はてなキーワード: 放浪とは
今二股をかけてるんだが、彼女に欲しいプレゼントを聞いてB子のほうに心が動きそうだ。
A子は美人で派手な両親は共働きの中級家庭。中学3年生から男を欠いたことがないと言っている通りに気が利いているし、なにより彼女と街を歩くと他の男に自慢出来て気分がいい。
対してB子は親が会社を経営していて、毎年最低2回海外旅行へ行ったりイギリスの帰国子女だし、クルーズ経験もかなりあるのに全然派手じゃない。洋服に金をかけることが嫌らしく(一年休学して世界を放浪していた経験から)質素で本とスポーツが好きな語学堪能な女だ。男は俺が初めてらしいが、もう半年も付き合ってるのにヤらせてくれない。
A子とB子にクリスマスプレゼントは何がいいか聞いてみた。
A子はブランドバッグと答えB子は何でもいいから手作りのものが欲しいと言ってきた。
B子は小さいころから欲しいものは何でも両親が買ってくれたそうだから、物欲がほとんど無くブランドにこだわらないのだろう。
A子の答えを聞いて、分かりきっていたけどキャバ嬢や金で動く女にしか見えなくなってきて、一時期あいつのためなら死んでもいいなんて思っていたのに、
今では好きだった気持ちがすっかり消えてしまった。
今また!ってやられても
驚きとかなんにもないよ。
もうほんとそれについては完璧に飽きて無感動なんだよ
脳のレセプターが一生分摩滅してるんだ
やめてくれ、つまらん。
何故かあれを「旧版からのファン向け」とか言ってる奴がネットに結構居るけど逆だろ。
晋から入ったファンなら「暗!」「なにこれ!」とガッカリしながらも一応楽しめるんじゃないか。
話の構成にもテンポもクソもない。
極度に人が少ないネットゲーの町を欝欝と放浪してるみたいなダレた気分。
カヲルもレイもゲンドウも見たことある反応しかしないNPCみたいな奴で。
欝欝以外だとなんか結構長い尺戦ってる感じがして、作画的には健闘してるのかもしれないけど
何やってるのか全然わからん状況でどかどかアクションされても無感動で見ちゃうだろ。
そんなバリエーションでいちいちキャアキャア言うほどの心はもう無いし。
カヲルが”首”に巻く…っていう時点で
「まーたやりやがる気だな!」っていうのがわかって、
でももうTVシリーズでカヲルくん握り締める展開見てたときのドキドキやゾワゾワはかけらもないわけじゃん。
最後まで見なきゃリスタート出来ない糞仕様のせいでボタン連打してるような気分だよ。
あれは嘘予告かもしれないけど、しかし、
また2年3年待たせる気なのか?
どんな判断だ?
俺は結構真面目に、
その為にあえてこういう不満しか残らない変な物を出したんでは?
そう考えないと腑に落ちない。
仮にまたあんのの頭がおかしくなってるんだとしても
鶴巻和哉あたりがこんな判断するわけない。
「自立」という言葉を使うと定義が曖昧なので、「独り暮らし経験がない、もしくはしていない人間」とは基本的に長く付き合えない。男女関わらず。友人として遊んでいても、価値観の相違が非常に大きすぎてダメだ。
私はというと、18の頃に実家を飛び出して、海外を放浪したり、好きな子を追いかけて関西へ移住したり関東に戻ってきたり(実家と仲悪い訳ではない、むしろすごく仲良い)、仕送りも受けたことがない。超貧乏でパスタしか食えない生活もしたことがある。まあ、そんなこんなでずっと独り暮らしをして、30手前の今も独り暮らしで、犬一匹を飼っている。
遊んでいると、たまたま都心に実家があってずっと実家暮らしなんです、的な人とは本当に話が合わない。もちろん全員が全員ではないが。ただ、ほぼ全員と言っていい。
自分一人で生活したことがない人とは、友達として仲良くなろうとも、異性であれば付き合ったり生涯の伴侶になってもらおうとは全く思えない。いや、付き合いはした。したんだが、やっぱり圧倒的に日々の生活への執着というか、自分の力で責任を持って生きるという人間力が感じられない。もしかするとそういうのを「女子力」って言うのかもしれない。
