はてなキーワード: 君が代とは
あれは単に「公務員が仕事サボってる」ってだけだから。正当な理由もなく仕事サボればペナルティ課されるのは当然の話なわけ。
起立命令自体が正当な職務命令で、さらに思想信条の自由の侵害にも該当しないという事は、過去両手両足の指じゃ数え切れない程度には判決が出てるわけで。
とは言っても容認されるのはせいぜいが訓告処分だから、教師側はぶっちゃけ痛くもかゆくもないんだけどね。
ナイーブに考えて、下品で息苦しいのである。
逆に質問なんだけど、じゃあ「上品な政治家」って実在の人で言えば誰?その人は政治家としてどんな実績をあげた?
橋下が批判に対して幼稚な反応するのは、そもそもその批判自体が幼稚だからだよ。
「バカ」と言われたら「何だとこのバカ!」と言い返すのが橋下のスタンス。もちろん、橋下も言い返す相手は慎重に選んでるけどね。
僕はとりたてて左でも右でもないと思うが、個人的に橋下徹氏のやり方には強い違和感を感じる。君が代を歌わない教員を罰する、などといったタカ派的な行動(http://goo.gl/fdA8f DailyMotion: これで彼自身恥ずかしそうにしてちゃんと歌っていないというのは置いておいて...)やテレビタレント時代の核武装とか中国売春ツアーODA発言とか弁護士懲戒請求の扇動とか、そういう極端な言動への違和感が第一にある。ナイーブに考えて、下品で息苦しいのである。
だが、僕が結構ファンである佐々木俊尚氏(http://twitter.com/sasakitoshinao)や夏野剛氏(http://twitter.com/tnatsu)など、わりとリベラルで先見的と思われる人たちが橋下徹氏に好意的な評価をTwitterでしているのを見て、どうしたものだろうか、としばし考えた。
たとえば佐々木氏は、橋下氏の実行力を評価し、橋下氏の批判者が感情的な批判しかできていない、ということを指摘していた。たしかに、行革や財政再建を目指す政策は私も賛成である。また、部落問題や暴力団のような複雑な問題も、彼くらいの突破力がないと解決できないだろう(私が橋下氏に一番期待しているのは、そのような問題の解決においてである)。ただ一般に彼のやり方は、敵を作り、スケープゴートを作ることで住民の溜飲を下げさせていることで勢いを維持しているように見えてしまい、その手法に狡さ・醜さを感じるのである。さらに言えば、それに乗ってしまう人々の多さにも空恐ろしさを感じるのである(こういうと香山リカ氏みたいだが)。私は、橋下氏はルサンチマンに駆り立てられて動いている人間だということに気づいたが、彼がさらに住民の潜在的なルサンチマンを煽っている構図なのではないかと思うのである。そういう点で、現代のヒトラーという指摘はあながち見当違いではない。
私みたいに、緊縮財政・行革による財政再建は大いに結構、だがイデオロギー的な押しつけの空気やタカ派的挙動、さらには彼を突き動かしている感情にはアレルギーがある、という層は多いのではないだろうか。
佐々木氏が今日になってついに「橋下氏について行けない人たち」などという(そこまで言ってしまうと戦時中の非国民とかと同じメンタリティーにしかすぎないだろう)気持ち悪い全体主義的なポストまで挙げていたので、なんだかガッカリさえした(本当の知性や強さというものは、結論の出ない曖昧さから目を背けず、それに耐えて批判的に考え続けることではないのか。)のと同時に、自分の中でどういう立場を持てばいいのか、折り合いをつけなくてはいけないのかな、とも感じたのである。
私は科学者だが、周りを見ていてたしかに偉大な科学者が必ずしも人格に優れているわけではないし、科学者を見る際には業績と人格、さらに教育者としての資質は分けて考えるのが普通だ。政治家もそれと似たようなもので、イデオロギーと実質的な政策を分けて考えるべきなのかもしれない。彼の財政再建のための活動は評価するが、彼の人柄や彼を突き動かしているイデオロギー的ものには疑問を感じる、という折衷的なスタンスをとれば、私自身感じている息苦しさにも折り合いをつけられる。
