私は美大出身でデザイン関係の仕事してるんですが、大学の同期たちもデザイナーになってる人が多いわけです。
友人と話していていつも感じるのが「お前ら残業しすぎ」という問題です。
たまに数人で集まるといつも残業の話題が上がるんですね。
で、深夜まで残業してなくてタクシーで帰ったみたいなことを一人が言い出すと「わかるー」「私もこの前会社泊まった」と次から次へと残業エピソード披露大会が始まるわけですよ。
しかも半数以上は残業代が出ないというじゃないですか。
いや、あんたら、残業代も出さない違法企業のために何をそんなに働いてやってるんだと。
それにデザイナーなどの専門職にありがちな「でも仕事は楽しいから」っていう感じでもないんですよ。
みんな辞めたがってるの、でも辞めないの。
もちろん諸悪の根源は会社やクライアントにあることはわかってるんですが、何も文句言わず働きまくってる友人たち見てたらなんだか腹が立ってきてしまって。
私もデザインに携わる人間なのでこれはかなり肌で感じるのですが、デザイナーは労働力を安売りしすぎ。
「日本ではデザインの価値が理解されていない~」みたいな愚痴をこぼす前に自分で価値を貶めるような働き方をやめなさいよと。
みんな優秀なんですよ、なのに自らこき使われにいってて、悲しくなりますよ。
デザイナーに限った話ではないと思いますが、みんな余分な残業はやめてさっさと帰ろ?奴隷じゃないんだから。
とうとう今日、2017年12月28日をもって、ゆっきーがESDを卒業してしまう。
正確には月末なのだが、明日のライブには出演しないのだから、今日が実質的なラストと考えてよいだろう。
ここに初めてゆっきーのことを書いたのは、ふた月半前の10月10日。
その時はまさかこんなことになるなんて思わなかった……と思って読み返したら、むしろゆっきーが卒業してしまうショックから、ここに名前を隠して楽しく日記を書き始めたのだったと思い出した。
発表が10月9日。きっとそのブログを読んだのが翌10日で、絶望の末にここにあの「行かないで……」を書いたのだろう。
結局その後、一度もゆっきーを生で見ることはなかった。
本州はあまりにも遠いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、所詮はその程度の存在でしかなかったのかもしれない。虎になりそうだ。
それでも、最後にお会いできたあの生誕祭から3ヶ月、ゆっきーとかわしたわずかな会話を思い出したり、手元のチェキからもらった元気の量は計り知れない。500kgは超えると思う。
元々自分は声優クラスタだった。もっとも、比較的最近その世界に足を踏み入れたにわかだが、少なくともアイドルクラスタではなかった。
12月12日に渡辺美優紀の話を書いたが、この人のこともその時まで名前も聞いたことがないくらい、AKBやNMBにも興味がなく、三次元のアイドル界隈はむしろ苦手なジャンルだった。もちろんゆっきーのことも、声優として認識していた。
自分にとって声優とは、アニメやゲームのキャラの声をあてている、とてもとても遠い人である。もし見られたとしても、ディスプレイの中か、せいぜいライブやトークイベントで遠くからしか見られない人である。
昔一度水樹奈々のライブに行ったことがあるが、自分が水樹奈々と何か一言でも声をかわすことなど、考えることすらなかった。
飛び抜けて人気の高い、紅白に出るような人を例に挙げても仕方ないかもしれない。しかし、距離の遠さは人気とはあまり関係なく、むしろCDを出していなかったり、ライブをしていない声優さんの方が遠いケースも多い。
そんな中で、ゆっきーは異色だった。
会える、話せる、握手ができる、チェキが撮れる。少なくとも自分は他にそういう声優さんを知らず、とてもセンセーショナルだった。
もちろん、だから好きというわけでは決してないのだが、他にたくさんいる好きな声優さんの中で、ゆっきーだけが特別な存在だった理由がそこにあったのは否定できない。
なにぶん本州は遠く、結局現場に行けた回数は片手で数えられる程度なのだが、それでもその1回1回がとても貴重で、大切な思い出になっている。
だからこそ、ゆっきーがESDを卒業してしまうという一報に、どれくらい深く絶望したか。おそらく3kmは沈んだ。そのまま地球の裏側まで沈み続けるかと思ったが、それはなかった。詳細はメルトスルーで検索して欲しい。
いずれにせよ、これでもうゆっきーと会えることも、握手をすることも、チェキを撮れるような神イベントもなくなるだろう。
一番応援していた特別な一人から、たくさんの好きな声優さんの一人になってしまう。特別の消失。失われた特別。俺の愛した特別は死んだ。何故だ!
