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2023-05-27

田舎中流家庭にいる高齢こどおじニートへの救いについて

単なる憶測にすぎないが、田舎でそれなりに立場のある親の子どもは、ガキのころに天狗になりやすい。

しか都市部大学に出たとき自分の実力を思い知る。今まで見えていたものは単なる幻想で、自分など大したことはなかったと。ここで非常な挫折経験する。

「私がいちばん馬鹿」のようなポジションになってしまうとその中でもより挫折やすい。これは都市部私立高校でも発生する。

昨今では、地方東京の断絶が進み、学歴差も大きくなっている。田舎しかたことがない子どもは、東京の強大さを全く知らないのに「自分ナンバーワン。少なくともだいぶ優れている」と思っている。自分田舎を100倍したもの日本のすべてだと感じるのだろう。だから位置的にもそのようになるのだと感じるのは自然なことだ。「日本」と「アメリカ」の関係もあるが似たようなものだ。

こうした子ども首都圏に行くと自分味噌っかすであることを全身全霊・魂レベル経験することになる。そこらへんのどこにでもいる凡愚とされる。準備などしていなかった衝撃である。年々、この落差がどんどん激しくなっているように思う。

彼らは「地元の名士」の子どもでもなかったりする。地元の名士は何かと東京と繋がっているものからそういう情報が入ってきやすいが、彼らはそういう情報がなく、表面的な文化の部分でのみ都会を理解しているのである。これはしか原理上どうしようもないことになっている。

彼らのほとんどは挫折によって苦しみながらも自分立場をなんとか確保して成長していく。とくに、若いころから苦い経験を飲み込んで努力を積み重ねてきた人間は、問題を抱えつつも人格的にも能力的にも徐々に成長していく。こうした人間適応し、確固たる居場所を獲得する。そういう人々が家臣団として東京周辺にザッと住んでいるのだ。城下町のように、家来として東京の中心地を囲んでいる。そして主君のお望みの通りに馳せ参じるのである。また、各々の人生を歩む。よく成功しようとしたい者は海外に出る。海外というのは「アメリカイギリスEU」などのことだ。ここ最近主君アメリカとみなしているのである。長いものには巻かれろということだ。

しかし、大した努力や積み重ねもなく、今まで1番を獲得し続けてきた子や、親から1番になること、1番でなくともある程度優位な立場を得ることを強いられ続けてきた子、強制的にレール上を歩かされてきた子は、ここで強烈に挫折を味わい、脱落していく。「挫折」と表現されたくすらないかもしれない。ちっぽけなプライドゆえに「挫折」と捉えられない。「挫折した」のではなく、「今も挫折し続けている」のだ。立ち直る術を知らない。

「本気を出してないだけ」「時代が悪かった」「環境が悪かった」と、なんとかして知性化という合理化を図り、自分の心が折れていることを観測できない。もう耐えきれない。心を捻じ曲げようとする。「お前ぐらい勉強ができるもの無限にいるぞ」と受け入れられない。そのような「田舎」など、全国で見ればほとんど無限にあるのだ。足軽にもなれないような実力なのに、身分家老ぐらいあると感じている。穢多非人程度の扱いをされるのは、到底受け入れられない。

自分を知らないし、他人のことも知らない。ただただ軽視されることに耐えられないのである第一、もはや身分が違うからといって人を軽んじていい世の中ではない。ますます生きにくくなる一方だ。ポリティカルコレクトネスとはそういう流れだろう。

生きている意味とは何かわからない。親もまた、その挫折真剣に受け止められない。立場が違いすぎるがゆえに、わかってあげることができないのだ。わかってくれるような親ならば、初めから違った教育をしている。

彼らは、性格も歪んでいるために、友人関係を結べない。「バカ無能で愚図でおまけに性格も悪く、カッコよくも可愛くもなく、一人で生きる力も無いし、人のために何かすることができず、依存性が高く、他の周りの人たちよりも恵まれ環境なのに文句ばかり言う割に、他人の助言を聞き入れもしない」という、どうしようもない子どものできあがりである。何者かになろうとしていると表現されている。アイデンティティ崩壊がある。すぐそこに救いはあるのに、自らが軽んじている相手に頭を下げて敬意を払うことができない。この私が。屈辱だ。なぜ私がこんな目に。私は軽蔑などされるべき対象ではなく、人を一方的軽蔑しても良いはずなのに、なぜ人は私を軽蔑してくるのだろうか。なぜ人は精神を蝕んでくるのか。

