「洞穴」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 洞穴とは

2017-11-09

anond:20171109102344

人間の飽きっぽさは本能的なものなんだよ。

もし人類に飽きる能力が無かったら、

今でも木の実を洞穴で食べている生活をしていたんじゃないかな。

2017-09-21

anond:20170921135556

「君たちは今でも、裸で洞穴にでも住んでいたんじゃないかな」というセリフを発したのは、魔法少女じゃなくて悪役

「見てないけどさ」じゃねーよ

見てもない作品の、うろ覚えセリフに憤る前に、まずは見ろ

2017-08-29

核爆発から身を守る方法について

同僚がグアムにいくというので、自身知識再確認も含めて核爆発から身を守る方法について対応をまとめる。なお、私の知識は、「米陸軍サバイバル全書」の第23章「核・生物化学兵器から身を守る」のみであることに注意されたい。また、内容を転載するわけではなく自身咀嚼した内容になっているため誤りが含まれ可能性もあり、また核爆発後のサバイバルに関しては、そもそも火の起こし方や水の濾過方法など、前提となる知識があるため、核だけを考慮しても生き残れない。なので、興味を持った方は原典を読むのをおすすめする。

核爆発前・直後

当然ながら、核爆発直後に致命的となるエリアにいた場合、取れる対応殆ど無い。核爆発により引き起こされる障害

の3種類あるが、攻撃目標タイミング(火球が見えてからでは遅い)がわからない場合、取れる対応は少ないだろう。

ただし、もし、事前の警報があり少しでも対応が取れる場合には、掩蔽物に隠れることが重要である。これは、爆風や爆風により吹き飛ばされた物体を防ぎ、熱と光を遮断し、核爆発直後(1分間)の深刻な初期放射線を減らしてくれる可能性が高いからだ。隠れる場所は丈夫なコンクリート製の建築物がよいだろう。

ここまでで生きている場合

生き残った場合、5分以内に放射線を遮ることの出来るシェルター(追記:後述するがこれは核シェルターに限らない)に入ることが重要になる。これは、高レベルで初期ガンマ線を放射する放射性降下物から身を守るためであるシェルターに入るのと入らないのとでは被曝量が全く異なるのである原典でも強く書かれているので引用しておく。

目安として、5分以内にシェルターに入るのが生死を分けると知れ。早くシェルターをみつけること――これが絶対不可欠である

P.273

その後の行動スケジュール

核爆発後にどれくらい活動してよいかの目安については原典引用する。なお、数値には余裕を持たせているとのこと。

P.276

掩蔽性能、水分食料の備蓄を考えると、シェルターとしてホテルショッピングモール選択するのが最適なのではないかと思うが、人が集まると考えられるので、その分物資の減りが早いとも考えられる。難しい所である

残留放射能対策

さて、行動のタイムスケジュールがわかったが、その後生き延びていくための残留放射能対策を考えなければならない。残留放射能対策は、放射性下降物起因の体外放射能対策と体内放射能対策に分けられる。

体外放射能対策

体外放射能対策として留意すべき変数としては、

の3点があげられる。時間半減期距離距離による減衰、シールドシールド材による減衰、を考慮する。ただし、放射性下降物が広い範囲に降っている場合には距離による減衰は期待できない、などはある。動く車があれば距離も稼げる可能性があるが、移動により被曝する可能性もあるし、現実的に考えてシールド、つまり十分な性能を発揮するシェルターを確保することが取りうる最大の防御となるだろう。

コンクリート建築物以外にも、厚み1メートル以上の土砂で覆った地下式シェルターは放射性降下物に対して最高の防御になると書いてあるが、そんなものは当然無いだろうから、他に下記のようなものシェルターになると掲げられているので、次善の策を取っていきたい。

P.275

身近にあるものを考えると、マンホール簡単に空くのかどうか知らないけど、開けられればマンホールから地下に隠れるのが良いのかもしれない。(※追記:マンホールはそんなに簡単に開かないとのことです)その他シェルター地の選択と準備法などは原典に書かれているのでそちらを読むように。