余談だが、橋下氏、昔はテレビではけっこうチャライ感じでいじられキャラだった記憶があるのだが、いつの間にあんなに強者のキャラになったのだろう。そういうパブリックなイメージの変遷のメカニズムにも興味がある。
ひとりのAnonymous Cowardより
橋下はこの一回の議論で負けたらお金も地位も名声も失うというスタンスで臨んでいる。
相手の勉強をし、データを整理し、バックアップ体制を固め、どうやったら強みを全面に出せるか、弱みを隠せるかの作戦を立て、闘いに出ている。
弁護士スゲーと思わせるところがある。
他方、相手のやる気のなさ。
まず第一に、相手を甘く見てる。
というような序列が頭の中にあって、橋下は政治家ではなく民間人にカテゴライズされてる。
という意識がある。
それに、議論に負けてもまったく痛くない。
反橋下派は、反橋下派のグループ内で生きているので、仲間内での評判さえ落とさなければ痛くないのだ。
たとえば君が代日の丸反対派の中での序列は、どれだけ君が代日の丸を激しく叩くかで序列が決まっているので、いかに日の丸が、君が代が悪かを説くかに固執する。
悪という前提から始まるので議論にならないし、聴衆のジャッジでは負けるのだが、本人達はそれで満足してる。
二番目に、学者はとにかく保留しておくことが好きだ。
現時点で正しいとされていることを覆すことで真理に近づけると思ってるので、たとえ今は正しくても、といって実行に移したがらない。
そもそも、学問を世に還元するより、学問を追求したいから学者などをやっているわけで。
これは自分の個人的が想像だけど、学者の10人に1人くらいは嫌儲思想だ。
50代、60代の古株のなかには、民間就職するなんて資本家の手先になることだ!という理由で学者になった人間もいる。
文系だととくに顕著だったはずだ。
もちろん、学生運動で逮捕までされちゃったような過激な連中は途中で退学しちゃったわけだが、口先は一流、実行力はない、という人間が学者になってる(場合もある)。
あんまり過激だと出世の道もなかったんだけど、社会党が強かった北海道なんかは、思いっきり左派思想でも出世できたし。
科学は科学の発展のためだけに存在するべき、という消極的嫌儲主義。
反原水爆と相性がいい。
共産主義が勢いがなくなり、平和主義と看板を変えはじめたころから歩を同調させている。
まあとにかく、グダグダが好き。
俺が思うに橋下の
「そうはいっても予算と人を引っ張るのは金も労力もかかるし、その原資は税金だし、グダグダ言ってても前に進まないから」
という主張はもっともだ。
それに対して
という反論もありだとはおもう。
ただ、正しいことだから堂々と主張する!悪いのは橋下!
という態度は、橋下に言われた通り、税金で食わされてるのにその態度はなに?
と聴衆に判断されてしまう。
それから、君が代日の丸の強制は教員だけということなので、子供の教育に~という話にできないのも大きい。
嫌なら違う高校に行けばいいって話で、小学校中学校は私立は無料じゃないけどさ。
橋下にだって、突かれると痛い部分はあると思う。
俺は大筋で賛成だけど、大阪の抱える諸問題がクリアされるとは思えない。
大阪都構想で経済の地盤沈下をどうにかできるというわけでもない。
ただ、そこんところは代案がないのなら、聞かせて欲しい、という態度で聞くべきじゃん。
ですが、それだけではないと思います。今回の圧勝のもう一つの要因は「余りにもお粗末な敵失」でしょう。民主+自民の既成政党の動きは、例えばアメリカでティーパーティーに対抗している民主党(米)とは比較にならないほどの低レベルでした。
まず、橋下新市長が「どうして日の丸・君が代にこだわったのか?」という戦術を全く理解していないという「大バカ、大間抜け」ぶりにあります。あれは非常にシンプルな戦術なのです。維新の人たちは、別に戦前の日本に戻したいわけでも「たちあがれ」的な形で高齢者のカルチャーに寄り添いたいのでもありません。
