はてなキーワード: はてブとは
医師国家試験に、選択問題でそれを選んだら即不合格という禁忌肢があるのは有名だけど、はてブに対しても仕込みたい。
自分の投稿に対して、そう言及したら「即ネットやめるべき」って内容を定義しておいて、そういう言及してるユーザがいたら即BANできる。
ちょっと前まで家父長制を打倒すれば男女平等になると思ってたんだけど、
最近はてブで長時間労働が男女格差と少子化の原因、っていう論調を見て、
男女平等に反する経営者は社会から排除されるべきだと思うので、
そういう社会運動があったら参加したい。
今回の一連の騒動を受け、リベラル派は本当に草津町全体に対して怒り心頭だと思う。
その証拠に、Xでも、はてブでも、人文社会アカデミアでも、ほとんどのリベラル派が草津町に今でも苦言を呈しているか、口をつぐんでいるかでしょ。
おんなじ感じになって、思い切ってid消してブコメするのをやめたらだんだんはてブ自体を見る頻度が激減したわ
お互いの意見を擦り合わせることもできるのかなと思ってたけど
じゃあ自分側はどうかってなると、
id名指しで何か言われても、お前と違ってこっちの意見には百以上スター付いてるんだが?となって人の話聞く気にもならないしで本当に不毛な時間だった
Twitterとかで同じような意見の人たちとつるんでのんびりする方が100倍穏やかで楽しいからそっちに軸足移した方がいいと思うわ
フェミニズムも本来はDEIとか働き方改革とかの背景をきちんと支える役割があって、女性中心に労働者の福祉全体を向上させる社会的な役割や意義もあると思うんだけどはてブや増田で延々と続いているのってそういう建設的な方向に向かわないよね。リベラル政党もその辺ちゃんと理論武装できていなくて、「レズビアンとかゲイの権利!」「夫婦別姓を!」みたいな枝葉末節の水掛け論を延々とやってたり女子社員の愚痴みたいなのを延々とやってたり、「闘士」のSNSを晒し上げたり、炎上をヲチしたり、なんかもったいない。
別に廃ブクマカというわけではなく、大体1日あたり5〜10ブクマ程度で、1ブクマ辺りの平均スター数が70前後。まず打率が非常に高い。
よく「過激なコメントがスターを集める」と言われるはてブだが、この方の書いているブクマは至って真っ当なもの。
奇をてらわず、基本に忠実なブコメで圧倒的なスターを稼いでる。
なんと2位と倍以上の差をつけている。あまりにも凄い。
自分もランカーになりたいと思ってやってて、ようやく100位以内に入れたくらい。
しかも荒れやすいネタに過激なブコメをしまくってこれ(だって真っ当なブコメしても全然スターもらえないんだもん…常人はこうするしかないんだよ)。
はてブはプラットフォームとしてはかなり優秀なのに、高齢リベラルの人とかフェミの人とか炎上ウォッチャーの人とかに占有されているのかなりもったいないと思う。(その昔はまとめブログ錬金術に使われていたこともあったが現在改善した。)DPZにもっと華ががあればいいのかもしれないけど、失礼ながら老化というかイマイチ元気なく、人流をつかめていない。運営の工夫で記事のセレクトやブコメの「偏り」が継続的に改善されている様子だけど、逆に「馬鹿な大衆の愚痴」みたいなコメントであふれかえるようになった。
自分もそうだな。はてブ無駄すぎる、と思いながら登録とか課金とかの敷居が低いので結局見てしまう。でも「敗者のうめき声」みたいなものであふれていて得るものがすくなすぎる。課金サービスに行けばいいんだろうがどこへ行けばいいかわからない。
はてなでまともなフェミニスト扱いされていたfont-daが男性嫌悪を中心にツイッターのフェミニズムが盛り上がったことを肯定的に扱っていたわけで
脳みそのクッソ浅い部分しか稼働しなくなってて、Twitterとはてブしか見てない。
「これをやるに至る歴史/背景」とか
「やらない言い訳」とか
「おれの正しさ」とか、
私がそう判定した(嗅ぎ取った)話を1秒も聞けない。
「で、やるんですか」とか
「つまり何をすればいいんですか?」とか
「ではこうすればいいのではないですか?」とか
「あの部署(人)と調整できてないってことですか?」とか
「人によって違うのでは?」とか
ツッコんでしまう。
お気持ちとかどうでもいい。
1秒でも早く結論が欲しい。
なんか失われた30年の縮図みたいになっている。ピンポイントの極論が自己増殖してる感じ。
・ソフトウェア系の人達は起業家とか独立プログラマの人が少なくて、派遣の数合わせのバイトみたいな人達が多い印象
なので、「エクセルショートカットを覚えよう」「コスパタイパの良い限界食」みたいなエントリのブクマが賑わう。
・「リベラル」というのも恥ずかしいような、お年寄りくさい朝日新聞読者層がいる。なんか本格的な政治とか法律とか人道とか高い目線の話ではなくて、
「誰かがレイプされた、痴漢された、満員電車でニオイ嗅がれた、#MeToo、#KuToo、保育園落ちた日本史ね、生活保護は国民の権利だ、障碍者がまたいじめられた」みたいなブクマをひたすらしてる人達がいる。(でもNHKとかこの辺結構つられている風ある。スルー力が足りない)
・狭い世界のお気持ちリベラルの人達を揶揄したり炎上を楽しんだりする人達もいる。そもそもが狭い人達をさらに狭く煽っていて、超どうでもいい。
・Togetterの素人意見に釣られてブクマする人たちがいる。ネット黎明期にはインターネット集合知スゲーという場面もあったが、近年は釣られるほうのリテラシーも低く選別が効いていない。間違っている話の方が炎上して面白いとかいうブコメがついたりして、なんかくだらなさすぎる。
・東洋経済とかプレジデントとかは昔よりも、釣り記事でくだらなさすぎる、みたいなのは近年少し減ってきて少しまともになった印象。
最近はてブでよく使われている「文化」のコンテキストって、地元にはなかった自分好みの何かが東京に行ったらあった、という話のなかで「文化に触れた」とネット特有の誇張的な表現をした程度のものだと思っている。
以前eスポーツ界隈で「人権がない」という表現が炎上したけど、これもネット特有の誇張的な表現という観点では同類かもしれない。
ジャンプ+のケントゥリア、期待して読んでいたものの4話まで来てかなり酷いなと感じた。
作者の力量にすら疑問符が付く内容だった。
働き口を探す気になり近くの村を紹介してもらう。
ところが村のリーダーから「お前には信用が無い」「足手まといは村全体の負担になる」と言われて
テスト内容は「崩落した穴の土石を一人で運び出してみろ」というもの。
夜中には仕事を完了して見守っていた村人達も感嘆、労働者として認められる。
…これもうすべてがおかしいでしょ?
どこの世界でも第一次産業では子供に手伝わせるし何ならその為に子供を作る。
「とりあえず小石運びとか雑用からやらせてみて勤まらなければ帰す」でいいわけで
わざわざテストなんか課す理由はどこにもない。テストだってコストがかかる。
現代で試用期間だの面接だのがあるのは労働者の権利が守られてるからであって
奴隷上等のこの世界なら一日働かせて「「この役立たず!給金なんかねーぞ帰れ!」でいいから
・ダメな奴にやらせられる仕事がないどころか触らせたことで台無しになる可能性がある
みたいなことはあるんだけど、作者はその現代日本の感覚のまま話を考えている。
自分の作った世界の諸条件に合わせて人物の行動を考えるということが出来てない。
ユリアン少年は村のそばで半年間生活していて、同居して面倒見てくれてたのは先述の兵士。
今回の話もその兵士が村に働き口の世話を依頼している。
兵士と村人との関係も詳細は不明だが、こういう話をするぐらいの関係ではある。
その兵士が身元を保証する少年を労働に使ってやってくれって言ってるのにこの対応、
「村人が兵士に相当険悪な反発心を抱いている」みたいな設定があるならいいけどたぶんないでしょ?
「有難いお申し出ですけどこの子はちょっとまだ小さいようで…」と兵士に談判するか、
兵士の顔を立てるために誰でも出来る雑用を与えるかとなるはず。
人間関係や社会的な行動についての想像力が相当低い(たぶん実体験が乏しい)。
暇すぎるだろ。
なんでよそ者の子供一人のテストに村人があんなに集まってるの?今日はまつりか?
一個目の時も背景にどう見ても数十人単位でいる。
半分まで行った時にもまだ同じ密度でいる。
ユリアンが石を運び終わった夜中にも同じ感じで村人が沢山いる。
新入り労働者のクオリティに「村の足を引っ張るんじゃないか?」ときついテストしてくるほど生産性に厳しい村の人間が
何十人も朝から晩までくだらない石運びテストを興味深く見守っている。
そんなに暇なのもおかしいし、そんなものに関心が続くのもおかしい。
これ本当に何も考えずに絵を描いてないだろうか。
主人公ユリアンにとってこの石運びが死んだ仲間やディアナ母への決意表明だったとしても
そんなことは他人には関係ないし伝わってもいないのだから、外から見ればただの石運びなので
ただただ退屈な石運びを見つめ続けられるわけもないし心を打たれるわけもない。
村人の視野とか村人の都合とか村人の思考とかを想像する能力が無く
ユリアン君が頑張ると村人がずっと一緒に見つめ続けて感動するという有り得ない展開になってる。
これは精神的発達段階としてはかなり未成熟段階の認知だと思う。
絵が素晴らしく巧みなのでギャップがあるが、描かれてるものだけ見ると相当稚拙なんではないだろうか。
全然裏切らずに命を捧げてくる奴隷仲間の時からなんか変な感じが漂っていた
(が、善良ベースな世界を描いているのかなと保留されていた)部分が
もちろん、裏切り者が出てくれば成熟した精神世界だとか言ってるのではない。
そうではなくて各キャラに独立した都合や思考が想定されているか、その上でユリアンに命を託してくれているのか、
と言う話をしている。
つまりただただた絵と内容が合ってない。
上手い絵で粗い内容を読まされると人間心理としては段々不快感やイライラがたまってくるので
このままなら『ケントゥリア』はそのうちアンチ的な感想が増えて叩かれるようになると予想する。
今はまだ『ケントゥリア』が期待され持ち上げられている段階なので
怪獣8号も2話3話で「これは期待外れかも」「普通の漫画になってしまった」と書いたら
作者は絵に対して真面目で打ち込むタイプに見える。
描かなくていい村人を描いちゃうぐらいには絵に賭けてる。
もしかすると実は内容が薄い自覚があって絵だけでもと思ってるのかもしれない、
けれども作家としての成長を考えるなら&『ケントゥリア』の成功を考えるなら
というアプローチが良い気がする。
粗い内容は粗い絵の方がいい。