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はてなキーワード: 尼子とは

2022-08-14

anond:20220814184535

ワンピース原作がだらだら続けてるからアニメもだらだら続いてるだけって感じで微妙に畑違い感が……

青山が死んでもアニメコナンは続けられるだろうし尼子が死んでも忍たま乱太郎は続けられるだろうけど

尾田が死んだらワンピースは終わりそうじゃん

2021-11-14

忍たま乱太郎が好きだったという話

忍たま乱太郎が好きだった。

もう過去形。今は嫌悪感すらある。

ダラダラと説明するので、ヒマ潰しにでも読んで欲しい。

久々に二次創作も含めてガッツリとハマった作品で、Twitterアカウントを新しく作って情報収集に励み、同志の人達との交流積極的にしていた。

そんな中で見つけてしまった、とあるTwitterアカウント

地虫兵衛(@zimusibei)と地虫(@qbQJOf58ldmahdx)。

増田画像載せられないから、気になったらTwitterで見てきてね。

最初に見かけたとき長寿ジャンルに発生しがちな、勘違いご意見番的なファンかな?と思った。

所謂古参ファン」「信者」な方々と相互フォローなようだけど、反ワク発言や口汚い政権批判ポンポンRTしていて、まぁ何というか、ちょっと香ばしい系の古参ファンかな?と何となくツイートを遡りフォロワー欄も見た。

これ尼子騒兵衛ご本人のアカウントだわ。

公式ミュージカル俳優達がフォロバしてるし、リプ返まで積極的にしてるし。ただの古参ファンなら絶対こんな事されないって。

しか尼子騒兵衛病気で倒れて入院していた期間はツイート止まってるし。

忍ミュ俳優も一部のファンも完全に尼子騒兵衛ご本人として扱ってるし。

もし万が一、尼子騒兵衛本人のアカウントでは無いというなら朝日小学生新聞NHKからキッチリ否定文章出して欲しい。本人じゃないなら忍たま乱太郎·落第忍者乱太郎に対する著しい名誉毀損になっている、そんなレベルツイートが酷いので早急に対処して欲しい。

土井先生役の俳優さんのツイートに❝股間自分の顔の位置位かも。ウヒョヒョ〜❞とセクハラRTしてたり、尼崎市企画キャラクター名が変換ミスされている事を口汚く罵るような指摘リプをしたり。

他にも色々。書いてたらキリ無いから気になった人は自分で見てきて。

無理。

作者はTwitterするなとか、常に聖人君子でいろとか思ってない。けど無理。

ちゃん名前立場を明かして発言責任を持っていればまぁそういう作者なのか、と思える。それでもかなりイヤだけど。でも作者特権を振りかざして美味しいとこ取りダケしてるのは卑怯

ちなみに少し前、とある垢が地虫兵衛と古参ファンの会話に割り込みリプで❝そんな事を言うなんて、尼子騒兵衛先生ご本人なんですか?❞と聞いたところ地虫兵衛はその垢をブロック古参ファン空リプで❝はわわわわ……❞とツイートしてた。都合が悪くなると相手ブロック

言動全てがお粗末過ぎ。

決定的に無理だったのが、忍ミュの否定的な感想トスツイしたファン引用RT晒した件。更にその引用RTを見た信者の❝尼子先生ちょっかい出した奴をガスバーナーしてやる❞という殺害予告のようなツイートイイネして、会話に入って盛り上がり。

無理通り越して怖い。直リプで誹謗中傷されたならともかく、トスツイで否定的な感想呟いたら作者と信者から殺害予告されるって世紀末すぎる。

本当に本当に万が一、尼子騒兵衛本人のアカウントでは無いなら朝日小学生新聞NHKからキッチリ否定コメント出して欲しい。奇跡的に本人じゃないなら私はめちゃくちゃ嬉しい。是非とも否定文書を出して頂き、公式尼子騒兵衛アカウント設立して欲しい。でも残念なことに尼子騒兵衛本人としか思えない状態なんだもの

一応公式にお問合せしたこともあるけど、コピペみたいな返信が来ただけだった。

アンケートとかとった訳じゃないし、個人何となく体感だけど、地虫兵衛(@zimusibei)と地虫(@qbQJOf58ldmahdx)のアカウントを見てジャンルを去った人かなり居ると思う。