そうではなくて「日の丸・君が代」で攻めれば「敵はきっとイデオロギーから反発して感情的になる」だろうというのが彼等の「狙い」なのです。そうして「庶民の生活レベルの話や、大阪全域の経済再建」などの実務的な、具体的な政策論を説く代わりに、イデオロギー的な橋下批判に彼らが専念すれば「シメシメ」という作戦です。
イデオロギー的にカッカすることで、「反独裁」とか「反ファッショ」などという絶叫しかできない場所に追い詰められ、それが正義だと我を忘れた「反橋下」陣営を見ていると、中間層は選挙戦の展開を見ながら、これでは自分たちの民生向上にも閉塞感打破にも「全く役に立たない」という風に見てしまったわけです。
こうなると完全に橋下氏の「思うツボ」です。一旦自分たちがモメンタムを獲得してしまえば、反対派が「反独裁」を叫ぶということは「漠然と橋下支持を固めた中間層」に対して「お前たちはバカだ」と見下しているということになり、「叫べば叫ぶほど票が逃げていく」無限の循環に陥るからです。まんまと罠にはまったわけで、以降は全く勝負にならなかったのです。弁解の余地はありません。
橋下が本当にそんな戦略をとっていたかはさておき、敵失の分析は妥当な所だと思う。
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何で天皇は自分の心がつまらないことも理解できないのか。明治憲法にしろ現行憲法にしろこういう子供に何の夢も希望も与えない保守的なものを作るべきでない。私が公民で初めて憲法を見たときは「何が平等だよつまんねえこと言うな」「何だこの古色蒼然とした漢字の羅列は」と思ったものだ。「君が代」も歌詞が意味不明でつまらない。とにかく全体的に退屈で、なぜこんなものが日本国家の礎になるのか、その発想自体が理解不能だ。また天皇の実施する学校制度も極めてつまらない上、ここ30年は失敗している。これでは救いようがない。他方、民間の作るものは実に面白い。天皇が大学入試競争の存在を認めない反面、予備校や出版界は入試競争や偏差値差別の存在を認め、学生の心を明るくする情報操作に満ちている。こういう面では、天皇より、民間やヤクザの方が優れている。しかし、天皇制にはかなりの程度支配力があって、楽しんでいる者の邪魔さえする程度に達している。今の日本の真っ暗さをみれば明らかだろう。つまり天皇制とは鬱の象徴であって、せっかく躁状態になっている社会を脅かす存在なのである。日本は常に躁状態で世界制覇を目指せばよい。ところがなぜか日本の歴史には常に天皇制という厄介なものがあって、つまらない真面目腐ったことを言って楽しんでいる人の邪魔をしてくる。しかもその程度が尋常でないのは裁判所の長ったらしい判決文や警察の取調べをみても分かる。精神を殺しにかかってくるレベルなのである。なぜこうなるのか。それはもともと日本社会に鬱的傾向があって、それが支配的だからだろう。民間やヤクザのように、差別のある明るい躁状態の社会は例外的で、日本人なんて何をやってもだめだし、どうせ地道に生きるしかないという本質的な諦念がこの国に鬱という原則をもたらしている。それがここ数十年のグローバリズムで、何が何でも躁にならなければいけないという風潮が、天皇制を抑圧し、民間やヤクザの価値観の伸張を可能にしてきたが、二度の経済失敗によって再び日本全体が鬱状態になり、天皇制にすがろうという空気と、ここまでやったからには諦め切れぬという民間やヤクザの勢力が拮抗状態になっているのが現状である。しかし、鬱の天皇制と躁の民間ヤクザが戦争をするうちに、日本人の精神はズタボロになって、様々な紛争や事件が起こる中で絆を喪失し、気がついたら精神が空洞化した地獄が現出していたわけである。このように鬱と躁が戦争をするとろくなことにはならない。しかも鬱勢力の執拗さはすさまじいものがある。日本はそろそろ鬱の天皇制をかなぐり捨てて、差別のある明るい躁社会のデザイン設計をしなければならないのではないか。それにはまず受験競争を認めたうえで、東大を中心とする帝国社会へと再編成して、学力により人間を序列化することだ。それによって日本は極めて面白い社会になるはずだ。
こういうこと書く人って洋楽や洋楽アーティストをどう思ってるのか非常に気になる。
