はてなキーワード: 鉄道模型とは
と言うと一部の人が「自己中心的」と罵り始めるが、自己中心的なのは本来当たり前です。
なぜなら、その人が「自己中心的と言っている理由」が、「自分(その人)の考えを基にした『自己中心的』思想」だからです。
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「嫁夫が一番大事」
「子供」
「親」
「親友」
ほとんどの人は(一番)大切な人がいる、あるいは大切なものがあると思います。
しかし、その「1番」はあくまでも「自分を除いた1番」であって、本質は「自分が1番で、お前が2番」。
理由なんて簡単で、 自分を大切にできない奴が自分以外を大切にできる訳がありません。
「0番の自分」がいなければ、「1番」どころか「2番」も大切にできないと思いませんか?
「自称・(自分を犠牲にして)相手に尽くすタイプ」って一定数いると思いますが、
尽くした相手が犠牲になったお前がを心配していたら、それは尽くせてないのではないでしょうか。
「僕私はこんなにあなたに尽くしたのに!〇〇〇うんぬんかんぬん!!」
考え直せ。
「私は違う」?わかりました。(諦観)
私違さんはさておき、どうやって自分を大事にするかというところですが、
一言でいえば、「2番目ごときに大きく左右されないこと」です。
「2番目」の人が「連れてって!〇〇〇に行きたい!」と言ってきます。
行く目的を伝えて、「2番目」が、「そっちは興味ない(嫌い)のでイヤ」と言って、本来の目的を達成できなくなりそうな時です。
「2番目」を切り捨てます。
「2番目」を連れて行くのは2回目でもいいからです。
ただ、お前という1番目が「「「無理をしない程度」」」に折衷案を作れるなら、それがベストです。2回目に聖地巡りをするとか。
譲れないなら、容赦なく「2番目」を捨ててください。この例で言うと、目的がイベント期間中であるなど、折衷案が難しい時などです。
この「無理をしない程度」というのが重要で、無理して「2番目」ごときに合わせようと「1番目」を押さえつけると、長期的にはストレスやら何やらですべてが壊れます。
最悪、お前の命が壊れます。
切り捨てるという表現をしていますが、当然「2番目」に大切な存在なので、丁寧にやんわりと断ってくださいね。
どんなに大切であっても、お前という「1番目」が生きている限り、そいつは「2番目」にすぎません。
趣味嗜好に関する話だと、この辺りを覚えている人が多いのではないでしょうか。
最後に繰り返しますが、どんなに大切な人や物があっても、それを大切にする「1番目」が心身ともに健康で余裕がなければ、大切にすることはできません。
自身のやりたいこと、好きなこと、それらが「2番目」に阻害されそうになった時、
先に捨てるのは「2番目」です。
自分の周囲のクラシックファン、ジャズファンは何故にあんなにCD買うのだろう。奥様の堪忍袋が尾がよく切れないものだと思い、つくづくよくできた奥様だと変な方向に感心してしまう。
俺は少年のころから相当コアな音楽ファンであることは彼に引けを取らず、90年代は彼らと同じくらいCDを大量に買っていたんだが、21世紀になってAppleがiTunesを出したときに音源をすべてハードディスクに取り込んで、ディスクは全部リサイクルショップに売ってしまった。
ハードディスクは二重化してそのための費用も結構かかったのだが、2010年代になってSpotifyの日本上陸とともにそれらのハードディスクも廃棄。
音楽にかける予算は年間12000円。配信バンザイ!と思っているのだが、周囲の友人たちにはそういう話はできず、いつもモヤモヤを抱えている。
目的と手段が逆転することを趣味というのだそうだが、彼らは明らかに音楽ファンというよりはむしろ鉄道模型マニアに近い人種なのだと思う。
それが証拠に。
・彼らがSNSにアップする写真は、CDと高級アナログオーディオと膨大な書籍(ミシェル・フーコーとかウィトゲンシュタインとか本当に読んでいるのか?)に囲まれたマイルーム。あんなにモノにあふれて狭かったらオーディオもいい音で鳴るまい。
・通販で届いたCDボックスを発送箱の開封すらしていないことを自慢している。彼らのCDコレクションの半分近くは一度も聴いていないのだと思う。
男女の違いを解説したとある本に、「男は役に立たないものを集める。女はまだ使えるものを捨てられない」とあって、彼らの集めているCDは観賞用(音楽鑑賞ではなく飾って眺めるための鑑賞)なのだろう。
障害者手帳が発行されるほどの病気で先が長くない(1か月以内に頓死しそう)ので、これらの品を生前整理(か遺品整理)で世話になった知人に頼んでヤフオクに出品する予定。
