誤
正
Aさん「風邪大丈夫だった?(勝手に休みやがって、仕事増えたぞコノヤロー)」
好かれる君「ええ、大丈夫でした。迷惑かけてスイマセンでした(めんどくせーな、謝りたくねーけど一応。・・・まだ休みてーけど2日以上休むと何言われるかわからねーからな・・)」
「自分は身銭を切られているというのにそうじゃない輩がいることが気に入らない、
5部は敵味方どのキャラもそれぞれに魅力があって皆好きだけど、やっぱりジョルノとブチャラティが好きになった。゚( ゚^o^゚)゚。
ジョルノとか、最初から完成されすぎてるキャラなんてことをよく言われているみたいだけどさあ(まあこれは多分スペック的にという意味だろうし、それはほぼ間違ってないと思うが)、私はジョルノは溜めに溜めて終盤の、ブチャラティの死を経た時点でやっとで真に物語の主人公として完成されたと思った。そのシーンで震えが来た。
5部は全体を通してチーム戦がメインになっていたこともあってか、皆が絶望的な状況に陥った時ふと気付くとそこにジョルノが示してくれる光を見る、というようなあくまで希望の象徴的な存在として、ただチームの一員としてそこに控えてるってことが多かったよな。
特にヴェネツィアでブチャラティがジョルノの夢を支援するだけでなく、自らもボスを打ち倒すことを決意した後からはリーダー・ブチャラティが動いて行く物語でもあったしな。(でもそんなブチャラティに希望を与えてくれるのは、いつもジョルノだったてのがまた良いんだけどな)
ジョルノの志はそれこそブチャラティを引っ張り上げてくれるぐらいに最初から一貫していたし、能力的にも要の回復役としてチームに貢献してはいた。
しかしそれでも中盤までは単に「信念と求心力を秘めた頼れる新入り」であって、"可能性""希望"であって、5部の主人公としての完成形"リーダーとなるべき立場"にはまだ居なかった気がする。
ジョルノ自身もメンバーのサポート役として動いているのが自然だったんじゃないかなと思う。
ジョルノがその地点に至ったのは仲間を得て、失って、ブチャラティを失って、彼らの思いを「自分が」継いだというあの表情からだよなあ。主人公には背負っている物があるんだよ!
これもまさに5部という物語の過程なくしてはあり得なかった感想なわけで。
あとブチャラティが死んだ時の表情。゚( ゚^o^゚)゚。私もブチャラティ行かないで。゚( ゚^o^゚)゚。ってなったけど。゚( ゚^o^゚)゚。
ジョルノもブチャラティもかっこよかった。
もっかい読む。
ネットで正義を主張すれば社会が変わるというような幼児的全能感に支配された左翼連中が
それだけの話でしょ。
以前に「生保患者診たくないんで、内科医辞める。」というのが話題になっていた。
http://anond.hatelabo.jp/20121121194852
最近、看護師をやっている知人に聞いたのだけれど、生活保護を受けていて美容系の病院に来る人がいるらしい。
上の内科医の方も書いていた通り、なぜか生活保護を受けている人には「困った患者」が多いそうだ。彼女は以前は普通の大学病院に勤めていて、その時も変な患者が多かったのだけれど、それはまぁ病気だから仕方ないか、と考えたらしい。
しかし美容系に転職してから、本当に腹が立つようになったという。
しかも、二重の手術を眼瞼下垂と診断してくれ、などと強要してくるという(眼瞼下垂なら保険適応になるので)。
いくらなんでも生活保護で貰ったお金だけで整形できるとは思えないので、要するに所得を隠しているのだろう。
わたしは、最近の生活保護叩きは論点ずらしの目眩ましのように思うし、あまりこの問題に焦点が当たるのは益がないと考えている。
また、生活保護を受けている人に「困った人」が多いとしても、それは「困った人」だから生活保護を受けるまでになった訳で、別に生活保護のせいで「困った人」になった訳ではない。
もちろん、大方の人たちは普通の人達だろう。逆に生活保護を受けていなくても「困った人」は必ず社会に一定数いる。
ただ、ここまで生々しい話を聞くと、流石に納税者としてイラッとはくる。
生活保護そのものが悪ではないのはもちろんだけれど、不正受給を防ぐ仕組みが正しく機能していないというのは、制度上やはり何か問題があるのではないか。
まぁ制度なんてどうやっても何か問題はあるわけで、じゃあベーシックインカムで、というほど単純にはいかないのだけれど、もうちょっとどうにかできなのかとは思う。