ついでに尼子騒兵衛とは関係ないけど、忍たま乱太郎ミュージカル俳優仕事用のTwitterアカウント無断転載アダルト動画イイネしているのも無理。

アダルト動画が好きなのは構わないけど、ファンの目に入る場所性癖を曝露しなくていい。

もはや忍たま乱太郎というコンテンツ失望しかないけど、約束している同人原稿が全部仕上がるまではアカウントさないで頑張るね。

2021-09-26

anond:20210926125008

室町時代のお殿様=守護大名基本的幕府で、つまり京都で勤務するのが普通なので在宅勤務では無い

国を実際に統治してるのは守護代という守護大名の補佐役みたいな人がやってた

まり在宅勤務してるのは守護代たち

守護代基本的守護大名の家とは違う家がやってて、両国管理基本的守護代やその部下の国人とか言われる上級武士役割だったので守護不在の間に守護代国人に国が乗っ取られることが多くなる(この辺で応仁の乱が起こる。応仁の乱不完全燃焼で終わったのは戦ってた大名自分の国を乗っ取られて戦争どころじゃなくなったから)

その後守護vs守護代国人などの新興勢力の戦いが各地で起こる(戦国時代の始まり)が大体新興勢力が勝つ。この辺で長尾(上杉謙信)、織田北条朝倉毛利尼子とかが出てくる

コイツらは室町の言うこと聞かないので勝手戦争する(戦国時代中期)

で、なんだかんだ言って信長秀吉家康日本統一される

大名達が自国に引きこもって幕府の言うこと聞かなくなるのも困るけど幕府に閉じ込めてもっと言うこと聞かない奴らが出てきても困るから参勤交代とか言う3年幕府、3年自国という制度が作られた

というわけでお殿様はいつの時代でも在宅勤務では無いのである

2020-02-24

[]2020年2月23日日曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
001441423798.932
018916312183.351
027911490145.456
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0986803393.455
1010314401139.854
1112018750156.346.5
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1412514264114.152
1510312069117.240
161741068761.431.5
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2014015190108.533.5
211541324786.036
2215616723107.237
232071843089.031
1日2763298337108.040

本日の急増単語 ()内の数字単語が含まれ記事

尼子勇士(11), 鹿之助(9), pussy(7), 尼子(6), 猪之助(6), シーザー(13), 更科(5), 浮舟(4), ターフ(4), おんがえし(4), 第二種(3), 意識障害(3), 空輸(3), ひりつく(3), スプラッター(3), コロナ(80), 厚労省(22), 感染症(13), 新型(21), ウィルス(14), エンジン(14), コロナウイルス(21), 新型コロナウイルス(11), ラブライブ(17), インフル(11), ウイルス(24), まんこ(21), 自己肯定感(20), 検査(36), 感染(39), 透け(10), 体制(18), マスク(21), 流行(16), 筋肉(15), 医療(17), 症状(16), オリンピック(12), コード(11)

頻出トラックバック先 ()内の数字は被トラックバック件数

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増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

7054462(2543)