わかっている人でも、これを鋭く指摘してはくれない。下手に関わって逆恨みされたくはない。全く無関係の嫌な奴の精神の奥深くを抉ってもメリットなどないのだ。すぐに離れていくことだろう。そもそもまり距離が遠すぎて、そういう人に出会うことがない。ただ運のみである。そういう運命の人たまたま自分の近くに来ることは少ない。理解のある彼くん、私の王子様、ぼくの女神さま、オタクに優しいギャルなど。

大抵、こうした子の親は両親とも毒親であり、子どもアダルトチルドレンである

そして親にそこそこの金があれば、脱落しても引きこもりをすることができる。

自分ゴミクズであることを受け入れて、セルフネグレクト邁進する日常選択できる。幸福だ。絶望という名前はついているが、幸福で穏やかな毎日を送ることができる。

何をやっても無駄なのだという学習性無力感精神麻痺。突然湧き上がってくる希死念慮。荒廃した生活死ぬという選択が取れない優柔不断さ。他責的・他罰的な発言努力をしようと「学問」に活路を見出すも、それをどう活かせるのかは未知数であり、どうすれば生きることができるのかはわからないのだ。学問は決して救わない。機械的人間大量生産する教育システムのもの時代遅れなのである経済の硬直化と後進性と長老支配学問民主化により、昭和初期の三流エリートぐらいの知識があるだけでは、生存には足りないのだ。自分の力での生き方はわからないのに、生存自体はし続けることができるという矛盾。欲が無い。欲を持つことができない。

そして、そうした努力も長くは続かない。学校勉強ぐらいしか知らないのだ。狭い価値観ゆえにそれしか道がないと勝手に思い込んでいる。やがて意味がないと気付くのであろう。容易にやめてしまう。簡単にたどり着けるところまでやったあとはすぐにやめてしまう。見下していた賤業には就きたくないという都落ち拒否する愚かなプライド山月記で何を学んだのだろうか。そしてある日、その「賤業」にすら就けなくなる。精神子どもなのに、体だけはしっかり老化していく。虎にすらなれないのだ。

親に中途半端に金があるのが厄介である。親は、償おうとする。子もときには努力しようとする。それでもうまくいかないし、近所は理解しない。何か精神的に異常なのであろうという、全く異なる価値観によって蔑まれる。それが村社会というものだ。

親に金がなければ、生きていくために自力仕事につく他ない。首都圏で揉まれ続ければ、やがては苦しみながらも自分の生きる場所を確保できるだろう。

しかし、ただ親元で小さな世界で何年も何年も閉じた生活を送っていると、そうした道も閉ざされる。貴族的な生活放蕩放縦嫌悪している相手依存しているという忌避感。

年齢の数値は淡々と増えていく。やがて手遅れそうなことに気付くのであろう。

なんなのだこの人生は。なんなのだこの世の中は。許しがたい。テロリストたちへの深い共感

人は言う。「自分が招いたことだ」「自己責任だ」と言う。この世には悪しかいないように見える。悪辣社会の中で自分けが虐げられている。他人に「自己責任だ」と言う者もまたコンプレックスを抱えている。「お前が悪いのだろう」と言いたいのだ。「お前の自己責任だ」という言葉は、「俺が悪いとでも言いたいのか?」の裏返しだ。

他人は楽しんでいるではないか。どうして私が苦しまなければならないのか。

異世界かもしれない。異世界に行けば、愚かな民たちを嘲笑い、自分が正しく認められる世界に行けるのではないかと、光を見出す。

更に狩られているだけなのだ。その精神看破しているぞ。ただの餌だ。空想世界へようこそ。現実直視できない。現実はどうしてこう苦しいのか。

しかし、現実は「そんなどうしようもないものではない」ということをまだ知らない、という点が彼らにとっての最大の不幸である価値観のものがどうしようもなく古いのである

自分がどうしようもないダメ人間だという真実をすべて受容して、それを打ち払おうと一歩一歩踏み出すことでしか道は開かれない。外に出て、本を読むなど世界を広げれば良い。また、生活パターンを変える。思考を広げる。それが本来学問というものだ。

人材は不足している。別に自分はそういう人物なのだから仕方がないのだ。でもそれを、自分で変えようと進み続けることで自分人生が拓かれる。ニートのままでも別にいい。全然変わらなくてもそれはそれで仕方がない。

