「男性同士は性行為しない事が「とても安全」と、アリスソフトは申してます。
逆に言えば男性同士は性行為は「とても危険」な事だとアリスソフトは主張している事になります。」とかいうアホが信じられない。
ちょっとユーザー視点に立てばその意味くらいわかりそうなもんだ。
男同士の性に興味がないやつにとっては、せっかくカネを払って手に入れたゲームに男同士の行為が入ってたらそれだけでハズレというか「誰得だよ!」ってことになるんだよ。
だからそういう意味で「このゲームは男同士の行為(に限らずイベントと書いてあるよな)がないから”安全”」なんだよヴォケ。
男同士の行為が好きならそういうゲームだってちゃんと出てるんだからそっち買えばいいだろ。
逆に男同士の行為がメインのゲームに「女性との行為は入ってないから安全」と表記されてたとして怒るやつなんて居らんだろ。
その程度のこともわからずいちいちスクショまで撮ってアホをさらけ出す恥知らず。
せいぜい他のコンテンツでも重箱の隅をつついてろ。
ちなみに俺はエロゲはやらない。
反応したら負け
痛がる様子はまさに漫画やドラマとかのフィクションで見る反応そのもの.
うずくまってしばらく動けないし涙が出そうになる
なんでこんなひどいことするの?
育ちも悪く親兄妹親戚一同社会的に下の方で文化資本も皆無なのにほんのちょっとお勉強ができたくらいで変に努力してしまってアッパークラスの世界に食い込んでしまったのが間違いなんだよなって薄々分かっている。
仕事くらいはどうにかできたとしても、家庭を持ったりきちんと生活をしたり親族の面倒を見たり、アッパークラス用の仕事をしながらそういったことも上手くやるだけのキャパシティは俺には無いようだ。そういう根源的な余裕こそが、まともな育ちによって培われるものだったんだな。
人間、歳をとるほど親に似てくると言うけど、それは育ちて決まってしまいどうしようもない部分が最終的に残ってくるということなんだろう。
仮に「ホモが絶対にいない銭湯」があったら、俺は「とても安心」して利用できるよ。
それを差別だと言うなら、まずはホモでない男にみだりに性的暴力を振るうホモがわんさかいることを、ホモ界隈の内側で自浄させてからにしてね。
とにかく働きたくない。
仕事のために朝起きてご飯食べて化粧するのが嫌すぎる。苦痛だ。
でも退職して実家に戻り親の脛を齧る勇気はない。自殺する勇気はもっとない。
つまらないプライドが邪魔して彼氏に養ってくれと頭を下げることもできない。
不労所得は普通に働くよりも努力と才能がはるかに必要になるから無理だ。
職場の人間関係は良好だし、仕事は大変じゃないが暇でもない。コロナ禍なのに会社の売上は変わらないどころか好調だ。有給だって普通に取れる。大型連休も休める。職場に不満はない。
「うっせぇわ」という曲が話題らしい。
かなり大きなヒットとなっているらしく、ついには近くのラーメン屋にその音が流れだす始末である。
その時は、
「あのサビの不協和音とかが聞き手にとって良いアクセントになっているのだろう」
と、
音楽素人風情がもやしを頬張りながら感じた程度であったが、どうやらそれどころではなさげな感じだ。
その現状は
・高い再生数
等々々が物語っている。
かなり直接的かつ攻撃的にみえるものであり、厨学二年生的な全能感と痛々しさに溢れているような歌詞である。
大学生の自分ですら「こういった時期あったなぁ」とか少しノスタルジックになってしまった。
歌詞を見る限りは、
いわゆる難関大学を卒業した「社会の優等生」がルサンチマン拗らせてコンプ発症しました
といった感じのシチュエーションだろうか?
もしくは、
あたりだろうか?
嘲罵された、あるいはそう思っているだけの人間」
であるようには感じた。
なんとなく思うのは、
「この曲に気づいてはいけない」
ということである。
内容自体は、尾崎豊やamazarashiなどが
若者の苦しみなどを各々の文学的センスに包んで提供してきた「それ」に類似したもの
かもしれない。
しかし、この曲が圧倒的に違うのは
「汚く品のない歌詞」
とでも言うべきその短絡的表現、そしてレスバトルでのマウンティングのような直接性にある。
「私を見ろ」
と喚いているだけなのかもしれないのだ。
こうなったらどうしようもない。
同じ土俵に立つ(反応する)時点で相手の目的は達成されてしまうからだ。
もし無視しようとしても、あの奇天烈な音階のサビと尊大な発言に否が応でも
「何言ってんだコイツ」
とか
「手前よりまともだわ」
とか
「そんな時期だよねw」
とか
反応してしまう。
しかも大抵は相手にとって嘲笑・侮蔑となりかねない反応である。
共感する人たちからすれば気に食わないものであり、荒れるのは必至だろう。
延焼する野次馬もやってきて、更に注目する人が増える。
そうして「あの子」は色んな人に見てもらえる。
歌い手の方は歌詞のバックグラウンドに共感し、若者として歌ったのかもしれない。
しかし、その歌詞は一般的な「お約束」を踏みにじるかのような逸脱したものだった。
故にたった今、自分たちはこの曲に踊らされている。
そうね
ただ、西洋は実際に「科学」をもとに虐殺やら差別やらをやらかしたのも事実なので
まだまだこの流れは続くだろうね
人間を対象とした科学のタブー性は西洋のコンテクストからはかなり自明なんだけど
やはりアジアでは分かりづらい
その前にまず考えるべきは、そもそも「人の心がわかる」とはなんだろうか?ということです。
あなたは発達障害者の方々の心はわからない、と考えているわけですよね?
このとき、発達障害者と健常者であるはずの、あなたの違いとは何でしょうか?
当たり前ですが、人は、他人の心はわかりません。しかし、だからといってデタラメに行動しているわけではありません。
人間には、他人の心を「推論する」仕組みが備わっているに過ぎないのです。
どうやって、推論するのか?それは、「自分だったらどう思うのか」を相手の心の動きとして仮定し
これがうまくいくのは、相手も同じような心の動きを持っているときです。
ここで注目すべきは、「相手も同じように自分の心の動きを推論して動くだろう」ということも仮定されているということです。
広汎性発達障害の一部の人々は、これを自然に行うことができません。
もちろん、心がないわけでも、他人の心を推論する知能がないわけでもありません。
この推論を直感的に、仕草などから類推する脳の機能に障害があるということが原因、と考えられています。
もちろん、こういったことを後天的に理詰めで学習すれば、しっかりとしたコミュニケーション能力を身につけられる方もいます。
発達障害教育はまだ手探りの状態ではありますが、方法論としては成立しつつあります。
当然ですが、実際には人間の心は多様ですから、健常者同士でも本当に心がわかっているかはわかりません。
また夢の話か