端末はあと少しで発売予定だが、iPhoneとかiPadとかAndroidとかMacで動くソフトウェアのKindleを使えば、すでにもう日本語書籍を買ったりお試し版をダウンロードしたりして楽しむことができる。
さっそく、エロ本系も花開こうとしている。
おなじみフランス書院とか、エロマンガ(島に非ず)ばっかりなのだけど、
探ってみると面白い。
なお、私はエロマンガとか、子供ものとか、アニメっぽいのとか、BLとか、コミケ的なものは苦手で嫌いなのでその手のものは一切スルーしています。
Juan Cuhna (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00A4N15LQ
これ、いちおう「アダルト」の分類に入っているのだが、サンプル版を見てみれば分かる通り、何か戦記物の英語小説を日本語に自動変換した(で、変換に失敗している)ような雰囲気のものだ。とにかく書いてある文章が謎過ぎる。
これはこれでシュールな雰囲気を醸し出しているので、オートグラフとかバロウズのカットアップとか、前衛文学に興味ある人は見てみてもいいのかもしれない。100円だし。
水野蒼 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0088LTTKK
やっとまともなものが出てきました。
幼いころ見てしまったSM雑誌、それを胸にしまいつつ成人し優等生として暮らす育ちのよいOL, しかし秘めたその性向は・・・ 的な、これも王道感のある展開です。
実に小説っぽい体の一冊です。300円。
エロくノ一大好き (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B009Z1F2M6
内容紹介のサマリが長いです。
戦国時代。なんか特殊能力を持つ様々な女忍者がいろいろスパイしますが、だいたい捕まって、あの手この手で責めを受けます。これも王道パターンです。
最後の3人めのくノ一は『またもや参態丸に捕まってしまう。彼は固・液・気に変化する鋼の身体をもち、その身体で紅葉を陵辱する。自在に変形する鋼の触手が膣・仔壺・喉・胃・腸とあらゆる場所に入り込み』と、サイバーダイン・システムズ社のT-1000みたいな敵に犯されます。
もうなんだか、自分の趣味を結実させたくてもう止まらなかった。そんな雰囲気がたまりません。著者名は「エロくノ一大好き」です。
ライフ・イン・トウキョウ 1 [Kindle版] [アダルト]
野川 潤 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B009Z244RE
これは結構いい。あまり小説っぽくなく、リアルな手記っぽい感じ。まあ主婦とかバツイチとかやりまくってるわけですが、乾いたせつない感じがトウキョウで、またエロいところでしょうか。短編7つ入り。女性向けかも。
Jack Ready (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00A2HK7O0
題名は 'Ready Lady' らしいのだが、表紙には「戯画。セックス観光客。」と書いてある。
フォントが、変です。グアムとかフィリピンとかハワイにある、日本人向けの妙なお土産屋にありがちなピジン日本語です。
サンプル版を見ると、導入部? の不思議な挿絵をいくつか見れただけで、実際の文章まで試し読みすることはできませんでした。
というか、本当に文章が入っているコンテンツなのかどうかも不明です。
Gary (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00A04PXXK
これもなんか・・・ 英語の三文小説を自動翻訳にかけて、ジャンルをわざと「アダルト」にし、うっかりエロ小説だと思い込んで購入させてしまうようなアレでしょうか。
ライフ・イン・トウキョウ 2 [Kindle版] [アダルト]
野川 潤 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B009Z246BS