本来絶望する必要はないはずなのに、どうしても絶望したいのだ。能動的に幸福になるために受動的に絶望選択している。

絶望することで、「ハンデを負っているのにここまでできる自分はすごいのだ」と思いたいのだ。セルフ・ハンディキャッピングという。

そうではない。より強い絶望を選ぶべきなのだ能動的に絶望を選ぶことで、受動的に幸福になれるのだ。自ら絶望しなければならない。今より苦しめば、今より苦しまなくなる。

苦しみからずっと逃れようとして「楽な苦しみ」を選び続けているだけなのだ世間はそれを看破して「楽でいいね」と言っている。世間側のイラつきもある。

もしくは、やはり目を閉ざして、元の穏やかで苦しいメルヘンワールドに戻るかだ。知らぬが仏という。こんな偏見にまみれた文章などくそったれだ。せいぜい凡人たちは、社畜を頑張れば良いさ。

教育ママも、また、気をつけなければならない。教育ママコンプレックスは、子ども愛玩動物のように扱おうとすることで子どもに伝染し、子どもを生涯苦しめることになる。愛と呼ばれるものではない。

頑張ってほしい。

2020-07-05

対価システム人間の面倒くささと負の公平仮説(おけけパワー中島)

■おけけパワー中島人間関係に対価システムを持ち込むオタク

https://anond.hatelabo.jp/20200703193938

■七瀬サイドの人間はなぜ対価システムに至るのか(おけけパワー中島)

https://anond.hatelabo.jp/20200704211736

 上記の続き(蛇足)的な内容である。まずは、追記第2段まで足を運んでくれたことに感謝する。また今回の内容は、前回以上に漫画関係ない。申し訳ない。

 言い訳がましくなるが、私は心理学プロではなく、公平性や正確性、サンプリング対象などに偏りがあることは、あらためてご容赦願いたい。


対価システム人間は面倒くさい

「なぜ対価システムに至るのか」で書いたが、対価システム保持者――陰キャは、基本的自己肯定感を持たず、自分卑下しがちである。その価値観を内に秘めているうちは鬱々とするだけだが、いわゆる陽キャとかかわると起こることは、自虐肯定価値観の衝突である

 自己肯定感のない女性DV彼氏ばかり作るという傾向は有名だが、同じように、自分をほめられると反射的に心の防衛反応作動し、”どうしようもない自分”という解釈を守るため、「自分のことを何もわかっていない」「おべんちゃらもいいところだ」と悪意的にとらえてしまう。

 自己肯定感がないなら自分の考えも疑うはずなのだが、なぜかおのれの解釈固執する、もっと言えば自他の区別がないため、異なる価値観が目の前に現れると、「この人はこう思うんだな」ではなく、自分の持っている価値観が脅かされるような不安にさいなまれ、結果拒絶に至ってしまうのだ。

 また、私見なのだが、心の底から自分価値が無いと思っている人はそう多くない。心の底で白馬王子様のお迎えを待つ人が、七瀬サイドの大半を占めるだろう(小ばかにしているように聞こえるかもしれないが、生きる希望を持つこと自体はとてもいいことなので、是非とも白馬王子概念大事にしてほしい)。

 ではなぜ執拗自分卑下するのか。それはやはり、前回書いた「世界公平仮説」にあると思う。


報われない理由が欲しい

 世界公平仮説は一般的に、「これだけやればきっと報われるだろう」「努力は確実にものになる」という前向きな願望をイメージされるが、「ひどい目に合うのは○○だからだ」「○○だから報われないのは当然だ」という捉え方もある。

 具体的な理由ではなく、前世因果などの見当違いなものや、理由の一つではあるがそこまで重要ではない要因を○○に当てはめることを、「負の公平仮説」と本項では呼ばせていただく(セルフ・ハンディキャッピングという概念に近い)。

 負の公平仮説の例を上げると、「自分は背が低いからもてないのは当然だ」「流行を知らないかぼっちになるのは必然だ」等々。この2例は、モテ友達作りにまったく関係ないわけではないが、他にもっと深刻な理由があることを見逃してしまっている可能性が高い。

 しかし、”本当に深刻な理由”を見つけ出すのは実に苦しい。どこまでも自分という存在真正から見つめなおさなければならないし、見つかれば、それがなぜ改善できないのかも考えなければならない。表層的な、わかりやす欠点理由に挙げるほうがはるか簡単だし、深刻なダメージから身を守れる。

 そして同時に、負の公平仮説を用いる人は、そのかりそめの欠点改善する努力に、そこまで意慾的になりにくい。そのかりそめの欠点改善し、なおも状況が変わらない場合、”本当に深刻な理由”に向き合わねばならなくなるからだ。負の公平仮説は、一種の心のブレーキ機能である


