はてなキーワード: お為ごかしとは
どっちにしろクズなのはナマポのほうであって、この医師(偽医師?)は悪くないだろう
善意につけこむクズナマポに人権などというお為ごかしが与えられてるのがこの日本の歪みの原因であることは疑いの余地がない
はてなには弱者のケツを舐めていい顔をしようとする偽善者が多すぎる
世の中にはエグい商売をやる一方でこういう弱者に媚びる言説を繰り返す人間のクズが多いことも周知
働けないからお金くだしゃ~~いwwなんていう人間が生きてていいはずがないんだ。古典的自由主義者の俺としてはこういう奴は泥棒と同じだよ
もっとも食い詰めたナマポが反社会的な行動を起こすというリスクもある
こういったことを解決するには「人権」などというここ数世紀でブサヨクが発明したCDS並の詐欺を解体していくしかないんだよね
弱者という言い方はやめろ。 やつらは乞食であり、寄生虫だ 寄生虫に「人の権利」などというものはない
はてなにもこういう価値観が他のウェブグローバルスタンダードのように浸透していけばいいんだがね・・
どっちにしろクズなのはナマポのほうであって、この医師(偽医師?)は悪くないだろう
善意につけこむクズナマポに人権などというお為ごかしが与えられてるのがこの日本の歪みの原因であることは疑いの余地がない
はてなには弱者のケツを舐めていい顔をしようとする偽善者が多すぎる
世の中にはエグい商売をやる一方でこういう弱者に媚びる言説を繰り返す人間のクズが多いことも周知
働けないからお金くだしゃ~~いwwなんていう人間が生きてていいはずがないんだ。古典的自由主義者の俺としてはこういう奴は泥棒と同じだよ
もっとも食い詰めたナマポが反社会的な行動を起こすというリスクもある
こういったことを解決するには「人権」などというここ数世紀でブサヨクが発明したCDS並の詐欺を解体していくしかないんだよね
弱者という言い方はやめろ。 やつらは乞食であり、寄生虫だ 寄生虫に「人の権利」などというものはない
はてなにもこういう価値観が他のウェブグローバルスタンダードのように浸透していけばいいんだがね・・
http://synodos.livedoor.biz/archives/1877537.html
これは、思うように動いてくれない若者たちに対して「このままだとこんなひどいことになるぞ」と脅かしたり、
「やーいざまーみろ」と逆ギレの悪態をついて溜飲を下げたりする趣旨のものではない。
すでに現実として目の前にあらわれつつある動きを、少々露悪的に(もちろん「本書」のスタイルに倣ったものだ)
書き記しただけのことだ。
まず、エリート的な高機能ビジネスパーソンが国境越えて活動するのは当たり前で、
これを「(露)悪の未来」として論ずる筆者はなにかがおかしい。
防ごうとする意識の方が間違い。
彼らは国に頼らないし、活躍できる場があれば国を選ばない。
彼らに将来を任せれば、わたしたち40代の老後、少なくとも生きているあいだくらいは、
きっと安心していられる状況を保ってくれるにちがいない。
なにを根拠に「ちがいない」のか。
読んでいてなんだか切ない気持ちに襲われる。
国に頼らず「自分の能力を発揮する場」「高い報酬を獲得する場」のみを求めて国境をまたぐエリートが
どういう動機で狩場の原住民の老人の住み心地ケアなんてことに気を掛けるのか。
どうも中高年移民推進論者というのは
を何故か無視する。
(これは移民を「気に入らない日本の若者」のカウンターとして夢想するからで、
いきおい移民若者像は全てが理想的で自分に尽くしてくれる感心な若者として描かれる。)
実際は、せいぜい来日者が比較的貧しいうちは
