はてなキーワード: 無修正とは
NHKの動物ドキュメンタリー「ダーウィンが来た!」があまりにえっちすぎて戸惑ってしまった。
連日の年末進行でボロボロになっていて、なにも考えずに見るにはちょうどいいかと晩ごはんの時のBGM代わりに「ダーウィンが来た!」のヤリイカの回を流していた。
そしたらヤリイカのオスがメスの胴にこう、精子の入った袋をぐいっと腕で押し込むシーンがあって「えっ、やば、セックスじゃん」って思ってしまった。
そしたらナレーションでは真面目な声で「イカの繁殖行動、交接です」とか言い出すの。うんうん、要はセックスだよね。公共放送が無修正で流していい映像なのか、一瞬迷ったことに困ってしまった。
しかも、しばらく見てたらそのヤリイカたちが数万匹単位で交接しだすの。もう大乱交パーティーじゃん。
「ヤリイカの寿命は1年…… メスは一度きりの産卵期に20回ほどの産卵を繰り返します」だって! 一生に一度とはいえ、1シーズンで20回前後もヤるんだって! やっぱりえっち……!!
メスが産む卵には闘争フェロモンが含まれていて、オスが触れると興奮してメスを巡って争いだすんですって! オス同士を競わせるサークラビッチめ……!!
ついついヤリイカたちの生命の神秘に興奮してしまい、新たな性癖に目覚めてしまいそうになってしまった。
「ダーウィンが来た!」も含め、動物ドキュメンタリーって動物の生殖や子育てにスポットを当てることも多い印象なのだが、こじらせ性癖持ちが増えないよう祈りたい。
【追記】
ん? 法的根拠に基づいた行動ならむしろ正当という見方もできるのでは?
例えば週刊少年ジャンプの表紙に無修正の性器が載せられていたら、恐らく「法的根拠に基づいた」規制の対象になると思いますが、それは出版社の自由判断を蝕む「圧力」であり正当ではないと考えるのですか?
あるいは、ある女性がアニメのポスターに対して批判を行った時、そこに法的根拠が有れば「圧力」であり不当で、法的根拠が無ければ「圧力」ではなく正当、という事に成るのですか? あべこべでは?
一般の消費者によるいかなる批判・抗議活動も「法的拘束力はなく」「それに従うか否かは企業の自由判断によるもの」が圧力に該当しない根拠になるのであれば、
法的は兎も角、権力による場合は、政治家によるかなる批判・抗議活動も「法的拘束力はなく」「それに従うか否かは企業の自由判断によるもの」と言えてしまうのでは?
「人事によって発生した労働者の損失の賠償責任を消費者に求める(=「"批判"を"圧力"呼ばわりする」)」は俺ルールかと、
別に圧力呼ばわりする事は賠償責任を求める事とイコールでは無いのは自明ですよね?
また、「直接的には無関係であり」とありますが、間接的には関係は有るのでしょうか?
また、「直接的には無関係であり」が圧力でない事の根拠になるなら、法的または権力による働きかけの場合も「間接的な関係である」事が示せれば圧力に該当しない、と言えるという事でしょうか?
アニソン総選挙とかいうのがtwitterのトレンドに入っていた。気になってチャンネルをテレビ朝日に合わせてみた。
懐かしのアニメの曲とかドラえもんとかアンパンマンのようなファミリー・子ども向けアニメの曲が沢山流れるんだろうなと思った。
ふたを開けてみたら懐かしアニメとかファミリーアニメもあったけど、深夜アニメの曲も沢山流れていて閉口した。
深夜アニメは子供や青少年が見るにはふさわしくないエログロナンセンスの羅列である。
最低でも小学校卒業まで、できれば高校卒業か18歳になるまで見てはいけないものである。
夜10時以降の番組はニュース(NEWS23とかWBSとか)かドキュメンタリー以外は子供お断りだと思っている。そういう感覚で制作者も作っているはずだ。
そういう深夜の大人向けコンテンツが子供の見る時間帯に出しゃばってくることは、大人向けの露骨なエログロナンセンスに子供が触れることにつながりかねないか。
加えて深夜アニメには刺激的なシーンが多い。件の番組でも深夜アニメの名場面と称して少女が斬首されるシーンを無修正で放送していた。
鬼滅の刃を見てしまった子どもがショック症状を呈したという報告もある。
グロだけではない。深夜アニメは男性・女性の歪んだ性欲のはけ口という側面もある。そういう歪んだ性欲に触れた子供が二次元至上的なミソジニー・ミサンドリーに走る危険性もある。
ナンセンスに関しても、「顔芸」と称しダリの時計みたいなグロテスク一歩手前な映像を流すなど、エルサゲートのような深夜アニメが目立つ。
深夜にアニメをやるのは時間帯によるゾーニングである。子供に配慮しないでクリエイターが伸び伸びと表現したいことを表現できる場は貴重である(極端な例は『ポプテピピック』)。
そういう場に立ち入っていいのはある程度分別のついた人だけである。分別のつかない人間(特に子供や青少年)が触れていいものではない。
それを言ったら、公共の場の表現で「ヌードの局部は修正すべき」とする意見も、局部OK派から見たら「表現規制派」となってしまう。
表現の自由問題はどこまでをOK、どこからがNGという線引をどこにするかの議論なので、相対的なものだと思う。
公共の場で全ての表現をOKとする意見以外は、程度の差でしかない。
無修正ポルノも差別的文言も蓮コラやゴキブリのような多くが不快とする表現も公共の場に掲げてOKでありその影響は許容すべきとする意見以外はすべて、ある程度の規制を受け入れている。このようにほとんどの人が規制を許容しているのだから萌え絵批判者を「表現規制派」とするのは不適切である。
お前が表現の自由と公共の福祉の兼ね合いが不要という前提で話をしていて、無修正ポルノによる性的虐待を些細と言っているとしたら、表現の自由に対立する憎悪表現の悪影響も同じく些細ってことになるぞ。
表現の自由と対立する公共の福祉の問題として、無修正ポルノによる性的虐待と憎悪表現があって、この両者では性的虐待の方が「比較的些細」とお前は主張しているんじゃないのか?
「無修正ポルノが公的表現としてOK」という主義の人が、見ない権利やその他の公共の福祉の問題についてどう対応すべきかを質問してみたい。解決方法があるなら、多少は説得力を持つので。