親からしたら子供が学校いかないっていまだにそういう気持ちになるんだなと思った。
俺はいま30代だけど、小学校高学年から中学卒業まで学校いかず、
一つ知って欲しいのは不登校で学校いってなくても、今はみんな社会人でまともに暮らしてるということ。
30代になって周りを見渡すと、学校いっててもいってなくても大して変わらない。
その時の知り合いで無職もいるけど、比率的には20人に1人ぐらいかな。
1. 恥に思う必要はない
学校というレールにはまらなくてもまともな社会人にはなれるから、学校へいかないという決断をした子供の意思を尊重してあげてほしい。
2. 熱中できることを探す
学校に行かないということは時間がたっぷりできるわけで、その時間を別のことに熱中させれば圧倒的にその分野で強くなる。
漫画を描くでも、絵を描くでも、歌でもギターでもいいと思う。毎日朝から夜までやってたらうまくなる。
興味を押し付けてもうまくいかないと思うが、なにか興味を持つ分野があればそこを後押ししてあげればいい。
たまに舞台みるとか、アートみるとか、プロレスみるとか、熱中するチャンスを与えてあげるのがいいと思う。
これがないと困ることが多いのではないかと思う。
ルートの計算も方程式も元素記号もわからないけど、学校へ行っていたらできない人生を歩めてる。
ちなみに歴史や現代文などはテレビみたり本読んだりで習得できるので問題にはならない。見たり読んだりする時間は大量にあるので。
「いくら叫ぼうが今更!!」
「これが運命さ!知りながらも突き進んだ道だろう!?」
「その果ての少子化だ!もはや止める術など無い!!」「そして滅ぶ・・日本人は、滅ぶべくしてなぁっ!!」
「はっ!何が違う!?何故違う!?」
「この死んだ魚の様な目の社員と、使い捨てることしか考えぬ経営者達の社会で!!」「何を信じる!?何故信じる!?」
「まだ苦しみたいか!いつかは・・やがていつかはと、そんな甘い毒に踊らされ、一体どれ程の時を働き続けてきた!!」
「ハッハッハッハッハッハ!どの道私の勝ちだ!若者が過労死すれば年金は崩壊する!」
「最早止める術は無い!地方は廃れ、移民と貧困は新たなる争いの狼煙となる!!」
「それだけの残業!重ねてきたのは誰だ!?」
「君とてその一つだろうが!!」
「それでもっ!!」「守りたい会社があるんだっ!!!」
今日先輩のFBを見ていて思ったことをつらつら述べてみようと思う。彼女曰く「〇〇という本屋が閉店となってしまうそうです。活字離れが問題で、出版界はかなり厳しい状況下に置かれているそうです。だから云々」という部分に関して少し違和感を覚えたのである。例えば、この部分「活字離れが問題とされていて、出版業界はかなり厳しい状況下に置かれている」という部分。まずは「活字離れ」というのは何のことを表すのだろうか?もしそのままの意味で受け取るならば、「活字離れ」というのは「文字離れ」のことを意味するのでは、と考え少し調べてみると「活字」に関する明確な基準は無く曖昧な定義であった。このままでは話にならないので、「活字離れ」イコール「文字離れ」と仮定する。そうすると、あら不思議、「活字離れ」と言うのは実におかしい言葉だとわかるのである。例えば、僕らが日頃から接しているツイッターやFB,ネット記事に至るまで、すべてが文字情報で、みんながつかう「LINE」だろうと、僕らの周りをとりまくすべての情報が文字でまみれているのである。そう考えると、「活字離れ」「文字離れ」なんてものは存在しないのではと思ってしまうのである。
また、彼女の話の中で、「活字離れ」が問題とされていて、出版業界がかなり厳しい状況に置かれている、と書いているがこれはとんでもない事実誤認であることがわかる。何故かと言うと、出版業界を衰退にみちびくのは「読書離れ」であり、「活字離れ」では決してないのである。おそらく出版業界が倒れそうになっているのは、昔からある出版業界の古き因習によるものであると推測しているが、この話をすると長くなりそうなので止めておくことにする。そこで、今回の本題に入ると、「若者の活字離れ」が叫ばれている中で、それに反論するような形になるが、おそらくこの「若者の活字離れ」は勝手に頭のわるいおっさんどもがこじつけでやっているに過ぎないと思っている。しかし、そこに関して堀さげることに意味があるとおもうのでやっていようとおもう。彼らが、「若者の活字離れ」を叫ぶことによって、我々若者に求めていることとしては、「本という紙の媒体を見る」という行為を我々若者に強いたいのである。ではなぜそれを強いたいのか。それは次回のお楽しみである
となりの人にエ○バ呼ばれた
それでいいや
はい → 2へ
2. その人は、あなたの論点や発言の主旨をねじまげていない?
