馬鹿すぎるだろ。
まず、彼があそこに入れたのは国会議員だからであり、また、あの場にはそのような行為を行わないことを前提で招かれている。
「そのようなこと」とは「園遊会を円滑に進めることを妨げること」。
園遊会でなくても、何らかの会や集まりを、他人が正当な理由なく妨害したら、それは場合によっては威力業務妨害で逮捕される案件。
成人式の会の場で、いきなり壇上に登って会を妨害する、そういうレベルの話。
分かる?まず、天皇どうこうではないの。文明人としての常識に欠ける行為であり、場合によっては罪にも問える行為だということ。
そして、山本議員が天皇に手紙を渡すことにより話題になり、結果その内容が広く知れ渡った、と言うのは事実では?
まあでも、実際の所、ディズニーランドで行われてる成人式にいきなり乗り込んで勝手に演説でもしたらそれなりに話題になったと思うけど。
その上で、さらに罪のウワ重ねとして、「天皇の政治的利用」をしている。
それは別に、これによって陛下が何か行動を起こしたとか、何か皇室側から発信があった、とかではない。
単に、「天皇」に関わる事によって話題を作り、彼の政治的思想を広めた、話題にした、と言うことがすでに政治的利用。だから憲法違反。
で、自分としては、じゃあ、オリンピック招致は?とか、他の皇室の行動は?ということに関して、それに反論する気は無いし、むしろ、何利用してんの?くらいに思ってるし、
単なる「文化」として残したいんだとしたら、逆に政治的な利用を完全に禁止してる憲法というのは現実に即してないしその辺は変える必要はあるとは思う。
なんてこった。
きっとここには自由があると思ったのに。
ああぁー。
だからどこに行ってもつきまとう。
合点がいったよ。
かつて嫌いだった人も、今嫌いな人も。
お前らの中には俺を縛るものはなかったんだな。
すまないことをした。
が、手遅れだ。
俺はただ人を恨むよ。
それは一生やめられない。
潔癖症も一生治りそうもない。
不治の病だ。
たぶん俺はこの病気に殺される。
こういうのもあるのか。
上がってから写真撮って、必要なときはOCRかけるみたいな使い方が出来そう。
防水タブレットもいろいろあんのね。
うちの家族は全くと言っていいほど会話がない。
最近生きているという感覚が、生かされてるという風に移り変わってきている感じがする。
というのも家庭環境さえ良ければなぁ・・と高校時代からずっと思ってきた。現在は浪人1回生。。(浪人を決めたのもこの家庭環境が一番の要因)
あまり悩みは作りたくないし考えようともしないけどこればっかりはあまりに生活と緊密に関わることだから悩まずにはいられない。
まず状況から整理すると、
家族構成は父母弟俺の4人家族。夫婦間では全く意思疎通なし、俺と弟も1年に1回あるかないか、最近だと数ヶ月前に「ゲームの音うるせーから静かにしろ」くらい。
父は母に話しかけはするものの母は顔すら合わせようとせずガン無視、ふさぎこむ。これには後に書く出来事から起こった。
弟と会話が無くなったのは明確な理由はないけど、後で書く話以降から自然消滅的に消えていった感じ。
もし母が父に何か聞きたいことがあった場合、例えば出前取るんだけど何がいいか?って聞きたいときは、母が俺や弟に聞いてきて~といった感じで、子どもが伝達役になってる。
父は母に対しては普通に話しかけているのでそういうことはない。
で、その話の内容に入りますと、
事の発端は7,8年前のこと。
あれは夕食を食ってる時に私の父と母が喧嘩したのが始まりだった。母が父の箸をテーブルの上に置いておくのを忘れたとかそんなこと(だった気がする)で、父はその態度が気に入らなくて怒鳴った。母も反撃をかます。
こういうことは前にも2,3度あったんだがそのときは普通に折り合いがついて仲良くやってた。もちろん喧嘩してるときは自分も嫌な気持ちにはなったけどすぐ仲直り……すぐとは言わずとも時間をかけてでも仲直りはできた。
だけれど今回はいつもとは違って父と母はそのまま口喧嘩が続き、両者ともども感情的になりすぎて、母からは今まで口にしたことも無いような暴言まで繰り出される。
みたいなこと母は泣きながら言ってたと思う。
そのときは自分は小学生だったので、今までに類を見ない光景を見て深い悲しみを感じたことは今でも覚えている。これはいつものことだ・・いつものことだ・・と。
そして冷静に考えればいいことなのに、父も逆上していて、そのまま食べ終わった食器などをガタンと台所に置き、寝室に戻ってった。
いつものように仲直りして普通の生活に戻って欲しいなあ・・と当時の自分は思ったね。
しかし翌朝、父がリビングでTVを見ているなか、母は顔を合わせようともせず壁の方を向きながらキッチンの方に通り過ぎていく。
当然怒りも収まった父はそのことに不服を立てて何か言ったようですが母は無視。
父は父で、その出来事について再々度問うこともなく、以後、さも植物人間に話しかけてるかのように一方的に話をするだけ。
そして喧嘩の日からそういった態度が変わることもなく次第とそういう生活に定着していき、周りから見ればあたかも平和そうな家庭を演じながら、今に至る。
父はそういう状況でも汗水垂らしながら金を稼ぎ、母は飯を作ったり家事・掃除etc…とやらの家庭の切り盛りを行ってくれているところは変わらない。
こういう夫婦を見ていると、あんたらどうして結婚したんですか?今の生活に満足してるんですか?どうしてこんないやーな空気を打破しようとしない? そんな疑問が心の底からふつふつと沸騰水の如く湧きあがる。
おそらく自分の両親が離婚などを決めない理由は、子どもがいることが一つあったのだと思う。
俺としては、両親は仕方がないから子の教育等のための金を出してもらってるという気分になってて、でも親としては早く離婚やら別居して自由にライフを送りたいっていう気持ちもあるんだろうとか思う、今現在に至るまで耐えているこの訳の分からない生活は何のために存在してるんだろうか?
両親としては互いに離れたいのに、仕方ないから大学卒業するまで金出してもらってる感が否めない。そういうところが自分にとっては生かされてるような気がしてならない。
まあ「世の中広いし、そういう人間もいるんだなあ」「こういう環境が珍しいわけではない」みたいに考えてスルーしてたけど、改めて考えるとやっぱりイライラする。
高校生だった頃にクラスメイトが家族でライブに行ったなどという話を聞かされると、表面上はにこにこするけどやっぱり悲しい。
自分は家庭環境のために浪人したと書いた。今住んでるところから離れて暮らしたいのでね。
が、浪人して離れたところに一人暮らしをし、大学に通うなんてことをしたら親には相当な金銭的負担を与えることになる。
これが”金出してもらってる感”からの”生かされてる感”に繋がってくるわけで、これでいいのかなあと思う事が最近受験を間近にしてしばしば出てくる。
親からは早く独立して自力で稼げるようになりたいなあ。親からの助け合いに乞うことはあまりしたくない。
これも時間が解決してくれるんだろうか。
とりあえずあと3か月間勉強頑張ろう。
勧められて読んだ本が糞だったので、バズワードで褒めてる奴を前に糞味噌にけなすと大抵「人それぞれですよね」とニコニコされる。
こっちはこういう本が増えること・売れること・売れ続けることによるジャンルのクソ化を鑑みて
その存在を許せないほどはらわたが煮えくり返っているのにあっちはニコニコしてる。
んで詳しく聞いてみると
「確かにつまらない点は多いけどネットで本は褒めるのが普通じゃないですか」
「読書メーターの○○さん(知らん)も褒めてたし文句つけるなんて出来ない」
ごっちゃになっているようだけれど、以下の2つは分けなければいけない。
・原発問題の解決を目的として、天皇陛下に手紙を渡したことの評価
「天皇陛下に手紙を渡したこと」は、失礼とかマナー違反とか言う意見はいろいろあるかもしれないけれど、少なくともおおっぴらに批判できるようなことではない。なぜなら、日本国憲法下で、天皇に手紙を送ってはいけないという結論は導き出されないから。むしろ、この行為に対して懲罰を与えてしまうと、日本国憲法の矛盾や、天皇制の矛盾とかそんな話をあぶりだすことになってしまう。右翼的な思考の人たちは、「そんな失礼なことをする人間は国会議員の資格なし」と言いたいところだろうが、「アホだな」ということでスルーするのが良い。というか、現状の天皇制の維持を前提に考えるなら、それ以外に選択肢はないはずだ。
一方、「原発問題の解決を目的として、天皇陛下に手紙を渡したこと」については、意味がないとか、天皇の政治的立場に対する配慮がないという批判も成り立つだろう。そこら辺の見識のなさについては批判されるのは当然かと思う。ただ、これを「政治利用」というのはちょっと違うのではないか。なぜなら、「利用」というのであれば、利用する側にもそれなりの権力、あるいは実行力を伴うことが必要であって、単に手紙を渡したことを政治利用というのは難しい。言えるのはせいぜい、「政治利用の意図が込められている」くらいだろう。
むしろ、具体的な政策は立法や行政の役割だと認識した上で、それを超える超越的な力を天皇に求めていたとしたら、それは「政治利用」だろうか?実質的な意味を持たない「利用」であれば、それは批判されるべき「政治利用」ではなく、むしろ、「思想・信条の自由」の範囲ではないかという見方さえできる。政治利用という批判は、、「天皇には実質的な力などないと割りきった上で、政治に利用する」自民党の政治家たちに向けられるべきで、山本太郎に向けられる言葉ではないだろう
こうして「超越的な力を天皇に求めているように見受けられること」は、自分が山本太郎の行動に同意できない最大の理由でもある。有権者と、政治家という関係で言ったら全く支持できない。しかし、それは同時に、山本太郎の行動は、政治家が個人的に靖国神社に参拝することが「思想・信条の自由」として肯定されるべきであると思うのと同じ意味で、肯定されて良いということを意味している。ここで「肯定されて良い」というのは、あくまで懲罰の対象とするべき問題ではないし、無条件に袋叩きにされるような性質のものではないという意味においての「肯定」だ。「俺はお前の言うことに同意できないが、俺はお前がその発言をする権利を命がけで守る」のと同じ意味での「肯定」と言ったら分かりやすいだろうか。
山本太郎の行動が、いろんなところで批判されていること自体はもっともだし、もっとやれば良いと思う。ただ、批判の方法を間違えないように。「天皇に手紙を渡すなんて失礼」という人間と、山本太郎と、どちらが、天皇の偉大な力を信じているか・・・、そんな非生産的な議論に首を突っ込むのはゴメンだ。
遠隔地にいる人と連絡する、入力した文字列をコピペできるように配慮する以外の目的でメールを使いすぎる人は困る。
目の前にいるにもかかわらずメールを出して黙っているとか、あとで私連絡しましたよねというだけのためにメールを使う人はコミュニケーション障害だの可能性がある。
仕事の進行を覚えれないなからメールに記録するのは、能力を補うために仕方ないと思うが、同じ部屋にいる人には、一声かけたほうがいいと思う。
指示出しているようで指示していない。プロ野球の監督が同じベンチにいる選手にメールで指示出していたらおかしいだろ。そんな感じ。
メールを貯めすぎて、大きさが2GB越えて新しいPCに移せないとかやめてほしい。
チームで仕事しているのに退職者が出たら、そいつのメールは誰も引き継がずに初期化してしまうのだから、必要以上にメールを貯めている意味がないと思う。
そこまでサイバーに仕事をすることないだろうと思うのは、価値観の違いなんだろうか。
社外の人相手でもメールで済ます人もいれば、わざわざ電話する人もいる。
今でもあえて礼状を手紙を送る人もいる。メールの時代に手紙は目立つからね。
あと、メールのスピードが不要な人たちもいる。すぐに返事がほしいのは出した側の都合でしかない。すぐに返事がほしかったら電話を併用したほうがいい。
60過ぎたひとたちにメールやネットを教えて、10年経ってみんな70過ぎてしまった。
使う人は使っているし、使わない人はつかわない。携帯電話すら持っていない人もいる。
最近は、急に倒れたときに困るから、病院や介護の人が携帯電話を持ってと頼むみたいだ。
携帯電話を持てば、ショートメッセージが使えるからメールユーザーになるので、メールが届かない人は、携帯持っていない人くらいなんだろうな。
ネットでもメールでも連絡がつかない人のほうが希少な価値のある人になりつつあると時代に突入した。ネットにいないすごい人は簡単にたどりつけないんだよな。
お風呂で良さげなことを思いつくんやけど、上がった時には忘れてる事が多い。
アルキメデスのごとく風呂を飛び出す以外に、なにか良い方法はない?
まあ普通
もっと21世紀らしく、GoogleとかAppleのWebサービスに同期したい
怖い
俺も今伝統芸能みたいなジャンルにかかわる仕事をしていて、80前後の年配の方とよく連絡とるんだけど同じような局面に遭遇するわ。
電話で何回も確認したり、丁寧に手紙を書いたり。みんなお爺さんお婆さんだから、連絡手段抜きにしても何度も確認したくなってしまう。
で、最近逆にそれが面白くなってしまって、普段メールでやりとるするような相手にも、例えば仕事が一段落したりしたときに手紙を送ってみたりしているわ。
好きになったなら仕方ないんじゃない?
お前のは対案にも何もなってねーよ。お前は自身は、じゃあ74になったら大人しく収容される準備すんのか?77になったら大人しく殺される準備すんのか? 大人しく死ねるのか?
誰もそれができねーから、この状況なんだろうが。
その点、タバコっつーのは良くできてたわ。悪影響出るまで大体30年以上かかるって、要するに、現役世代終わり頃から体がぶっ壊れるようにできてんだよな。でもって、「体に悪い」と分かってても、麻薬だから誰も止めないもんな。ホント。癌治療が進歩して、生存率が向上したり治療費が高騰したりしなけりゃ、未だにタバコは世に溢れてただろうにな。