うん、だから。
そこで取り扱う「文法的な正しさ」というのは、矛盾なく日本語を構築できる体系を目指そうというものであって、「正しい文法と間違った文法」を振り分けるものではないでしょ?
もちろんこれは単語や音韻イントネーションにも同じように言えるわけで。
教育学的アプローチがあるというのは、数ある国語理論が教育として有用なものか(というわけでいまだ橋本文法が権威を持っているわけなんだが)という話でしかなく、「「正しい」日本語を教えるための」アプローチではない。
あなたの言うそれはずいぶん前にあった算数教育の、掛け算どっちが先かって議論と同じ。
多人数教育に便利なメソッドが欲しいだけ。そういうものはどんな学問にだって要請されてる。何も保守的だからという話じゃない。
(^^)v 言語の運用は言語学の範疇じゃない!国語学、日本語学の範疇だ(どっちも同じようなもんだが) 自己申告ご苦労様です! ↑国語学の解釈間違っとるぞ。 国語学上にも「正誤...
いや、教育と分離した「国語学」なんて存在し得ないんですって。 例えば「文法」ってのも国語学では扱うけれど、言語学において「文法的に間違ってる」って言葉はありえないんです...
うん、だから。 そこで取り扱う「文法的な正しさ」というのは、矛盾なく日本語を構築できる体系を目指そうというものであって、「正しい文法と間違った文法」を振り分けるものでは...
そこで取り扱う「文法的な正しさ」というのは、矛盾なく日本語を構築できる体系を目指そうというものであって、「正しい文法と間違った文法」を振り分けるものではないでしょ? い...
慣用句って文法だっけか?
文法をパロールに対するラングとかランガジェって意味で捉えると、言語学的には文法の一種ってことになるかな。 国語学的には勿論文法じゃないですよね。まぁ、言語学も国語学も扱...
言語学的には、言語学的にはXXである と言語学的にはと使う方がベターじゃない? 言語学的には、というのには僕にはよくわからないけど、会話として通じればOKという事でしょ? ...
気持ち悪いヤツが湧いてんな