個人的解決

 まず言っておくが、負の公平仮設による逃避を私は否定しない。現実曲解自分を守るのは当然のシステムであり、善悪ではなく「そうなってしまう」ものからだ。

 しかし人と関わるうえで負の公平仮設を持ち続け、他者にもその理解を求めるのはかなり負担押し付けることになってしまうのも事実であり、「周囲と最低限のコミュニケーションは取らねばならない」「周囲の人を困らせたくない」という目標があるならば、自分ネガティブを飼いならさねばならない。必ず改善すると約束するものではないが、参考までに私がとった方法を紹介させていただく。


方法1 否定から入らない

 誉め言葉はできるだけ素直に受け取り、謙遜は多くても1会話に2回までほどにとどめる。謙虚も過ぎれば相手困惑させるし、検挙のつもりが相手好意を踏みにじる失礼ムーブになっていることを自覚したほうがよい。また、否定ばかりしていると、否定した本人にネガティブイメージもついてしまう(今更多少嫌われたってどうってことない、という自嘲はやめよう)。

 もちろん私のような濃いアスペ人間は、言葉額面通りに受け取りすぎて事故ることもあるためある程度の謙虚さは必要なのだが、せめて、誉め言葉を口に出して否定するのはほどほどにしておくのが吉だ。

方法2 カウンセリングに行く

 やはり生兵法は大怪我の基である。本気で悩んでいて、改善したいと思っているなら、こんな素人放言だけ読んで済ますのではなく、専門機関を頼ったほうがいい。

 友人や家族に苦しさを吐き出すのも手ではあるが、(こんなにしてもらっても返せるものがないからしてはだめだ)という対価システムが働いて全く話せないか、逆に負担をかけすぎて共倒れになる可能性が高い。

 医師相手にもコミュ障発揮してしまう人は少なくないだろうが、向こうはプロである。(こんなこと言ってお医者さんは困るんじゃ……)と思える程度の人間ならば、もっとすごいのを向こうは普段から相手にしているため、まったく負担にならない。気負わずに吐き出してほしい。


最後

 前回、「最後に」を「最"期"に」と誤字していたせいで、何人かに「お前……消えるのか?」と突っ込まれしまった。推敲不足で申し訳ない。自戒も込めて、あえてそのままにしておくことにする。

 また、最初増田漫画から起こったムーブメントを主体に書いたので同人女界隈と言っていたが、対価システム事故古今東西老若男女問わず起こりうるものである女性差別目的で書いたものではなかったのだが、改めてここに明言させていただく。

 おすすめいただいた小説ゼロハチゼロ、ナナ」はさっそくポチらせて頂いた。好みに刺さり、かつ余裕のできたときに書かせていただきたい。

からこちらの「謝るクズと赦すバカ」をおすすめさせていただく。https://www.youtube.com/watch?v=1bbjwz3drJw

 今回で、経験と推測から書けることはだいたい書ききったと思うので、ひとまず対価システムについて論じるのはひとまずこれで最後とする(感想悲鳴を見て、またひょっこり書きたくなったらご容赦願いたい)。

 あらためて、ここまで目を通し、理解しようとしてくれた皆様に感謝をこめて。

2019-12-16

醜形恐怖って

醜形恐怖って自分容姿イメージに苦しむことで

もっぱら心の問題とされているけど

ブスは本当に醜形を理由危害を加えられるから

自分が醜形なことを恐怖しているのではなくて

醜いもの攻撃する人を恐怖しているのだよ

からこれを醜形恐怖なんていうオサレな病に矮小化して語らないでほしい

ブスは綺麗に可愛くなりたいとは思いこそすれ

ブスを刺しに来るお前(語彙力足りない表現)が怖いんだよ

お前恐怖症といったほうが正しいです

醜形恐怖でー

かいうブスマウンティングをキメられるたびに、ブスを舐めてるなとしか思えない

セルフ・ハンディキャッピングが得意なところがさすが、格下を踏んで自己肯定感を高めるマジョリティさまでおみそれする

2018-10-25

anond:20181025133204

セルフ・ハンディキャッピングだな

自分は「理想が高いから」彼女ができないという事にして心を守っているのだ

本当の原因を直視したら壊れてしまうから

2018-09-24

https://anond.hatelabo.jp/20180924213410

お前なんか言われたらすぐwww付きのリプつけて自分書き込み消すチキン野郎だろ?もうバレてんぞ。

そいつ文句あるなら直接ブログ作って言えばいいのに。

ほーら、やっぱり捨て台詞書いてすぐ消した。

証明もクソも、誰も読んでない状態で消してんだから

通りすがりのやつが目にする以外誰もお前の書いてること読んでないだろ。

お前が誰に何を証明できるっていうんだよ。馬鹿か。

つーか行動パターンまれてるのに、

それでもやっぱりそのとおりにしかできないって

もうチキンなだけじゃなくてただの無能だろ。

増田ですらイキがれない現実に何一つ影響を与えられないゴキブリ以下の生き物って

生きててなんか意味有るの?