パート1のほうでもアナル開発とかしてましたが、こっちでもローター責めとか、処女の音大生にペログリとかしてます。爆発すればいいと思います。
川那秀久 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00A417G4S
内容紹介
『女にふられた物理学者がやけくそで書いたのは「女体力学」の論文。それをきっかけに騒動が起きる―くだらなさ全開のSF(?)小説。』
ちなみにこれも100円です。100円コンテンツは、さすがに手強いクォリティの金脈です。
専門家集団で議論させたいという意図とは別に、大選挙区で記名にしたら、全国ネットワークのある党が有利だなと思う。
大地とか減税日本みたいな地域政党、みんなとか国民新党みたいな小政党は淘汰されるだろうな。
いくら創価学会員がいるっていったって、日本全体で1選挙区しかなくなったら、学会員の数なんてゴミみたいなもんだ。
バイバイ公明党。(と思ったが、後述のタレント議員でけっこう議席を取りそう。ぐぬぬ。)
正確な数は覚えてないけど、20も議席があれば1議席くらいとれるんじゃないかな。
もし政党を作ればの話だけど。
民主がここ数年で株を落としまくってボロボロだから、ほぼ自民が寡占しそうだけど。
その筋の専門家が当選してくるかっていったら、そりゃ疑問だな。
1選挙区しかないなら、日本全国に名前の知れた人を候補者が有利だな。
議席を失った創価は必死にタレントを立候補させまくるだろうな。
花畑牧場を成功させたとかいう触れ込みで田中義剛が経済産業参議院になるのか、あるいは農林水産参議院になるのか。
どの議員になっても使えないとは思うんだが、聞いたことない学者なんかよりは票を集めて当選するんだろうな。
笑えない。
結局のところ、参議院が法案を蹴れるってことは、ねじれたらグダグダということは変わんなそうな気がする。
首相が解散か総辞職をカードに譲歩してもらうっていう構図は変わらんと思うがどうだろう。
ま、予算と赤字国債発行法案は衆議院だけってことなったら、ずいぶんマシだけど。
恒例行事の赤字国債を発行するごときで解散とか辞職とかでグダグダしてる今が異常。
えーっと、総括すると、参議院を専門家集団にするってのは無理だし、反対だわ。
専門家の意見を聞くっていう目的を達するためには、専門家に意見させることより、専門家の意見を聞く側に資質が求められると思うのだがどうよ。
小泉竹中以外に経済財政諮問会議を上手く使えなかったように。良くも悪くも。
専門家の意見を取り入れる目的なら、分野ごとに諮問会議を充実させること、諮問会議の意見がうまく反映できるような仕組みのほうが重要なんじゃなかろうか。
大学というのは、学生のためではなく、教授他そこで働く人達のために存在してるもんだよ?オンラインで一人の教授が授業しちゃったら、多くの教授の食い扶持がなくなっちゃうじゃないか。
英語を中学高校大学と10年間、週に6時間くらい勉強してさえ大半の日本人はまともに英語を話せないんだぞ?
なのに、たかだか45秒の歌を月に1,2度歌うだけで軍国主義精神が醸成されるっていうのか?
ば~~~~~~っかじゃねぇの!?
ほむらちゃん…私、群馬の出戻り大学生(元)で結局実家に戻り農業をしてて、
金髪幼女が大好きなのに日曜日は休日ではなく幼女変身魔法少女アニメをリアルタイムで見れないでいて、
アニメの名言をちょこっと改変してなにか言った気になったりするような人にはなりたくない
追記:
ごめんなさい。言ってることとやってることが違うと思うかもしれませんが、disる気は全くありませんでした。気を悪くしたのなら申し訳ないです。
831 ソーゾー君 [] 2012/02/15(水) 22:07:46 ID:HQ0BMTVYO Be:
証拠有るのか?実際はニュー即の方が過疎だろ?
工作員の数は少ないから毎日十人の閲覧されるだけで発狂状態だぜ?
誰も見てないなら放置してくれるよ…
昔の2ちゃんの黒幕スレのようにな…初代は俺しか書き込み無かったんだぜ?
ここも同じだろ?No.1は当初、静かだった…
後半になるとほぼ毎日1~2名が俺に粘着して2ちゃんの黒幕スレ状態になった…
なんで工作員は誰も見ないキチガイの俺が書き込むだけの過疎スレに来るんだ?