2020-02-23

[]anond:20200223192527

上月城主となっていた寺元生死之助は、陸路から進軍してきた松永軍を相手に防戦していたが、

そこに海から尼子勝久軍勢が到着したので、生死之助はさっと搦手の門を開いて迎え入れた。

生死之助は、鹿之助に対して何事か策を献じたあと、逃げ帰ったていで富田城に戻り、

松永弾正と尼子勝久とで一万余りに攻められては太刀打ちできず」と申せば、

九郎左衛門毛利を頼るしかあるまいと五千の援軍を借り受けた。

元気づいた九郎左衛門は手勢の八千人も連れて城外に陣を構え、そこに尼子勝久の軍が攻めかかった。

九郎左衛門の兵は、先鋒の鹿之助を取り囲んだが、あっというまに蹴散らされ、城門の内に退がるよりない。

城に籠もられると、さしもの鹿之助も攻めあぐねて、その日は退却となった。

翌朝、尼子勝久軍勢を率いて富田城に攻めかかり、

「悪逆無道の尼子九郎左衛門、はやく馬より下りて首を渡せい」と呼ばわると、

九郎左衛門も「小倅ごときに討たれる九郎左衛門にあらず」と前に出てきて采配を振るう

さらに鹿之助が「こののち三声と叫ばぬうちにその方の生命は寂滅する」と挑発すれば、

九郎左衛門さらに怒り「三声は愚か千声万声でも発してみせるわ、我を生け捕る者があるか」と叫んだ。

その声が終わらぬうち、傍に立っていた寺元生死之助が「汝を生け捕るものはこれにあり」と応えるや、

九郎左衛門を馬上より引きずり下ろしてあっというまに縛り上げてしまった。

鹿之助が下知をかけると、八勇士はいさんで敵陣に突進し、

その隙に生死之助は九郎左衛門を抱えて尼子勝久の陣中に転がり込む。

毛利家の河野四郎は薮中茨之助と戦って斬られ、同じく毛利家の来島太郎は荒波錨之助に首を引き抜かれた。

九郎左衛門配下赤星軍八は皐月早苗之助と、田原兵次は秋宅庵之助と戦っていたが、やがて討ち取られた。

その他の勇士たちも各々活躍し、ついに大勝利と相成ったのである

尼子勝久が城内に乗り込むと、生死之助が縛り上げた九郎左衛門を引っ立ててきた。

勝久は「いまぞ天罰の蒙る時節到来」と自らその首を打ち落とした。

兵たちは勝鬨を上げ、民百姓も多いに喜び、尼子家の再興を祝したのだった。

一方で、勝久の父・尼子義久は毛利領内に囚われていたが、

ちょうど正親町天皇即位があり、毛利元就も上洛して献納品を奉ったところ、

義輝公の母君から尼子と和睦して義久を返してやってくれ」と頼まれた。

やむなく元就は頷き、これで尼子毛利は和睦して、義久は丁重に送り返された。

義久と勝久はついに親子の再会となり、また忠臣義士らを集めて労い、

とりわけ功のあった十名、

山中鹿之助

大谷古猪之助

寺元生死之助

横道兵庫之助

早川鮎之助

皐月早苗之助

高橋渡之助

秋宅庵之助

薮中茨之助

荒波錨之助

ここに彼らは「尼子勇士」とされた。

その後、尼子家は万代に渡って栄え続け、尼子のために働いた者はみな立身出世を遂げて幸せ暮らしたのであった。

[]anond:20200223192328

一方、兵庫之助の死体を背負った浮舟は、同じく遊女をしている妹の浮橋のもとに身を寄せた。

浮橋にも愛人の薮中茨之助というものがおり、彼の世話で家を借りてそこで暮らしていた。

ある日、浮舟の夢のなかに不思議な老人が現れ、「白鰻を食べさせれば兵庫之助は治癒する」と言った。

そこで茨之助が白鰻を探していると、川岸百姓たちが集まって騒いでいる。

話を聞けば、白鰻が取れたので売れば十両になるが、他の百姓らは白鰻は神様から逃がせと言うので争いになっているという。

しからばと茨之助は、集まった百姓には一両、白鰻をとった百姓には五両を渡し、半ば奪い取るように白鰻を持って帰った。

それを兵庫之助に食べさせると、すぐさま悪血を吐いて目を覚まし、ひと月もすればすっかり回復してしまった。

兵庫之助は、浮舟を茨之助に任せ、鹿之助を探すために中御門宗教をたずねて京へ上った。

宗教卿へと面会する前に身だしなみを整えねばと床屋へ入ったところ、なんとその床屋は秋宅庵之助であった。

再会を喜んでいる二人のもとへやってきた虚無僧は、何を隠そう高橋渡之助である

この二人は上月城を退去したあと、九郎左衛門暗殺しようと付け狙っていたが失敗し、京まで逃げてきたのだった。

また宗教卿と面会し、皐月早苗之助と会ったことで、鹿之助や古猪之助の消息も知り、兵庫助は大いに喜んだのだった。

さて尼子勝久も、そのころ義輝公の草履取りが鹿之助であることに気付き、

義輝公にそのことを話すと、義輝公・松永弾正はともに驚き、早速、鹿之助を呼び寄せた。

