ヒト・モノ・カネが集まらない市場にヒト・モノ・カネは集まらないというように
野生の動物や昆虫、行き交う子供達や犬猫などペットのいない公園には誰も拠りたがらない。
そういう場所で日本野鳥の会の人がでっかい三脚カメラで空や湖面を撮影してるのを見かけたら
昨今の公園は周りの土地改築やら土木工事の産廃汚染の影響で衛生的にそういうのに敏感な野鳥にとって
殆どの場合、池に隣接する、ナントカ橋がある所の用水路や人工河川を通って別の汚れていない公園や雑木林に移動する渡り鳥のように
本当に居なくなるものだ。
それが公園に野鳥の会の人が観察してるのを見かけると、そうした野鳥が帰ってきてしかもそこに住み着いてるのだと分かるものである。
要は彼らがいる事が、環境の良い公園を証明し、また在来生物の帰還をも意味するのだと最近になってようやく理解した。
彼らはあまりにも不審に見えたため、疑ってかかっていたが、よくよく考えてみると彼らの視線の先はいつも野鳥であった。
こういう人にはあまり害がない。
以前私はふとそれらを観察する人に訊ねてみたものだ。
そうすると彼らは嬉々として野鳥の素晴らしさを教えてくれ、更に撮り立ての写真を何枚かプレゼントしてくれるのだ。
そこに写された野鳥の普段公園で見かけない巣作りの様子や餌を食む様子、人工河川の河岸と呼ぶべきかどうか定かでない所で休憩している様が
余すところなく描かれていたのだ!
私は彼らの熱心さだけでなく、興味がなかったはずの野鳥の素晴らしさを感じ、また公園に緑が戻ってきた喜びを一市民として喜びを禁じ得ずにはいられなかった。
彼らの居る所には、公園には昔ながらの居心地というのが感じられる、鳥の嘶きを聴きながら外界から隔たれた小さな自然がそこにあるという事を知るべきである。