はてなキーワード: 鳥見とは
「縦スクロール漫画が世界標準だ」とか「日本は世界の潮流に乗り遅れている」とか、ワーワー言ってる奴がいるけど、一言いいたいことがあるんだよね。
それは……
「まんがタイムきららでも読みな。飛ぶぞ。」
きららには、紙の本もあるし、電子で読めるサイトはいくらでもあるけど、ニコニコ漫画の『きららベース』だと4コマを1列で縦読みができるから一番おすすめできる。
まんがタイムきららに限らず、4コマ漫画専門誌の掲載漫画は縦読みである。扉絵以外のページでは2列の4コマが縦に並ぶ。これは基礎知識だ。
今季で話題になっているアニメといえば『まちカドまぞく』を思い浮かべる人がたくさんいると思う。
あの作品は濃厚な設定と印象深いキャッチーな台詞が多いだけでなく、伏線の管理もしっかりしている。まさに4コマの限界に挑んだ意欲作と言える。
それに対して、ここ3、4年のきららは4コマ漫画の限界を認めているような作品が見られる。
というのも、タテに4コマ並ぶ4コマ漫画の体裁をあえて破っているのだ。4コマの枠から飛び出しているのはもちろん、ストーリー漫画のコマ割りのようになっているものもある。
これからアニメが放送される『ぼっち・ざ・ろっく』がいちばん有名な該当作品だ。
他にも『しあわせ鳥見んぐ』『妖こそ怪異戸籍課へ』『それでは、ステキなセッションを。』が挙げられるけど、個人的に最もおすすめできる漫画は『星屑テレパス』だ。
『星屑テレパス』はまんがタイムきらら(本誌)で掲載されている4コマ漫画だ。
簡単なあらすじを言うと、極度のあがり症で地球で友達をつくることを諦めた女の子の海果が、自称宇宙人の少女・ユウに出会う話。
ユウはおでこをくっつけてテレパシーが意思疎通をする「おでこぱしー」という能力がある。
きららといえば、ほのぼのとした日常系を思い浮かべるが、この作品はそうではない。
基本的にかわいくてほのぼのしているけど、シリアスな一面も強い作風だ。
そんな『星屑テレパス』は、将来的にあらゆる縦読み漫画の基礎になりうる存在だと思う。
なぜなら、縦読みから逃げてないからだ。横に広げたり、ストーリー漫画のコマ割りに変わったりするものがあるが、この作品にはそれがない。
この作品を丁寧に読んで、コマ割りを考察していけば、縦読み漫画や縦スクロール漫画の作り方が分かるはずだ。
実際にコマ割りについて語る記事もあるぐらいだし。「星屑テレパス コマ割り」とGoogle検索すれば1番目に出てくる。
個人的に感想を端的言うと、「まんがタイムきららにシリアスは邪道」と思っていた自分を変えてくれた作品。
単行本2巻の中盤で深刻なシリアスがあるけど、それをどうやって解決するのかが気になった。それぐらい海果たちに対する信頼があった。
3巻が発売される頃にはどうなるか楽しみだ。
今のまんがタイムきららは4コマ漫画の限界を認めた上で何かを模索しようと感じている。
それに対する答えは、ウェブトゥーンのような縦スクロール漫画ではないかと思う。
しかも、ウェブトゥーンや『タテの国』は単行本化でマネタイズが困難だと言われているが、まんがタイムきららは縦読み漫画のままで単行本化されている。そもそも、きららの漫画は雑誌で掲載されることが前提条件だ。
大島行きを検討してるみたいだからチェック済みかもしれんけど、三宅、御蔵、八丈航路はどう?
