今の日本では学費が払えないから大学に行けないという人は多くなくて、塾や予備校や中高一貫進学校など、どれだけ余分に投資ができるかで行ける大学の序列が決まっていく。
だから、せめて公教育でお金をかけなくても良いように、支援をすべきだろう。その分の金を別に(塾などに)回すことが可能になる。一日は24時間というのは、誰でも変わらないのだから、どれだけの金持ちでも、子供の教育にかけられる金も、自ずと上限がある。
毎月10万円わたせばいいだけ
朝日新聞デジタル:オスプレイ、日本に追加配備の可能性 空軍仕様機も - 政治
http://www.asahi.com/politics/update/0112/TKY201301120038.html
オスプレイ配備に反対する人間は、なぜ中国ではなく日本やアメリカに批判の矛先を向けるんだろう?
中国が領海侵犯を、北朝鮮が世界への挑発行為を辞めたなら、それだけで日米はオスプレイ導入の口実が無くなるのだから、まずは中国や朝鮮への批判を強めるべきだろうに。
なぜ恋人を作らないのですか?
別に自分が彼氏をやる必要性がないから、ちやほやされれば女性は誰でもいいんだと思うから
みんな為に頑張っていれば、誰か一人の為に頑張らなくとも後ろ指をさされないから
いずれ嫌われる人の為に我慢を続けるのが嫌だから
「情に篤い女性」なんて自分の人生には存在しないように思えるから
全て自分の思い込みだと思いたいが、あながち的外れでもないから
なぜ女性が嫌いなのですか?
あざといから
下手にでないと不機嫌になるから
馴れ馴れしいから、かといって慣れ慣れしくされるのは嫌らしいから
女性と付き合っている画面の前の男性諸君、君たちは真の聖人だ。
なんで私はこんなにキチガイなのだろう、もっとまっとうに育ちたかった。
とっくに人格の形成器は過ぎた。
今まで、あまりにも人間関係でみじめな思いをした、それの鬱憤が溜まっていたのかもしれない。
もうまったくどんな女性も愛おしくも、美しく感じない。
興味も関心もない。
非正規はもともとブラック横行してるしなー
私もあんたがなにがしたいのかさっぱりわからないw
学費負担を軽減するのは、本人の「学び」にとってはプラスだと思うし悪いことではないけれど、
それで人生設計が楽になることはないでしょ。
今の日本では学費が払えないから大学に行けないという人は多くなくて、塾や予備校や中高一貫進学校など、
どれだけ余分に投資ができるかで行ける大学の序列が決まっていく。
だから公教育の部分でいくら福祉を厚くしたところで、その余分なお金のかけ方次第で人生は決まってしまうんだ。
そして、就職で企業が見ている学歴というのは「序列付け」の機能が主で、「実際に何を学んだか」はほとんど問われない。
だからFランはどれだけそこでの教育が充実しようがFランのままなんだ。
すごくよくわかる。
否定ばかりされてると、消耗してしまう。自分では悪いことをしてるつもりがないのに否定されるなら、なおさら。それに加えて、自分でも自分を否定していくようになると、地獄だよね。自分が生きていることに価値を感じないのに、それでも毎日生きないといけないなんて辛い。それでも精神のバランスを取るために、「どうでもいいんだ」と感受性を麻痺させざるをえない面もあると思う。
でも、世の中みんなが芸能人や恋愛やテレビ番組にもともと興味があるから、それらについて話しているとは限らないと思う。個人差はあるけど(そもそも、「自分が関心ない話題を振られる、だから何? 楽しんでるフリしてテキトーに合わせちゃう」というのが苦にならない人もいる)。
「普通」っていう枠におさまることを重要視する人々にとって、テレビなどのメディアが提示する「恋愛は楽しいからどんどんするべきだよー」とか、「こういうアイドルが流行りだから知っておくべきだよー」というメッセージは、普通に生きるための道標なんじゃないかな。だから、そういう話題になりがちだし、無意識のうちに相手にも、そのメッセージを押し付けてしまう。本当は、そういうメッセージを他人にぶつけて傷付けていいなんて正当性はないと思う。まあ、単純に、当たり障りのない話題だからついつい振っちゃうこともあると思うけど。
特に大学では、同じ学年でも年齢が違う、出身地が違う、と共同体的な個人間の紐帯が弱まるぶん、普通であることで人とのつながりを維持しようとする働きが強くなるような気がする。そうでなくても、「普通」に属して安心していたいという感情は、程度の差こそあれ多くの人が持つと思う。
で、みんな集団から浮かないように、心から納得してアイドルの話とかしていられたらいいんだけど、そうじゃないから元増田に対する風当たりが強くなるのではないかな。
高橋源一郎さんが書いてましたけど、「誰にも言えない私の秘密」というお題で作文を書いてもらったところ、学生さんたちの40%が「友だちのふりをしているけれど、ほんとは好きじゃない」が「絶対に口にできない秘密」だったそうです。あら~。