そしてそれに影響されたJ-popの歴史をどう捉えるつもりなんだろうか。
演歌ですらその影響からは逃れられていないというのに、何の音楽を聴いているんだろう。君が代とか?w
とマジレスする意味が無いことはわかってます。そこまでバカじゃない。
こういうこと書く人は、とどのつまり韓国人や韓国そのものが嫌いなんであって、その流れでK-popも嫌いになっただけ。
でもそれだと自分の中に正当性が見出せないような気がするから、たまにこうやって「自分はこんな正しい理由があって○○を嫌っているんです」という意思表示をしたがる。
それだけのことだよね
1974年に開館した「船の科学館」が、今年9月末で本館展示を休止する。
近くの日本科学未来館には3回ほど行ったことがあるし、お台場メディアージュの中にあるソニーエクスプローラサイエンスにも1回行ったのだが(どちらもオススメ)、船の科学館は一度も行ったことが無かった。
ので昨日行ってきた。
「原子力の平和利用」という言葉の意味が変わってしまった今となっては複雑な思いで見る、原子力船むつの1/50模型。
スクリュープロペラを持たない(!)超電導電磁推進船なんて研究があった(日本が完成させ、そして消えていった)という驚きの事実。
「バルバスバウ」といえば某バーチャロンを思い出すけど、本当はそれは船首構造の名前だったということ(http://p.tl/mNmu)。
ラジコン模型でしか知らない水陸両用ホバークラフトの実物が、人を乗せて航行/走行している映像。
駆け足で見たのだけど、船に詳しくない私でも色々と興味を持って知識を得ることができて、とても面白かった。
休止前の特別料金で、ふつう700円のところ200円なので、興味と時間がある方はぜひ行くといいと思う。
それはともかく。
いったん本館から出て南極観測船「宗谷」を見学しようとすると、道路側にとんでもない数の(何百人単位の!)人が集まっていた。
ぽつぽつと日の丸を持っている。
そう、噂の「フジテレビ抗議デモ」が、今まさに出発しようとしていたのである。
あまりの人の多さに呆気にとられて、私は宗谷の甲板からデモの列を最後尾まで見届けてしまった。5人1列に並んで、最前列がスタートしてから最後尾がスタート地点を通るまで、30分以上。どう少なく見積もっても1000は下らない人数だ。
主催者発表では参加者は6000人、デモに好意的でないスポニチの報道
でも4000人が参加したとされている。
とにかくそれだけの人数の人たちが、
「私達はK-POPなんて聞きたくないぞー!」『聞きたくないぞー!』
この光景は衝撃的だった。
どんなデモにせよ、多くの大人が団結して主張をしながら行進するのはそれだけでインパクトがあるのかもしれない。でもその主張が
「冤罪を許すなー!」とか
「原発を止めろー!」とか
そういうものならまあ、そういう主張の人が頑張っているのだな、と理解できる。でも今回は違う。
もちろん、一般に偏向報道はよくない。私もアナログ停波以降はフジテレビを(テレビを)見てないし、フジテレビが善良なテレビ局だとも思わないし、『HEY!HEY!HEY!』をたまに見ると必ず韓流か懐メロの特集をやっていてつまらないなあとは思っていた。それに、普段から「韓国製」の買い物は避け、できるだけ国産を買うようにしている。特に韓国製のCD-RやDVD-Rは非常に質が低いのだ。韓流スターの名前はペヨンジュンしか知らない(KARAのメンバーに石川梨華のパロディみたいな顔の子がいるのは知ってる)。言うまでもないけど、竹島は日本の領土である。
それに反対するために、何千人もの人がお台場でデモ行進をしてるのか?
ネットの情報を「テレビでは報道されない真実なんだ!私たちが立ち上がらなくちゃいけないんだ!」と盲信した中高生が集まっちゃうならまだ分かる。でも私が見た限りでは、参加者は本当に老若男女で、300人に1人くらいは、私と同じくらいの年齢(20代)の、おしゃれな今時の女性もいた。おじさん・おばさん・お兄さん・お姉さん・そして親に連れられてきた子供も。
そのデモでの主張が、「フジテレビ韓流ゴリ押し反対」でいいのか?
