はてなキーワード: 「人生」とは
http://archive.mag2.com/0000134134/index.html 12月25日号
学生が書いたエントリーシートを見ると、多くの人に似たような傾向が見られます。
「一点主義に賭けすぎ」ということです。
「一点主義」とは何かというと、一時点のことだけをやたらプッシュしている、ということです。
例えば、「あなたの学生生活はどのような学生生活でしたか」というような記入欄があったとします。
すると、一点主義の人はどんな書き方をするかというと、
「私の学生生活で最もその成果を発揮したのは、2年生の学園祭の時でした。ステージで劇を発表することになり、30名以上の出演者の
スケジュールを調整し、3ヵ月に及ぶ練習を取りまとめ、見事に全員で演じ切ることができ、大好評を得ました」みたいなことを書くわけです。
これは、「2年生の学園祭の想い出」という一点を書いているだけです。
「何々の資格を取りました」「何々という国に留学に行きました」「どこどこに海外旅行に行きました」そういうのは、全て一時点の話です。
その一点だけをいくら膨らましても、その時点の想い出話にしかならず、その人の「人生」や「人柄」は全くつかめてこないのです。
良いこと言ったので、もう一回言います。
「人生は、一線」です。
線で語らない限り、その人の「人生」は見えてこないのです。
それは、出来事を羅列しろというわけではありません。
その人生を「一線」で表す単語や表現で簡潔に表すということです。
例えば、
「私が忘れられないのは、大学3年生の前半に書きあげた自伝的小説です。自分の中学時代の頃から起こった出来事を
小説風に仕上げ、250ページもの文の量で書き上げました。その完成までには膨大な取材の量を重ねました」
みたいなことを書いたとしても、これは「一点主義」の書き方なので、「ふーん、そんなこともあったんだ」と思われて終わりです。
でも、「私は、学生作家です」「ジャーナリズム生活でした」みたいな言葉だと、たった一言なのにその人の人生が線で語れます。
作家というならば、どんなものを書いたかいくつか挙げてくれる?ジャーナリズム生活というのは、どういうものかいくつか例を出してくれる?
という続きの疑問に対するフォローの文章を書き加えればいいだけです。
一線を引いて、点を打っていく。作文でも本の執筆でも、そうやって書いていくのです。
(そして実は、そういう文章の書き方は、小学校や中学校の国語の授業でも習っているはずなのです)
一点主義だと、いくらそこに情報を詰め込んでも、その一点の情報だけが伝わるだけで、(大して伝わらないけど)その人の人生は伝わりません。
エントリーシートがどうしてもうまく書けないという人は、まずはその一点主義から離れることを考えましょう。
それだけでも、構成力はがらりと変わります。
いい記事やなぁ。
私は採用する側だけれど、質問の仕方を気を付けないとイカンな、と思わされた。
実際にこういう答え方をする学生さんはかなり多い。
どういうふうに考えてこういう答えをするに至ったかはわからないけれど、
とにかくアピールしよう、差別化しようみたいな教えを変に受け取って
自分がどういう人間であるか、ということではなく、とにかく私はすごいんだ、ってエピソードを語ろうとする人が多い。
多分、こっち側がそれを要求していると誤解させるような問いかけをしてるんだろう。
なにより、学生から見たときに、私のいる会社や、ここで働くとはどういうことか、線で見えるように伝えられていないんだと思う。
学生さんにはこういうことを語って欲しい、なぜならうちはこういう会社で、こういう人を求めているからってのがシンプルにつながるような線を考えたい。