実際は過疎じゃないってこった…ニュー即なんか中身なくスレ流すから
「誰も見ないよ…」お前は見るのか?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341436809/l50
町山智浩が、先日新聞で、娘のためにアメリカに住み続けたい旨のことを言っていた。
いわく、それは30歳過ぎて大学に行って職が見つかる国はアメリカだと。
町山の妻は30過ぎてアメリカの大学に進学して就職したのだという。
日本の少子化が危機的状況だと言われだしたのはいつからだったろうか。
例えば、企業に勤めている既婚女性で、何度も産休や育休を取れる企業はどのくらいあるのか。
復帰しても、時短勤務や閑職ではない仕事をさせてくれる企業はどれほどあるのか。
第一子出産後復帰して、第二子、第三子、同じように休めるだろうか。
休めない場合、辞めることになる。
もちろん、公立の学校に大学までいけば、それほどかからないということをいう人はいる。
しかし、公立の学校に行っても、結局塾には行く。もちろん、一切そのような所に行かずとも、
東大などに行く人はいるだろう。しかし、それはレアケースだろう。はっきり言って。
塾などに行かなければ、それなりの学校に進学するのは難しいというのが、今の日本の現状だろう。
従って、子供にそこそこの教育を与えようと思ったら、やはりそれなりの金額が要求される。
それを考えたら、仕事は辞められない。
それは正しいのだろう。
すぐ熱を出しやすい子供、アレルギーがあって、食事などに気を使わなければならない子供、
親は家庭で子供の面倒を見ていたいと思うだろう。
仕事は、辞めざるを得ないことの方が多いだろう。
しかし、一番下の子供が手がかからなくなるまで、何年かかるのか。
10年近く、保育所やらなんやらとの綱渡りを続けて仕事を続けることになる。
たとえ、保育所や学童保育が充実していても、精神的にも肉体的にもそれが可能な人はどのくらいいるのだろう。
第三子まで産んで、全ての子供に手がかからなくなった後、仕事をしたいと思っても、
以前勤めていたような企業にはたして勤めることができるだろうか、または前職ほどの収入は得られるだろうか。
きっちり働いてそれなりの収入を得ている人ほど、辞めたら二度と今と同じ収入は得られないことを知っている。
こう考える既婚女性は多いのではないだろうか。
一生懸命就職活動して、新卒で大企業などに入社した女性ほど、こう考えるだろう。
だって、うちの会社、新卒でしか採らないもん、中途採用もいるけど、ブランクのある人なんか採らないもん。
長期療養が必要な病気になることもある。または、身内に介護を必要とする人が出てくることもある。
例えば、自分が病気になって仕事を辞めたら、数年後無事回復した時に、それなりの収入を得られる仕事に就けるだろうか?
日ごろ健康に気をつかっていても、突然難病に襲われることだってあるのだ。
学生が、新卒で就職しないと一生不安定な収入で終わる不安を持つ世の中というのは、健全なのだろうか。
時給いくらで得る収入では、結婚したり子供をもったりなんか無理と思うのは道理だろう。
以前、民主党が政権を取る前、小渕優子が少子化担当大臣だった時に、
子育て支援として保育所の拡充を強く言っていたような記憶がある。(その前の人たちも言っていたんだろうけど記憶がない。)
ちょっと違うんじゃない?自民党ってわかってないなと思ったのは自分だけだろうか。今の民主党政権がよくわかってるとも思わないが。
もちろん反対ではないが、それも大事だろうけど、それよりも、子供を産めるような収入の確保なんじゃないの?
今もう収入がある人の方を向くだけではなくて、今収入の少ない人の方を向かなければ駄目なんじゃないの?