…これが、私の第一印象である。
しかし第一印象はそれが正当なものであるか吟味されねばならない。
(1)「もっと重要な問題があるだろう」
彼らへの評判をネットで探してみた。よくあるのが、「テレビがどうこう言う前に、主張すべきもっと重要なことがあるだろうよ」というものだ。
でも、この批判って、既に他の「もっと重要なこと」のためにアクションしている人にしか、言う資格はないはずだ。
自分はtwitterとかネットで勝手なこと言ってるだけなのに、実際に体で活動してる人を言葉だけで「それをやるならこっちをやれ」というのは、単なるネット弁慶じゃないか。
というのも、正直、民放の放送内容がどうこうよりも、領土問題だとか、人権侵害救済法案や外国人参政権という、それこそ韓国とも関係大ありな政治問題のほうがずっと重要だと思うからだ。
ただ、思うに、そういう政治的重要事案じゃないからこそ、これだけ多くの人が集まったのかな、とも思う。
「韓流ゴリ押し反対」というのは、政治的なようでそれ自体は政治問題ではなく、「公共的な性格をもつ国内民間企業への批判」にすぎない。だからこそ、特定の政党に関与したり変に利用されることなく、これだけの人を動員できたということはあるだろう。日本人の多くが「政治」より「テレビ」に関心を持っているという事実も、今回の動員に味方した。
「もっと重要なことがある」と言っても、「もっと重要なこと」にはどうしてもキナ臭い政治が絡んできて、ネット上でさえこんな大きな潮流を作れないだろう。その意味では、対韓国の政治問題のとっかかりとして大きなデモを行うには、むしろ今回のテーマがベストだったとすら言えるのかもしれない。
(2)「嫌なら見なきゃいい」
これに対する再反論は、もうすでに定式化されているようだ。
作家・深水黎一郎さんが簡潔に整理しているが、簡単に言うと、
「テレビ局は<公共の>電波を独占して使っているのだから、勝手な偏向放送をしておいて『嫌なら見るな』は通用しない」
ということ。
嫌なら見なきゃいい、と言われる前から私は確かに見てないのだけど、見てもらってる側がそれを言っちゃいけない。放送法という後ろ盾もあるのだから、テレビ局にはそれに基づいた良心的な経営が求められるのは当然だろう。ただし、ただでさえテレビ不遇の時代に、自局グループの商売を有利に進めようとするのは営利企業としては当然で、そのへんは線引きが難しいところではある。
(3)陰謀論
「フジテレビ抗議デモは、原発から目をそらすための陰謀だ!」。
こういうツイートやmixi日記は複数あった。どんなところにでも陰謀論はあるものだ。面白い。
(結論)
デモを批判する理由は私にはない。
しかし「韓流ごり押し」に対しては、私はどう考えるべきなのか?
政治的問題に関しては比較的冷静な狼板をのぞくと、「ブームってそういうもんだろ」という書き込みを目にした。
確かにそうだと思う。
韓流ブーム捏造、なんていうけど、ブームなんてたいがい作られるものだ。
結局今回の問題は、それが誰の目にも「行き過ぎ」「ごり押し」と捉えられるほどのものになってしまったという所にあるのだろう。
私としては、前に書いたように、「竹島は守るべき」「人権侵害救済法案は危険」と思っているし、他にも例えば、「在日外国人犯罪者の偽名報道は反対!!!」である。その点だけについて言えば右翼的であるのかもしれない。
ただ「反フジテレビ」については、何とも言えないのだ。
だって、フジテレビから韓流を引いたからと言って、番組が面白くなるとも企業体質が良くなるとも全然思えないのだもの。
それに私は、そもそもフジテレビがあっても無くても、まったく困らない。
とりあえず現段階では、「フジテレビがこんなにバカなことをやってるよ~」とネット上に確かな情報を拡散させておけば、それで十分という気もする。
デモに参加する気には、とてもなれないのだ。