「人生」とは、いったい何だろう。そんなことを思ったことはありませんか。
私なりに考えをまとめましたので、読みたい人は読んでください。
まず、日が出て沈み季節が変わり桜が咲いて散るように
全ては無常であり
壊れないものはなく、「人」も1秒もすれば、1秒前とは違う人間になっている
生まれたら死に向かって進んでいきます。
よくお葬式で泣いている人がいるが
人が死ぬのはあたりまえのこと。死んでも悲しむ必要はないです。
殺さず盗まず他人に迷惑をかけず
欲を出しすぎず、怠けず。
生きるためには食べ物が必要なので
そして誰か知らない人も、嫌いな人も。人だけでなく
そういう気持ちで瞬間瞬間を生きていき、やがて死ぬ
でも、人は欲が大きくあれがほしい
どうすればいいのか、その答えを書きます。
いま、この瞬間にやっていることが
「今やるべきことだ」と強い確信を持っていたら
GTDというやり方があるのでググってみてください。
これを読んだあなたが
何故これがわざわざ分かれているのか意味不明。各カテゴリからのホッテントリが集積したもの。
新聞の三面記事から国際記事、文化記事まで扱っている場合もあり。また2chまとめサイトが数多く見られノイズ化。
一般的な政治ニュースや国際政治ニュースから企業不祥事、ビジネス、仕事関連のTipsまで。ここも2chまとめによるノイズ多し。
いわゆる生活の知恵的な間違った意味でのライフハック、まとめになっていないまとめ記事、VIPの告白スレや発言小町、Pouchなどのネタ記事など雑多な状態。
ここはほぼカテゴリ名通り
いわゆる自然科学関連ばかりで、人文科学・社会科学(現状何故か「社会」で扱われる傾向)、芸術関連がない。
技術系、デジタルガジェット系、ネットコミュニティ、炎上見物などが混在。
ここはほぼカテゴリ名通り。
はてブ一番の問題。ほとんどが2chまとめサイト。しかも同じ話題を複数のサイトで扱っていて、ほとんどワンパターン化している。他にエロサイト、ネタ系ネットニュース、Togetterなど。SPAMも多く見られる。
はてなブックマークニュースに統合。各カテゴリのホッテントリ抽出ではなく、人力編集。
「グルメ」「衣食住」「人生」「ライフハック」に分割。ここで言うライフハックは本来の意味とは違うけど敢えて(ある意味隔離?)。
「スポーツ芸能」と「芸術文化」に再編。芸術文化では音楽や読書などを扱う。
「医療」「自然科学」「人文科学・社会科学」に再編。人文科学・社会科学では経済学・社会学・政治学・歴史などを扱う。
「IT・WEB技術」「デジタルガジェット・モバイル」「ネットウォッチ(事実上の隔離)」の再編。
そのまま
「おもしろ」「2chまとめ」「画像」「R-18」に。一部は「ネットウォッチ」に。R-18は生年月日によってフィルタリング。
というか、この古いカテゴリ分けで一体何年やってるんだろうか。他のCGMサイトなんかカテゴリ再編を割りと時代に合わせてやってるのに。
さあ、やってきましたよシューショクカツドーの時期が。来るな、と思っても来るんだコレが。ああイヤだイヤだ。
しかし、おまえらとてマトモにメシは食いたいだろう。仕事なんてカケラもしたくないだろうが、それでも真っ当な給料は欲しいだろう。
良い企業にお勤めの人間だけが持てるあのステータスが、おまえらも欲しいことだろう。
これだけは言っておく、おまえらが想像しているより遥かに就職ってのはデカい。本気で重い。そこを履き違えるな。
「人生その程度じゃない」っておもってるおまえ、それは違う。人生はおおよその人間にとってその程度だ。
そんなおまえ、俺がアドヴァイスしてやるよ?これから教える十ヶ条を覚えておけば、多分勝てるぞ。穴が開くほど読んでおけ。
①ウソをつく覚悟はあるか?
