ねぇ、どんなパンツ履いてるの?
以前は不自然な日本語であるとか、特定の会社のレビューしかしてないとかで見分けやすかったけど最近はより巧妙になってきてる
日本人に依頼して書かせてるみたいだし、数社のものにまとめてレビューしてたり(だからサクラのくせにレビュー数が10個くらいはあったりする)
ただ名前がやたら本名風の日本語(四文字漢字、でも微妙に珍しい漢字)のレビュアーばかりが高評価つけてて、どのレビューも短文で絶賛してて、しかもそいつらが複数個の共通したものにも似たような絶賛レビューをしてたりするから、まだ見抜くことは可能
ただそれに時間使わなきゃいけないのがすんげーめんどくさいけど
https://togetter.com/li/1204316
これと似たような事書いて送ったんだよね
裸や行為の描写ならともかく、非実在青少年都条例案はストーリーや設定でも有害図書指定されるからそれはどう考えてもおかしいし
都議だかが「子供が悪い事だと理解せずに真似するから規制は正しい」とか言ってたから
じゃあ違法行為であると注意書きがあれば良いだろと思って書いた
まあ、却下されたけど
アンチなろう系がなろう作品にありがちなパターンというのは意外と知られてないのかなと思うことがある
たまにごく一部の話題作品しか知らない(もしくは作品なんか読んだことなくてまとめブログでのなろうコピペしか見たことない)人がアンチなろう系作品を持ち上げてるのを見ると恥ずかしい気持ちになる
とりあえず正しいデータでやるべきだったな。
裁量労働制で上手くいってるところもあるんだろうけど、
生活残業してる人も周りにいるし
ひょっとして。
http://b.hatena.ne.jp/entry/toyokeizai.net/articles/-/210482
で、ここのブコメ見て思ったんだけどさ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/toyokeizai.net/articles/-/152294
Rentaって電子漫画サイトをみてみたらタテコミって、コマを上から下に並べてスマホに最適化した漫画があったわ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1204170
「個人の実感とやらを並べたところで数字に出なければ意味がない!」
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2017_0622.html
同じ環境に居続けるという前提だとそうかもしれませんね。
キレポイントって人それぞれだし、それって自分が何を守りたいと思うかってところから来てると思うから、自分が守りたいと思うものを守ろうとするのは全然おかしくない事だと思う。
怒るのは自由だし、クロちゃんのドッキリに対しても同じように怒れとは言わないけどでも、水曜日のダウンタウンを毎週楽しみに見ているっていう時点でまともじゃないっていう自覚だけは持っていて欲しいんだよね。
ガキの使いもそう。年末に紅白じゃなくてガキの使い見ておっさんが尻たたかれるのを見て笑ってる時点で性根が腐ってるという自覚をもってほしい。異常者だって事に気づいて。
自分をグラフの原点だと思わないで、第三象限にいるって事をちゃんと理解してほしい。
以上。
https://anond.hatelabo.jp/20180302072223
追記
例えば断么九(タンヤオ)という役を思い浮かべて下さい。
役名の通り、么九牌(ヤオチューハイ)を断ち、2~8までの中張牌(チュンチャンハイ)で構成する役なのですから、捨て牌には不要の1、9,字牌が並びます。
逆に混全帯么九(いわゆるチャンタ)という役は、111や123のような端の牌と字牌で構成される役なので、捨て牌には中張牌が多くなります。
開始時、配られた牌を見て、そこから構成しやすい役や、上がりやすい形に向けて手牌を処理していくため、一般的に不要になりがちな字牌や端の牌は序盤に捨てられるケースが多いです。
ところが相手の捨て牌を見た際、序盤で中張牌が多く捨てられていたり、捨てられやすいはずの字牌がなかなか出てこなかったりする場合は、混全帯么九系の役を作っているのかな? と推測出来ます。
このようにして相手の捨て牌から役を推測し「これは点数の高そうな役を作っていそうだから、今回は無理をするのをやめよう」などと判断しています。
何故だろう。SNSとかで弱音を吐いている奴がすごく嫌いだ。俺だって強い人間じゃないのになぜか許すことができない。きっとその先にある「かまってくれオーラ」が見えてしまうからだろう。LINEプロフィールの一言欄で「頑張らなくては!」とか書いている奴にも腹が立つ。自分でも本当に器が小さい人間だと思う。
anond:20170907175522 に対する何かしらの反論記事。先にこちらを読んでおかないと意味が通じないのでご注意。
『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するアイドルに、「上田鈴帆」という子がいる。
今回は、この増田Pにヘイトがたまったわけではない。つまり反論というほど反論でもない。
ただ知ってもらいたいことはあったりもする。鈴帆Pは見ないほうが良いかもしれない。
デレステで彼女はほとんど露出はないのだ。今なおサマカニ!っきりだ。
リンク先の増田Pの話は、「上田鈴帆が人気がなく個性的なだけでボイスがついて、SSRも確約されている」といった趣旨だったが、あれから半年、彼女はデレステに顔を出してはいない。
気になったPはデレステで少しで良いのでメンバーに上田鈴帆を入れてプレイしてみた後、コミュを見てほしい。彼女のコミュの数を。
2。2だ。メモリアル2でここまでです、だ。
他の声付きアイドルのメモリアルは2ですか?こんな運営に冷遇されているアイドルに嫉妬する必要は、まずない。安心しろ。
「個性的な顔や衣装だからSSRでも色物扱いになり回す人は少なくなる」との言葉もあった。彼女は個性的で、正統派からは程遠い、と。
便宜上)「彼」は見た目にこだわりすぎているような気がした。上田鈴帆に見た目以上の魅力がないと思われているのかな、と。
例えば上田鈴帆の場合、まずは奇抜な恒常衣装だろう。間違いなく。だが恒常だ。つまりいつでも手に入る。
彼女をうっかりでも手に入れたからにはどうする?とりあえず踊る姿を見るだろう。そういう魅力は彼女にはある。
それで嬉しいか?と言われれば、とりあえずスクショを撮る人のほうが間違いなく多い。
そして、「コミュで見ることが出来る魅力は一部でしかない」との言葉があったが、それはそうだ。
見た目で興味を持ってもらえる子、「ただ可愛い子」ではない上田鈴帆という子に対して「スクショを撮る」興味は好きか嫌いかの判断材料にはなりうる。
その上でその時追加されたコミュを見て好きになってくれればいい。それだけだ。
諸星きらり。180cmオーバーの色物として出た彼女に、人気がないといえるのだろうか。
双葉杏。あんずのうたが正統派アイドルソングと呼ばれたことはいまだかつてあっただろうか。
わかり易い例であんきらを出したが、そもシンデレラガールズは色濃いキャラクター、尖りきった原石をアイドルに仕立て上げるゲームだ。
色物が揃っている中で、私は「上田鈴帆が浮いている」とは微塵も考えてはいない。個性の一つだ。
「彼」の担当だって、何かしらの個性を抱えたアイドルなはずだ。
否定されるとキツいのもそうだが、個性の否定って実際何になるのだろう。いくらべっぴんだろうとみんながみんな同じこと言っていればゲームに魅力はないと思う。
だって、いくらこのゲームが人気で収益がすごいとはいえ、誰にでもSSRを実装するほどの状況にはまだないはずだ。
本当に「彼」が上田鈴帆が嫌いなら、「SSRが出たからといっても回さない」というPが大勢いた所で不都合はないはずだ。
不都合があるのは、「回すわけ無いじゃんw」なんて言われた担当P側であって。これ言われるときっっっっっっついぞ。
もちろん、「彼」が運営側の人間なら、お金が入らなくてヒィヒィ言ったのかもしれないが、Pの視点で語っているのでそうではないだろう。
「彼」は一体何と戦っているんだろう。
「あんな不人気が声付きなだけでSSRになるなら正統派の可愛い子を」の発想なのかなとは思うが、もしそうなら安心してほしい。
不人気だからデレステが冷遇する、人気だからデレステが優遇するといった事実はないのだ。むしろ51位のアイドルのSSRラッシュに、私は喜び震えている。
早くしてくれ。頼む。上田鈴帆。
もしあなたが上田鈴帆さんが嫌い、個性派が嫌いだとしても、それもまたアイマスなので受け止めます。
でも、あなたの担当の万年51位のアイドルは「個性がない正統派」アイドルなのですか?
もしあなたの担当にSSRが来た時、それで「ガシャを回す」興味を持ってもらえるのは、ある程度「デレマスを、その子を知っている」人だけでしょう。
なぜなら、有名な声付き正統派アイドルだっていますから。知らないし話題にならないし声がついていない子で回す入りたての人はそうそういないでしょうね。
あなたのいう「スポットライトを浴びる」というのは、話題性あってのものですので、個性がなければ埋もれるのでしょう。
その考えでは、その子がスポットライトを浴びる日は永劫来ません。スポットライトは当てるものだからです。うじうじしてんじゃねえ。
一般的に、自分が今いる環境下から生み出せる(または与えられる)成長機会から離れることは"逃げ"であると言われることが多い。
成長機会っていうものは自らの行動で得られるものだし今自分がいる環境下の人から客観的に見たら、それは目の前のことから逃げているというふうに見えるからだと思う。
でも、本質的な"逃げ"とは成長機会それ自体を逃すことではなく、自分の達成目標から逆算して複数の成長機会を比較検討した結果、最も成長できる可能性が高い成長機会を選ばないことが"逃げ"なんだと理解した。
合理的な判断からしか逃げは定義できない。またその合理性は自分の中でしか定義はできない。
何が言いたいかというと自分のなかで比較検討した結果、最良の選択肢を取ったと思えるのであれば、誰に何を言われてもそれは”逃げ”ではないということ。