また、シェルター内に放射性物質を持ち込まないようにシェルターに入る場合は、衣服を叩いたり振ったりして汚染を除去すること。髪の毛は沿ってしまうのが良いかもしれない。

体内放射能対策

続いて放射性降下物を体内に取り込まないようにするための対策。ちなみに汚染された飲食物や傷から体内に入ったもの問題になり、呼吸によって体内にはい放射性物質はさほど脅威にはならないとのこと。

水の調達

水の調達大前提、以下の点に留意するとして、

水の調達方法は以下の通り。

食料の調達

放射線障害について

まとめ

例えば放射線障害について知っておくことで、むやみにパニックに陥らなくて済むし、「これくらいなら…」といった正常性バイアスからも逃れることが出来る。正しい状況認識を持ち、落ち着いて全ての知識を動員し、工夫し、生き残りのために行動しなければならない。生き残ろう!

2017-03-27

瞬間恐怖症

水がある。

この水はどこから来たのか。

ずっとずっと昔、地球を形作った隕石の水蒸気が…なんて話は私は理系じゃないのでよくわからない。

しかし、そういった脈々と受け継がれてきた水が今、目の前にあるのだ。

しかし、それはいから水と我々が呼ぶ存在になったのか。

どんよりとした空から降ってくるあれはそう、雨だ。

アスファルトの上に点在しているそれは水溜りだし、それがかんかん照りで水蒸気になる。

雨は川になり、湖になり、ひいては水道局が徹底管理した水道水になる。

蛇口をひねった時に、勢いよく流れたそれは私にとって水である

人類がまだ、洞穴でひっそりと暮らしてる時、岩場の裂け目からにじみ出る雫も水であったし、土色をしたら泥水も水であった。

私は、この瞬間からはい、水ですよ、雨ですよ、いやいや水蒸気ですよ。といったことを延々と考えてしまう。そんな瞬間なんて存在しない。

砂つぶ1つはただの砂つぶだが、いくつ集まったら砂山になるのか?なんて問いがあるけど、そう、瞬間なんてないのだ。

言葉とはその人が感じたことを発声し、明文化したものであって、受け取る人によって全く違う。

クオリアという言葉があるが、私は見る人によって色や味、感じ方は全く違うと思っている。

なんじゃこの服の色のセンス。ダサすぎやろ、って居るけど、その人が感じた最高の色使いであって、自分の目には最低に写っているだけだ。

自分が嫌いな食べ物を、パクパクと食べる人がいるように、そういった感覚というものは全く違ってしまうのだ。

しかしたら、明日、いや1時間後いや、1秒後でも今生きている瞬間の自分と違うのかもしれない。

これはもう、瞬間恐怖症とでも名付けようか。

2017-01-03

男にとって、お風呂のお湯をセフレにするのがちょうどいい理由

  1. 沸かすだけですぐ抱ける。
  2. いつも濡れている。
  3. 面倒なコミュニケーション必要ない。
  4. 倫理的問題が少ない。
  5. 深く挿入できる。
  6. 中はちょうどよく暖かい
  7. ピストンすると下腹部にあたる感じがそれっぽい。
  8. しりの穴を水面にたいして垂直にして、洞穴に海の水が半分入ってる感じにして潮が満ち引きするようにすると、おしりを優しく攻められている感じもあり。
  9. 基本的ワンナイト
  10. 終わったら水に流せる。

