http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html
こちらのエントリを読んで悲しくなったので書いてみる.誰が読むというわけでもなかろうが.
当方は前掲エントリ内で「留学経験がある方が就職も優位になるので、特に20代の人だったら失うものはまずない」と言われている20代の留学生(ちなみにアメリカではない).東京の某国立大学を卒業して,就職経ずにこちらで修士をやっている.その辺りが渡辺さんとの肌感覚の違いなのだろうか.私は…少なくとも修了したら日本で働きたいと思って留学した.グローバルな視点は重要だろうし,日本が立ち直れないのもその通りなのだろう.その道で働いてきた人が言っているのだから,世間知らずの一学生が言うことなど何の効力もないのはわかっている.けれども,愛国心とかそういうカタいことは抜きにして,純粋に自分が生まれ育った国の未来を,世界の未来よりも見たいと思うのはそんなにおかしなことだろうか.
* ベストケース:一世を風靡した時代の力は面影もなく、国内経済に活力はないが、飯うま・割と多くの人がそれなりの生活を送れ、海外からの観光客は喜んで来る(フランス型)
* ベースケース:貧富の差は激しく、一部の著しい金持ちと、未来に希望を持てない多くの貧困層に分離、金持ちは誘拐を恐れて暮らす(アルゼンチン型。あの国も19世紀終わり頃には「新たな世界の中核を担うのはアメリカかアルゼンチンか、と言われたほどだったんですけど・・・・)
あちらで精力的に活動し,結婚までされている渡辺さんのこと,自身の生活の基盤がそこにあるから,「日本はもうダメなので,海外に留学してそのまま働いたほうが良い」などと言い,上記のような「世界の中の日本」を想像できるに違いない.きっと自分の見つめる先に,そういう未来がリアリティを持って描けているのだろう.しかし,人間は余程の天才かなにかでない限り,いや,天才であったとしても自分が見たいと思った未来のすべてを見ることはできないように思われる.渡辺さんも然りで,きっと「世界の中の日本」という視点でしか日本の未来を描くことができないのだと思う.
もちろん私にだって,日本の未来のすべてを描くことはできない.しかし私は,日本の中で,日本と共倒れするのであっても,どうせ生まれ落ちてから少しずつ死んでいくような人生ならば,少しでも良いから日本の人たちが幸せにしている姿が見たいと思う.それがただ「死んでいく世界の中の日本」に対する対症療法であっても.少なくとも私は4年間授業料の半分以上を税金で払われた身であるし,それに報いたいとも思う.できれは近くから日本を見ていたい.だから,私は特に自分が「勝つ」とか「うまくいく」とかいうそういうちっぽけなことよりは,日本に居て,そこで小さくても何かができたら嬉しいと思う.そのために自分に足りないと思われるスキルがたまたま日本では学ぶことができなそうだったから,今留学しているまでだ.海外に住んで,1年が過ぎた.
私は海外で勉強しているけれど,日本で働きたい.おそらく帰国しても,渡辺さんのように思い切ったことは言えやしないだろう.シリコンバレーにもアメリカにも行ったことはないが,アメリカは(シリコンバレーは?)個人が「勝つ」ことを志向して,その集積で大きくなってきた,シアワセになってきた場所なのかもしれない.私はそういう場所は.肌に合いそうにない.そして,世界という場所は=アメリカでもシリコンバレーでもないのだ.
まとまらないが,なんとなく違和感を覚えたので書いた.
日本に貢献する・しないというのと、日本で働く・海外で働く、というのは切り離して考えるべきじゃないかなあ。海外で働く=日本を捨てる、じゃないでしょう。 一国内で経済は完...