多少なりとも税金を払っている身としては、その税金はきちんと使われてほしい。
地域差はあるだろうが、多くの親が子供を大学まで出そうと思ったら、塾に行かせるのはなぜか。
また、私立学校に行かせたいと思うのはなぜか。
公立学校の教育がもっと充実していれば、現在のように教育に金がかかることは減少するのではないか。
もちろん、私立学校の教育方針に同意して私立に通わせたいというのはある。
公立学校だろうと私立学校だろうと、質の高い教育が受けられるというのが本来なのではないのだろうか。
公立学校にもっと税金を使って、もちろん頭も使ってほしいが、満足のいくものにしてほしいと思っているのだが。
今起きている多くのことの解消の一端になるように思うのは自分だけだろうか。
もちろん、会社を選ばなければ、いくらでもできるよと言う人はいる。
しかし、そのような企業も、例えば数年のブランクのある人間や、ずっとバイトだけで生活してきた中年を
時給いくら以外の職で雇うのだろうか?
または、生活できるような待遇や収入を得ることができるのだろうか。
起業すればいいという人もいる、フリーランスでやればいいという人も。
しかし、起業にしてもフリーランスにしても、誰にでもできるというものではないのだ。
ただ、もしブランクがあるなり、年くってるフリーターなりが入社してきた場合、
かれらをどう教育するのか、どんな扱いをするのかという問題が残る。
場合によっては20代が上司で40代が部下で、または40代の人間に新人研修をということになる。
採用された場合、年くってても新人なんだから、周囲に教えを乞う態度を持たなければならない。
年くってるだけで威張る人っているからね。
また、新人としての待遇、給料に甘んじる必要もあると思う。しかしバイト時代よりは人生設計が建て易いだろう。
その辺の意識改革を、国民レベルでやる必要はあるのかもしれない。
また、新卒一括採用のない国では若者の失業率が高いという問題が起きている。
経験者募集の職場ばかりで、新卒が職業に就けないということらしい。
町山智浩の妻は就職できたが、今のアメリカでは大学を出ても職に就けないらしい。
ヨーロッパの若者の失業率の高さを考えると、日本の若者はまだ恵まれているのだろうか?
女性が社会に出てくるから男性の取り分が減って給料が減るのだと、だから女性の雇用をなくせば、
男性一人で充分家族を養える収入につながるはずだ、だから少子化は減るはずだという話もある。
しかし、一定の割合でバカも優秀もいるのだから、企業としては、いい人材が欲しければ母集団の人数は多い方がいいだろう。
50人から選考するのと100人から選考するのでは、いい人材に当たる確率は後者の方だと思うんだがどうなんだろうか。
優秀な人材揃えて回していかないと、企業はつぶれるんじゃないか?
それに、パキスタンの少女が学校に行くことを訴えて銃撃されたことに憤慨するんなら、
女性が働くことにケチをつけてはいけないんじゃないか?話は飛びすぎているだろうか?
働くという行動そのものに、正規だろうと正規じゃなかろうと本当は違いなんかないのだが。
男にはこの気持ち、絶対にわからないと思う。
女の人生、顔です。
どんな綺麗ごと並べても、それ嘘だから。
圧倒的に顔。容姿。見た目第一。
何もしなくても男が勝手に何でもやってくれる。
男は顔以外でも勝負のしどころがあるけど、
女は顔が論外だと土俵にすら乗せて貰えないわけ。
年取っても、それでも同年代との勝負なら顔がいい方が勝つ。
そりゃそうだ。美人なおばさんとブスなおばさんなら、美人なおばさんの方がいいだろ。
美人なおばさんとブスな女子高生くらいだと、どうなのかは知らないけど。
年さえ取れば自分の顔で悩むことなんてないと思ってた。
でも実際はそうでもない。
あーあ
宝くじ当たったら整形するんだ。
コミュ力のある友人と、年や性別がバラバラのコミュニティで数時間過ごした。
コミュ障なので、新しく知り合った人とは型どおりのコミュニケーションしか取れない。