鹿之助は「松永弾正から将軍尼子再興の奏上をしてもらおうと仕えていたのだ」と述べ、涙ながらに尼子再興を訴えた。

松永弾正は感心して、あらんかぎりの軍兵をもって助力しようと約束し、義輝公も松永弾正に勝久の補佐を頼んだのであった。

そこで鹿之助は、兵庫之助に「浮船は京に呼び寄せたほうがいいだろう」と言ったので、

兵庫之助は、茨之助のもとに向かい、浮舟・浮橋を京へと送り、茨之助とともに再び鹿之助と合流した。

ここに尼子勝久山中鹿之助のもと、横道兵庫助や大谷古猪之助らも集い、

松永弾正の三千の兵は陸路から、鹿之助たちは将軍から借りた三千の兵を率いて海路から富田城を目指して出発したのである

御座船の錨が不思議と重くて持ち上がらずに困っていたところ、「南蛮鉄の徳蔵」という大力無双が一人で引き上げてしまった。

そこに近づいてきた一艘の小舟から、ひとりの男が船に乗り込んできた。

怪しい奴とばかり徳蔵が、引き上げたばかりの錨を振り回すと、向こうの男もその錨を掴む。

互いに錨を引っ張り合うも、双方負けず劣らずで決着がつかない。

鹿之助が男の顔をよく見ると、まさしく海に身投げしたはずの早川鮎之助であった。

鮎之助は淡路の岩屋に流れ着き、そこで回復したので漁師をしていたところ、鹿之助の挙兵を聞いて駆けつけてきたということだった。

また鹿之助が、徳蔵の素性を聞いたところ、父は大友家に仕えていた武士で、その父が死んだあと浪人していたが、

海賊を退治したことで褒美として貰った船で商売をしていて、このたび尼子の御座船となった次第だと言う。

それならばと鹿之助は彼を召し抱え、「荒波錨之助」という名を与えたのだった。

[]anond:20200223191957

九重姫は、侍女とともに丹波国境まで逃れ、たまたま見つけた施行宿に泊っていた。

しかし、実はその宿は丹波太郎という人買いの罠であり、九重姫たちは売りものとして部屋に閉じ込められてしまった。

そこに躍り込んできたのが誰あろう大谷古猪之助である

古猪之助は、鹿之助の両親に近況を報告するため信州まで旅しており、いまになって戻ってきていたのである

あっというまに丹波太郎を退治した古猪之助は、九重姫たちとの再会に驚き、それまでの事情を聞き出した。

古猪之助は、ちょうど相木森之助から九死に一生を得るという霊薬を授かっていたので、

それを水とともに鹿之助に嚥ませると、見事に鹿之助は息を吹き返した。

古猪之助は、京へ逃れるよりも有馬温泉養生したほうがよいだろうと進言し、

九重姫も同意したので有馬で四ヶ月ほども過ごしたところ、鹿之助はすっかり回復してしまった。

鹿之助は京へ上り、中御門宗教九重姫らを預けた。

そして「尼子家の再興のため三年の雌伏をする」と告げ、

自らは姿を変えて、将軍足利義輝執権である松永弾正久秀のもとに潜り込んだ。

鹿之助は「早助」と名乗って下働きをしていたが、一年もすれば松永弾正にすっかり気に入られていた。

あるとき、義輝公が銀閣寺で酒宴を開いた際に、にわかに雷鳴が轟き、庭に火の玉が落ちてきた。

火の玉が大暴れしているのを見た早助は、すぐさま庭に飛び込み火の玉を掴んで殴りつけた。

すると火の玉が消えて、現れた雷獣が逃げ出そうとするので、早助はまたぶん殴って、帯で大樹にくくりつけた。

その活躍を気に入った義輝公により、早助は将軍直参草履取りへと取り立てられた。

さて、京には若君・勝丸もおり、兆殿司の教えを受けて文武に優れた若者に育っていたが、

あるとき殿司の描いた勝丸の似顔絵が、義輝公の妹の白縫姫の目に止まり

それに惚れ込んだ白縫姫が恋煩いで床に伏せるにあたり、

義輝公も勝丸の素性を調べて、これならば妹婿に相応しいと認め、二人は結婚することになった。

義輝公が烏帽子親となって、勝丸は元服し、尼子勝久と名乗ることとなったのである

[]anond:20200223191629

日の出の勢いの尼子家は、敵に奪われていた月山富田城まで取り返した。

尼子義久は富田城へ戻り、上月城は鹿之介へと与えられた。

さて、尼子一族には尼子九郎左衛門という邪智奸佞の輩がいた。

その性格のため、もともと義久からまれており、対して鹿之助が重用されているのが面白くない。

そのような心情につけこんだ毛利元就は、尼子裏切り鹿之助を暗殺するよう、九郎左衛門に吹き込んだ。

九郎左衛門は、毛利家の来島徳十郎という者を呼び込み、琵琶法師と偽って上月城に潜り込ませた。

酒宴のときに、徳十郎は毒を盛ったので、鹿之助たちはみな倒れ伏してしまった。

ただ一人、義久の近習の寺元半四郎という者だけが下戸だったので、徳十郎を取り押さえることができたが、

