はてなキーワード: 解像度とは
安楽死反対派は死にたい人の気持ちなんてわからんのだから話し合いは無理なんよ。
だって死にたくない人は生活が充実してて五体満足で後遺症もなくて健康で幸せで毎日に困ってない人ばかりな訳で。反対するのも自分らの生活を支える奴隷がいなくなって困るからにすぎない。死にたくない人が~とか死を望まれて~とか詭弁でしかならない。死にたくないやつは死なねぇし、死にたいやつは死ぬんだよ。同調圧力で死を選ぶと言うが同調圧力で生きることを選ばされてるのはどうなんだよ。
こっちの気持ちを理解できねぇ奴にどん底人生なんて理解出来るわけない。
いい事あるよ!って言うけど治療法もなく完治せずだんだん悪化するが死ねるわけでもなくただただ苦しみに耐えるだけの病気の俺によくそんなもん言えるな。あまりに解像度低くてびっくりするよ。病院行け?行ってるよ。治らないのにまた来たのかって顔される気持ち分かる?分かんねぇよな。あんたにとって病院は行けば治る場所なんだもんな。羨ましいよ。睡眠薬を飲まないと眠れない気持ちも分からんだろう。出口が見えず永遠に光が訪れない気が狂う毎日を送ってないんだな。
水泳の某選手は努力して治したから頑張れ?そりゃあの人は金も期待もあって病院だって医師だって看護師だって手厚く看病しただろう。運もある。俺みたいな金もなく孤独な存在とそんな恵まれた人間を当て嵌めるな。金とコネが無いと良い病院に行けねぇの。お前だってなんでそんなくそ狭い家住んでるの?ビル・ゲイツみたいな家買えないの?って聞かれたら嫌だろ。
理解なんて無理。話し合いなんて無理。
俺が穏やかに死ねるために、お前らには同じような目にあって欲しい。今の生活がどんどん出来なくなって金もなくなって身体も自由にならなくて視力も聴力もほぼ消えて芋虫のようになれば死にたい気持ちが分かるだろう。そうなることを願う。
同じような人のマネージメントを任されたことがあるけど(その人は中途入社で自分より歳上)、報告された内容に対して指示を出すと、都度自分の解釈を入れて作業するからちょっと目的がずれたり物事が煩雑になったりしてストレスが溜まりまくった。その人だけで完結する仕事ならいくら煩雑になってもいいんだけど、さらに先に人がいるといろんな人に影響がでるので。「改善点を探してるがその改善点がずれている」というのも全く同じ。
そして細かいことに気づくから仕事に対する解像度が高く見えるのがやっかいで、仕事を任せてて途中で進捗聞いたら、自分の判断でいらなそうだと思ったからやってないと言われたりして、またストレスが(略
悪気がないし、指摘されるポイントは正しかったりするからあまり強く言いづらい場面も多くて対処に困った。ちなみに人に教えるのが好きなようで、マニュアル作成は上手くやっていた。
同じような人のマネージメントを任されたことがあるけど(その人は中途入社で自分より歳上)、報告された内容に対して指示を出すと、都度自分の解釈を入れて作業するからちょっと目的がずれたり物事が煩雑になったりしてストレスが溜まりまくった。その人だけで完結する仕事ならいくら煩雑になってもいいんだけど、さらに先に人がいるといろんな人に影響がでるので。「改善点を探してるがその改善点がずれている」というのも全く同じ。
そして細かいことに気づくから仕事に対する解像度が高く見えるのがやっかいで、仕事を任せてて途中で進捗聞いたら、自分の判断でいらなそうだと思ったからやってないと言われたりして、またストレスが(略
悪気がないし、指摘されるポイントは正しかったりするからあまり強く言いづらい場面も多くて対処に困った。ちなみに人に教えるのが好きなようで、マニュアル作成は上手くやっていた。
マルクス曰く、資本家は労働者を再生産する最低限の賃金は払わないといけないと言っている。
現代だと時給1000円くらいが最低賃金なんだけど、これは本当にギリギリ労働者を再生産できる給料だと言っていいだろう。
資本主義の仕組みとして、このギリギリの賃金に設定してくるのが資本家なのだ。
だからマルクス的には社会主義へ・・・という話になるが、それはうまくいかない。
だから政府が最低賃金をあげたり、労働組合を結成してあげる必要がある。
この元増田は資本家側(株主ではないけど経営者なので)だから、時給1500円じゃ無理だよ、と言ってくるのは当然なんだ。
資本家は労働者はギリギリの生活でよい、生きてさえいればそれでいいって考えてるから、こんな発言が出る。
こんなのに騙されちゃいけない。強制的に、または労働組合を結成してもっと賃金を上げるべきなのだ。
そうしないと労働者は搾取されるしかないのだ。資本主義とはそう仕組みだからだ。
・・・みたいな感じでどうでしょうか。大学でマルクス専攻してたので久しぶりに書いてみた。
(追記)
マルクスは需要と供給で価値が決まるみたいな話じゃないんですよ
ざっくり言えば、労働時間によって(だらけた労働ではダメですよ、一般的な強度の労働)価値が決まるって言ってる
まあこの方が実際的でいいんだけど、これだけでは市場の動きに左右されるだけで物事の本質が捉えられないんです
「労働時間によって価格が決まる」って部分を知っておくと便利なんですよね
「なんでこの商品の価格が決まるの?」となった時に「需要と供給が均衡したから」じゃ本質が分からない。
でもいま一番多くて金落としてるのは、いわゆる「地雷系」の女の子たちなの。
そのくらいの解像度しかないのにネットでいっちょかみしては悪は許しません!子供がかわいそう!とかしてるんだから、なんつーか罪深いよな〜それで星もらって承認欲求満たしてるんだから。
「子供もいるんでしょ?」ときますか?じゃあ地雷系女子は可哀想じゃないんですかね。自分の無知を棚に上げて「そういう意味で申し上げたのではない」とか政治家のセンスあり!自民党にぜひ!
いつの頃からか、10年前の過去、そして10年後の未来の自分をやじろべえのように
ふとした瞬間にじっと思うようになった
全く比較の対象にはならかなったからだろう、変化して当然だし、
仕事もしていて結婚もして大きく人生が動いているだろうという漠然と用意された未来をみていた
まだまだ伸びしろがある時期だし、将来に対する解像度も低かった
しかし、年を重ねると、次第にビフォーアフターの想像があまり冴えないものになっていく
40を過ぎたあたりで自分がかつて躓いて苦労していたことを軽々と乗り越えてくる後輩たちに追い抜かれる
過去10年を振り返り経験してきたことの薄っぺらさと、これからの10年で経験しそうなことのリアルがより高い解像度で見えてくるアンバランスに直面する
そして近年、父も母も他界した
ふたりとも癌だった
空き家になった家を整理していると、癌家系という言葉がずっしりと来た
親を亡くして数年して気が付くのは、自分の年齢が毎年毎年、親の年齢に近づいていく感覚だ
もっとも親の死んだ年齢はまだまだ先だが、
10年前、10年後を考えるときに、頭をよぎるようになってきたのは、
しかしひょっとすると自分は10年先はもう生きていないかもしれない、ということだ
世間的には老いをみつめるような年じゃないし、まだ働き盛りと思うが
前に進むバネが弱っている
お金にしがみついて惰性で進む10年がみえてくる、いやもう10年ないかもしれない
そうすると日々が何か一期一会な感じもしてくるし