特等室だとちょっと高いけど、施設はホテル並みだから、海が荒れない&船に弱くないなら、快適でおすすめかと。
個人的には、特一等や特二等のベッドがリーズナブルだと思うけど、特二等は団体室にカーテン仕切りの個室ベッドなのでダメな人はダメかも。
一等以上だとほとんど人が居ないので貸切状態にすることもでき、鍵もかかるので入船してからの部屋変更するのもあり。
三宅はなーんもないけど、鳥好きなら鳥の密度が他の伊豆諸島に比べて高いので鳥見ながらハイキングみたいな感じかしら。
御蔵は、春~秋のシーズン内なら朝一でイルカと泳ぐ(遊んでもらう)のはどう? 体験した人の話によると随分癒されるらしく、リピート率高いみたい。
八丈は他の島に比べて宿の選択肢が色々あるのと、温泉が多いのがいいよね。個人的には裏見ヶ滝とかみはらしとかが好きだなぁ。
三宅と八丈は空路が比較的安定してるので、空路で帰りやすいのもいいよね。
スタジオジブリ「かぐや姫の物語」のストーリー批判については既に玖足氏が記されているゆえ、ここにおいては多言はしない。
かぐや姫の物語 感想その二 高畑勲監督は原作の良さを自己中心的に曲げたダメ映画
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20150316/1426441543
僕がここで記したいのは、高畑氏のあまりに32年テーゼに縛られたかの如き貧弱な反天皇観である。
例えば、高畑氏の擁護をするツイートまとめとして以下のようなものがある。
この中でCDB氏は「帝の性暴力と女性性の収奪」を描いたと言っている。しかしそれは高畑氏の平板な反天皇観をあげつらうことでしかない。
天皇は決して収奪や暴力に結び付けられて語られる存在ではなかった。天皇もまた征旅に行くことはあったが、軍の最高司令官として赴くことはなかった(「我国の軍隊は世々天皇の統率し給う所にぞある」という軍人勅諭の出だしは山県閥の西周が西洋の歴史に準じた擬制に過ぎない)。例えば斉明天皇が百済救援のために親征の途上、崩じられても軍はそのまま百済へ上陸している。天皇はむしろ巡狩(みそなはし、視察のこと)して各地を平定したのであり、軍隊は中大兄皇子や武内宿禰のような皇子・臣下に統率されて敵を討ったのである。天皇が自ら軍を指揮することは東洋古制の兵学から見ても邪道であった。東洋において軍の戦略を決定する軍師は軍司令官の任免もできるゆえに、天皇がそのような地位に就かれることはあり得ないのである。
では天皇とは何であるか。それは何よりも「社稷を祀る」存在である。具体的にいえば、五穀の豊穣を祈り天照大御神が宣らされた「斎庭の神勅」を奉じることであった。それゆえ自らは何も所有されないのが天皇の原則であった(詳しくは保田與重郎の『述史新論』『鳥見のひかり』『方聞記』などを参照せよ)。作中で「御門」は支那趣味(侮蔑の意味を込めて使うのではない)の俗な人物として描かれているが、これなぞは共産党仕込みの「収奪する権力者」の図式に無理やり天皇をあてはめたものに過ぎない。何も所有されない天皇だからこそ、天神地祇を祀り権力者を束ね日本を統らすことができるのである。権力といえば外交権を一手に握った大宰府の方がよほど強く、「遠の朝廷」と呼ばれたほどだった。聖武天皇が大宰府へ下る節度使たちに下された御製の長歌の冒頭「食す国の 遠の朝廷に 汝らが かく罷りなば 平らけく 我は遊ばむ 手抱きて 我はいまさむ」は権力や所有とはほど遠い天皇本来のあり方を示している。
明らかに反差別思想を有しているだろう高畑氏が「御門」の顔をわざと崩してかぐや姫に生理的な嫌悪感を催させ、それが月からの使者が来る原因となっているのも氏の醜悪な思想が垣間見える。氏は容姿差別は良くて身分差別は悪とでも思っているのだろうか。先に述べたように、天皇は五穀の豊穣を祈る点で国民とつながっていたし、今もなおつながっている。明治大帝は「子等はみな 軍のにはにいではてて 翁やひとり 山田もるらむ」と詠まれているし、昭和帝と香淳皇后は戦後まもなくの国内を行幸啓されて国民の暮らしぶりをみそなわした。今上陛下が東日本大震災で津波を被った田を心配されたのも記憶に新しい。天皇は宮闕の奥深くに居ましても農土を、漁場を、金山を離れてはいないのである。高畑氏の浅薄な思想はこの国史上の事実にどう応えるのか。
http://anond.hatelabo.jp/20070522121030
もうツッコミどころ満載なわけですが
いちばんいけないのはこういうときの対処法を広く普及啓蒙しない日本野鳥の会だ
日本野鳥の会って、会員数では日本国内でも有数のNGOじゃないのか? 鳥見て終わりか? 漏れ聞くのは情けない話ばかり。
なにやってんだまったく。
さて、http://anond.hatelabo.jp/20070522131144 も言っているが、野鳥は基本的にばい菌とダニの宝庫だ。他の理由も含めて、素手で触るなど正気の沙汰でない。(生物オタク(プロを含む)は最初から正気ではないので大丈夫なのだ。)
あと、みんな揃いも揃って「法律で禁止されてるから拾っちゃ駄目だよ!」とか言っているが、…ええと、そのへんも含めて、NACS-Jとか、鳥類保護連盟とか、野鳥の会とか、自然系NGOがもっと啓蒙しやがれ! アホかおまえら!