既に鹿之助と兵庫之助は息絶え、鮎之助は見苦しい死体晒したくないと海に身を投げてしまった。

半四郎は涙を流しながらも、急ぎ富田城に戻ったが、

すでに城は九郎左衛門によって乗っ取られ、尼子義久は捕らえられていた。

そこで半四郎は「私はいから生死之助と名を変え、生まれ変わったつもりで貴公に仕えよう」と九郎左衛門に申し出た。

そのとき皐月早苗之助という豪傑が、尼子義久の嫡男・勝丸をさっと抱えて逃げ出した。

この男は、五十人あまりが引いても動かない大岩を、少年でありながら一人でどけてしまったという怪力の持ち主だった。

それを認めた義久が家臣として取り立て、村の名前から皐月早苗之助という名を与えたのだった。

早苗之助を追いかけてきた生死之助は、「私は奥方や若君を救うために偽って寝返ったのだ」と事情を話した。

そこに京の兆殿司和尚が現れたので、若君・勝丸を和尚に預けて、

生死之助は富田城へと戻り、早苗之助は上月城に行くことになった。

上月城に到着した早苗之助は、九重姫に事情説明し、京へ逃れるように言った。

九重姫が「夫の亡骸を捨て置くわけにはいかない」と言うので、

早苗之助は鹿之助の死骸を検分したが、どうも生きている感じがする。

兵庫之助の死体についても同様だったので、「養生すれば助かるかもしれない」と九重姫と浮舟に死体を持たせて逃した。

早苗之助はこれで大丈夫だと、自らは勝丸を追って京へと向かった。

一方で生死之助は、富田城に戻って上手く誤魔化し、九郎左衛門上月城攻めを注進した。

既に上月城にはほとんど人が残っていなかったが、ここに高橋渡之助と秋宅庵之助という二人の豪傑がおり、

生死之助を先鋒に九郎左衛門の軍が攻めてくるというので、城を枕に討ち死にしようと立てこもっていた。

二人の忠義に生死之助は感心し、事情説明した矢文を打ち込み、城を退去して京へ逃れるように言った。

あっというまに上月城を攻め落とした生死之助を、九郎左衛門ますます信用したのだった。

[]anond:20200223190921

鮎之助と別れて、またどしどしと歩き、兵庫の町に着いた鹿之助は、

そこで女を挟んで浪人と大男とが争っているのを見かけて、仲裁に入った。

浪人に話を聞いてみると、彼はこの浮舟という遊女と馴染みになって放蕩したため、

主君の勘気を蒙って流浪の身となり、仕方なく二人で駆け落ちをしてきたところ、

こちらも浮舟に入れ込んでいた大男が怒り、浮舟を渡すか果し合いをするかと追ってきたということらしい。

そのうえ浪人は、刀さえも売り払って竹光を差していたので、果し合いをしようにもできないのだと言う。

そこで鹿之助が刀を貸すと、浪人は喜び勇んであっという間に大男を斬り殺してしまった。

浪人は浮舟に、これから心を入れ替えて精進し、いずれ名をあげたら迎えにいくから、いまは大坂の店に戻れと言い渡した。

また鹿之助には感謝し、家臣になることを申し出た。

鹿之助は承諾し、兵庫の横道で出会ったということで「横道兵庫之助」という名を授けた。

そして兵庫之助に、浮舟を大坂の店まで送っていくよう命じたのだった。

さて、鹿之助はまた旅を続け、早くも播州上月城尼子義久と面会した。

義久は話を聞いて喜び、すぐさま鹿之助を軍師として遇した。

尼子の家臣たちは、新参の鹿之助を信用していなかったが、あるとき彼が怪物退治をしたことで、たちまち敬服することになった。

この怪物退治については別に申し上げるほどのこともないので省いておく。

また山名配下菊池音八という者がおり、西国に敵う者なしという剛勇無双毛利でさえ手を焼くという大豪傑であると聞いて、

鹿之助は一計を案じ、「伯州の腰抜け・菊池音八を討ち取る者は播州尼子山中鹿之介なり」と高札に大書してあちこちに立てさせた。

音八はもちろん怒り狂い、「舞子の浜にて殺してやるから待っておれ」などといった書状を送りつけてきた。

鹿之助が軽装で出向くと、音八は甲冑に身を固めてやってきた。

鹿之助は笑って「内心、私を恐れているから、大仰な鎧を着てきたのだろう」と挑発した。

腹を立てた音八が鉄棒を振りかざして向かってくるのを、素早くかわした鹿之助は見事に相手の首をはねてみせた。

これにより鹿之助の名は近隣に轟き、容易に尼子を攻めるものもなくなった。

数日後、鹿之助は山名家へ出向いて「毛利家臣、清水三郎である」と名乗り、当主山名氏資に面会を求めた。

鹿之助は、毛利山名との同盟を望んでいると言い包め、氏資が血判をしようと近づいた途端にひっ捕らえ、

そのまま上月城に連れて帰って、降伏を誓わせてから解放した。

こうして山名家は尼子家の軍門に降ったのであった。

[]『武士道精華 山中鹿之助』簡略版

