はてなキーワード: カトリックとは
カトリックに限らず、日本の上流階級には実はキリスト教はかなり浸透している。これは明治維新以降のキリスト教会の宣教の方針のためらしい。上皇陛下の家庭教師だったヴァイニング夫人も信仰深い人(クエーカー)だったし、上皇后陛下は聖心出身だし、政治家でも麻生太郎や大平正芳や吉田茂らがいる。皇后雅子さまも雙葉学園出身。
でも、こうやって見ると、やっぱりカトリックが多いかな。吉田茂・麻生太郎もそうだし、聖心も雙葉学園もそうだな。ヴァイニング夫人や大平正芳やICUは違うけれども。
2000年代に大学内でゴスペルコンサートをやっていて、それを聞きそびれた...的なことをスタッフらしい人に話したら、ゴスペルコンサートを聞きたかったら休みの日に来てと言われ、ついていった教会が統一教会系のやつだったんだろうなと今では思う。
ミサ中にイエス様を信じたらすべてがうまくいったみたいなことを弾き語りしているおっさんがいたりして、ショーとしてはなかなか面白かったけれど、信仰心は抱かなかったな。
ミサが終わってから、交流会があり、同年代の信徒による熱烈な勧誘もあって、聖書を信じて生きていたらうまくいったみたいな話をずっとされたのは覚えている。
ちなみに、ワイはカトリック系の学校に通っていたのでキリスト教にそんなに抵抗はなかった。
逆に、カトリック系の学校に通っていたからこそ、神父とその教会の牧師の振る舞いのあまりの違いに違和感しか覚えなかったんだよな。
信者たちが固い椅子に座っている中、牧師はショーをふかふかのいかにも高そうな牧師専用ソファーから見物してたんだな。
俺が通っていた学校の神父はミサ中にちょっとそれぞれでお祈りをするみたいな時間は安っぽそうなパイプ椅子みたいなのに座ってたから、牧師が高そうな椅子に座っている光景にものすごい違和感を覚えた。
カトリック系の経験がある自分からすると、ものみの塔の人のほうがまともな感じがする。
まあ、カトリック系で学んだ知識をもとにいろいろと勧誘の人と話をしていたら、興味がある人だと思われて聖書のお勉強に誘われたので固辞したんだけど。
1.80年代から統一教会の霊感商法が社会問題になってワイドショーの統一教会報道のピークは92年の桜田淳子の合同結婚式。完全にアレなヤバい宗教と定着したが、オウムのテロ事件で影に隠れてしまった。90年代後半からは登校時間にゲリラ的に学校前で「純血キャンディー」とか配ったりして政治で「過激な性教育」とか問題にするのと歩調を合わせ二度と叩かれないようにロビー活動により熱心になってった。どっかの東スポが「現在はコンプライアンスが強化されてる」とか書いてるけど霊感商法トラブルは10年代でも頻発している(例:https://anond.hatelabo.jp/20220710213029)
2.韓国では統一教会はプロテスタントでもカトリックでも異端。韓国wikiで韓国での統一教会の温度が少しはわかるだろhttps://namu.wiki/w/%EC%84%B8%EA%B3%84%ED%8F%89%ED%99%94%ED%86%B5%EC%9D%BC%EA%B0%80%EC%A0%95%EC%97%B0%ED%95%A9#s-15
お前ら表現の自由に対しては過剰なまでに擁護するけど、信仰の自由はどれだけ弾圧してもかまわないんだな。
あと例の暗殺事件の容疑者は「特定の宗教」としか言っていない。勝手に決めつけて、「名前が出せないのはその団体に忖度しているから」とか決めつけるな。
他人に迷惑をかける宗教は指弾されて当然だろ。権利と権利が衝突した場合、最小の制約で最大幸福を狙うわけで、必要な制約は課される。
プロテスタントとカトリックの戦争で非干渉をして信教の自由が生まれただけで、それ以前は騙して金を得るような宗教なんざ問答無用で潰されてたわ。
明治新政府は、幕府領大和国(奈良)に大本営の大和鎮台を設置した(西暦1868年2月、明治元年旧暦1月)。のちには「大和鎮撫総督府」(やまとちんぶそうとくふ)と改称し、有栖川の東征軍で東北や北海道に侵攻(西暦・旧暦も2月)。そして中国・四国・九州方面には「裁判所総督」兼「鎮台総督」(各軍司令官)を送って日田県一揆などを潰し、裁判所の技能で地元の実力者やカトリック信者を死刑にしていった
最高裁判事全15人を勝手に任命して退任した安倍晋三が、銃撃されて人工呼吸も受けずに死んだ場所は、そういうことで、死刑執行軍の発祥地でもある奈良だったとか
理性哲学だけではどうにもならないよ。
聖書が正しい(プロテスタント)と聖職者が正しい(カトリック)の戦争に従軍した兵士デカルトが明証分析総合枚挙からなり、合理的批判に耐えられた知識は正しいとう新しい正しさを作った。
しかし振れが多いと明証がすぐにはできない。統計を使って振れを踏まえても明証をしようとするが、統計がなじまない個体差が多い問題には対処できない。
だから自分が正しいから正しいという余地は残しておかないとならない。問題はつかれると判断力が落ちるというのと、判断力が落ちたやつに誤った「自分が正しい」を教え込む連中はいる。それがカルト。
今の時代宗教団体に属する意味は無い。しかし宗教の知見や過去の人、歴史は多く学んでおいたほうが良い。その上で、判断力が落ちる状態にならないようにしないとならない。
そもそも宗教は大昔に世の中はこうじゃないか?と洞察した人が考えたことをまとめただけにすぎない。
そして洞察した人が考えたことは正しいと思われた。しかし正しいと思われるものは、その名を騙って自分の利益にしようというやつは常に現れる。
宗教は権力と結びついた。そして、騙って自分の利益にしようというやつを権力の元潰していった。
そして、聖書が正しいか?(プロテスタント)聖職者が正しいか?(カトリック)で大戦争となり、信教の自由が生まれた。
しかし信教の自由は、宗教の名を騙って自分の利益にしようというやつを野放しにするという側面もある。宗教は宗教の名を語る詐欺師を止める手段を持たないのだよ。