つまり、出身地とか、天気とか、その場にあるものについて当たり障り無い会話。そっから苦し紛れに話題を広げる。
自分のすることといえば、わたし青森に親戚がいて、からはじまり、誰も興味がないであろう青森の天気とかりんご事情とかを、話す。
相手が、さほど興味が無いであろう青森のりんごの話題などを振ってくるからどんどんつまらない会話が続く。会話義務を協力的にすすめているのだ。
そうやって、外国語の教科書のような会話が続く。ちっとも楽しくないし、ものすごく疲れる。
そうこうしてると、義務的会話に体力がつきて、つい突飛な話題を振ってしまう。
こんな所で書き込んでるギーク気質だから、面白い話といえばギークなネタしかない。
ネットだと普通だけど、ふつーの人には「へえ、そう」でスルーされそうなネタとテンションしか持ち合わせていない。
りんごの話でいえば、ギネスにのってるりんごの皮むきの長さってどれくらいだと思いますか?とか、りんごの面白い切り方のうんちくの話題を振ってしまう。
私ははじめて見た時にあれほど興奮したのだから、きっと彼らも……盛り上がれる、そう思って。
だが、これで決定的に会話ははずまなくなる。外国語の教科書的会話の時のほうが、あきらかに盛り上がっていた。見せかけだが笑顔もあった。
でも、だがこうなってはもう、止められない。おかしい、おかしい、なんでこの人は変てこなギネスの記録にこんなに興味が無いのかと思いながら、増田さんは若いのに物知りね、と言われて、理由をつけて会話は強制終了する。
ああまたやってしまった。私はもう一度この人達にあったら、あのよくわからない話をする人だと思われて、腫れ物のように扱われ、やがて孤立するのだろう。また。
教科書会話で押し通した方が、まだ二度目以降のコミュニケーションはスムーズに行く。少なくとも危険人物ではないと思われるからだろう。
だがそれで押し切ると、話題は尽きて何も話さないだんまりな人になって、やっぱり腫れ物扱いされて孤立する。そんなのばかりだ。
コミュ力のある友人の方を見れば、50代のおばさま二人と20代のフリーターとオタク系専門学校生と、差し入れのりんごについて楽しそうに盛り上がっていた。
別れたくなる半歩手前ですね
よーん
駅のトイレで「うーん困った」と声がしたので出さずに待ってあげた。もちろん実際待ったのは相手。程なくして慌てて立ち去る気配があった。親からはよく「人の嫌がることをすすんでしなさい」と言われている。
出世しない先輩に絡まれている。
出世しない奴に媚売っても意味ないし、時間がとられるのが面倒だ。
本人もたいして仕事に意欲ないから、仕事雑だし、後輩もその先輩に聞かないで俺にばかり聞いてくる。
めんどくせえ。
全部決定権俺にくれればいいのに。
自由の発見、自由論
解る人は自由な人
だからといって解らない人の中に自由な人がいないとは限らない
何かが「自由」かどうかを知りつくす事は不可能だけど、「自由の否定」ができないものは沢山確認できる
「わからないという事がわかる」という「無知の知」から「わからない事がそもそもわからない」という事は
確かに言えそうに感じるけど、そこで少し視点が自由になったのではないかと言える視点からは
「そもそも何からも認識されてない何か」すらに対しても「存在」として見る事が可能になる
それでは、、まず「数」の意味。考え方、数え方を基に展開収束を実際に行き来して
自由に自由そのもを扱い、自由にここに表す様をご覧頂き「どう感じるか?」を自由にしてみてください
これからはじまる文章を「どう感じるか?」をなるべく自由に感じてもらえるように書きました。
書き手の私が視点を自由に移動させますので、一緒に移動したり、無視したり、反発してみたり
様々な視点で読み進めて頂けたら幸いです。 勿論、今ここでスルーしたり時系列的に一つ前のページに戻っても自由です。
さあ何もかもから自由になってみましょう!それではばいばい!
「数と自由の両者を次元という次元からそれこそ自由に俯瞰するところから始まった思索記」
自由の数え方は、まず自由を知ってからではできないの?