まぁ、お察しだとは思うが。就職活動ってのは「全日本、嘘つき最強王決定戦」であることは間違いない。
NBL(ナチュラル・ボーン・ライアー)日本最強を競う戦いだ。まず、おまえたちはエントリーの前に心の準備をしなければならない。それは、戦場に出る人間が人を殺す覚悟を固めるのと全く同じことだ。ウソをつく覚悟はあるか?まずこれが重要だ。もし、「無い」であるとか、あるいは「嘘をつく人間なんてゴミ以下の汚物だ、死んでしまえ!」と言うなら、それはそれでいい。俺自身だって、そういう態度は美しいと思う。おまえがそういう人間であるなら、それはむしろ素晴らしいことだ。こんな世の中で、そんな人間が一人くらいいたっていい。ならば、これを読む必要はない。もしかしたら、どこかにそんなおまえを必要とする場所があるかもしれない。あるいは、こんなアドヴァイスなど必要としない実力を持っているのかもしれない。そのままで生きてくれ、俺のためにも。俺だってそういう人間がこの世界で一人でも生きていると思えば、なにか少し嬉しい気持ちになる。しかし、それ以外の人間。おまえらはまず、この決心を固めてくれ。「俺は今から騙す側になる」と腹を括ってくれ。それが、まず何より一番大事なことだ。いいか、おまえは今そう決めた。だったらもうひよるな。それがスタートだ。忘れるな。
②レンジを見定めろ。
射程距離というものが誰しもある。それは、大体のところおまえの学歴で決まる。しかし、世の中には「紛れ」というものもあるし「まぐれ」というものもある。この文章を読む人間は全て、「まぐれ」もしくは「紛れ」を狙っていることは明らかだろう。だが、まずはおよそ自分のいるレンジを見定めることは非常に大事だ。
極めてざっくりと言えば、学歴というのは四層に分かれている。東京大学(とそれ以外)/早慶以上/マーチくらい/それ以下、の四層だ。ぶっちゃけて言えば、この程度の括りしかない。そしてこの括りはファジイに出来ている。中央大学が慶應に競り勝つことも稀ではないし、東大がマーチに競り負けることも決してゼロとは言えない。何故なら、採用する側も人間だからだ。例えば、「じゃあ、東工大はどの辺りだよ?」とか「理科大ってどの辺り?」って疑問は無論起きてくるだろう。しかし、それは非常に微妙だといわざるを得ない。例えば、東大の牙城であるあの金融機関にも東工大はいる。逆に、「マーチくらいじゃね?」と思われているあの会社にも、東大はいる。早稲田にいたっては、商社から外食まであらゆるジャンルにゴキブリの如く存在する。説明会に出たことがある人間なら思ったことがあるだろう、「死ね、早稲田」と。おまえらがいないジャンルを探してここまで来たのに、何故おまえはここにいる、と。しかし、就職活動とはそういうものなのだ。この四層の前後1つずつに対応出来るように動くのがヴェストだ。「まぁ、俺はこの辺だろうな」と思うところの上と下、両方に対応出来るように動いておけば大体問題ない。そしてもちろん、1ランク上を目指せ。
③何が欲しい?
就職活動をするに当たって、おまえは考えたはずだ。「俺は何に向いてるんだろう?」と。だが、この考え方は間違っている。おまえが考えるべきはそういうことじゃない。「俺が求めるものを満たすのはどういう会社で」「その会社はどんな人材を求めているのか」考えるべきはこの二つだけだ。それ以外は、忘れろ。「自己分析」なんてしていいのは東大生だけだ。ちがう、おまえが考えるべきなのは「自己詐称」の方法論だけだ。だが、それを踏まえたうえで言う。会社は選べ。というのは、ある程度以上自分のキャリアを客観視したとき「俺、このジャンルなら超盛れる!」と思える会社が見つかる可能性は、それなりにあるからだ。それがおまえの適職だ。だが、およその人間にはそういうものは見当たらないだろう。「人付き合いもあんまり好きじゃないし・・・」「朝弱いし」「あ、でも年に休みは120日欲しい」「給料安いのはイヤだよ」。それでいい。それでいいんだ。しかし、おまえは残念なことにこんな文章に食いついてしまう程度の人間でしかない。では、おまえが働くについて譲れない一点を選ぶ作業に移れ。しかし、「人間関係」みたいな、「部署による」タイプのものはあてにするな。つまるところを言えば、「ステータス」と「休み」そして「カネ」のどれかだ。このいずれかを満たせばそれなりのものはついてくる。ステータスも休みも満たさないが給与はそれなり、という会社は避けろ。それは黒い。「H通信」とか「O商会」をおまえらが選ぶことはないと思うが、一応の話だ。