年金を始めとした日本の高齢者向け社会福祉なんぞ来日者が維持推進する動機があろうか。
彼らにとって年金制度なんぞは「意味不明な控除で自分の手取りを減らすインチキみかじめ料」であり
それではさすがにイヤだという人もいるかもしれない。若者たちはいいとしても、
40代のなかには、あと40年以上生きる方もいるかもしれない。
もし長生きしてしまったらと考えると、現状を「幸福」と感じ、満足してしまっている若者たち、
スティーブ・ジョブズがいうところの「hungry」でも「foolish」でもない若者たちに、
どこの国の「hungry」で「foolish」な若者だったら
あなた達の老後の支えなんかを任されたいのですか
と問いたい。
具体的な答を返せたらたいしたもんだ。
老後の支えというのは
若者個人の才能や情熱やハングリー精神から産まれるものなんかではない。
社会の老後の支えは、よく練られた社会制度と、なにより社会全体の余裕から出てくる。
もう一つの足は構成員一人一人がその社会にコミットする気持ちだ。
日本はどっちも既に破壊したのだから、あとは一人一人が覚悟しましょうということ。
「頼り甲斐のあるニューカマー」なんぞを呼んだところで、
彼等傭兵は絶対に日本社会なんかにコミットをしない(当然で、薄情でもなんでもない)。
安易に助かる都合のいいボートはないのだ。
近々死ぬ人間を除き。
なにより
「見限ろう」もクソも、若者世代はとっくに見捨てられて長い。
「生意気なことを言ってるなら見限ってやるぞ!」なんて、意趣返しにも脅しにもなってねーのだ。
もらったことない仕送りの打ち切り通告で怯える人間が居ようか。
実際に筆者自身、もしくは筆者の世代が、
若者世代に具体的にどんな支援をどれだけしてきたか聞いてみたいもの。
恩着せがましく口にする「実りのないおせっかい」とは具体的になにをしたことだ?
せいぜいが、
「状況も見えてない無責任な若者論で説教していい気になる」ことを
なんとなく凄いことしてあげたみたいに記憶してるだけだろう。
この”暴論”すら結局はそういう匂いが濃厚に漂っている。
「若者を挑発してケンセツ的な議論を導いてあげた」とかなんとか。
「食えもしない”おせっかい”でお為ごかしの恩恵面されてもなあオジサン」
という「本書」の序文をきちんと読みながら
新春のお笑いのつもりだとしても若者から失笑しか買わないだろう。
「暴論」は状況が見えてないことの言い訳にはならない。
若者はこの筆者みたいにあてこすりで人を動かそうとか、なんかを乞うてるとか、そういうことをしてるわけではない。
何よりもう、仮に今から全速力でどのような若者向け政策を打ったって、今の20~30代世代には手遅れだ。
ライフステージにせよキャリアにせよ、取り返しが付かないことだらけだ。
もっと究極的な話をすると、
バブル世代以上中高年が下の世代に何かしてくださるつもりがあるなら、
団塊ジュニアのピークが繁殖期過ぎるまでには彼らの雇用をどうにかしとくべきだった。
あそこを無策に過ぎた時点で日本の人口ピラミッドが回復するチャンスは無くなった。
別にこの山口浩という人がそういう状況わかってたら当時何か出来てたとも思わないが、
ただ何もしてこなかったし何も出来ない人間が吠えんなよということ。
もし「いや違う、俺はやろうとすれば何かが出来る」ということなら、
今の若者世代よりざっと20年長く世に出ていながら何も出来ず今日の状況を招いて
あげく下の世代に恨み節をいうとは烏滸の沙汰だろうバブル世代。
無力を認めたほうが立場はマシ。
要するに、今後はもう全員覚悟するべき。
十年以内に死ぬ予定の人間以外は。
40代は敵に回る?