個人的に、どんな理由であれ、医療費を「タダ」にするのは反対だ。高齢者についても同様だ。
もちろん補助はすべきだけれど、一割でも1%でもいいから負担を求めるべきだ。
「タダ」というのは人を惑わす。
無料のせいで病院が老人の社交場のようにされては、医療費も無駄なら医療従事者にとってもウンザリさせられるものがあるだろう。
とにかく「タダ」はダメ。
表題の通り。
基本的に、何らかの意味で新しいものを生み出す必要がある仕事しかしたことがなく、スッキリと「終わった」という感覚を覚えたことがない。
どんな状況でも、もっとやればさらに良いものになる、あるいは時間の都合で妥協したがfuture workが残っている、という感じだ。
それでも優秀な人はスッキリと終わらせるんだろうけど、それがどういう感覚なのかを多少なりとも理解したい。
どういう感じなんだろう?
おぉー職種というか業界は何ですか?
現状について言ってるのに、三年半前を持ちだして何がしたいの?
「この牛乳は三日前にも置いてあっただろ? その時は腐ってたのか?」
自民とか民主とか第三極とか創価とか社共とかそんな話ではなくて、あるいは右翼とか左翼とか官僚とかマスコミとかそういうんでもなくて、生き方のことだ。
俺が変だと思う生き方は二つある。一つは「人様に迷惑をかけない生き方」。電車に乗ってる時のマナーはもちろん必須だけど、「人様に迷惑はかけられない」と孤独死する生き方なんて、明らかにおかしい。渋谷駅のホームを歩いている人たちの中で周りに迷惑をかける人はほぼゼロだけど、ホームから人が落ちても「え、マジか」で済ますのは超おかしい。
人と関わるのがひどく億劫な社会だ。変に関わると、自分の時間も取られるし、嫌な思いをしてせっかくの日常の安定を失うかも知れないし、下手すりゃ無駄な出費になるかも知れない。あまり親しくない人とは関わらない方がいいし、もっと言えば一人の方が、楽だ。
俺もそんな感じで一人になって行きそうだったけど、ある時点で、やめた。どんな時点かというと、「人様に迷惑をかけない」生き方と同時に、逆のもう一方の生き方も嫌だなと思えたタイミング。
それは「どんどんつながる」生き方。オンラインでもオフラインでもいいんだけど、どんどん周囲の人と打ち解けて、つながる。現代は日本ばかりでなく多分世界中がコミュニケーション流行りで、オンラインでもオフラインでも奨励される生き方だけど、俺にはこの生き方もひどく孤独に思えた。
昔、「接続と切断を頻繁に行う生き方」なんてのがもてはやされた時期もあったけど、カッコいいとも楽しいとも思えない。寂しそうで、みすぼらしい。
正直、一人になって行きそうだった時期、もっと「どんどんつながらなければならない」と思っていた。しかしだんだん、「どんどんつながる」生き方が嫌なことが分かってきた(義務感は嫌悪感に勝つ時がある)。
それで、どんどんつながらなくてもいい、かつ人様に迷惑をかけてもいい、なんかそういう俺的に自由な生き方が見えてきて、結婚した。今は、もっとちゃんと仕事をしたいと画策しているところだ。
何も分かってないみたいだけど。
夏頃より婚活系出会いサイトで知り合った女性とメール交換を重ねた上で、先日会って話をする約束をした。
当日、待ち合わせの場所で待っていると相手から電話があり、違う場所にいるということで、
そちらに急ぐとそれらしき女性がいたので声をかけて、事前にメールで話していた店に向かった。
店までの道中、色々と話すのだけどメールでの印象とだいぶ違うと感じるも、緊張しているのだろうと思っていた。
けれど、直近のメールで聞いたことについて質問したら、何それ?という反応が返ってきた。
これはおかしいと、改めて名前を訊くと違うという。向こうも確認した名前がこちらと違うもの。
とりあえず、申し訳ないとその場で別れた。
慌てて、本来の相手へ電話をして、謝りつつ、何とか出会い目的の店へ。
話を聞くと、本来の相手も別の男性に声をかけられたということ。
どうやら、私たち以外にも初対面同士で待ち合わせをしていた人たちがいて、
よく確認しないせいで間違ったペアリングが生まれたようだ。
県庁所在地とはいえ、都会とは言えない街で、同じ時間に顔をよく知らない同士で待ち合わせが2組。
こんな偶然てよく発生するもんなのか?
