お前こそ俺にくれ
Twitterで嘘松って言われてる子供ツイートの中にも本当のこと結構あるんだろうなと思う
最近相対性理論と量子力学の絵本の絵本を息子が気に入ってるってツイートが子供が天才児って言いたいの?ってマウント扱いされてたが
そういう突き放したこという男の人きらい;;;
@kis (id:nowokay) さんの以下の記事についてです。
https://nowokay.hatenablog.com/entry/2021/09/25/042831
ブコメにもあるようにちょっと内容が雑というかわかりにくいせいで賛否両論になってしまっていて、もしかしたら近いうちにアンサー記事が出るかもしれませんが、自分自身の理解を助けるためにも言わんとしていることを推測しつつ、自分の認識もまとめておこうと思い書くことにしました。明らかに誤読してそうな箇所があれば、指摘してください。
まずは前提を書いておかないと論点がぼやけると思うのでいちおう。
その他の前提:
2000年代に入って関数型プログラミングが脚光を浴び始めたのは、コンピュータ資源が潤沢になりパフォーマンスをそれほど気にしなくってよくなったことが大きな理由ではないか、という認識があります。
関数型プログラミング言語の内部実装を読んだことがないので推測ですが、データを不変にするということはその都度メモリ領域を新たに割り当てることになり、そのオーバーヘッドがプログラムのパフォーマンスに影響を与えるので、パフォーマンス要件がをシビアな場合、どうしてもメモリ割り当てや計算効率を考えるとミュータブルにせざるをえないと思います。が、ウェブアプリケーションに限っていえば、データベースアクセスやネットワークアクセスのレイテンシが大きいので、そうした相対的に細かいオーバーヘッドを無視しても(大抵の場合は)問題にならなくなった、というのが「時代」の流れなんだという認識です。
いっぽうで別の観点もあって、REST API や FaaS が一般化して、関数単位で処理を分割し、アプリケーション外部に配置することが当たり前になってきた現状があり、マイクロサービスのようにアプリケーション自体もモジュールの一単位として考えると、アプリケーション内部のモジュール同士でも関数ベースでやりとりする形になっても不自然ではないと考えられます。
元記事にもありますが、RPC の派生(実装?)として生まれた Java の CORBA や Microsoft の DCOM みたいな振る舞い付きのオブジェクト(コンポーネント)を共有しようという世界観は廃れ、REST API のような単一の振る舞い(エンドポイント)とそれにひもづく JSON のようなデータ構造のみを受け渡すやり方が一般的になったアプリケーション間通信の潮流と、計算機資源が潤沢になって再度脚光を浴びた関数型プログラミングが、レイヤーの違いを飛び越えてひとつになろうとしているのではないか、と。
つまり、元記事に書かれている「時代に合ってない」というのは、「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクト」のような「なにか」は、そうした背景があるために、どこにも存在する必要がなくなってきているのではないか、と解釈しました。
なので、以下のコメントはちょっと論点がずれてると思いました。
はあ?「再利用する方法としてはWeb APIが主流」って、その中身をオブジェクト指向で設計することは、全く矛盾しません。 部品化の単位は、慣習や柵などで大きく変わります。オブジェクト指向とはほぼ無関係です。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/suikyojin
なんでサービスとして外とやり取りする話とサービスの内部設計の話をごっちゃにしてんだ。なんか理解度が怪しくない
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/ssssschang
たしかに、アプリケーション単位とアプリケーション内部のモジュール単位とでその表現形式を合わせる必要はないんですが、元記事の言わんとしていることはこの一文に端的に表れていると思います。
ソフトウェアの記述をまとめるという視点では主にステートレスな関数を分類できれば充分で、データと振る舞いをまとめたオブジェクトというのは大きすぎる、システムを分割して管理しやすくするという視点ではオブジェクトというのはライフサイクルやリソース管理の視点が足りず小さすぎる、ということで、オブジェクト指向の粒度でのソフトウェア管理は出番がなくなっているのではないか、と思います。
「オブジェクト指向でなぜつくるのか」という本がありますが、「え、いまどきオブジェクト指向でつくらなくない?」っていつも思います。内容的には、もうほとんどはオブジェクト指向関係ないソフトウェア工学の紹介になっていますね。
当該書籍は読んだので後半はまぁわかるんですが、前半は「え、いまでもオブジェクト指向でつくるのが主流じゃないの?」って思ってしまいます(オブジェクト指向の定義が「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクトの集まりとしてソフトウェアを組織化すること」なのであれば)。
Joe Armstrong が "Why OO Sucks" を書いたのが2000年とのことなのですが、そろそろこうした議論は収束に向かってほしいと個人的には思います(とっくに収束していると感じている方もいらっしゃるでしょうけど)。
こういうのって〇すぞって書いたら通報されんのかね
仕事用の投資で無駄遣いせず節約チョイスしてるのを乞食みたいな視点しかもってない低レベルのやつから話しかけられるとシンプルに〇したくなるんだが
私がモテない理由、多分男をちょっと見下してるというか、男にナメられたくないからだという自覚があるんだけど
おちんぎんあがってるならいいんでは
NUC11はPS4レベルの最低限のゲーミングPCが5万で買えるという意味では貧乏性なチョイスだったがなかなか良い節約だったと思うで
もちろん仕事用のベンチ性能計測でもある
ゲーミングチェアがだいぶボロくなったので、買い換えようとゲーミングチェアをネットで物色していて思った。
どうやら気づかないうちに生活水準を上げていた。
PCも次はもっと良いスペックにしようと考えていたし、スマホやタブレット、カバンなんかも同じように考えていた。
なんだか親も死にそうだし、今後は気をつけようと思う。
ワクチンを製造している製薬会社がワクチン格差について真摯にならない限り誰が何を言ってもどうにもならないでしょ
日本政府でさえワクチン供給後回しにするぞという脅しを暗にかけられていたりするのだから
「平等に配れ!」ってうるさいこと言い出したら煙たがられて自国民を守れない可能性がある
それはどの国も同じ
供給が遅れている国は政治的にも供給するための基盤構築(輸送や医療体制)でも何か失敗をしている可能性が高い
だからすべての国々へ平等に配れ!なんて叫びは背景を考慮しない無責任なエゴでしかないよ
とくにワクチン接種のためのインフラ整備は途上国の山賊や海賊などを駆逐し、根幹から変えないといけない
批判するならどうすべきなのか具体策を提案して支援者を募り、口だけじゃなく自分で動けよ
国境なき医師団でも入れ
「お疲れ様です🩲」
「どうもありがとう🩲🩲」
「OK🩲」
「お先に失礼します🩲🩲」
「○○してちょ🩲🩲」(指示を出される時に使われる)
「ヨロシク🩲🩲」
と、とにかく常に🩲が多い。
私はパン派なのに。
地方議員集団の圧力などたかが知れてるし、むしろ議員は公的機関にクレームを入れるべきではないとする方がマズい。
増田こそ虎の威を借る狐のくせに、他人の善意の社会活動をコスパで丸ごと否定してるんじゃねーよ。その増田、友人とか先生とかに見せてみ? 本当に気持ち悪いって言われるぞ?
でも光が強いほど闇は濃くなるって