マジおすすめです。

2014-11-26

28年間、母親が買った服を着ている件

親元にいた頃、自分洋服を買うという発想がなかった。

近所の、しまむらさらにグレードダウンさせたような洋品店で母が買ってきた服を、何の恥かしみもなく着ていた。

で、大学進学と同時に親元を離れても、私のマインドセットは変わらなかった。

恐ろしい話だが、大学4年間プラス大学院2年、都合6年間『ママが買った服を着続けた』

さら社会人になっても『ママが買った服を着続けている』

服なんて暑さ寒さがしのげれば十分じゃないかと思っているのだ。洞穴に住む原始人みたいな考えである

服は破れるまで着る。肌着は1~3年くらいでダメになるから新しいのを時々買うが、他の服は買ったことがない。

しか最近になって『ママの買った服』が次々と耐用年数を迎え始めたのだ。高度経済成長期に造ったインフラの現状に似ている。

困っている。

タイミングが悪い。今はカネが無いのだ。

諸事あってまとまった冊数の本を買わねばならず、月に数万円はAmazonに貢いでいる。

ふと『実家に服の無心をする』という考えが脳裏をよぎったが、悪夢にもほどがある。

また十年くらい『ママが買った服』を着ることになるのだ。

このままだときっと私は『服を着ない』暴挙に出るだろう。

私はお湯につかるのが苦手なので冬でもシャワーしか浴びない。そのせいか、なまじ寒さに耐性ができてしまっているのだ。

もし都内全裸男性逮捕されたら私だと思ってください。

2014-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20140408202330

そういう君の場合は、暗い洞穴で7日間。7日間たったあとに外に出た時に生まれ変わった気持ちになれるよ

2013-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20130909225648

こたつとか、毛布で洞穴入り口みたいの作る(影ができる)と興味しめしてきたりしない?

自分は猫飼ってるわけじゃないから、猫が何してても癒されるんだけど。

2011-08-15

考察火垂るの墓」 ~清太と節子は戦時に生きたボニー&クライドだった~

 

 この夏、「蛍の墓」の映画を久々に見た。

 小学生の時に一度見たことがあったが、体中を包帯でまかれた母親の姿がトラウマになり、それ以来怖くて見るのを避けてきた。だから私にとっては、実に数10年ぶりという事になる。

 世間一般では蛍の墓は「反戦映画」と言う事になっている。空襲で母を無くし、残された兄と妹二人が、戦争という環境下で必死に生きる姿を描く壮絶なドラマ。劇中、栄養失調で妹の節子が死に、駅の隅で兄の清太が野垂れ死ぬ時、だれしもが涙し戦争の愚かさへの痛切なメッセージを受け取る、と言う事になっている。

 しかし、今日改めて見たら全然印象が違った。私は「蛍の墓」という映画について根本的な誤解をしていた。たしか戦争舞台装置として使われているが、これは「反戦映画」なんかじゃ全くない。もっといえば、戦争」という時代は「蛍の墓」の話の本筋には、ほぼ何もつけ加えていない。兄と妹が息絶えるという悲劇的なラストも、戦争のせいではなく、単に彼らが「俺たちに明日はない」のような放蕩生活を送っていたからに過ぎない。

 親を無くし、空襲で家を焼かれた彼らはおばさんの家に厄介になるが、やがて「働きもせず飯を食べてばっかりいる」彼らに、おばさんは苛立ちを募らせてゆく。兄と妹は居心地の悪さを感じるようになる。我慢の限界に達した兄の清太は妹を連れ出し、おばさんの家を離れる。いわゆる、逆ギレという奴である。家を追い出されたわけではない。清太自ら「居心地のいい場所」を求めて無計画に家を飛び出すのである。やがて、小さな洞穴を新しい我が家とし、外界との接触を一切断ち、二人だけの生活を始める兄と妹。兄は、そこら辺にある蛙をとったり、畑から作物を盗んだりして、食いつなぎながら穏やかに暮らすが、そんな生活に幼い妹が耐えられるわけなく、やがて妹は、栄養失調で死にいたる。

 重要なのは彼らの命の選択権は「戦争」にあったのではなく、彼ら自身にあったということだ。言い換えれば、二人は「死」という結末にならなくてすむ選択肢も取りえた。たとえば清太は、終戦まで我慢しておばさんの家に留まることもできたし、別に働き場所を見つける事は可能だった。途中でリンチされる清太を助けてくれた警察官に理由を言って救いを求めたら、違う結果にもなったはずだ。唯一、「戦争」そのものストーリーを動かしている所といえば、空襲母親被爆し不条理に命を奪われる冒頭の約10分だけで、その後ストーリーの牽引役は完全に兄の清太の(自己破壊的な)行動にある。