時折大きな悪に無性にズタボロにされたい気分になるよ。
理由はなんだろうな。悲劇のヒロイン的な気分にでもひたりたいのかもしれないし、同情を誘いたいのかもしれない。
ある種のマゾヒズムかもしれない。
影でプークスクスされてると思うと今日も苛苛して悲しいが、どうしようもない。
俺が影で右翼嫌いとバッシングを続けてヒーローごっこをしてきたツケがここで来たんだ。しかしこれが面白半分の悪意によるものだとしたらどっちにろ俺を嘲笑するやつは嘲笑するか。大学の頃も、俺と関係ない話題のふりして笑うやつがいたなあ。
ああ畜生。俺は哂われつづけるこの様をどうすればいいんだ。
そうだな、努力すればいいんだろう。面倒だな。あんまりやりたくない。だから俺はダメなんだ。
ああどうしようかな。まあ俺には何の積み重ねも無い人間だ、積み重ねようともしなかった人間だ、積み重ねることから逃げてきた人間だ。
また気まぐれに、自分をどうにかする方法を模索してすぐやめるか。
ああ畜生、誰か俺を面と向かって嘲笑……されたらすげえ傷つくだろうな。ごめんなさいしないでください。
それにしてもなんなんだろうなこの悪意。おまえの悪意はなんなんだろう。悪意で他人を中傷するリア充とか本当タコ殴りにしたいけど、それは俺の妄想の産物か。
不幸なツラするから他人は俺にかかわろうとしないし、かかわろうとした人間も俺が睨むものだから俺には友達がいない。
しようがなく醜い俺のためにサンドバッグのように俺のイライラを受け止めてくれるむしのいい人はいませんか。いるわけがねえ。
敵が怖い。俺が彼らを敵だと罵ったから敵になったのかもしれないが敵が怖い。
俺は俺を左翼だとは思ってないが。暴力表現は嫌いだし、突然血まみれを見せるまどかマギカとか見たときは嫌がらせかよって思ったけどさ。
でもさ、漫画とかでは日本ではエロは比較的許容されてて暴力表現には厳しいっていわれてるじゃん。暴力表現大隆盛っていうのは今まで抑圧されてた暴力表現使いたい派のうっぷん晴らしかもしれないって思ったら、ケチつけたらブーメランになるじゃん。人生不平等だとブーイングしてる俺って実は今までそうとう俺好みのコンテンツを簡単に見ることができたんだよなって振り返るじゃん。そして実は俺が強欲でもっと見せろもっと見せろって醜く願い続けただけなんだよな。
こんな暴力を正当化する表現使いやがって勘違い野郎が増えたらどうすんだって思うことが近頃増えたけどさ、ワイドショーもサスペンスとかのドラマでもきっとああいうのってあったんだよな。叩くならまずそっちを叩くべきなんだよな。
最終的にはたぶん、俺がエロ表現大好きで暴力表現が嫌い(オブラートにいうと苦手)なだけなんだ。
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悔しいから叩くっていうのは違う。叩くのはいつだって脊髄反射だろ?いわば俺はとっさに「この作品は嫌いだ」と感じたからぶつぶつ例えばまどかマギカに難癖つけるんだよ。
暴きたいなら勝手に暴けよ、俺は気づいてるよそんなこと。