証明って論理的展開の事実性が重要で、誰が何人がどう思うかとなんら関係ない」って言ってるけどできてないんだが。

なぜ自分論理的証明ができてると思ったんだ……。お前、本当にリアルでも友達いないんだな……。

その上俺はお前の文章読んでも、あ、いつもの増田だとしか思わんし。

つーかさ。お前のトラバまじで消しても意味なくない?

お前、消したあと忘れられなくて結局いちいち見返しに来てるわけじゃん。

結局こうやって俺が書いたツッコミ読む羽目になってるわけじゃん。

だったら、消すことのメリットなんもないよね。

お前が一行しか書けなくなるわけだし、たんなる縛りプレイしかなってないよな。

しかも、お前言動も行動パターンバレバレから、全く身を隠せてもいないわけじゃん。

消すことに何の意味もないのにそれでも消さないとだめなの?

残しとけばいいじゃん。お前相手の時はいちいちトラバしないでこういう感じで相手してやるからさ。

今の状態だと、一行以上しゃべるとボロが出るからわざとセルフ・ハンディキャッピングしてるだけにしか見えないぞ。

大丈夫だって、一行だけでも十分ボロ出てるから。思う存分書けって。

2016-01-17

殺す気か

http://www.daisuiseishocker.com/entry/2016/01/17/164301

セルフ・ハンディキャッピングすることでかろうじて自殺するのを防いでるメンヘラになんちゃて占い師カウンセラー気取りで口出しするの危険過ぎる。その程度の言葉でなんとかなるくらいだったらとっくに精神科医クマがなんとかしてただろう。

2014-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20140424112457

そうなんだよね。そっぽがいいとそれだけでいい印象は持ってもらえるのは確かだと思う。ただその後の行動が少しでも良くないと、好評化が急落しやすいっていう諸刃の剣。逆に第一印象があまり良くなくても、ちょっと良いことしただけでものすごく良い人と思われるっていうことも往々にしてある。

コミュ障ってのが一体どういうのを指すのかいまいちよく分かってないけど、他人を意識しすぎて上手くコミュニケーション取れてない人っているよね。自意識過剰だよなあ。自分中学生の時はそんなだったから気持ちは分かるけどさ。「自分イケメン美人じゃないから・・・」って言うのって、単なるセルフ・ハンディキャッピングだよな。

2013-04-21

セルフ・ハンディキャッピング•••?

http://anond.hatelabo.jp/20130421190608を読んで疑問に思って調べた。

TopWikipediaじゃよくわからなかったので二番目のニコニコ大百科の冒頭から

セルフ・ハンディキャッピングとは、テスト前についつい「全然勉強してないよ」と

友達に言ってしまうアレのことである


このセルフ・ハンディキャッピングは、努力を怠ることと、それを周囲に伝えることとで大きく二種類に分類することができる。すなわち、

①自らハンディキャップを作り出すような行動をとる(例:テスト前にゲームをする)→獲得的セルフ・ハンディキャッピング

②自らにハンディキャップがあることを周囲に主張する(例:テスト当日に友達に対して勉強していないことを嘆いてみせる)→主張的セルフ・ハンディキャッピング

の二種類である


学生時代リアル馬鹿だったので、①ばっかりしてた。

②って頭が良い人が言う言葉だし。

本当に点数悪くて逃げ場がなくなる怖さに言ったことないや。

元彼のプレゼントで思い出すってそんな追いつめないで頑張って(´・ω・`)

試験前になると、何らかの理由で思い出に刺されるのが恒例になっている。

今回の思い出の品は、昔使っていたパスケースの小銭入れ部分から出てきた、1年ほど前に別れた恋人から誕生日に貰ったネックレス。彼の言動やら行動やらがいろいろ蘇ってきて吐きそう。

セルフ・ハンディキャッピングしてないで勉強しないとー

 
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