追伸
1.小学校時代に「日の丸」に敬意を捧げるために起立したり、「君が代」を歌わせることは戦前に逆戻りする行為。「教え子を戦場に送らないために反対する」とか
昭和時代の基地外左翼教師に洗脳された人達は「日の丸」や「君が代」に抵抗感持ってるんだろ。良い先生だったけどほんとこの点に関してだけはマジ基地だったなあ。
2.単に天邪鬼な人
3.はてサとか「日の丸アイコン」がどーのこーのってTwitterで普段から言ってる人達
4.関心なくて他の話題が見たいTV視聴者
曲調が辛気くさい、国旗も赤丸に白て!捻れ、ダセーだった。
http://anond.hatelabo.jp/20110720010653
が言うように、記号だと思ってたものが、
「おめでとう」の瞬間にあるものに変わってた。
おめでとう、よかったねと自分も嬉しい気持ちになっているからだいぶひいき目になって、
選手達が国旗を背負って誇らしそうにグラウンド一周しているように見えて、
あらためてよかったね、おめでとうと、泣く。
そもそも最初に日の丸・君が代が制定されたのは明治時代なわけで、反対派がいるかいないかに関係なく最初から強制でスタートしてるはずだよ。
で、現代で公的強制を行おうとしている人々は当時制定した人々の後を継いでいると(少なくとも主観的には)自認している人々が多いのではないかな。逆に考えてそうじゃなかったら何者だよって感じだし。そういう意味では強要側は連続性を保っていると考えて良いと思う(強要する当人が連続性を保っていると思っているだろう)
あとまあ、当時も従わない奴はいただろうけど、日の丸は元々船舶の識別用の旗なのでうちは昔から別のを使ってんだとか、他にも当然明治体制に対する抵抗派はいただろうし、どちらにしてもこちらは「今の」反対派とは連続性を保ってないと思うよ。今の反対派は(戦前・戦中から続く)強制があることを踏まえた上での反対なわけだし。逆に言うと、国旗国歌は定めておくけど個々人が勝手に尊重して下さいみたいな欧米的な普通の自由主義国状態になった場合、反対派ってどうなっちゃうんだろうって気はするけどね。満足して解散するのか先鋭化するのか。
個人的に日の丸も君が代もそれ自体はどちらかというと好きな方だけど強要するのは反対派な俺参上。
日の丸や君が代を強要する人が少なからずいる以上、「自由の敵の象徴」だからじゃないかな。逆に考えて、強要したいって人は何故強要したいのかって考えてみるといい。それがまさしく自由を尊重したい人々にとっては反対したくなる理由だろう。俺も強要のコンテキストで日の丸が出てくると(日の丸自体は好きだけど)日の丸が穢されていることに反吐が出るよ。
ただまあ、あくまで個人的にはだけど、日の丸は元々「日出る国~」の故事にちなんだものでこれは別に全体主義とか軍国主義とか自由への敵対なんかとは関係なく単純に「極東にあってますます繁栄する国」くらいの意味でしかなく、意匠的なシンプルさとも相まって非常に良いものだと思ってる。君が代も、まあそりゃ戦前までは帝政の継続みたいな意味合いでやってたんだろうけど、今でも天皇は日本国憲法下の日本国の象徴であるわけだから「今の日本国」が末永く繁栄しますようにって意味でもちゃんと通るわけで、ものすごく良いとは思わない(正直メロディの方はいけてないと思う)が積極的に反対するほどとは思わない。
でも、強要したい人々は、そういうのとは違う意味合いで国旗国歌ととらえているだろうし、だから強硬に反対する人々も反対しているんだろう。ぶっちゃけ、強要する側も反対する側も国旗国歌は正直全体主義の象徴だよね。
君が代とか間延びし過ぎで超ださい。
あの長さの曲に和歌を歌詞として当てるという発想自体がナンセンス。
たとえば、誰も君が代を知らないパラレル日本で君が代をCDで出して、100枚売れると思う?