 そうならば、妹の節子を殺したのは実質的に、兄の清太だといっていい。しかし清太自身は、自分の身勝手さに妹は巻き込まれたのかもしれない、という可能性には全く気付いていない。少なくとも、燃え盛る妹の死体を見つめる兄の視線からは微塵の「自責」の意識も見られない。そこには、ただ、自分の道なんかを信じちゃって進まんと決意しちゃうまっすぐな瞳がある。私は、このまなざしをみた時、吐き気がした。それは、小学校の時感じた戦争のグロシーンに対してのそれとは全くちがうタイプの、この映画による2回目の吐き気だった。

 

 繰り返すが、これは戦争映画ではない。戦争それ以前に、社会において人と折り合っていくことを拒み、自分が他と独立法則にしたがっていると信じ、完全な自足の道を求めようとした若者がたどってしま足跡映画である。実際、この映画を手がけた高畑監督自身も、口すっぱく「これは戦争反対映画ではない」といっていたようだ。それが”戦争の悲しさを伝える映画”として流布されたのはおそらく、プロモーションサイドの暴走であろう。

 確かに、「蛍の墓」は悲劇だ。ただ、この映画において結果的に悲劇をもたらしたのは戦争ではなく、この頑なで、近視眼的な若さのようなものである。泣けるっちゃあ、そこで泣ける。

 すなわち、問われるのは「戦争」ではなく、「道徳」であろう。少なくとも、私が戦争被害者ならこれを反戦映画と認めないだろうし、私が教師なら上記の文脈において教え子の小学生に見せて伝える。

http://twitter.com/#!/zaway

 

2009-11-13

小説が書けそう。やばいうれしすぎる


 半年以上アイディアが浮かばず、やりたいイメージとそこまでの具体的な道筋が結びつかなかった。
 小説を書くことがアイデンティティになってた部分があるから、危機意識に追い詰められかかってた。
 でも方法論とかを捨てて原点に立ち返って紙にペンで書き連ねたり、映画音楽を聴き漁ったのがいい影響をもたらしたらしい。
 ついに気づいた。書きたかったことの本質に。
 書きたかったことがたった一つのキーワードに集約された途端、ビッグバンのように道筋が現れた。

 もう、一足抜かして新人賞つかんじゃうぐらいの勢いで書いてしまいたい。
 錆び付いてた歯車に油が注ぎ込まれた感じ。なんかすげえ図に乗ってる。楽しみ。
 書きたいことしか書く気はないから、客観的には賞なんて取れる気がしない。
 それでも、自分の約二十年間生きてきた(現時点での)集大成を、青春の全てをぶち込みたい。
 今までふれてきた憎悪、ぬくもり、憤怒、よろこび、孤独、いとしさ、空虚、ゆめ……これを読む人に全部まとめて味合わせてやりたい。
 みんなこの圧倒的な光に裸眼を眩ませればいい。
 プラトンよりはアリストテレスのが好きだけど、子供部屋だろうが洞穴だろうが引きこもり社会問題らしいしさ。

 本当みんな、今までの人生が一度焼き切れてリスタートしちゃうぐらいのカタルシスでも焼き付けられてしまえばいいんだ。
 これさえ書ければその後の人生で『小説家になる』みたいな願望が実を結ばずとも少しは許せる気がする。
 逆に青春が尽きないうちにこれを生み出さなきゃどれだけ安定した生活を得ても後悔し続けるだろう。

 『失われた時を求めて』よりは短くとも『デイヴィッド・コパフィールド』ほどにはなりそうで、読む側も面倒だろうなあ。
 もし出会ったら読んでくれるといいな。
 さすがに増田にはそんなの晒さないけどw

 とりあえず、増田に思いついたモチーフでも日記とか相談の体裁を取って書き込みつつ、反応を見ていこうと思います。
 で、それを活かしつつ自分の未熟な価値観とかを反省しながらプロットを組み上げようかなと。
 うれしかったので、また深夜のラブレターみたいなのを書いちゃった。てへ。