前書き

真田十勇士はまだしも知られてるけど

その元ネタだったらしい「尼子勇士」って

メンバー名前すら知られてないよな

どんな話だったんだろうと思ってググってみたところ

立川文庫の『武士道精華 山中鹿之助』という本が

国立国会図書館デジタルコレクションで読めたので

その内容を簡単にまとめてみることにした。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/891033

Wikipediaによると

勇士人物像について始めて具体的に記述された史料は、文化8年(1811年) - 文政4年(1821年)にかけて刊行された『絵本更科草紙』である

この書は、幸盛の母である更科姫と、尼子勇士による活躍を描いた物語である。書と共にこの話は全国的に広まったようであり、この後には、十勇士を題材にした浮世絵の描画や歌舞伎の上演、また十勇士が描かれた絵馬神社奉納されるなど、世間一般にこの話が浸透していったことが分かる。

明治時代に入ると、先の『絵本更科草紙』と同じ内容で、表題を『尼子勇士伝』とした書が刊行される。明治44年1911年12月、『絵本更科草紙』の内容を簡略化し、大衆向けに噛み砕いた文で表した書、『武士道精華 山中鹿之助』が立川文庫より発行されると、尼子勇士の名は一躍有名になる。

というわけで簡略版の簡略版ということになるが、

わりと長くなったので短く分けてトラバに書いていく。

2020-02-19

なぜ尼子勇士真田十勇士ほどの知名度を得られなかったのか

まあ真田十勇士最近では影が薄いけど。

2019-10-12

二次創作犯罪といいながらそれでも「隠れて」続けるということが

どうしても疑問で。


二次創作犯罪=悪

と言いながら、

から隠れてやりましょう

っていうのは、どうもなぁ……、と思いつつも、長年二次創作を続けていた。

長年書いていたおかげか、妄想出力速度と精度が上がって、第三者目線から見た出来はともかく、自分で読んで悦に入るには充分くらいの力がついた。

それで、これくらい二次で書けるんならもしかしたら一次創作も出来るんじゃね?と思って試しに書いてみたら、思った以上にスイスイ書けてしまった。他人が読んだらどう思うかはともかくとして、自分理想は詰め込めるだけ詰め込んだし妄想再現率は90%を余裕で超えているので、私うっとり。読み返しては独りでグヘヘと笑っている。

ところが、一次創作では自分の作り出したキャラやカプの妄想Twitterなどで呟いても、誰も賛同もしなければノッてくれることもない。当たり前だ。私のキャラやカプは私の脳内しかいないのだから。かといってあんまり自分キャラやカプの事を解説しては、自らの作品ネタバレを垂れ流すことになってしまう。

なので、ひたすら黙々と書き続けるだけになる。出来上がったもの自分で読んで、ゲヘヘするのはたのしい。幸いなことに、面白い感想を貰ったりファボされたりもした。だが、二次創作みたいに、誰かと萌えを共有してキャッキャ出来ないのが、少し寂しい。

一次創作コミュニティに入るのも良いのかも知れないが、自分の書くものしか基本興味のない私がそういうコミュニティに入ってもなぁ。

例えば、尼子惣兵衛先生とか諫山創先生みたいな、プロ中のプロだったら、自分キャラファン妄想を膨らませてキャッキャするのを眺めたり、ファンから質問を受けてキャラ世界観を掘り下げてみたりとかいうことも出来るのだろうなぁ。

でも、そこまで神になれるはずはないし、別になりたい訳でもないので、なんか寂しいぞ……と思いつつ、脳内一人相撲をしながら、今日孤独執筆作業をするのだった。

2018-11-09

ニコニコオススメ動画

プレミアム会員が200万人割ってるようなので

雑学

しくじり企業

https://www.nicovideo.jp/mylist/57858797

YouTubeにも上がっている

倒産した(あるいはそれに近い状態になった)企業を紹介していく動画

その企業がどうやって発展していき、そこから何故倒産したのかを説明していく

コンパイルSNKも紹介している

ブロワースさんの「替え歌歴史シリーズ

https://www.nicovideo.jp/mylist/12512118

戦国時代を題材にした替え歌がメイン

解説つきなので、戦国時代になんとなく興味がある、程度の自分でも楽しめた

人類には早すぎる動画ランキング」でも紹介された「ホトトギスことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!」が有名か(替え歌ではないが)