④具体的にどこなんだよ。
知るかボケ、自分で説明会回れカス。と言いたいところだが、少しだけ教えてやろう。まず、おまえが何はともあれ給料!という人間であるならば、「証券」もしくは「専門商社」あたりがお勧めだ。無論、総合商社にいけるならそれはそれでいい、しかしおまえはその程度の人間だろう。このいずれも結構な激務であるが、比較的「攻撃手段」が選びやすいジャンルなのだ。営業、というのは学生が嫌がる職域であるが、その分攻略手段は極めてわかりやすい。もちろん、「保険」辺りも見ておけ。いいか、この文章を読み終わったときおまえは、恥など1ミリも知らない口先キングダムな男、あるいは女だ。この文章を読んで「実行しよう!」と思えるNBLにとって、もっとも向いた職業がこの辺りであることは異論を待たない。つまり、この就職活動そのものが「営業」なのだ。いずれも、Fランカーにも勝ち目のあるジャンルだ、遠慮なく行け。正にFラン、おまえが年収1000万に到達するチャンス、あるいは真っ当に社会人として、あるいは転職市場でうんこ以下の扱いをされない人間になるチャンスはこの辺りにしかないと言っても過言ではない。他にMRなんかもお勧めだ。特に外資。Nバルティス、あるいはFァイーザー辺り、学歴無視でチャンスがある。クソ激務ではあるがカネはいい。専門商社では、I藤忠丸紅鉄鋼、Mタルワン、辺りを筆頭に「え、こんな大学から採るの?」という会社がかなりある。ホームレスにタマゴをブチこんだあのカスが受かったのも専門商社の某社だ。採用人数は決して多くないが、おまえがNBLになる素質(社会人の必須スキル)を持っているのであれば、合格の目はある。そんで、具体的に何をアピりゃいいの?と思ったおまえ。簡単だよ、基本的に「営業職」ってのは、世の中にいらないモンだ。だって、ホントのいい商品なら営業するまでもなく売れるだろ?いや、そうとも限らないが。とにかくおまえが営業をやりたくない理由は正にその辺にあるだろう。では、その営業になりたいとしたら。簡単だ、営業の存在価値とは何かを訴えかければいい。例えば証券、世の中のクソジジイクソババアが溜め込んでるカネ、それを世の中に引っ張りだすのは誰だ?つまり、それは証券マンだろう。「営業には社会的価値があるっすよ!営業マンマジ大事、やりがいある!超大事!いなきゃダメ!」と訴えれば、営業マンは嬉しい。言われて嬉しいことを言う奴は欲しい。つまりこれが、営業の極意であり、あるいは就職活動の極意だ。常日頃、社会的価値を低く見積もられている仕事ほど、社会的価値を欲しがっている。「相手が何を言ってほしいか」それだけを考えろ。これは、「志望動機」「自己アピール」辺り、全てに応用できるポイントだ。忘れるな。あとは表現力を磨け。
無いだろうな。しかし、ここで俺がK汽船の人事から聞いた名言を与えよう。0を1にするのはダメだ、だが1を100にするのはアリだ。(いいのかK汽船・・・)おまえらはこれから1を100にする作業に移るんだ。さて、おまえ大学生活で何やった?サークルは幽霊だったし、バイトは1ヶ月持ったことがない・・・。そうだろうな。うん、それが「1」だ。例えばおまえが居酒屋でバイトをしていたとする。仕事はクソだるく、おまえは全く使えないゴミ扱いをうけ、かつ一ヶ月で辞めた。しかし、それでも尚それは「1」なのだ。人間が「説得力」を感じる話、とは何か。それは、「エピソード」をいかに臨場感たっぷりに、ナチュラルボーンライ出来るかで決まる。例えばこんな感じだ。
「私が大学生活で頑張ったことは、アルバイトです!もちろん、アルバイトを頑張った学生はたくさんいると思います。皆さんいい加減飽きあきしてるだろうと思うのですが、それでも、それを承知で聞いていただきたい!」
こんな感じで前置きを置け。いいか、前置きで勝負が半分決まっている。それを忘れるな。奨学金とってた奴。おまえは経済的に恵まれなかったよな!それもちゃんと組み込めよ。