10枚も無理だね。
日の丸もださすぎて勘弁マジ勘弁。
おしゃれ系雑誌の表紙なんかでそんな配色を観たことあるかい。ないだろ。
ウェブを見渡してみろよ。
スポーツの国際大会で日の丸が掲揚されたり君が代が演奏されるのをみるたびに、
腸が煮えくり返る人というのは大変だろうな、と思う。
アメリカ人もドイツ人もみんな自主的に自分の国の国旗を振ったり高く掲げたりしている。
つまり、なんの問題もない。
どこにも問題はない。
誰も強制なんかしていない。
であるがゆえに、彼の腸は煮えくり返り、
「強制は違憲」
と。
http://anond.hatelabo.jp/20110718161048
どっかで見たんだけど「日本優勝おめでとう!」って日本人が言うのはおかしいらしい。
これが諸外国なら「我々の勝利だ!」ってなるらしいんだけど、
いかんせん日本って言う国はナショナリズムにアレルギーがある。
だから、こういう堂々とニッポンコールができる機会がうれしいのかもね。
まぁ方向性は違っても、震災報道で「涙が出ました」とか言ってる奴見て同じこと思うし、
日和見でその場の感想を「全体は今こう思ってる」みたいに勘違いしてる国民は案外多いと思う。
にわかサッカーファンもそうだし、にわか防災意識(キリッ)みたいな。
女子のバスケみたいに、みんなで同じ球ワーって追いかけてポジショニングがないみたいな。
それぞれが普段から自分の努力に誇りを持って、しっかり守っていればこうは思わないのかも。
どこでこうなったのかなぁ。
ああ、「過ぎて」はないよなw
例えばさ
「岩が砂粒になることはあっても砂粒が岩になるわけがない、ウヨクは時系列も分からないのか」「おやおやサヨクは砂岩も知らないと見える、知性の低さを露呈したな」「マジレスするとさざれ石は砂岩のことではない、角礫岩といって自然のコンクリートみたいなもん」
こういう議論が君が代問題に与えるインパクトは「めんどくせーから触れないでおくか」というアンタッチャブル化のみであって、肯定的にも否定的にも快傑には繋がらんわけ
肯定派と否定派が相手の派閥を貶すために脇道にそれることは、両派が共同して議論からどちらかのシンパではない中間的な参加者を排除する意味合いを帯びるんだよね
神奈川訴訟も原告敗訴確定 起立、斉唱の義務なし確認
神奈川県立学校の教職員ら130人が県を相手に、学校行事で日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱する義務がないことの確認を求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は22日までに、教職員らの上告を退ける決定をした。「具体的な権利、義務に関する争いではない」として訴えを却下した二審東京高裁判決が確定した。
一審横浜地裁判決は、訴えそのものは適法としたが、入学式や卒業式で国旗を掲げ、起立して国歌を斉唱するよう教職員への指導徹底を求めた県教育長の通知に基づく校長の職務命令は「思想、良心の自由を侵害せず、教職員は従う義務がある」と請求を棄却。
しかし二審東京高裁は、この訴訟は事実上、教育長通知の無効確認を求めるものだとし、「通知は教職員との間で具体的な権利義務を定めたものではなく訴えは不適法」と判断。一審判決を取り消して訴えを却下した。
一、二審判決によると、教育長は2004年11月、各校長に通知を出し、「教職員が従わない場合、厳正に対処する」とした。
(共同)
広島県立高校の教諭らが、卒業式などで「君が代」斉唱時に校長の命令に反して起立せずに戒告処分を受けたことを不服として県教委に処分の取り消しを求めた訴訟で、最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)は21日、教諭らの上告を棄却する判決を言い渡した。教諭らの敗訴が確定した。
判決は、起立させる校長の職務命令について「思想・良心の自由」を保障した憲法19条に違反しないと判断した。同種の訴訟で「合憲」と判断した最高裁判決は4例目。
原告の教諭ら42人は、2001~03年度の入学式や卒業式で君が代斉唱時に校長の命令に反して起立しなかったことから、県教委から戒告処分を受けた。
第三小法廷は、先行した3判決の内容を踏襲。職務命令が個人の思想・良心の自由を「間接的に制約する面は否定しがたい」と認めつつ、教育上の行事にふさわしい秩序を確保する目的などを考慮すれば、「制約には必要性・合理性がある」と結論づけた。
裁判官5人のうち、弁護士出身の田原睦夫裁判官は審理を高裁に差し戻すべきだとする反対意見を述べた。「一部の教諭らについては起立だけでなく斉唱まで命令されたと解釈できる」と指摘。「斉唱の命令は、内心の核心的部分を侵害する可能性がある」との考えを示した。(山本亮介)