オススメは「小田氏治のパーフェクト不④鳥教室

併せてオススメ:「替え歌歴史シリーズタグ尼子歴史シリーズ

ゆっくり文庫

https://www.nicovideo.jp/mylist/39107052

有名な文学作品を、ゆっくりの劇で映像化したもの

個人的オススメは「アウルクリーク橋の出来事

2018-05-03

anond:20180503190740

如是。我聞。一時。仏住。王舎城耆闍崛山中。与

比丘衆万二千人倶。皆是阿羅漢。諸漏已

尽。無復煩悩。逮得己利。尽諸有結。心得自在

其名曰。阿若?陳如。摩訶迦葉。優楼頻螺迦

葉。伽耶迦葉。那提迦葉。舎利弗大目?連。摩

迦旃延。阿?楼駄。劫賓那。?梵波提。離婆

多。畢陵伽婆蹉。薄拘羅。摩訶拘?羅。難陀。孫

陀羅難陀富楼那弥多羅尼子須菩提阿難

羅?羅。如是衆所知識。大阿羅漢等。復有学

無学二千人。摩訶波闍波提比丘尼。与眷属

六千人倶。羅?羅母耶輸陀羅比丘尼。亦与

眷属倶。菩薩摩訶薩八万人。皆於阿耨多羅

三藐三菩提。不退転。皆得陀羅尼。楽説弁才。

不退転法輪。供養無量。百千諸仏。於諸仏

所。植衆徳本。常為諸仏。之所称歎。以慈修身

善入仏慧。通達大智。到於彼岸名称普聞。無

世界。能度無数。百千衆生。其名曰。文殊

菩薩観世音菩薩。得大勢菩薩。常精進

薩。不休息菩薩。宝掌菩薩。薬王菩薩。勇施菩

薩。宝月菩薩月光菩薩満月菩薩。大力菩薩

無量力菩薩。越三界菩薩。?陀婆羅菩薩。弥

菩薩。宝積菩薩導師菩薩。如是等菩薩

訶薩。八万人倶。爾時釈提桓因。与其眷属。二

天子倶。復有名月天子。普香天子。宝光天

子。四大天王。与其眷属。万天子倶。自在天子

大自在天子。与其眷属。三万天子倶。娑婆

界主。梵天王。尸棄大梵。光明大梵等。与其眷

属。万二千天子倶。有八龍王難陀龍王。跋難

龍王娑伽羅龍王。和脩吉龍王徳叉迦

王。阿那婆達多龍王摩那斯龍王優鉢羅

王等。各与若干。百千眷属倶。有四緊那羅王

緊那羅王。妙法緊那羅王。大法緊那羅王

持法緊那羅王。各与若干。百千眷属倶。有四

乾闥婆王。楽乾闥婆王。楽音乾闥婆王。美乾

闥婆王。美音乾闥婆王。各与若干。百千眷属

倶。有四阿脩羅王。婆稚阿脩羅王。?羅騫駄

阿脩羅王。毘摩質多羅阿脩羅王。羅?阿脩

羅王。各与若干。百千眷属倶。有四迦楼羅王

威徳迦楼羅王。大身迦楼羅王。大満迦楼

羅王。如意迦楼羅王。各与若干。百千眷属倶。

韋提希子。阿闍世王。与若干。百千眷属倶。各

礼仏足。退坐一面。爾時世尊。四衆囲繞。供養

恭敬。尊重讃歎。為諸菩薩。説大乗経。名無

義。教菩薩法。仏所護念。仏説此経已。結跏趺

坐。入於無量義処三昧。身心不動。是時天雨。

曼陀羅華。摩訶曼陀羅華。曼殊沙華。摩訶曼

殊沙華而散仏上。及諸大衆。普仏世界六種

震動。爾時会中。比丘比丘尼。優婆塞。優婆夷。

天。龍。夜叉乾闥婆。阿脩羅。迦楼羅緊那羅。摩

?羅伽。人非人。及諸小王。転輪聖王。是諸大

衆。得未曾有。歓喜合掌。一心観仏。爾時仏放。

眉間白毫相光。照東方。万八千世界。靡不周

遍。下至阿鼻地獄。上至阿迦尼?天。於此世

界。尽見彼土。六趣衆生。又見彼土。現在諸仏。

及聞諸仏。所説経法。并見彼諸。比丘比丘尼。

優婆塞。優婆夷。諸修行得道者。復見諸菩薩

摩訶薩。種種因縁。種種信解。種種相貌。行菩

薩道。復見諸仏。般涅槃者。復見諸仏。般涅槃

後。以仏舎利。起七宝塔。爾時弥勒菩薩。作是

念。今者世尊。現神変相。以何因縁。而有此瑞。

今仏世尊。入于三昧。是不可思議。現希有事

当以問誰。誰能答者。復作此念。是文殊師利

法王之子。已曾親近供養。過去無量諸仏。必

応見此。希有之相。我今当問。爾時比丘比丘

尼。優婆塞。優婆夷。及諸天龍鬼神等。咸作此

念。是仏光明神通之相。今当問誰。爾時弥勒

菩薩。欲自決疑。又観四衆。比丘比丘尼。優婆

塞。優婆夷。及諸天龍鬼神等。衆会之心。而問

文殊師利言。以何因縁。而有此瑞。神通之相。

