はてなキーワード: 初詣とは
国旗国歌への敬意の示し方ってどういう方法があるんだろう。国旗国歌の前で立って歌うのは本当に敬意を示しているんだろうか。個人の心の中を覗くことはできないのに、どうして敬意を示していると解釈できるんだろうか。
「立って歌わないと先生になんか言われるし、そういうことにうるさい人がいるし、とりあえず立って歌っておこうか」という子どもがいてもおかしくない。最近の判例をみて、「いやどうやら立って歌わないと大変なことになりそうだ」と思って立って歌う子どももいるかもしれない。はたまた「いやみんな立って歌ってるからやらないと」っていう子どももいるかもしれない。どこにも「敬意」は存在しない。
まぁこれは僕の勝手な想像だから、当てはまらないのかもしれない。でも、この国ってそういうところが寛大というか、むちゃくちゃな気がする。
ベタで申し訳ないけど、初詣に神社に行っても、そこの神様を信じてるわけじゃないし、クリスマスを祝ってもキリストを信じてるわけじゃないし、葬式を仏式でやっても仏を信じてるわけじゃない。日本って行動=内心を表すわけじゃない、ってことが社会的合意を得ている国だ。
立って歌ううちに敬意が芽生える、というのなら、毎年初詣を神社に行く人はそこに祀られている神への信仰心が芽生える、というのと一緒だと思う。で、現実は信仰心なんてこれっぽっちも生まれていない。
ほとんどの子どもたちは敬意だの何だのって、そんなこと考えていないんじゃないだろうか。僕らが初詣の神社の神のことを考えないのと同じように。
もちろん敬意を示す一番の(追記:方法は)立って歌うことだ。でも今まで述べてきたように、立って歌う=敬意を示しているとも限らない。
だから、(追記:教員に)立って歌わせることを強制することが子どものためになるという理屈がいまいちわからない。だれか理屈を教えてください。
2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。
昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。
様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分も増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。
筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。
仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年秋からとりくみはじめた。
基礎体温は2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。
夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常。
仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。
そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。
夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、
「顕微鏡でためしに自分の精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。
私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。
基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。
記録をまとめて印刷することもできるので、医師に妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。
上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。
挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。
夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。
年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。
とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。
20代で子供を産み、子供を小学生に育て上げてから、仕事をはじめた友人や、
私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。
たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……
冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?
妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、
お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい。科学的根拠は不明?
そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。
カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。
夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。
私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。
夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。
年末年始、大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした。
いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮やおせちをたべてゆっくりした。
その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、
妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。
子宮のなかに小さな黒いまるがうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮外妊娠ではない事がわかりほっとした。
妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ に夫婦で登録し、
2月の半ばに2回目の検診にいった。
先生がカーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。
黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。
赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。
調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、
あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。
つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。
つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。
回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした。
3月の初めに3度目の検診に行った。
この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。
ちょうど夫の仕事が休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。
いつものように、エコーの検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。
何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。
先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。
稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。
夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。
ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。
丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかわからなかったけど、
とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した。
待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。
「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。
あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した。
母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。
義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。
夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。
未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。
誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。
これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。
前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。
義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。
海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。
手術前夜からの入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、
夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。
手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯でおむすびをつくり、
病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、
夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事がギリギリで、とても忙しい時期だ。
そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、
何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、
「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんだから、耐えよう」と思った。
当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟のナースステーションに行き、書類を出して手続きをした。
病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボン、Tシャツ、パジャマの上着、フリースの長いコートで、
家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。
ナプキンをつけてから、担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。
赤ちゃんは最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。
この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。
それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。
午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。
多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。
担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、
計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。
台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。
肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、
思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、
先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます。子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、
器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。
事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。
しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。
もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景をイメージしてみた。
だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリとピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノみたいな音楽(フロアに流れるかすかなオルゴールの環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリとピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。
しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。
「お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。
顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。
ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。
すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。
麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。
時折、看護師さんが来て出血を確認していった。
いつの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。
持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。
重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。
なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。
麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。
病室でズボンをはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。
夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした。
夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるから、おむすびいらないよ」と言うほど、
手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。
私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。
夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびとお茶を持ってきてよかった」と言った。
薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。
看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。
子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。
来週に検診があって、また病院にいく。
元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家の土地のいい場所に植えようと思う。
その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。
・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵と基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。
昔、強固なまでのアンチエセ科学原理主義者とも言える人と婚約をしていた。
私はそれを否定しなかったが、それでも日々積もる不信感は拭えなかった。
一人おみくじを引かない彼。
ここで、この強固な思想についていくことに限界を感じて別れを決めた。
私も科学者だったことがある。だが、心を病み、それどころでなくなっていた。
エセ科学が人を騙し、お金を吸い上げ、騙された人は何の効果もない「作業」を
することになる。
それを彼は許せなかったようだ。
生活の中で科学的な思考が問われる瞬間など、
実はそれほど多くない。
マイナスイオンドライヤーのうさんくささも、科学的云々の手を離れて
ユーザーからの「効果があるようなないような」という評価に落ちついている。
七五三参りをすること。
これらは、科学を模しているわけではないからエセ科学ではないけど、
科学以外全部撲滅派にとってはこういった「慣習」すら悪になるんだと
あちこちで言いふらして回る。
者をほめる、気に入ることが許されない。
でも、祖母の葬儀にはきちんと参加するという。
「生まれ変わっても君と結婚する」
結局、生まれ変わらなくても私たちは幸せにならなかった。
それでも私は言う。
祈りというものに効果がないことがわかっていても、
ゲームも出るし、新作も出るし、ムックも出たし、武装神姫様様ですよ
非オタが多い増田に取っては何コレキモイなんだろうけど、コレ、フィギュアと一緒にアクセスコードがついてきて、それをネトゲに打ち込んだら3Dポリゴンのジオラマスタジオとネトゲのアイテムが手に入るのね
ただ、やっぱり、プラダの靴やシャネルのバッグに僕が興味を持たないのと同様に
世の大半はこれを見ても特に素晴らしいとか感じたりはしない
だからといって、武装神姫愛好家にとっての武装神姫のすばらしさが色あせたりする事はない
そして、愛好家達は関連グッズを買い、メーカーにお金を支払う事でたまらなく幸せになる
例えば、初詣に25円を賽銭箱に放り込んだ人は
神社なりお寺なりに参拝してお金を投げ込む事に有意義な価値を感じている。そういう文化が無い人にとっては無意味な行為に、僕らはお金を払う意味を見いだしている
おなかがふくれるものはほぼ万人にとって等しく有意義なものだけど
三大欲求のどれにも当てはまらないものは、ある人にとって無価値なものが、別の人にとってはかげがえのない価値ある物になる
大多数の人が無価値だと考える物に惚れていると自覚したら、気楽に生きれるようになった
ちなみに一番好きなのはこの子
久々に友人から電話がかかってきた。たまには初詣でも、だそうだ。数年前から病気がちでロクに外出などしていない私は正直億劫だったが久々に友人と会うのもいいな気分転換にもなるしと同意した。
が、予定を決めるのに若干時間がかかった。彼女と何かを決める時はいつもこうなのだ。彼女は常にこちらの意向を聞いてくれる。それはありがたい事だ。しかし意向を伝えたところで必ず拒否されるのだ。彼女からしてみればもっともらしい理由をくどくどと並べて回避しているので拒否している感覚など微塵もないだろう。その事に気づいてから説明するのも面倒なので全て任せる事にしている。こちらとしては彼女の思い描いている行程を一発でまとめて打診された方がラクなのだがそういった行為は押し付けであり罪悪感が伴うのか今までまとめて打診された事は一度も無い。現地で待ち合わせなのに交通手段を聞いてくる神経もよくわからない。実質的にはこちらが譲歩しているのだが形としては彼女が譲歩している事になり彼女もそう信じて疑っていない部分に若干イラッとする。
当日。億劫さが湧き起こり葛藤しているうちに10分ほど遅れて出発。本来であればメールのひとつでも送るべきなのだろうが以前に送ったら「自転車を止めてメールをする暇があったらその分、急いで来なさいよ」とにべもなく言われたので送るのを躊躇う。