100円未満で設定しておいて価格吊り上げようと考えているけど実際どうなんだろうか。
出品の手間も考え儲けは世話になった知人にある程度寄贈する予定(遺族にも残すようには伝えます)。
院生やシンクタンク勤務の頃研究で使っていた専門書(主に社会科学系)とかもあるけどヤフオクじゃ売れないからパス。
職務領域に関連する専門書はかつて勤めていたシンクタンクに寄贈する予定。
服は…うんちやおしっこがべっとりついたパンツとか売れないでしょ。スカトロマニアもマイノリティだし、カストロの支持者より圧倒的に少なそう。
生まれてからこれまでずっと一人っ子なので、遊ぶ時には一人が基本
究極的には他人と遊ぶのは「付き合い」で遊びじゃないと感じている
あと、テレビでやってた危機一髪大事故シーンみたいなのを再現するやつね
いまならyoutubeで事故映像なんて好きなだけ見られるけど、当時は「世界まる見え」とかでやってる衝撃映像を食い入るように見てた
そうめんとかお中元でもらった箱ををうらっ返してジオラマ?見たいのを作るのが好きだった
交差点とか滑走路とか道路のペイントをマジックで書くの楽しかった
飛行機が着陸すると見せかけて横転とかね
本当に誰にも邪魔されない自分だけの世界が本当に楽しかったし最高の時間だった
だんだん大きくなるにつれて図鑑とか本が好きになって、父がパソコンを家に持ち込むと模型遊びしなくなったけな
最近、3DCGがいろいろ遊べると聞いたので手を出してみたら面白い
コンピュータの中に箱庭を作れるのがいいな
これって一人っ子の独り遊びだな
今はミニカーじゃなくて美少女キャラをいじくりまして遊んでるけど
団地の押し入れにファンタジーのキャラが腰かけてるのシュールで面白い
子供のときはストーリーを作るのが苦手だったけどいまはそれも楽しい
これは当分遊べそう
イギリスで25年以上かけられた鉄道模型が徹底的に破壊、犯人に極刑を求める声「釈放されていいわけねぇ」「銃殺刑にすべき」「死刑でも生ぬるい」「シベリア送りの拷問も相応しい」 - Togetter https://togetter.com/li/1357802
くわしいことは忘れたし、探すほどのものではないので、軽く概要だけ、さもなくば全創作ということでもいいよ。
広く浅く多趣味と自負する増田が友達がずっとソシャゲをやっていることに「まだやってるの?好きだね」といったらすごく険悪なムードになった。これって私が悪いの?という増田。ちょっとバズりましたよね。
あれみて思ったけど、広く浅く多趣味を自認する人種って、その実、なにも熱中してない、入り込めていないんだよな。だからこそ、なにかひとつの道を極めるために猛烈な集中力や執着を持つことができない。
だから、反動で、それをしてるひとに対して「まだやってるの?好きだね」と思う。それはそれで率直な感想だろうが、これ、実のところ、ちょっと羨ましいのではなかろうかと思うのだ。
なにごとにおいても夢中に一途に追い求められる人種にたいしてないものねだりというか隣の芝生は青いじゃないが羨ましいや嫉妬という気持ちが芽生える。
それを自覚してるひともいるかもしれないし、無自覚なひともいるかもしれなしい、本当になんとも思っていないのかもしれない。
でもそう思ってみると多趣味ってその実ただ「浅い」だけではあるなと。各分野で極めてる多趣味なひともそりゃあいるかもしれない。ただ希少も希少だろう。多数は本当に入り口にとどまったもの、1回2回サークルに顔を出しただけというのもあるだろう。
それが悪いってこともない。
浅いだとか極めることが絶対的に上位なわけでもない。
上にコレクションについての話がありましたけど
鉄道模型でしたけど
かなり古い模型がまさに大量(線路も敷いてて一部屋使っていた)という感じでした
結婚2年目ぐらいから「こんなにあるんだから売り払ってよ」と夫に言い続けたのですが
留守中に業者を呼んで引き取ってもらえるものは引き取ってもらいました
帰ってきた夫は「売り払ったお金は好きにしていい」「今まで迷惑かけててごめん」と謝ってくれました
でもその後夫は蔵書をはじめ自分のもの全てを捨て始めてしまいました
会社で着るスーツとワイシャツや下着以外は服すらまともに持たなくなり
今では夫のものは全部含めても衣装ケース二つに納まるだけになってしまって
あまりにも行きすぎていて心配になり色々なものを買っていいと言うのですが
かえって私が苦しくなってしまいました
これだけ夫のものがないと夫がふらっといなくなってしまいそうですごく恐いのです
こういう場合ってどうしたらいいんでしょう
これ?