このツイートを読んで、思ったんだけど、テレビ番組とかお笑い芸人とか、そういう話題にノリノリになって話してるように傍目には見えても、「実はあんまり興味ない。でも周囲から浮かないためにはこういう内容を話すべき」と勝手に義務感を感じて自分でも知らないうちにフラストレーションを抱える人も結構いるのでは。そういう人にとって、元増田のように「その話題、どうでもいい」と意思表示する人の存在は、「みんな実はこういう話題に興味がないけど、義務感から話をあわせている」と気づかせる危険人物となりうる。その結果、無意識下で「俺だって浮かないように周囲の話題に乗ってんのに何KYなことぬかしてんだ」という苛立ちが生まれ、アドバイスをかましてきたり、批判をしてきたりする人々が現れることもあると思う。アドバイスする本人は親切心からのアドバイスだと信じていてもね。
つまり、「人間は普通であるべきだ」と強く思いこんでいる、そういう人たちにとって、「普通じゃなくてもいいんじゃない?」って提案してくる人は己の根本を揺るがす脅威になりうる。
何を言いたいのかというと、「こういう話題に乗らない君っておかしいよ」って指摘してくる人たちも、積極的な興味があって芸能人とか好きなタイプについて話してるとは必ずしも言えない、場合によっては嫌悪感を感じてるんじゃないかなーということ。だから、そういう話題に興味が持てないからといって、負い目とかコンプレックスを感じる必要はないと思う。そう思うと、ほんのちょっと気が楽にならないかな。自分に対して否定的になると、よけいな感情によって円滑なコミュニケーションを取りづらくなるし、相手と自分を比較してしまって人といるのが辛くなる。だから、自己卑下につながるような種は除いたほうがいいと思う。その点、対人関係を絶っていない元増田はすごいよ。
「本当に心を許せる人と出会い、関係をつくるにはどうしたらいいか?」という点については、ブコメまとめの方が親身になってくださっているので、興味という面から書いてみた。全体的に推測の域を出ないので、あくまでも「いくつかある見方のうちのひとつ」ということで。直接話聞いてくれる人ほしいなー、という時は大学の学生相談室という手もあるよ。
イギリスは北海油田があるので資源輸入国に分類するのは微妙だと思うが
基本給やベアは継続的にやるもんだから好景気がどれくらい続くかわからん段階で上がらんのは当然だろう
景気がよくなる場合は賃金上がるより失業率が低下するのが早いし賃上げも正社員より非正規のほうが早い
それに食料価格が上がるとか言っても金額ベースで7割くらい国産で輸入だって物流公理の分があるわけで値上げが全然国内に回らんってことはない
車っていう考えがすでに昭和だな。。
わざわざ政策的失敗をまねしなくてもいいよ
よくいるんだけど、仕事のオーバーブッキングして他の人に迷惑をかける人はよくいる。
仕事は終わらせることよりも、終わる量を測って受けることが重要。
集団で仕事してるんだから、誰か一人が遅れたら全員が遅れていく。
というのが、周囲から見た考え方。
となっている事が多い。
書きだしてみると、自分のやったことを、
という尺度で考えているとわかる。
自信が削り取られて更に何も手につかなくなる、
という悪循環に陥っているようだ。
これを単純比較化しないようにすればよい。
1.やったこと(成果)の定量化をやめる
自分で評価することをやめる。もちろん数もカウントしてはいけない。
自分を見ていてくれているヒトの期待に応えようとするのはよいことだが、
その人達は応援しているヒトが潰れることを期待しているわけではない。
コンピューターに入力できるものは大抵は計量できてしまうので、覚えておくと良い。
作成したファイルの数、書き込んだ文章の文字数、閲覧した情報の量。
落ち着いて考えれば、いずれもあなたが本当に求めている成果それ自体ではないはずだ。
また「今日何もやっていない」の「何も」には、あなたの成長はカウントされない。
せいぜい表に出たいくつかの事を指していて、その表に浮かんできたもの以外の部分を
いかに自分自身が大事にできるか、定性的でも価値を認められるかにかかっている。
2.は、時計を捨てろということと等しい。
本当はそれで困らない生活ができるのであれば、それでも良いのである。
午前中何も出来なかった、でも午後は何かできたとしよう。
1日何も出来なかった、1週間何も出来なかった、と思うことがある人は、
十分長い時間までの時間軸(年とか、時代とか)のみを考慮する。意識しなければなお良い。
時間尺度の精緻化は、現代社会の発達に極めて重大に寄与してきたが、
それは機械化の恩恵を生み出した一方で、ヒトがついていける時間軸を既に超越している。
1.も2.も止めて、私は、その勝負の枠組みそのものからも、降りる。
僕らを測る基準は、実は自分の心だけで良い。
時計やカレンダー、ましてやストップウォッチで生産性を測る必要はない。
いつも自分の状態を、自分の心がどう思うかだけに集中すればよいのだ。
いまのこの国の世の中で支配的な価値観は、
生産性=経済的価値 である。それではあんまり幸せにならない気がする。