はてなキーワード: ボイチェンとは
私は、名もなき1人のオタクである。最近ある悩みで苦しんでいるので、整理するためにここへ記そうと思う。長いぞ。
私は普段、アニメ、イラスト、漫画、ノベル、ゲーム、音楽、動画、等など様々なオタク的コンテンツを楽しんでいる。が、それらを自分で作ることが出来ないのだ。当たり前のことのように思うかもしれないが、私はそこに強いコンプレックスを感じている。
コンテンツには絶対に作り手がいる。そりゃそうだ。作る人がいなければ、何も生まれない。
さらに、オタクの世界には「ファンアート(二次創作)」という文化がある。自分はこれが好きですよ、とハマっている作品のキャラクターを描いたり、そのキャラの登場する小説を書いたり、動画を作ったりすることだ。オタクをしていると、それらを目にする機会がとても多い。上手い下手はともかく、全てのオタクが何らかの創作活動をしているのではないかと思ってしまう程度には多い。オタクは、オタクが生み出したものを目にする機会が途轍もなく多いのだ。
だが私は、絵も満足に描けなければ、小説も書けないし、音楽が作れるわけでもないし、何も生み出せない生産性のないオタクだ。
自分なりに考えてみた。
魅力的なコンテンツがあって、それを好きなオタクのコミュニティがあって、そのコミュニティは大抵絵や小説が描/書ける人間で構成されていた。少なくとも私の周りではそうだった。(オタク友達を求めて入った部活が美術部や文芸部だったからね)
生産が出来なければ、オタクの輪にはまず入れない。友達ができない。
私もオタクであるはずなのに、何一つ生み出すことが出来ない。ただ消費するだけの存在。世の人々(私の目に映るオタクたち)が当たり前のようにやっていること(創作活動)が、私にはできない。技術力も、才能もない。今更頑張る勇気もない。
素晴らしいものを見て、聴いて、私も同じことが出来たらどんなに素敵だろうかと夢想するだけの日々だ。
絵を描いたり、小説を書いたり、音楽を作れたり、動画を作れたり、立体物を作れたり、作品の考察を発表したり、そういう生産者側への憧れが非常に強く、消費するだけのオタクに価値はないと本気で考えているのに、どこまで行っても結局消費者でしかない不甲斐ない自分。
最近ではどんなに良い創作物を見ても、罪悪感と劣等感ばかりが己の中に積もり、楽しめない。
コンテンツに深くハマっていくほどその裏にある作者の存在を意識せざるを得なくなる。生産者の才能への嫉妬、生産の努力すらしようとしない自分への苛立ち。
だんだんと、オタクコンテンツを見ること自体がしんどくなる。しかし私の趣味はそれしかない。
幼い頃からパンピの持て囃す流行のアーティスト、アイドル、ドラマ、スポーツetc…には唾を吐いて生きてきたのだ。今更手のひらを返して推すことはできない。
こんな私だが、創作的な活動をしてみたいと手を出したことはある。
漫画を初めて読んだ小学3年生の頃から絵は描き続けているし、ライトノベルにハマった高学年の頃から数年間小説の執筆にトライもした。
ボカロが流行っていた中学時代、楽曲制作に憧れてギターやピアノを始めた。DTMの勉強もそれなりにした。
MMD等のCG動画にハマった頃は動画も作ってみたし、3Dキャラクターのモデリングにも挑戦した。
拙いシステムとクソみたいなシナリオとゴミのような立ち絵で、自作のゲームを作ったことだってあるのだ。
しかし何一つ、満足に完成させることはできなかった。自分で納得のできるものは作れなかった。納得ができるクオリティになるまで粘り強く努力をするだけの忍耐力もなかった。
軽率に何かに挑戦し、すぐに諦めるダメな自分。結局無産な凡人のまま。
才能のある人が羨ましいと喚きながら、努力をしない自分から目を背け続けている。
オタクとして生きていくのがつらい。でもオタク以外の生き方を知らない。オタクっぽくない話はできない。
絵描きは絵描きしか相手にしないという話が一時期Twitterで話題になったように、生産者でなければオタク友達はできないように思う。(大抵のオタクは創作活動をしているという前提)(その前提が間違っている可能性には気がつかないふりをしている)
この状況を打開できる策はまだ思いついていない。
なにもかも諦めて消費者として一生を終えるしかないんだろうか?
どうなんだろうね。
ちなみに今私はバーチャルYouTuberにハマっている。
好きになったものに軽々しく手を出す癖だけは治らないので、自分で描いた立ち絵を動かして、ボイチェンを使って美少女ライバーごっこをしようとしている。
ブコメ見てるとvtuberを否定的に語られるときに「どうせ中身はおっさんだから」とかいまだに言われてるの見てちょっと笑った。
いやいや、大半は中身も女性だから。それともキズナアイもボイチェンおじさんだと思ってるんだろうか。
たぶんはてな民がイメージするvtuberの基準が「のじゃロリおじさん」なんだろうね。
「プロ化だ終わった」だの「企業が入ってきたからもう終わりだ」みたいなブコメにスターがいっぱいついてたけど、
そもそもキズナアイを初めブームを牽引したvtuberのほとんどが企業産だろと。お前それYUAに同じこと言えるのかと。
はてな民は「ネット発の草の根から広まったアマチュアユーザー文化」みたいなのが好きなんだろうけど、vtuber文化がそれに当たるかは微妙だよね。
「のじゃロリおじさん」がvtuberをアマチュアの活動にまで押し広げたのは間違いないとは思うけどね。
あと企業の参入をはてな民ネガいこという一方で当のvtuberのファン界隈や個人勢からは
「個人でできることは限りがあるからこういう企業が外部にアピールしてvtuberに関心ある人増やしてくれるのはありがたい」
さらに見た目(アバター)という最強ツールを手に入れて可愛い見た目のキャラを演じて
ちやほやされてるの見るとイライラしてくる
声が可愛いやつは見た目がブスだとか
色んな意見あるけどそんなことはどうでもいい
ネットで可愛い声持ってればちやほやされるっていうのが本当に腹が立つ
そんで男も中身の面白さやゲームの上手さじゃなくて声が可愛ければなんでも信者となり崇めてるのが本当に気持ち悪い
気持ち悪いって思うけどそれ以上に羨ましい
声可愛くなくてリアルでもそんなにモテない自分の居場所はもうネットにもなくなってしまった
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意外にブクマが付いていてびっくりした。
その中で「女でもボイチェンつかえばええやん」って声がいくつかあったので報告。
有料のボイチェンは試してませんが無料の有名どころのボイチェン試した限りでは
女が女のボイチェンしたところで不自然な声になるだけで(いわゆるモザイク声)あまり意味がなかったです。
いつまでも嫉妬でどうこう言ってないで、自分もそういう声出せるように
見てろよ