 さあがんばるぞ。

2009-02-03

娯楽が必要ないってあさはかすぎる

脚本家が生活に必要ない、ってのは、つまり「生活=生命を維持する」っていってるのと同じにみえるんだが。

そのレベルだと、建築家も不要だろう。自分小屋たてればいいじゃん。小屋すらいらんか。洞穴にでも住めば。

人間人間らしく生きるためにはいろんな「不要な」ものが必要なんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20090203114748

2007-11-06

[]洞穴に近寄ってみようか

増田は雨に濡れながら洞窟入り口に近寄ってみた。

どうやらこの奥から池に注ぐ湧き水がわいているようだ。

少し空洞のまんなかに井戸のようなものがある。

そのとき増田は井戸のさらに奥から明かりが漏れているのに気がついた。

誰かいるのだろうか?

声をかけてみる…

なんとか井戸の向こう側にいってみる…

ゲームブックの先頭はこちらから

http://anond.hatelabo.jp/20071101142841#

2007-11-03

[]犬に追いつくために速力を上げる

増田は犬に追いつくために走り出した。

犬は一心不乱にどこかをめざしているようだ。

いや、よくみるとねずみのような生き物を追いかけている。

ねずみのような生き物は池のふちにある洞穴にかけこんだ。

犬は洞穴入り口で止まった。

増田は犬のリードをつかむと

飼い主がいないかとあたりを見回す・・・

洞穴に近寄ってみようか・・・


もとのエントリーTBとばさないと元エントリーの人がリンクを追加できなくない?

http://anond.hatelabo.jp/20071102084952

2007-11-01

[]雨宿りできるところを探す

これは夕立だ。

ちょっと雨宿りをすればすぐ晴れるだろう。

増田公園の中で雨宿りできるところを探した。

大木の陰に身を寄せ雨を凌ぐ。

ふと、目をやった対岸の池沿いに洞穴がみえた。

湧き水が出てくるところだろうか?

増田

洞穴に近寄ってみようか・・・

このまま木の下で雨宿り・・・

もどる

http://anond.hatelabo.jp/20071101142841

2007-07-04

http://marcon.g.hatena.ne.jp/Marco11/20070703/1183452692

「日照りの中、目の前に洞穴だか庇だかアイソレーション・タンクだかになる「概念」を用意すれば、弱いオス(弱い個体?)は逃げるようにその中に入り込む習性がある」

それが分かっているのに、どうして弱い人達がようやく見つけた避難場所をひっくり返そうとするんだろう。どの辺に愛があるのだろう。

2007-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20070322104528

面白いなあ。増田入り浸ってる全ての人に捧げる文章に読めなくもない。自分が心の底からこう思ってるかはともかくとして、心の底に「少しでも」こう思う気持ちがあるんじゃないの?って言われたら否定できないかもしんない。

…という邪推勘繰りはまあおいとくとして、この人に足りないのはやっぱ「愛」でしょ「愛」。評価とか業績とか、多少の支えになるとしてもさ、所詮は数字であり自己評価なわけで、そんなもんが欲しいんじゃないだろ、と。

人が根本において求めてる「何か」つーのはもっと原始的な喜びなんだろーと思うのよ。たとえばさー、でっかーぃ獲物とか狩ってきてさあ、よいしょよいしょ…って、かついで自分の洞穴まで引っ張って帰ってくるわけよ。んでさー、出迎えてくれる嫁さんやら子供やら家族やらに「…まぁ……(眼がうるうる)…」とか「とーちゃんすげぇぇぇぇぇEEEEEEEE!」とか「お前……やるようになりおって………」とか、仲間から「やっぱり○○違ぇよなぁああああああ」ってセンボウのまなざしでみられてさー。まあそういうのが欲しいんじゃないの。つまり「生」の人間関係つーかそーゆーもんに支えられたリアクション。端的に言って、愛でしょ。

だからまあ結婚して早く子供作れよ、と。それで幸せになるかどうかは分からないが、今より少しは幸せになったり寛容な人間になったりできるかもしんない。マジで。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん