あのー、旧ソ連の崩壊は、別にフェミニズムがどうこうではなく、単純に計画経済が行き詰っただけでは……
実際、フランスにしろ北欧諸国にしろ、別に女性が社会進出したせいで、社会が崩壊なんかしてませんし。
離婚率は上がりますが、これはむしろ両親が喧嘩し続ける不幸な家庭が減ったとみるべきでしょう。
両親がぎすぎすしているのに、無理やり維持されている家庭で育つのは、あまり子供にとっても幸せではないでしょう。
あと、肌の密着は別に父親がやっても他の他人がやってもできる、それでいて重要で大切なことでしょう。
大事に抱きかかえて、哺乳瓶からお乳を飲ませるのも、赤ちゃんにとって大切なことです。
何も絶対に母でなければならないという理由はありません。
というか、お乳が上手く出ないせいで、哺乳瓶育ちでまともに育った人がごまんといる中で、何が何でも母乳という圧力は、かえって親にも、ひいては子供にも良い影響を与えないでしょう。
また、何度も書きますが、仕事に向いていて育児に向かない人に無理やり育児だけさせるのを問題視しています。
そういう人は職場から受けるストレスより、育児から受けるストレスの方が多いでしょう。
無論父親でも同じですが、それこそ女性でなければならない理由がないからこそ、同じだといえます。
重要なのは、育児に向いた人が、育児を行うという環境でしょう。
保育所育ちで立派に育つ人が多い中、保母さん保父さんの存在を否定するのはどうかと。
乳幼児期だけは、専門的に一対一くらいで見られるよう、お金をかけた育児が必要かもしれませんが、それ以降は現在の保育所のな形式で充分ですし、現実的に可能かと思います。
いやまあ、それは確かにあるけど、半年ずっとってわけじゃなく、これも一ヶ月くらいかそこらだろう。合わせても二ヶ月調子が悪いくらいのレベルだ。
それくらいの休養で、業務に差し障りが出て、二度と職場に復帰できない、キャリアも断絶、というのがおかしいという話で。
まぁ根本的に数ヶ月まとまった休みを取っただけで、二度と職場に追いつけない扱いするのが色々な意味でおかしいわな。
http://www.niph.go.jp/wadai/mhlw/1992/h040452.pdf
逆に言えば他の死因が減少したためSIDSに注目が集まったともいえそうです。
またリスクというのは、常にある一つのものだけを見続けていればいいというものではありません。
子供を育てるために、母親が二度と就業できなくなり、貧困に陥れば、これは結局は別のリスクを呼び込みます。
どちらのリスクを重視するかという話ですが、そもそも第三の選択肢として
「1年休業したとしても、父母が職場復帰できるように企業もしくは国が負担する」という選択肢もありますし、これが最良でしょう。
そんなものに金をかけられない!! というのであれば、要するに乳幼児の死亡率低下に国も企業も金をかけたくないということであり、これはこれでまた一つの選択といえます。
つわりの問題もあるよ。
酷い場合、水も飲めなくなる(この場合、入院して点滴で水分を補給する)
あと、つわりの時は気分が悪くなるし、通常のパフォーマンスが出ないケースもある。
乳幼児の死因としては乳幼児突然死症候群(SIDS)は第3位だそうですよ。
あなたがリスクを飲めば私は別に構いません。リスクとのトレードオフです。
『母乳抜きで見ても』という事ですが、そういうデータってあります?
・仰向けねで寝かせる、
・母乳で育てる、
「最近の乳幼児死亡率が下がっている」からといって「母乳で育てる効果を無視してよい」という訳ではないと思います。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/sids.html
旭川の薬剤師道場(ブログ) やっぱり母乳育児で乳幼児突然死症候群が減るらしい
http://chuopharm.dtiblog.com/blog-entry-266.html
SIDSの死亡のうち約6割が生後2~5ヶ月の間で、6ヶ月までに73%に達することを考えると、
日本の厚生労働省では明確な期間を表記していなかった気がしますが、
以前紹介した記事にある英国の他のメリットも考えた上での最低6ヶ月間という目標もこの結果をある程度カバーできることになります。
育児ストレスは減っても、職場でその分ストレスを受ければ、トータルとしたストレスの量は変わらない
今よりもはるかに社会進出が進んだら、職場でのストレスをぶつける母親なんていうのも出てくるかもしれないね
あと、母乳を与えない分をほかで補えばいいと言っていたが、乳児の時期に必要なのは母親との肌の密着
これが欠けると、望ましい人間に成長しない
働けばその分、乳児と接することのできる時間が短くなるわけだが、そこら辺のところはどうするの?
父親にやらせたところで女性と同じ問題が発生するのは目に見えてるんだが
そんなのどう考えたって無理でしょ
無理なのを無理やり推し進めたって旧ソ連のように失敗するだけだよ
旧ソ連ではフェミニズムに基づき子育ての社会化を推し進めた結果、母親とのスキンシップや家族のぬくもりが大幅に薄くなってしまった
えーっと、報いを感じる学習って言うのは、「○○をしたおかげで、いいことがあった」ですよね。
「家庭ではなく仕事でがんばった」→「いいことがあった」が、就業に対して報われたという学習です。
提示していただいたデータだと、単純に幸福感があるかどうかであって、
「就業した」→「いいことがあった」という学習をしたというデータではないように見受けられるのですが……。
「家庭に入った」→「幸せになった」は就業を促す学習体験ではないでしょうし、実際の就業率を考えるとむしろこっちのほうを学習しているように思います。
無論、家庭に入って幸せになるのも、何も問題ありません。
ただ家庭に入ったほうが人間は幸せになるのなら、むしろその幸せから男性が隔離されているのも問題となるでしょう。
また確かに現時点の可処分所得は、未婚の段階では同じですが、逆に言えば結婚してしまうと女性が低下してしまう現実も表しています。
結婚すると子育てや家事の負担が女性にのみかかり、また周囲もあいつは結婚した女だからもう仕事はそんなに任せられないという目で見られるなど、様々な弊害をこうむって、所得に差が出ると考えれば、結婚しないか、さもなくば上昇婚を狙うという選択しかありません。
ただ不況の現在、単独での上昇も難しく、未来を切り開く選択肢が上昇婚しかないと考えるのは、不自然ではないかと。
「家事を分担して共稼ぎならいいけど、俺が専業で家事をするのは嫌だ。お前は埃が積もってるとうるさいし。寝具を干せだの、服にアイロンかけろだの、どうでもいいことをやらせようとする。そんな生活は出来ない」そうだ。
これは男女逆にしてもそうかな、と思うよ。私は男性だけど。うるさく言われると、やる気なくしますよね。
という訳で嫁がしてる家事を褒めまくってる。
「ありがとう嫁さん!ご飯、鳥肌が立つくらい上手いよ!っていうか立ってるよ」
「いや嫁さんって綺麗好きだよね。。。自分なんて掃除、1年に一回、友達が遊びにくる時くらいだったよ」とか
「今日、布団ふかふかですね?」とか言って褒め称えてる、
(吉本の養成学校(NSC)29期生への特別講義から。2008年収録。)
才能はわかりやすくいうと5段階、通知表みたいにあると思うんです。
でも努力も5段階ある。
才能5、努力5の人間がいたら5×5の25で最高点の結果がでる。
売れるか売れないかなんてわからへん、ほとんど売れへんねんから。
でも10年経って、20年経って子供ができて、
「昔NSCおってん、でもな、おれ完璧にやってん、ベストをつくしてん、
才能なかったわ」
って言えたら、次へ進めんねんな。
才能は俺たちが得たんちゃうねん、親が与えて神様が与えたもんや。
でもがんばれる「5」を覚えるやろ、ほんならこの世界でダメでも絶対成功するねん。
なんでか。
また違うもん見つけたとき「5」かければいい。
またダメやったら、また新しいことに「5」かければいい。
そういうことを俺は若い頃からみんなに言い続けてるねん。
だからここにいる99%の人が結果には満足せーへんことになる。
それぐらいやらなあかんねん。
端的に言えば、近年の日本で女性は、労働して、報われるという経験を得ていないのです。
景気が良いときでさえ、男性に比べて大して報われていない経験を、日本の女性は体験し、学習しているわけです。スウェーデン等とは違い。
いえ、酬われていますよ。
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/senkoudo/h21/21senkou_02.pdf
普通に女性のほうが幸せですよ。まぁ自殺件数を見てもわかるが。
あなたが思うほどに日本人女性は不幸だとは思っていないのです。 少なくとも男性よりはね。
それと何度か書いていますが、未婚男女の可処分所得はほぼ同レベルに達しています。
にもかかわらず、様々な統計、アンケートでは女性の上昇婚志向の傾向が見られます。 この点に関してはどう思いますか?
これも社会が悪いんでしょうか。
他の番組のレベルが低すぎて他に見るものがなかっただけだと思う。
前シーズン、「マルモのおきて」を見てた層と「仁」を見てた層がこぞってミタに走った。
それだけじゃないかな。
週に一本くらいはドラマを見たいなって考える人たちはまだまだたくさんいて、その人たちが見るドラマがミタしかなかったと。
2ちゃんで偶然見かけた「床上手な処女」という言い回しからひらめいた。
つまり企業が求める「即戦力になる新卒」というのは「床上手な処女」であると、
高校・大学の時点での進路選択の時点から性差があって、それが原因で労働状況にも性差がでているという要因もあるわけだし。
言いたいことはわかるけど。
本人達が、叩かれてもいいから、放置しておくほうが吉。と判断した分野に対して外野が出来ることは、叩くことぐらいだから
もう、それで良い気がする。なんで、このスレ伸びてんの?
アルバイトでもいいから何らかの仕事をさせてあげた方が、お互いのためという気がする。
単発アルバイトだと、出荷物の振り分けとか、男女問わないのがそこそこあったと思う。
彼氏がどうしても家事がしたくないなら、まぁそれしかないというか。
多少掃除をしなくても死にはしないし……。家のことはおいておきがちになるのは覚悟の上で。
彼氏としては、家が散らかっていることに、特に問題はないみたいだし、散らかりっぱなしでもいいというなら、これくらいしか道は思いつかないかと。
彼は東京で自営していたが、昨今の不況と持病の悪化で撤退をよぎなくされ、今、実家に身を寄せている。お父さんの年金にすがって、二人で暮らしている。
実家のほうで仕事を探しているのだが、今までの仕事のコネが使えない上、持病のため時々突発的に休む羽目になるというところがネックで見つからない。もちろん、年齢的に仕事を回してくれるような友人一人いない、という状態なのは、本人の社交性のなさを表していると思う。
私は現在年収が300万円ある。多くはないが、2人で慎ましく暮らしていくのなら問題ない。持ち家がある。
それで「家事をやってくれるんなら、おこずかいは回すから、それで2人で暮らさないか?」と何度も言っているのだけれど、断られている。
いわく「家事を分担して共稼ぎならいいけど、俺が専業で家事をするのは嫌だ。お前は埃が積もってるとうるさいし。寝具を干せだの、服にアイロンかけろだの、どうでもいいことをやらせようとする。そんな生活は出来ない」そうだ。
いや、彼氏に仕事があるならいいよ。でも、無いんだよ。とりあえず、単発の仕事でもしたらと言えば、女にはあるだろうが、男にそういう仕事はないんだという。ホント?
当たり前ですが、勤労意識というのは
「しっかりしろーー、覚悟が足らんーーー、働こうとしないお前が悪いーー」
であがるものではありません。
経済の売り買いというのは、基本的に「これをしたことで、儲かるだろう、状況が良くなるだろう」という「期待」によって支えられています。
端的に言えば、近年の日本で女性は、労働して、報われるという経験を得ていないのです。
景気が良いときでさえ、男性に比べて大して報われていない経験を、日本の女性は体験し、学習しているわけです。スウェーデン等とは違い。
これをすれば、よりよい結果が得られるという学習に基づいて、行動は発生します。
不景気で職がない男性に「ニートなのはお前の心がけが悪い。おまえ自身の問題だ」と言ったところで、なにも解決しません。
そもそも職がない、あっても搾取されきったブラックなものしかないのが根本の原因で、ニート化している人は、それをたっぷりと学習してきたからです。
そもそも「○○自身の心の問題」で社会現象を解決できたためしはまずありません。
構造やシステムを変えて、初めて人々の心の方がついてくるのです。
教育勅諭で心意気を学び、「ほしがりません勝つまでは」と唱えて育った人々が戦争に負け、飢えで今とは比べ物にならないほどの強盗・殺人に走っていました。
「○○の心構えが悪い」は、社会問題の原因ではなく結果です。
国の経済状況で心が変化するのは、日本人女性に限らず、全ての人間に当てはまることです。
であるがゆえに、まずはシステムを変えて、状況を変えていかないと、と考えているわけです。
勤労することで報われる学習を社会の女性全体が体感すれば、勤労意欲はそこで初めて発生するからです。
というか、DNAで勤労意欲の変化が起こるわけでもないのに、スウェーデン人と日本人との間で勤労意欲に差があるということは、後天的学習した内容に差があるのはほぼ間違いないでしょう。
それを、社会変化のせいで勤労意欲が下がるのはおかしいといわれても、どうなんだと。
むしろ、社会的に積み重ねてきた歴史が違うもの同士比べたから、結果が違うのであって、社会的にまねるべき部分はむしろ大いにあることの証左だと思います。
が、それが危険だといわれると、もう「女性の心意気が悪いんだ」という何の解決にもならない話にしかたどり着かないと思いのですが。
↓これはそう。
水は低きに流れる。 逃げ道があるのであれば、そちらに流れる、という状況ですね。
そういった観点では私も今の女性の行動は心情的には理解できます。
また、そういう事もあるので夫に年収を求める上昇婚志向が止まりません。
低いのは、国の経済状態で勤労意欲が変化してしまうような女性に問題があると思います。
もし本当に女性の勤労意欲が高い国であれば、高学歴女性の専業主婦志向や管理職志向の減少なんて起きないでしょう?
前にも書きましたが、この状態を『女性に問題がある』とするか、
あるいは『そういった背景を元に労働市場をデザインすべきなのか?』という議論がされるべきだと思うのですが、今はされませんよね?