あんた達にはたいした嫌がらせなんか出来ないし、
なによりあんた達も確実に、絶対に、助からない。子供が居るなら子供もだ。
沈む船の中でまーだ「誰を脅せばいい目見られるかな」「誰を殴れば助かるのかな」
なんてことを考えてる暢気さはさすがのバブル世代の貫禄がある。
繰り返しになるが
「暴論」という体はこの山口浩さんがまるで状況をわかってないことについての言い訳にはならない。
この世代のオッサン達がするべきことは下の世代に喚き散らすことではなく
・推進、反対という立場から議論を始めると、イデオロギー対立になり不毛である。
もっと言えば、「推進」「反対」の二分法自体が無意味であり、どちらかに旗幟を鮮明にできること自体が「ナイーブ」だと思うわけです。例えば、太陽電池大手のシャープが「原発なければやってられん」と言っていたりする。脱原発なら自然エネルギー大規模開発は必須なので(化石燃料無尽蔵&温暖化CO2非原因説はどれだけ甘く見積もっても、例えばもんじゅの安全性と技術的将来性より心許ないのは明らかなので論外)、こうしたこと一つ取っても即時脱原発は正しい正しくない以前に「不可能」であることは明らかです。
なので、具体例を挙げれば、上でリンクしたブクマでシャープ叩きしてるはてな民とか、あるいはこういう意味での穏健な脱原発派を「御用学者」呼ばわりしている連中は「ナイーブ系」であり「電波」であり相手にするに値しない、ということですね。
これは半分違います。私の場合「ナイーブ系」の宣伝が虚偽だと見破れるだけの知識があったのだから騙されたのは自己責任です。元増田でああいう風に書いたのは単なる皮肉です。ただ、私ほど予備知識がない人が騙されたならそれはナイーブ系の罪だと思います。
・政府、東電は、事故当初の混乱状態の中、(多少の遅れはあったものの)、一貫して可能な限り正確な情報を流し続けたが、「ナイーブ系反原発派」は、「メルトダウン隠蔽説」に象徴されるように、政府、東電の発表を捻じ曲げ、事実を隠蔽しているという印象操作を行った。
「可能な限り」とまでは言いません。「不手際」は数々あったと思います。たとえば3/12の最初の水素爆発の当時「情報は確認できていないが線量値から見て格納容器や圧力容器に致命的な損傷があったとは考えにくく、建屋の水素爆発の可能性が高い」なんてことは1時間以内に発表できたはずです。
実を言うとあのときも土曜日だったこともあり、私は買い物を兼ねてターミナル駅に移動しました。もしチェルノブイリ状態になっていたという発表があれば即座に新幹線に飛び乗って実家で土日は様子を見るということを考えたためです。結局、夕方に「建屋の水素爆発だった」という発表があったのでそのまま帰宅しましたが。
福島第一の当時の状態は電話線を誤って切断してしまうというほどグダグダだったと聞いていたので現場を過剰に責める気はありませんが、東京だけである程度できる判断材料はあったと思うのです。故意に隠蔽していたとは思いませんが、もう少し知恵を使う余地はあったと思います。まあ、それもこれも結局はすべて、典型的な事故であったにもかかわらず事前の訓練がなされていなかったことに尽きるわけですが。
・「原発安全神話」というのも、原発推進派がこれまで「絶対安全」とは言ってこなかったことから、反原発派が作りだした印象操作による幻想であることが明白である。
これはそう思います。あともう一つ、「安全神話」に対する懐疑は今まで十分に伝えられていたということで、そもそも「国民が推進派に洗脳されていた」ということ自体が「真理省」的な歴史の書き換えだということです。新聞やテレビで「安全神話崩壊」って今まで何度聞いたかわかりません。
・原発の「安全」性についていえば、主要な安全の基準である「死者の数」からしても自動車よりも安全性が高いのは明白である。
それは事故が起きた後もかわらない。ただし今回、事故が起きた以上、問題がなかったとは言えない。
主要な問題点は、原発が持つテクノロジーの側面というよりむしろ、有能な「理系」技術者が警告をしてきたにもかかわらず、無能な「文系」の運用、監督者たちの妨害により必要な安全策が取られなかったことであるであると考えられる。
「高いのは明白」とまでは言いません。「そういう判断にだって一理はある」ということです。そして、この判断基準に異を唱える人がいるのも理解できますが、だったら「命が一番大切」なんてお為ごかしを言うなよ、ということです。
あと「理系」「文系」の二分法ははっきり言ってどうでもいいです。ブクマとかで「理系」とかにクリリン発動されて売り言葉に買い言葉だっただけなので。ただ、今回の事故は「技術」ではなく「政治」「経営」が原因で起こったのに「原子力技術は人間には扱えない」と、まるで「技術」の方に責任を転嫁していることに違和感があるだけです。