少し前に「実家パラサイト」なんて言葉も流行ったが、やはり人間としての魅力は、「生きる」という行動を、あくまで独りでコントロールできているという部分に出るんじゃないだろうかと最近つくづくと思う次第である。
本業が勉強である学生さんが仕送り受けてまで無理に独り暮らししろとは言わないが、自分で収入がある会社員のような人間であれば、どんなに実家が今働いている会社のそばだろうと、自分で作った自分の根城を、自分の拠点を自分独りで構えるのは、人間としてもっとも大事な事のように思う。
「何を今更」「当たり前過ぎる」私もそう思う。でもやっぱり都心にいると意外にいるんだ。「東京生まれの東京育ち」「東京まで京葉線で通ってるよ」「埼京線は私の路線」。私はあなたに人間としての魅力を感じない。
・死のう。生きていても仕方が無い。
・うわーもう二度と恋愛できないわー うわーもう二度と恋愛できないわー
・あああ、女なんてマジで信用できねえ、女ってクソすぎるわ、恋愛どころじゃねーわー
・全財産25マンを増やして金返すわ→そこらの雀荘で小一時間でゼロに。
・旅って良いな〜 仕事なんてアホくせえな〜 もう一生、放浪して暮らすわ。
なんか要所要所でこんな考えをしてたけど、何時の間にか、ワリと固い職業リーマンになって、カミさんがいて子供が2人いて、幸せに暮らしてる俺。いろいろあったような気もするし、これくらいたいした事でも無かったりするし。人生何があるかなんてわからんよ。10年前、今の自分の生活なんて全く考えられなかった。さらにその5年前は、そういう状況になってるなんても考えられなかった。
もう恋なんてしない。なんて事を何度も考えたし、友人もそんなやついくらでもいるけど、それに限ってはなくならんよ。
提出したのだが、これではダメだと突っ返された。
この時に危機感持って一所懸命取り組むべきだったと後悔している。
ずるずるとテーマ提出を引きずり、閃いた案を出すも、「中身がない」というので突っ返された。
幾度か出したが、下調べが殆ど無かったりや机上の空論のようなものでテーマとして成り立たないものばかりだった。
7月ごろに先輩からのアドバイスをいただいたのだが、それ通りに動かず、好機を逃した。
このような状況にいるので、精神的にキツい状態に陥っている。
もし今、卒業研究のテーマが決まっても間に合わないだろう。(時間的にも技術的にも)
そうしたほうが気持ちが楽になるだろう。
今の状況が辛いのは今年度卒業するということを考えているからだ。
今年度卒業することを執拗に考えるのは、これは親のためにそう考えているのだろう。
木工家具の製作で得た資金を手に、24歳の時から4年間アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアへ放浪の旅に出る。ヨーロッパからの帰路、マルセイユで数週間待たされた後、帰国の船に乗り、象牙海岸、ケープタウン、マダガスカルに立ち寄り、インド・ムンバイ(当時のボンベイ)で下船する。安藤は”何かに導かれるように”汽車に乗り、ベナレスに向かった。ガンジス川で牛が泳ぎ、死者が荼毘に付される傍らで多くの人々が沐浴するさまや、強烈な太陽の下、異様な臭気に包まれた果てしなく続く大地、生と死が渾然一体となり人間の生がむき出しにされた混沌世界に強烈な印象を受け、逃げ出したい気持ちを必死にこらえながらガンジス川の岸辺に座り込み、「生きることはどういうことか」を自問し続けた。「人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って、自分の目指すこと、信じることを貫き通せばいいのだ。闘いであるからには、いつか必ず敗れるときが来る。その時は、自然に淘汰されるに任せよう」と考え、ゲリラとしての生き方を決心する。1965年、安藤忠雄24歳のときである。
真面目に中国とかに脅かされる日本が心配なのですが、どうしたらいいですか?