はい → 3へ
3. その人は、普段から一貫した、理性的なツイートをしている?
はい → 4へ
4. その人は、引用RTなどでお仲間に賛同や同意を求めるタイプの人物ではない?
はい → 5へ
はい → 6へ
6. その人は、普段から強いネガティブワード(「死ね」等)を使わない?
はい → 7へ
いいえ→ そいつは間違いなくキチガイである。ブロックして報告しろ。
はい(猫ではないです)→ 8へ
いいえ(猫です)→そいつはキチガイである。ブロックして無視しろ。
はい →あなたはキチガイだ。このチャートの回答履歴をプリントアウトしてXevraさんのところまで相談しにいってください。
うちの猫は餌を食べた後に、私の顔を舐めて、水を飲みに行き、
また顔を舐めに来るってのを繰り返すんだけど、
これは一体何なんだろう……。
普段から顔を舐めたがる猫ではあるんだけど、食後は水を飲むって動作が加わるんだよね。
餌のお裾分けか、足りないって催促なのか?と思ってるけど、よく分からない。
あと、顎舐められまくってすごく痛い。
オランダ人のふりして日本に立ち寄ったガリバーが「踏み絵は勘弁な」と言って「お前ほんとにオランダ人?」と疑われる場面があった。
で、次のお話「馬の国」を読む前に考えた。
殉教するより踏んで生き延びて信仰を広めた方がいいと思うけど違うのかな。
異教徒に強制されて十字架を汚したとしても、信仰心が本物であれば構わないと思うのは甘いだろうか。
ちょっと検索したら二十六聖人のルドビコ茨木は「信仰を捨てたら命は助けてやる」と言われて、
「この世の一瞬の命と天国の永遠の命を取り替えることはできない」って返したみたい。
昔読んでびっくりした遠藤周作「沈黙」ももう一度読んでみるか。
というかあれ、もっと早く主人公の前に出て来いよキリストさんよ。
マグロ食べに行くか。
ほんとに何だかわからんねん、上手く消化できない、良かったけどどう良かったのって聞かれてもわからん
というわけでみんなの感想を教えてよー!
あとどうでもいいけど私の中で青葉にネトリ失敗属性がついた
クズ系クズの俺は、いわゆる、真面目系クズの一人から完全に見下されているのだが、
テストの成績などは、若干、俺の方が良いというケースが多い。
奴がどんなに真面目ぶったところで、所詮、お互い留年しているのだから、
多少、俺より真面目だからといって、現役生から見たら、どちらもクズに変わりはない。
奴は教室の前から3列目の席で真面目ぶって講義を聞いているのだが、
寒くなってきたせいで、上着の袖を通さず、肩に羽織るという着こなしで
俺はこの、上着の袖を通さないで肩に羽織るという奴のスタイルがまーーーー嫌いだ。
そんな寒いなら、ちゃんと袖通すか、家帰って暖房効かせろよといつも思っているのだが、
教室を見てみると、意外と支持されているスタイルらしく、男女問わず羽織っている人を見かける。
袖通せ。
イライラすんだよ。
そんなに袖通したくないなら、切っちゃえよバカ。