狭い家で奥さんは自室がないのに夫だけ自室作って模型で占領して
そもそも夫だけ自室ありとか、
少なくともあのコピペの中で明示されているのは、
その部屋が元から夫用の部屋だったか否か、妻の部屋はあるか否かについては全く言及されていない。
にもかかわらず、この増田は例のコピペでは「妻の部屋はない」ことを事実として
こうやって歴史は歪められるのだ。
スペックの欄に書いた通りうつ病を患っている。そのため仕事ができない。
原子力関係のシンクタンクで働いていたところ、ある日ストレスの多さから突然自殺未遂をし、以降休職している。
しかし先日、精神障害があるのでこれ以上雇えませんという宣告を勤務先から受けた。
ハローワークに行って障害者枠で仕事を探そうとしたが、「主治医から『仕事ができる』と言われないと仕事探しは出来ない」と門前払いされた。
大学の非常勤講師にでもなるかと思ってJrec-INを見てみても、能力的な面や専攻的な面、そもそも業績を上げていない(零細学会で一回発表しただけ)より、自分が出来そうな講師職はなかった。
理系の研究職ならまだあるだろうが、文系で「若者の『地元意識』を数理統計的アプローチから明らかにする」という謎研究を修士課程でしていた身としては、研究を生かせる職があるとは思えない。
SPSS(重回帰分析・二項ロジスティック解析)とかEXCEL太閤、KH CODERなら何とか使えるが、それらが使えても何の足しにもならない。
プログラミングや数学(高校時代文系クラスだったため数ⅢCは受けていない)、英語が出来ないため、プログラマーとして働くこともできない。
実家に帰って仕事を探すにしても、実家は熊本の山奥である。一件だけ工場のライン工があったが、体力がないので長続きはしないだろう。土木作業員や警備員も同様の理由から候補から外れる。
普通免許も持っていないため、できる仕事も限られてくる。外回りの営業職はまず無理だろう。
そもそもコミュニケーション能力が皆無だと医者から言われたため、高度なコミュニケーションや感情労働を要する仕事(コンビニやファミレス、居酒屋の店員、営業職)も向かないだろう。
結果できる仕事もほとんどないことになる。フリーターすら無理である。バイトすらできないなら詰みである。
しかし家賃(6万7000円)を払うのもやっとで、生活できるとは思えない。
親に金を無心するにしても、実家もお金がほとんどないとのことなので、お金を無心することは出来ない。
社会保障の緊縮化が叫ばれる中、生活保護を受給するのも難しいだろう。
貯金も尽きそうになる中、お金がないのは致命的である。東京の自宅を引き払って実家に戻るにした場合、恐らく二度と東京には戻れず、実家に軟禁され続けることだろう。
その場合仕事もないし一生ニートになるしかないが、その場合貧乏な実家にさらに迷惑をかけてしまうことになる。
宝くじ一等当たれば話は別だが、そうでないなら人生詰みである。
コミュニケーション能力がないためコンビニバイトすら務まらないということは先述したが、コミュニケーション能力の欠如は友達がいないという形でも顕在化する。
友達がいなければ自身が抱える孤独とかを吐き出せる相手もいないということになる。また、友達がいないことは社会から孤立していることを表している。
社会から孤立している人が人的資源を使って今の窮状から脱することは出来ない。詰みである。
大学時代、オタクコンテンツの消費者のインサイトを探るための参与観察の一環として漫画研究会に所属していた。そこで友人関係を築いておけばよかったと後悔することしきりである。
うつ病をり患しているという事情も勘案せねばならないが、それを差し引いても日々の生活の楽しみがまるでない。
戦隊モノや仮面ライダー、ウルトラマン、一部の深夜アニメ(日常系)が好きだったのだが、最近そういうのを見ても面白さとかを感じることはなくなった。ゲームも同様である。
成城石井に行くために秋葉原に行くことが結構あるのだが、そこでアニメや漫画、ラノベ、ゲームを楽しんでいる人を見ると嫉妬で頭がおかしくなりそうになる。
そのほかに楽しみがあればいいのだが、それもない。大学学部生の頃までは鉄道模型とかトンネル巡りとかしていたのだが、お金がないせいでそういった趣味にももはや手を出せない。
楽しみがなく生ける屍になっている。楽しみがなければ生きる希望もない。生きる希望がないことは人生詰みである。
自殺すれば楽になるとは思っている。他人に迷惑をかけ続けている以上、けじめとして自殺しなければならない思っている。しかし自殺すらできない状況である。
先日も神奈川県のダムで自殺未遂をして警察に保護され、父親が迎えに来たが、熊本から神奈川まで往復数万円かかった。そういった経済的支出が出来るほどの余裕は実家にはない。
今度自殺未遂したら一生実家に軟禁するぞと両親から言われた。実家に軟禁されれば仕事することも、金を稼ぐことも、鉄道模型やトンネル巡りもできなくなる。
実家の通信回線は貧弱なので、アニメや特撮をインターネットで見ることもできない。
つまり、今度自殺未遂をしたら仕事もお金も友達も楽しみもすべて親により永遠に奪われることになる。それだけは何としても避けたい。
今年末にスピリタスを一気飲みして自殺しようかと考えていたが、それもかなわぬ夢となりそうだ。
家族や周辺の人々に不幸をまき散らしている自分がいてよい道理などない。詰んでいる人生から離脱することすらできない。これを地獄と言わずに何と言おうか。
実家に戻ったら二度と東京には戻れないし、働けるような職もない。つまり一生ニートでいることが確定である。何としてもそれは避けたい。
だからと言って東京にい続けるにしてもランニングコストがかかりすぎて、お金を費消することになる。お金が無くなれば生活できなくなり詰みである。
次自殺するような真似をすれば実家に一生軟禁確定である。だからと言って無駄に生をむさぼっていても詰んだ状況から脱出する術は一向に見いだせない。
結局自分の人生は詰んでしまったのだ。自殺できないので、来世に期待すらできない。
クソみたいな人生なので皆さん嗤ってください。