなる。
そして、帰省しても話す内容は一緒だ。
「住宅ローンや祖母の入院費、それにお前たちを進学させた教育ローンが苦しい」
「あー、金が無い。金が無い」
こればかりである。
また、兄は規制せず、私だけ帰省するので家のことを何でもかんでもさせられる。
この時に思ったのだ。
「私はこの家の、こいつの家政婦ではない」
と。
私は皮肉にも母と同じ心境に辿り着いていた。
そもそもこいつは己の見栄のために無駄に広い家を建てた。
祖母の件もそうだ。
それを子供に言ってどうなる?
苦しめるしか無いのに気付かないのか?
ああ、気付かないだろうね。
お前は己のことしか見えておらず、私たちのことを理解する気もないのだからな。
祖母が飲み屋で働いていたのと重なって哀れになったらしい。
愚かである。
もちろん、そのねーちゃんは雲隠れした。
この事件から数年後、奴は私に対してこう言った。
「母さんの治療費にばーちゃんの葬式代を使ったけど、その金も貯まった」
と。
奴と母親、どちらの話が信用できるかと云えば、どう考えても後者である。
私はこの話を聞いて奴と縁を切りたくなった。
こんなのが身内だと、いつトラブルに巻き込まれるのかがわからないからだ。
社会人になりIT社畜になったら、案の定精神的に追い詰められてしまい、退職した。
だが、それも徐々に良くなり、なんとか私は生きている。
結婚することになったので、色々な準備をしている。
式は近縁の親族のみで執り行うようにしている。
そもそも、私はドレスを着たいだけであって式などどうでも良かったのだ。
だが、奴だけは、
「ここで式を挙げないと、母さんに何言われるかわからん」
と言ってきた。
正直に、自分が式をやってやったということを周りにいいたいがためだと云えば良いのに、母親を引き合いに出す時点で侮蔑の感情が湧いた。
式までも、やはり奴関連でトラブルが多発している。
そもそも、メールをしても返信が来ない。
それで何度もトラブルになったので私は電話をスピーカー状態にし、録音するようにした。
そもそも、結納の件をやるかどうかを訊いても、「やらなくていい」といったと思えば、
「なんでやらないのか!?
と怒鳴り散らしてくる。
そして、いざ結納をやり、食事会を行っても一人だけひたすら飲み、挙句の果てには私の過去の嫌な思い出ばかり相手の両親に話している。
そして、奴の兄弟とは疎遠になる、縁も切ると言っていたのに突然、
「そんなことしなくていい!
それが良識だろうが!
そして、今度はいつ帰ってくるんだ?
俺の兄弟たちとお前の婚約者との顔合わせの食事会をやるからな!」
と言って、電話口で怒鳴り散らしてくる。
これがきっかけだった。
言っていることが論理的ではなく、ころころと内容が変わるので、それに振り回されていた。
振り回されることで、精神的に落ち込み、
と考えることも増えてしまった。
そもそも母方の方には何も連絡していないのに、何故父方のみ会わなければならないのかがわからない。
奴の見栄に付き合わなければいけないのか?
私は奴の所有物なのか?
そもそも、縁を切ると言っていた人間たちに会わなければならない意味がわからない。
そして、私から必ず電話をしなければならないわけでもないだろう。
もし、私の病気の理解があれば負担を減らそうとするだろうが、その素振りもない。
服装に関しても、相手はモーニングを着るというのに、
と言い始めた。
奴は155センチ100kg超なので特殊な体型ではあるが、何もやろうとしない時点で呆れてしまった。
結局は奴はモーニングを探す気も無く、ドレスを借りる衣装店に頭を下げて探してもらえた。
憎悪しかない相手に対して、至れり尽くせりをして疲れてしまった。
実家に帰省したら、家政婦になり、延々と金が無い話をされ、怒鳴られるのだろうか。
そんなに金が無いことを言って私を苦しめたいのなら、私を殺せば良いだろうに。
私を理解する気が毛頭もないのなら、父親面をしなければ良いだろうに。
そんな気持ちになってしまう。
こんな気持ちになるぐらいなら、もう疎遠になろう。
そうしないと、またあの地獄に逆戻りだ。
だから、私は父親と縁を切ろうと思う。
それは婚約者と歩くよ。
処女厨との出会いはかんなぎ騒動、あまりのキモさに言葉を無くした。
その後恐いもの見たさでつい関連スレを覗いてしまい、アイドルが同級生の傘に入れてもらっていたから、CDを叩き割る、写真集を破く、エロゲ会社に怪文書を送る等々の奇行を見て、心底気持ち悪いとガクブルした。
当時私は処女だった、若い頃をデブ眼鏡モサなキモオタとして過ごしていたせいで、男と縁と言うと虐められる時くらい、萌えで青春を消費し、大人になってもいい年こいて男と話すと緊張する女になってしまい、ますます喪女街道を突き進んでいた。
まぁ処女厨が欲望を向ける、可愛らしくてお嬢様で黒髪で清楚で若くて、モテまくって彼もいたけど、決して体を許さなかったけど、自分には体を許す処女とは関係のない処女だ、それでも処女厨の異常な幼稚さ嫉妬深さ粘着性攻撃性男性優位な思想は気持ち悪かった。
その後生活改善をして、20キロ減量し、仕事の関係でおしゃれと化粧を頑張り、人並みの容姿は手に入れ、アラサーで結婚。
優しくて不器用で気が利かない、一緒に居ても緊張しない何となく安心感がある人だった。
彼が私に惚れたきっかけは容姿だったそうなので、キモオタのままなら惚れられてなかっただろう。
彼も理系童貞だった、女性に緊張する様子で、私も男を誘うなどできないため、処女童貞でバージンロードを歩いた、ファーストキスすら結婚式と言う驚きの夫婦だ。
初夜にさすがに教えずにするのは怖いと思い「初めてなので…」「僕もそうです…」とお互いカミングアウト。
彼も私も入れ方も解らないので激痛で入らない、その後1カ月ほど入れられず毎晩疲労困憊で失敗し続けたので、結婚前にやろうとしなくて良かったと思う。
結婚して数年たった、最近彼がモーオタの過去持ちだと判明した、ゴマキファンだったらしい。
「処女と結婚ってどう思う?」と聞いてみると「男としてステータスがあると言うか内心自慢と言うか」とか言っている。
彼はここで気の利いた言葉を言えん男なのでいつもなら気にしない、ゴマキだってモー娘だって別に嫌いじゃないので構わん。
感情はナマモノで刻々と変わるから、書いておく必要があるだろう。
父の肺癌が刻々と進行しているそうだ。
2ヶ月半後に私の結婚式がある。
父の癌が判明して急に進んだ話だが、その時まで父が生きているかは全く判らない。
今の率直な気持ちをメモしておこう。
結婚式はほぼ親のためにやると思っているので、
父がその日まで持たないというのは正直考えたくない。考えるのを避けている。
お医者さんも大丈夫だろうと言っているし、車椅子でもバージンロードは歩ける。
父ともあまり話していない。話すのが怖い…と何となく思っている。何でだろう?
父は正直家庭的ではなく、家事は全く手伝わず飲み会で連日午前様、金遣いは適度に荒く単身赴任後はほぼ家にいないという人だった。
当然夫婦喧嘩も多く、ここ数年は穏やかになったが母は「定年後ももうちょっと働いてくれないかなー」
父は「地元戻りたくないわぁ」とお互い、お互いのいない場所で愚痴っていた。
(当時、父の赴任先と私の就職先が同地区だったのでたまに飲みに言っていた)
これは反面教師にしようと思っている。