・福島第一原発から放出された放射能および食品への汚染による影響は、少なくとも首都圏に住まう人にとっては、科学的に影響が確認されている年間100mSv以内の被曝におさまるので、実質的リスクは無いか、無視してよいレベルであるから、ことさら騒ぎたてる必要はない。
いや、もう少し慎重です。首都圏の人については「自然放射線の地域差レベルだから無視してよい」ですね。これが10mSvのオーダー、つまり福島県の避難区域外の中で一番深刻な場所程度になると、無用な外出は避けようか、フィルムバッジを持ち歩いて自分の被曝線量を測ってみようか、ぐらいのことは考えると思います。「原発付近の住民への被害を最小限にとどめることができている」はそうだと思いますが。
まあ、率直な実感として、私も当初は1桁ぐらい余分に警戒してましたし、普通の人はさらにもう1桁ぐらい過敏になるんだろうな、って「気持ち」はわかります。
http://mainichi.jp/select/today/news/20101106k0000m010081000c.html
お疲れ様です。あなたもうすうす感づいているはずです。だから余計に疲れているはずです。
情報は不可逆的に伝わるものだと。
情報の隠匿をしている国は、途上国の独裁国家ばかりであることに気づくはずです。
日本はすでにそのような国になりかけているのです。
国民がいらだっていたのは単に隣国に対してではありません。
この国を覆っている老人の心配に対してです。
君たちのためだ、というお為ごかしで情報を隠匿し、実際には老人が自分たちの恐怖を隠匿するための方便とする状況はもう十分ではありませんか。
あなたは国益のためといって私たちの自由を制限し、情報を隠匿しようとしました。
つまり、明らかに不正な行為がそこに写っており、相手の不正行為を隠匿するために相当な無理を重ねたため、不正行為が露見する徹底的な証拠が世に出れば、両国民のエスカレーションはとどまるところを知らず、それは結局誰のためにもならないという大局的な判断をあなたはしたつもりだったのです。
しかし、結果的にみれば、それは隠匿を決定したあなたの傲慢と恐れに過ぎませんでした。
情報の伝達は不可逆的であるという事実を無視し、あなたは自分自身の恐れに従って世界を歪めようとしました。
国民が怒りを感じているのはそのことについてです。
あなたは逮捕させ、この国で刑事罰を与えることができるでしょう。
しかしあなたは理性に乗っ取って大局的な判断をしたのではなく、自らの恐れに負けて他者の自由を制限したという事実は変わることがありません。
http://anond.hatelabo.jp/20080924032850
漫画ファイルは色んな所で出回ってるけど、その漫画をファイル化(スキャン)した/してないに関係なく、ばらまいてる人間に「権利者(出版社や漫画家)に利する」という思想が微塵も無いもん。少なくとも俺はそれらしき主張をしている奴を見た事が無い。
たとえば、ファイルアップローダを介してファイルをやり取りする2chのスレッドなどを見てみると、
上記を、スレッドを消耗しながら延々と繰り返してるだけだもんね(しかも何年も)。アップロードする側の「相手に施しを与える・相手に感謝される」という自己満足と、ダウンロードする側の「夜のオカズを手に入れたい・エロいものを見たい」という欲求がかみ合っているだけで、元になる作品を生み出した出版社や漫画家の存在は完全に無視されてるのが現状。
ファイルの主な第一次流出源になってるP2Pについても、システムが違うだけで事情はさほど変わらない。「この素晴らしい作品をもっとみんなに知ってもらいたい」なんてお為ごかし(タテマエ)すら、今では誰も一言も口にしない。ばらまくことのリスクや是非についてきちんと理由付けしているわけでもなく、惰性で「ばらまけるからばらまいてる」というだけ。特に新刊を発売直後ににばらまく奴とか、何も考えず発作的にやってるとしか思えんレベルだ。
とにかく彼らは、権利者を蔑ろにしているという正論から目を背けて、自分自身の(精神的、もしくは金銭的)満足のためだけにファイルをばらまいていると断言しても良いと思う。そういう連中を、出版社や漫画家が正当な権利でもって煮ようが焼こうが八つ裂きにしようが、漫画市場に悪影響を及ぼす懸念は非常に小さいと俺は主張したい。エロ同人なら、今時の同人サークルなら自前のWebサイトやブログといった宣伝の場はとっくの昔に確保してるだろうし、エロ商業誌に関しても、最近は漫画関係のブログで内容を紹介する人も増え始めてる。エロ漫画関係では大手のコアマガジンがブロガーにレビューを依頼するという試みも期間限定でやっていた。「ネットによる広告効果」はこういった人々に任せるべきで、野放図にファイルをばらまいている連中については、そろそろ退場してもらうか、もっと暗い日陰に追いやる時期に来ていると思う。
大学時代、気にくわない講義は出席もせずノートも買わずに単位を取って卒業していた俺が来ましたよ!