放大光明。照于東方。万八千土。悉見彼仏。国

界荘厳。於是弥勒菩薩。欲重宣此義。以偈問

2017-09-30

保毛尾田保毛男に抗議する人間

ハゲネタで笑ったことないの?

ブサイクネタで笑ったことないの?

フットボールアワー尼子インターネタで笑ったことないの?

汗かきのデブ不快感持ったこと無いの?

不潔な人に嫌悪感持ったこと無いの?

それと同じようにホモゲイ不快感持つ人も居るんだけど、なんで自分たちだけ差別差別だって騒ぎ立てるの?

2017-06-14

オタクだって若者だったり中年だったり男だったり女だったり金があったりなかったり

いろいろいるから最終的にどういう立場を取るかは様々だけど

とりあえず趣味人としては、より自由保証してくれる方に味方するよーんとしか言いようがない

大内尼子に挟まれた弱小国人時代の毛利みたいなもんで、状況次第でどっちにもつ

そこで「なんであいつの味方するんだ!」なんて言ったってしょうがないんだよ

2017-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20170218135034

毛利吉田郡山城を攻められているよ。厳島の戦いも大ピンチ(というか賭け)だったよ。

河越夜戦とき北条桶狭間とき織田もなかなかのピンチ

尼子月山富田城を攻められて一度は撃退しているよ。

伊賀越え小牧・長久手の戦いもあるし、伸び代と地元補正徳川の方を選びました。

2014-09-27

最強の戦国武将は誰?

最強の戦国武将は誰?(教えて!ウォッチャー) - goo ニュース

戦略的にではなく戦術的な最強であることを念頭に置く。

真田幸村

上杉謙信武田信玄はその実力を証明する大舞台にとうとう立てなかった。歴史に「たられば」はない。「もし謙信関ヶ原の戦いに参加していたら」「信玄大坂の陣で戦っていれば」そういった仮定は無意味だ。最強の力を持っていたのだとしても、発揮する機会がなければ、それは無いのと同じなのだ

それでは誰がその機会に恵まれたのか。やはり真田幸村をおいて他にないだろう。長きに渡る戦国時代の、最後にして最大の晴れ舞台において、最も活躍したのが幸村なのである。その一事はそれだけで彼を「最強」せしめるものであると考える。

大坂の陣においては毛利勝永を推す声もある。端的に言って幸村を疎むオタク逆張りしかないと思う。勝永の奮闘を否定するわけではないが活躍の度合いではやはり幸村が上だ。有名な「真田を云いて毛利を云わず」も幸村が一、勝永が二である前提での言であるし。

大坂の陣と並ぶ大舞台である関ヶ原の合戦において名声を高めたのは島津義弘であるが、こちらは敵中突破と言っても本陣を突くとみせかけて脇へ逃げたようなものであるし、大勢が決したあとで東軍も本気では追わなかったということもあるので、いくらか劣るように思われる。

真田信繁」という呼称に妙にこだわる連中がいるが、通りの良い「幸村」で何ら問題ないだろう。

以上により「最強の戦国武将」には真田幸村を推す。

以下、二位と三位を挙げる。

島津家久

先に島津義弘名前を出したが、島津ではやはり家久が群を抜いている。耳川・沖田畷・戸次川の三戦での活躍(耳川では総大将ではなかったが)は、河越・厳島桶狭間の三大合戦を一人でこなしたに等しい、と言っても過言ではない。結果的九州内に留まる活躍に終わったため次点とするが、一部隊を率いての戦いでは最強であったのだろう。

毛利元就

大内尼子といった大大名との戦いに明け暮れながらも自らが兵を率いれば不敗という戦勝率、小領主から身を興して中国地方を丸ごと次代に遺した領土拡張率は凄まじい。総合力での評価で言えば秀吉と並んで間違いなく最強の一角である。ただ、元就の強さはやはり戦術面にとどまらぬ謀略や政治的な部分が大きいわけであり、「戦術的な最強」という趣旨にはそぐわないために三位とする。

 
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