対面。私ほどではないけれど相変わらずぽっちゃりの彼女。体重は標準の範囲だそうだが見た目はもっとあるように見える。体脂肪率が高いのかしら?などと考える私。たまの外出なのでせっかくだから美味しいものでもと思ってオーダーしたものが彼女の気に障ったらしく怪訝な表情をされた。まあ痩せたいなら食うなって事は私も自分で思うわけだがそう思ったならそう言ってくれていいのに。言わない事が美徳とでも思っているのかしら。ならその表情も隠さないと意味なくない?中途半端な美徳ね。
何かしら思うところがあって話したい事でもあったからこその再会かと思いきや結局彼女は私の近況を根掘り葉掘り聞くだけで特に何かを話すわけでもない。色々とあまり答えたくない質問が続いたがあまり重い雰囲気になるのも嫌なので淡々と答えた。質問が終わるとしばらく沈黙したのちに彼女がこの後にすぐ予定があると言い出した。ああ、ごめんね気がつかなくていいのいいのなどと空虚な会話を交わして私たちの初詣は完了した。本来であればこちらからも質問すべきだったのかもしれない。でも自分が彼女にされた答えたくない質問を彼女に対してしたくはない。
彼女に見送られた後、ふと思い立って引き返すと本屋で立ち読みしている彼女がいた。立ち読みが予定?私と過ごす時間が苦痛だったのならば構わないが特に予定もないならば今度は私の話を聞いてと言ってくれれば聞いたのに。彼女は昔から誰かに聞きだされる事を待つタイプではあったのだが年々それに拍車がかかっている。毎年会っているわけじゃないのにこんな決め付けするのもどうかと我ながら思う。予定がないのに予定があるフリするのも誰が得をするのだろう。一度じっくり話し合うべきなのかもしれないが今の私には彼女の話を聞く余裕すらない。
以前会った時に、塾に勤めている話を聞いていたので、(自分も塾バイトの経験があり)年末年始は繁忙期だろうと賀状のみの連絡となっていた。
そんな状況でもまだ親友と呼べるのかどうかはわからないが、とにかく小学生時代からの仲で細々ながら今も関係が続いているのは彼女のみなのだ。
日にちは?忙しいだろうからあわせるよ?「えーいつでもいいよ」
じゃあ明日で・・・。時間はどうする?「えー、何時でも」
(きっと午前は寝ているだろうし午後イチでもこの子は遅刻するだろうな)じゃあ・・・2時半ではどう?「うん。いつでもいいよー」
行くなら○○神社だろうけど、集合どうする?「どこでもいいよー」
え・・・車とかバイクで来る?運転するんでしょ?だったら私は自転車だから、現地集合でもいいよ?「いや〜たぶんしないな〜」
・・・。電車でくるんなら**駅が近いけど、電車でくるの?「うーん。自転車でいこうかな〜」
そんなかんじでどうにか日にちと待ち合わせ場所と待ち合わせ時間が決まる。
彼女は昔からあまり自分で提案をしないタイプであったが、年々、それに拍車がかかっている。私だって人を引っ張るタイプではないのに、友人同士で遊ぶのにどうして毎回自分が一方的に物事を決めなければならんのだと若干イラっとする。
当日。予想通り彼女は連絡なしに10分遅れで到着。連絡なしに待ち合わせ場所に来ず待ちぼうけ、といった過去もあるのでこれでもマトモなほうだ。
そして事前に聞いてはいたが、体重増加に拍車がかかっていた。これまでも会うたびに「太ったの〜」と言ってはいたが、そのときは単に長年運動部だった人にありがちなもんだろうと思っていた。
初詣後、その辺のお店でお茶でも飲みつつ世間話。「やせなきゃね〜」と言いながら彼女が選ぶメニューはいつも高カロリー。
そこではじめて、彼女がここ数年病気にかかっていたことを知る(が、体重増加は病気・治療とあまり関係なかったらしい。もちろん多少は関係するようだが)
病気が直接のきっかけではないようだが塾を辞めて今は家にいること、月1回の通院以外では外出をしないこと、また、彼女以外のきょうだいや家族も何かしら病気になっていること(これは以前から聞いていたが、再発しているらしい)、そして太りすぎと外出しなさすぎのため着ていく服がないこと等々。内容そのものは重いが、昔と変わらずノー天気に話す彼女。
これが自分の家族だったらそれはもう地獄絵図だろう。家庭の人数や経済力の違いもあるかもな・・・とか考えながら聞く私。
ほんとうは私も仕事が原因でうつ病になってね、仕事なんて辞めたいけれど辞めたら都内で一人暮らしできないしね、実家に戻っても両親は定年後で年金も雀の涙だし、地元で親を養えるような職はないし、そもそも親と仲悪いから地元になんて戻りたくないしね・・・なんて暗い話、自分からは言えなかった。
昔は姉妹に間違えられるほど似ていた私たちだが、お互いずいぶん変わってしまっているようだ。
大人になるって、年月が経つって、こういうことなのか。それとも私だけが変わってしまっているのか。彼女の目に私がどう写っているのかは、わからない。
数日前に、人が少なめでのんびりできそうってことで
年下の子と初詣してきたんだ。
その前からメールのやり取りはしてて、
こちらが質問して、向こうはそれに答えるってのが多かった。
会ったときに思ったのはどんよりとしたオーラ。
短いだけの返事とか多かったよね・・・
うーーん
メールの時は間を空けたりできるから良かったけど
実際の会話で、はい。いいえ・・・だけはキツいです
これが表情がコロコロ変わりつつならいいけど
もちろん話上手くないとか年齢に差があるとか
考慮すると私に悪い部分が多いんだろうけど・・・
会話する気がない人といるのは辛いね。
忠告したげた方が良かったのかな・・・人付き合い難しいです、ぬぅ
その際に友人から言われた一言が、魚の小骨のように心に刺さっている。
まず、私は身長が148cmと、女子の中でも小さい部類に入る。
つまり、彼氏も小さい部類に入ることになる。
ただし、私は彼氏のことを小さいと思ったことはないし、
もちろん、そんなことを気にしたことすらない。
なんだけど、今日友人に「彼氏小さいね」って言われてムッとしてしまった。
「小さい」というのは男性にとっては悪口だと思う。
だから、私は友人が悪口を言ったのだと取った。
しかし、その後に「二人で並んでいるとどっちも小さくて可愛い」って言葉を付け足した。
なので、ひょっとしたら相手は悪意を込めてはいないのかもしれない。
けれども、男性の背丈に関する以上のような状況から考えて嫌味の可能性も高い。
私は「嫌味なのだな」と捉えた。彼氏が攻撃されていると思った。
ニュアンスとしては「チビがチビ同士交際して傷を舐め合ってらww」って感じだ。
ただ、純粋に悪意などないのかもしれないので、怒ったりはせず聞き流した。
そして、疑問に思う。何で私は彼氏の背を気にしていないのに、
友人から指摘されて思わずムッとしてしまったのか。
それと、こういう場合、どうやって相手に注意すればいいのだろうか。
この場合、彼氏の耳には入っていないので、彼氏自身は傷ついてはいない。
しかし、私が耳にして「傷つくかもしれない」と思って私が傷ついた。
なんだか複雑だ。だから、私が怒ったら友人にしたら意味がわからないかもしれない。
そういえば、私は自分自身のけっこう気にしている。
だから、自分と彼氏の立場を置き換えて、感情移入して傷ついてしまったのかもしれない。
自分で書いていて何がなんだかわかんなくなった。寝る。
そうなんよね。なかなかむずかしいんよ。
見ず知らずの人の背中を押したいと思ったときの言い方って。
大雑把に言えば、、
「あなたの経験が否定的要素ばかりでできてるはずがない。」
で、この先で同じような後悔をしないためにはどうしようか?
