はてなキーワード: 殺人者とは
子育ては、小さいときはすごく楽しい。だけど思春期から様相が変わってくる。子どもの「かわいい、かわいい」で全てをすませられる期間から、超絶厳しいこの「クソ社会への助走期間」に入るからだ。
この時期に競争にさらされ、挫折を覚え心が折れる子が出てくる。いじめ、不登校、引きこもり、二次障害としての精神疾患、発症することもある。グレて家庭内暴力に怯えて、手がつけられなくなることもある。朝から晩まで聞こえる叫び声と暴力で親は眠れなくなり、精神が蝕まれる。
我が家はこれが現在進行形。趣味どころか本当に生き地獄と化している。家庭崩壊。俺の人生はなんだったんだ。今までの幸せはなんだったんだ。全てがこの地獄のための助走期間だったのかと絶望してしまう。思い詰めたあげく、俺は殺人者になってしまうかもしれない。
現代日本での子育ては想像していたより遥かに難しい。今の世相ではこんな辛さにも救いが無いのが一層子育てへの絶望を増長する。なんなんだよ、これは。
きっしょ!!
〜ていて。 だなぁ。
人間は…。
きっしょ!!!!
結局のところ自立や自律を誤った理解の仕方で教え込もうとする今の風習が良くないのだろうけど。
これはわりと根深い病巣だと思っていて。
強い人ってのは弱い自分を自覚してきちんと誰かに頼ることができる人だなぁ。
自分のキャパに気づかずひとりでやろうとして、皆んなに心配をかけることほど誰にとっても意味のないことはない。
この世界は案外優しい、と思うけどね。
なんか今更思ったのだけど、ばーちゃんの亡骸がすげぇ軽かったのは自分がその命の重さを受けとったからなのかもなぁ
最初は人間は塵でできてるから塵に還っただけなのかと思ってたけど
自分の過去のことや過ちや失敗を自分自身の言葉で語れない人間は、存在がそもそも浮ついている。極端なことをいえばまともな殺人者は犯した殺人を自分の言葉できちんと語れる。
生きているだけで他人に迷惑をかけている。ほら、これを読んでいる奴は酸素を吸って二酸化炭素を吐いている。それだけで、地球温暖化を悪化させ、異常気象の原因を作り出し、他人を災害で殺している。
つまり、全ての人は生きているだけで、ほんのごくわずか、殺人に加担しており、他人の死に責任がある。そうした細かい責任まで追及していくと社会が持たないから、ある一定未満の責任は問わなくていいことにしているだけで、道徳的には、全ての人間は殺人者である。
従って、全ての人間は「誰かわからないけど人を殺して申し訳ない、生きていて申し訳ない」と思う事が道徳的正義である。そう思っていない人間がいたら、思わせなければならない。
自分が生きていて当然という考えは間違いだ。全ての人間は殺人者であり、他人を死に追いやることに加担している。「生きていて申し訳ない」と自分で思い、他人に思わせることが道徳的正義である。
なんでも、商品が納品されていなくて、先方が激おこ、つられて上司も激おこだったというわけだ。
ちなみに原因は私である。
隠し通そうと思ったが、なんやかんやでバレた。
とりあえずメール関係の不調を訴えつつ、私は同じ空の下で総裁に選ばれた岸田氏のことを考えるなどしていた。
ちなみに業種は大したことのないサービス製品を売る会社である。
言ってしまえば、社会必需品の会社ではなく、私もエッセンシャルワーカーの人々の鼻毛くらいしか社会に貢献していないタイプの社会の歯車だ。
それはそうと私はしこたま怒られ、取引先に長文謝罪メールを送りつけた。
何故納品手続きをしなかったのかといえば、なんとなく取引先の相手が細かく、イヤな人間だったからである。
端的に言って、めんどくさかったのでやらなかった。
さんざ怒られ、悲しく、嫌な気持ちになった私はやれやれと思いながら帰路についた。
それはそうと、最近の世の中は随分と悪い人を許せない世の中だなあと思う。こちらが主題だ。
殺人者に対する憎しみと、気持ちの悪いセクハラ文章を垂れ流した人間に対する憎しみの量に差はあるのだろうか。
真面目でない、努力家でない、世の中を上手くのりこなせない。セクハラをする。なにかを盗む。人を殺す。強姦をする。横領をする。根回しができない。完璧な政治ができない。不適切な発言をする。
不道徳、無能は世の中に溢れているが、中でも、最近はダメ人間への風当たりが強いように思う。
まるで、大犯罪者のようだ。
世の中、そこまで賢く最善を尽くし、健全な人生を歩んでいる人は多くないと思うのだが。
大犯罪者が珍しいように、完全に健全な人の数もそこまで多くなかろう。
だから、もっと寛容のラインを下げてもいいのではないだろうか。
私は別に注文した品が届かなかったくらいで怒ったりしないのになあ、とため息をついてしまうのである。
彼は毎度、私に対してキレちらかすが、なんだかんだで「俺も完璧じゃないからな、次はやるなよ」と話をくくる。
その後は大抵は、飲みの席に誘われるが、今日、私は家で猫を抱えながらTGSを見たい気分だったので断った。
私はおそらく再犯するが、我が上司くらい寛容な気持ちで世の中は回っていて欲しいものである。
今度彼にも第三子が生まれるとのことだが、健やかに育つだろう。
あの人のような親が世界に増えて欲しい。
そういえば、部署で出産祝いの品を買う集金を頼まれていたが、忘れていたのを書きながら思い出した。
まあ、なんとかなるだろう。
とにかく、世の中はもっと落語の時代のような、無責任男達への寛容さを思い出してもいいのではないだろうか。
コツコツやるやつぁご苦労さんと、みんなで言いたい。