世界は色を失った。
真っ白だ。
いや、白を失ったから透明?
よくわからないけど、まあそんな感じ。
今でも目を閉じると何も見えない。
どの曲が一番好きだったかな。やっぱり『君色に染まる』かな。
好きだよ。
好きだよ。
好きだよ。
って、伝えたい。
今までありがとう。
そしてさようなら。
これからは、他の多くの声優さんのように、ディスプレイのこちら側から応援しよう。
……えっ?
えっ、ちょ、まっ!
END.
先週のしまじろうで「大人にはサンタが来ないから僕たちがサンタになってプレゼントを配ろう」って話をやってて、最後は寝たフリをしてたしまじろうが起きてサンタ服を来て両親の枕元にプレゼントを置こうとするも両親リビングでテレビ見てる
↓
リビング入口の廊下で待ちくたびれて寝てるしまじろうを両親が発見
↓
↓
しまじろう、ベッドで目覚めると枕元にサンタさんからのプレゼント発見
↓
生活保護引き下げは当然だと思う
俺は本来支援を受けるべきワープアなのに、支援する側に周ってる
この矛盾に耐えられない
魂とかありません
だから、好きなように生きましょうよ
少なくともそう考えるのが最も合理的です
この世界は自分が死ぬまでに、自分が得る得点を最大化するゲームです
生まれる前や死後の世界を勘定に入れて戦略を組み立てるのははっきり言って下手なやり方です
自分以外の人間や生物にちゃんとあなたと同じような意識が宿っているかどうかすら知りようがないのです
このゲームにおいて他人というプレイヤーは味方でも敵でもありません
それぞれが得点を最大化する過程で、自分の戦略とマッチすれば協力しあえるし、逆なら排除しあう関係になるだけです
他人を喜ばせて嬉しい、傷つけて悲しいというのは結局あなた自身の得点を増減させます
そう考えたほうがきっと楽ですよ
こういうことを話すと、きっと、じゃあ自分の利益のためにいくらでも悪いことしていいんだな、とか
気に食わなければいくらでも殺していいんだな、とか意見をいただくでしょう
そのとおりです、してもいいんです
人間が100メートル飛び上がるのはおそらく「できないこと」でしょうが
物理的に、です
刑法では殺人は罪になりますが「殺してはいけない」ではなく、「殺したら罰を与えます」としか書かれていません
それは当然のことで、いくら刑法にダメと書いても、本人が決心するだけで実行できてしまうのですから
(というか、この現代、宗教上の理由『だけ』で『全ての』人の行動を縛るなんて無理がある手法です)
たとえば私に限って言えば、それでも殺人を犯さないのは、それはこのゲームにおいて得点が下がる行動だからです
精神的、金銭的、あるいは刑罰的な理由で、様々な方向から得点がガリガリ下がります
得が全くありません
他の人にとって困る行動をすると、自分自身の得点が下がるように、法律できっちりとルール付けしてあるからです
それでもやはり殺人の方が、余りあるマイナスを乗り越えてでも得点が上だとなった時、私はきっと殺すでしょう
そうやって世の犯罪は起こるはずです
これが私の宗教です
http://chaos2ch.com/archives/3627183.html
「問題を間違えるというのは、
数学の問題集を何回も解きなおしてるけど点数が上がらない友達とかいたけど、
彼の弱点は与えられた問題に対して「どの解き方を使うのか」を導き出せない点だったんだろう
ここまで「武豊な」という指摘0