その反省をこれからどう生かそうか?」
「もうちょっと軽く考えた方がよいかも。」
みたいなことを伝えたくなるときがあるんだけど、
うっかりやってしまうと、
・上から目線っぽくとられる
(→増田の背中を押してやりたいとか思う時点でそうかも知れぬが...。)
・「お前はもう安全圏にいるんだろ」的反論をされる
(→就活中の学生よりはやや安全圏かもしれないが、何もせずにそうなったわけではないし、
いつ転げ落ちるかわからない危機感/恐怖感は常にある。
そもそも今の世の中でこの先何もせずに済むような安全圏なんてほとんどないんじゃないの?)
・「なんの宗教?」と問われる
(→正月は近所の神社に初詣をし、盆には御墓参りをし、クリスマスにはケーキを買います。)
なる反応をされることがある。
丁寧とか前向きとか、どこか胡散臭さ/宗教臭さを感じるんだろうか?(自分もそうだったかも知れぬ。)
見ず知らずの人に対して、
礼を失しないようにぶっちゃけた言葉を使うのもそれなりに難しそうなんだが。
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アドバイスの達人はこんな感じなわけだ。
オレはキリスト教も仏教も、もちろんその辺の新興宗教もカルト扱いだな。
キリスト教とか神に崇めよなんてやってるやつは心底気持ち悪い。
でも何より気持ち悪いのは、宗教を他の何かより優先してしまうということ。
宗教を理由に付き合いを断ったり、食べられないよと言ったり。
そういった宗教を優先する奴とは距離を置く。
オレが深く知らないだけかも知れないが、何をしろ、何をするなと言わないし、信じろとも信じるなとも言わないし、八百万の神々で他の宗教を否定することもない。
それでいて困ったときには頼りにしたっていいんだ。
別に何もしてくれやしないが心の支えくらいにはなる。
信仰云々より親のほうが重大な問題な気がする。
子供に「よく」使用後ナプキン見せつけるなんて異常だよ。人間として、母親として、違うと思う。
血まみれうんこまみれで生まれてきたという、自分に嫌悪感を持つかもしれない言われようは、子供にはきつすぎる。増田、よく耐えた。
まあ、それが本当であれば、腸が破れて死ぬところだったんだろうから、語りたくなるのもわからなくもないが、やっぱりダメだと思うですよ。
幼児洗礼の人は信仰が生活の一部になってしまっていることが多いので、それから離れるということが非常に難しいと聞いたことがある。
しっかり見つめて、最終的には自分と対話していくしかないと思います。
がんばれ。
http://anond.hatelabo.jp/20090910042302
僕は幼児洗礼なので、いわば親から信仰を押しつけられた面があります。
だから、神の存在を「肯定」するか「否定」するかの二つしかない。だけど、もし、信者でなければ、特に日本にいれば、「神」を意識することすら無かったんじゃないかと思います。
こういうの見るとキリスト教の信仰がもうこびりついちゃってるんだなぁと思う。いかにも一神教だなぁと。
日本にいる一般の人は、初詣に神社に行ったり、受験でお守り持ったりします。
結婚式で神様に愛を誓ったり、亡くなったらお弔いをしたり、困ったときに「神様仏様助けてください!」って思うこともある。
それはあなたの信じるところのキリスト教の神様であったりなかったりするけれど、でも神様です。日本におわす八百万の神様です。
日本人は信仰を持たないと言われている。確かに、日々祈るという意味での信仰は持たない人が多い。