いいえ
まずは「在った」のかどうかが「数える」という行為の前提です
なぜなら、数の次元は数でもってその「次元」を扱える事から「次元」という考え方そのものよりも
上の次元として考える事ができる
その時にそれらの次元同士の関係性を俯瞰する「視点」という次元が
「数という次元」が「次元」という「次元」の内部外部問わず自由に在るという事を認識した「視点」そのものが
「数という次元」と「次元」という次元からも「自由に在った」からだという事だ
なぜなら、まず「次元」よりもその次元を認識しそれらの間柄、関係性が認識できなければ
そもそも意味と意味の繋がりを認識する事はできず、意味も意味として認識する意識そのものが無いという事になってしまう
意識があるからこそ「次元」に対して「数」が自由で在ると同時にお互いの関係性そのものが「次元」で繋がり関係し合っている事に
気が付かないはずだし、築いてこれら何かしらの対象に対して意識を持つ事ができる
その意識であり意識としての働きも併せ持つという事を否定できない「視点の次元」は
「●●の次元」とあらわす以上は次元という考え方の内部では自由に移動できているはずなので
「視点という次元」は「次元」という考え方の内部にしか存在しないはずなのだけど
視点が「次元の次元」からも自由でその外からの視点で認識しない限り視点という次元そのものが次元という次元の内部だけで自由なのか?
はたまた、どちらか一方で自由なのか、それとも自由ではないのか? わからないし、知覚しないはずだ
でも私たちは、常に何らかの認識に対して反応する時に様々な反応を示す
身体が反応を示したり、心が反応を示したり、またどちらか一方であったり、相関のある反応を示したり
相関不明な反応を示したり、また「反応が無い時など」と様々な反応を示す。
という事は、どういう事かというと、これらから「存在の定義」いくつか考える事ができる
存在とは「感じる事」
存在とは「感じ反応する事」
存在とは「何かが生じる事」
存在とは「反応しない事」
「反応がない」という対象はそものも一見すると存在していないかのように考えられるけど
何かが「ない」と感じた時にその「ない」という意味が生じてしまうので
なぜかというと
「無」はその性質から、もしどこかに「存在していたとしても」認識できないはずだけれど
無に対する認識がそもそも無ければ、その性質や関係性などをこのようには言い表す事はできないはずだ
もし貴方が、何らかの認識をする時に「その認識」の存在が「有」でもあり「無」でもある矛盾によって
そのバランスでもって存在しせみせているという認識を持つ視点に対しても自由であるのならば
それは究極の自由「自由からも自由」で在る実感でき本当の「自由」を楽しむ事ができるだろう
簡単な事だと言ってしまえば、どのように思われるかわからないけれど
1=有限に在る 0=無限にない「無という次元に在るのか無いのかワカラナイ」
として
1=自由に設定できる有限 0=無の限り「ないものをそもそも測れないので自由度は不明」
と考えると
ただの数字の「1」ですら実は自由だという事が解る
ほら、次元は数で測れる事が可能だ 他の何かや他の次元からも観測はできるかもしれないけれど
自由というポテンシャルエネルギーにはベクトルがありそのベクトルには「広がり」は在る事がわかる
がしかしそれと同時に「収束」のベクトルが発生してしまう事を忘れてはいけない
何かの関係性を構造という認識だけでもって解こう説こう知覚しようとすると
縛られると同時に位置とその位置の持つポテンシャルエネルギーが
構造が構造として存在する為に構造を維持しようとして働く反対向きの方向性の認識が発生しているのに
なぜなら認識そのものがエネルギーを持つ以上、構造次元に対して自由な視点は
存在する事が自由であるし、その次元内に存在したと同時に同じ次元内で引き寄せられてしまうばかりだと想いがちなんだけど
この考えを公開するという事は、その次元間の関係性からも自由になって認識して
自由に「自由」そのものを考える事だできた事を明かしたかったからである
おわりんご