自分を高める為に通う勉学の場である大学においてまでごまかしとはあまりに情けない。○○大学卒という肩書きはインチキで卒業した程度の人物でも真面目に講義に出て勉強していた者との区別はつかない。
肩書きはインチキできるけど、学んだ内容自体はインチキできない、それだけの話ですね。きちんと講義に出ていても、丸写しノートを一夜漬けした程度の理解もない人って結構多いですけどね。むしろ、実践においては講義で教えられた知識だけで事足りるということはあり得ないので、一夜漬け能力も重要ですよ。
私に言わせれば、一夜漬け野郎程度の理解もできていないできの悪い学生が、真面目に講義に出席していたというだけで単位に温情を与えられる方がよっぽどインチキだと思いますがね。
あと、どうでもいいことですが。
読書感想文なんてのは、教師が「生徒の自主性」の名の下に、予定調和的に自分のお気に召す作文を書かせる儀式なわけですね。要するに「正解がある問題」なわけです。だったら、正解をどこから探してきてそれをコピペするのは当然過ぎるほど当然。その程度のくだらない課題なんだから。俺は小学生の時は「この課題図書はつまらん」とかいちいち書いて提出してましたが、労力の無駄でしたね。
ただ、元記事やそのブクマにも腹が立つのは確か。要は単なるサボりの自己正当化とルサンチマンでしょうと。
これについては、私もcoconutsfineさんに賛成だ。「時間を節約させる」ソリューションをお金で売るのは正当なことであって、ビジネスの基本ですらある。世の中には、お金を出して時間を買いたい人がたくさんいる。
大学の中はビジネスの世界と同じ原理で動いていない、それだけのことですね。
マジメに勉強すれば成果が出るとは限らない。それは、マジメに働いても成果が出るとは限らないのと同じだ。現実の社会では、マジメさももちろん重要な資質だが、能力の違いやプロセスの違いも結果に大きな差を生む。
こういう人の言う「現実の社会」とは「ビジネスの世界」の単なる言い換えなんですよね。「アカデミックの世界」は現実じゃなくて虚構の世界に存在しているわけですか。へーえ。そういうお為ごかしの言葉を使って自分を正当化するのはよろしくないですねえ。
ちなみに、じゃあお前はどうやって単位を取っていたかといわれそうですが、自分で本を探して独学したり自主ゼミ組んだりしていました。
私の大学には、一部の教官の間でも、「講義は一手段であって拘束ではない、ただし結果は一切自己責任」という風土もありました。そのかわり、そういう教官の試験は一発勝負の温情なしだから、単位に甘いというわけでもなかったのです。
そうやって、どの講義に出てどの講義を捨てるかということを試行錯誤していく中で、「学問との付き合い方」という、ある意味では学問の中身それ自体よりも重要なことを学んで行けたように思いますね。卒業して以降、在学中に学んだ知識の全てが役に立ったとは言い難いですが、在学中に「学んだ」こと自体は大いに役に立っていると言えるでしょう。真面目に受けた講義が実はカスだったり、捨てた講義が名講義だったことに後で気づいて後悔したことも、今となってはいい糧となっていますね。
だからそういうこと書いちゃダメだってw
西暦2006年、jkondoは少数の弟子と共に『グーグル教』のメッカである珪素谷へと向かった。本家本元が存する地で新たな布教活動を行うつもりであったのである。これには現地に居たumedamochioも全面的に協力し、『グーグル教』の使徒である聖chenを誘惑までした上での大掛かりなミッションであったが、谷の空っ風に吹きさらしになりながら(谷に雪は降らない)1年半もの間グーグル教皇シュミット7世にサインを求めたにも拘らず、終に教皇が現れることはなく、豪華な食堂で社員のふりをしてただ飯を食らうに終わった(バレーの屈辱)。仕方なく彼は日本に舞い戻り、お為ごかしのつもりか京都に教団を移して知らぬ顔を決め込んだ。珪素谷でいったい何があったのかjkondoは一切語らずその秘密を墓まで持って行った。このミッションは信者の間ではなかったこととされ、長い間公然の秘密であった。