教えてエロい人。
個人レベルでなんて何もできることはないのでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20100921233645
国が脅かされたら自分も影響受けるという当たり前の現実を受け入れるってことだけど。
「国なんて」とすぐ口走るサヨクみたいな人は
・どこの水やメシや文化も日本のそれ以上に楽しめる語学力と神経の太さを持ってるとか
・どこの国に行っても日本以上に遇される凄い人的価値の持ち主とか
実際はそんな人間そうそう居ないし「自分の国」で暮らすの殆どの凡人の幸せ。
国防がわからないバカ総理とか
技術やお金を外国にはふんだんにばら撒くバカ総理とか(あ、同じ人だ)
政治家や官僚はひたすら外国と結びついて自国の便益を売り渡して私服を肥やすようになる。
それやっても誰も気にしないし怒らないんだから。
自分は2流の文系大学出て、中堅IT企業に入社してから約10年。
最初は固い基幹システム。正直ITなんか自分に向かないと思った。
3年目くらいにWEB系に配属され、ひたすら頑張ったら社内でもWEBで一目置かれるようになった。
とずっとは真面目じゃなかったけど、アンテナの向く方に進んできたら、今、すっごく面白い仕事やれてる。
仕事人生は長いし、今は誰も知らない面白い事がIT業界に限らず潜んでいる。
ようは、仕事と正面で向き合って、自分が何がしたいのか、何処に向うのか、に耳を傾けて努力すれば良いこと。
今の格差くらい大した事無い。頭の回転だって使ってるうちに今よりは早くなる。
世間にはそうしたほうがいいっぽいってことがある。
そして、俺はそれに従って生きてきた。
会話が面白い人の方がいいっぽいからそうした。
優しい人の方がいいっぽいからそうした。
音楽聴いてた方がかっこいいっぽいからCDをめちゃくちゃ借りた。
運動はできたほうがいいっぽいからサッカー部に入った。キャプテンになった。
サークルは入ったほうがいいっぽいから入った。
家庭教師は割がいいっぽいのでやった。
やりすぎない程度にかっこいいっぽい服を着た。
彼女はいた方がいいっぽいから作った。
いいゼミに入ったほうがいいっぽいから入った。
就職はいいっぽいところを受けて、そこに入社した。
俺は世間においていいっぽいことをやれる才能がそこそこあるらしかった。
いいっぽいことをやっているとそれなりに楽しいし、大抵すごいねと人に言われるのでそれなりに気分はよかった。
いい「っぽい」ってのはそれなりの理由と要素があって、いい「っぽい」とされてるらしい。
金やら経済システムやら人間の心理の仕組みやらその他諸々の条件から生み出される。
俺が生まれたころのいい「っぽい」ことと今のそれは違うだろう。
ただ、それはすぐにはそんなに変わらなくて、だから俺はそれを当てにしてきた。
そして人はその「っぽさ」で人を判断したりする。
しかし最近その「っぽい」ことに飽きた。というかだんだんアホらしくなってきた。
いろんな価値基準は全然確かじゃなかった。知ってはいたけど。
出世するのがいいっぽいらしいし、MBAとるのがいいっぽいらしいし、起業するのがいいっぽいらしい。
そんで結婚するのがいいっぽいらしいし、社会貢献するのがいいっぽいらしい。
で、子ども作って、その子どもに「いいっぽい道に進め」って言うんだろうなと思う。
でも、いっぺん頭の中の枠外しちゃうとストレートにその「っぽさ」を受け取れなくなる。
俺はそうじゃなかったらしい。
入社してすぐの会社をやめて放浪したいなんて訳もわからない衝動が出てきた。
それは世間ではダメっぽいから今のところ粛々と仕事をしている。
でも2010年の現在に俺は生きてるから世間にある様々な「っぽさ」を肯定も否定もしない。
ただその世間にある「っぽさ」を利用して、自分の自由をひっそり獲得したい。
それがどんな形をしてるのか今はわからないけど。
暗鬼紅灯の巷に彷徨う女性に恋をするを不情の恋と誰がいうぞ。
雨降らば雨降るもよし風吹かば風吹くもよし
女の膝枕にて一夜の快楽を共に過さずんば人生夢もなければ恋もなし。
響く雷鳴 握る舵輪 睨むコンパス六分儀
吾等海行く鴎鳥 さらば歌わん哉
一
心猛くも鬼神ならず
男と生れて情はあれど
母を見捨てて浪越えてゆく
友よ兄等よ何時また会わん
二
続く海原一筋道を
行くや万里の荒波越えて
三
波の彼方の南氷洋は
男多恨の身の捨てどころ
胸に秘めたる大願あれど
行きて帰らじ望みは待たじ
(「名門の女性に恋する事を”純情の恋”などと誰も証明なんて出来ない。」「風俗嬢に恋する事を”不情の恋”などと誰も証明なんて出来ない。」で始まり、
「生きて帰る望みなんて持っていない」と終わる訳です。その界隈の男なら誰でも知っている歌であり、誰が作ったのか誰も知らない歌でもある。
因に”その界隈”というのは...。そう、かつての捕鯨船団である。)
こんにちは、皆さん。
私、秋葉原で皆さんと一緒に働きたいと思います。
前職は、実は、ソープランドのボーイでした。
在職中は、鶯谷駅でお客様やホステスの送迎、お客様の接待、店の掃除など、
ボーイとしての様々な職務を忠実にこなしました。
無論、理不尽な事を主張されるお客様への対応経験も豊富でございます。
卒業後、若気の至りで、サラリーマンという奴隷にはなりたくないと思い込み、
就職せず、世界を放浪し、後に日本に戻り、職を転々とした結果、
ソープランドのボーイに。
秋葉原に店舗が在るPCパーツ・ショップの就職を希望しております。
従来のPCパーツ・ショップのオタク店員には負けないと自負しております。
どこか、私を雇って頂けたら幸いです。
嫁に食わせている現状は実に切ないです、嫁の仕事を熟知しているからこそ。
早くPCパーツ・ショップに就職して、嫁を今の仕事から解放して上げたい。