「どうせアルバイトをするなら売り上げを上げてやる、店の役に立ってやる!私はそう思いました、しかしそれはそう簡単なことではありません。「いらっしゃいませ」と大声で言って売り上げが上がるなら誰も苦労しません。そこで、1アルバイトの私が考えたことは、出来ることからコツコツと、です。つまり、トイレ掃除です!それというのも、皆さんお酒を飲みに行ってトイレが汚かったらウンザリしませんか?私はします。では、トイレをきれいにしよう!でも、これは案外簡単ではないのです。というのも、私の勤め先は学生街にあり・・・お察しください、という状況でした。そこで・・・(具体的な工夫。ま、思いつくだろ?)ということを実行しました!その結果、私は「トイレ掃除部長」としてお店から表彰を受け(こんなもんウソつき放題)、その報酬として金一封をいただきました。もちろん、このお金はそのお店で飲んでしまいましたが、そこから私が得た教訓は(中略、思いつくだろ?)です!そして、それは御社の(中略、思いつくだろ?)の上で必ず役立つものだろうと思います。私は、トイレ掃除を一生懸命工夫できる人間です、それが御社の仕事であればそれはもう、間違いなく誰より一生懸命になれます!皆さんのような(集団面接だとスケールのデカい奴が必ずいるので、それに対するカウンター)大きなことは出来ませんが、小さなことからコツコツ一生懸命、それが私です!」
「つまりトイレ掃除です!」に力を込めるのがポイントだ。この場合「つまり」は文章上の装飾であり、論理性のカケラもない。しかし、何かが起こる「面白い」言葉というのは常に論理の飛躍を伴う。妥当ないわゆる「えらいねえ・・・」というエピソードはありふれている、逆転を狙うおまえらのエピソードはなんといってもこういった、笑う要素のある庶民派が一番良い。具体的で、誰にでも出来るが頑張った形跡が見えて、かつ臨場感溢れるエピソードをヒネり出せ。いいか、別に立派である必要はない、スケールがデカい必要も無い。ただ、おまえが頑張ってる様子がありありと見えて、かつ「退屈しない」話であることが大事だ。論理で詰めて、ここ一番ではK点越えをする、これが非常に大事だ。
まず、一応言っておくが。就職活動に「個性」はおよそ求められていない。しかし、一発逆転、身の丈にあわない企業を受けるのであれば、おまえは面接官の度肝を抜く、あるいは爆笑させる、もしくはとことん感心させる、あわよくば「こいつ大好き!」と思わせる必要がある。上記したような話はいくつも用意しておけ。しかし、「まぁ、受かっておきたいな・・」という「抑え」の企業。これに関しては、極めて妥当な攻め方、つまり「2ちゃんねる」で得られる情報を集約したような模範戦法を採る必要もある。K点越えジャンプは、九割コケる。危険を冒すべきなのは、「妥当ではない」企業だ。このメリハリをキッチリつけられないと、駒をロスする。しかし、一度や二度は「どうでもいい」企業で、K点越え戦法も試しておけ。嘘、というものはつけばつくほど上達する。どうでもいい企業を受けて、人事を掌で弄ぶのはとても大事だ。ちなみに、「内定を断る」というのは勝者だけに与えられた最高の愉悦だ。現在は「内定蹴りってなんか気まずいよな・・・」と思っているかもしれない。しかし、おまえがNBLの素質を開花させる頃には、「どうやって断ったら面白いかな?」レベルまで精神は高まっているはずだ。やってやれ。人生に於いて、こういう経験をしておくことは必ず肥やしになる。肥やしになる、ということはウンコレベルの行為である、ということだが、言うまでも無くウンコにまみれることは人生において非常に大事なことだ。あ、でも内定者懇談会辺りはウマいメシが食える可能性が高いので、しっかり栄養つけてから断れよ。金融系はメシがいいぞ!(ただし、ちょっと内定断るときしつこい、いい暇つぶし相手になる)
⑦エントリー・シート
まず、言っておく。企業はエントリーシートなんか読んでない。学歴くらいしか見てない。特に、大手になれば絶対に読んでいない。しかし、これはESが大事ではない、ということではない。何故なら、ESというのは面接の際に「見比べる」ものだからだ。質問のネタもここから生まれる。言うなれば、発火点だ。おまえが練りこんだエピソード、「これが必勝技!」というポイント。これは、ESを使って誘導する必要がある。また、面接前には流石にESを読み込まれる。その際に「うわぁ・・ゆとりだぁ」と思われれば勝ちの目はまずない。ESに於いて必要なのは、文章で魅せる力だ。
読める文章というのは、構造がキチっとした文章だ。しかし、「国語」の授業ではこういうものは教えない。英米の「国語」は日本でやるような道徳と一体化したような「国語」の他に「論理」の時間が設けられている。おまえはこの文章表現における論理力をインスタントに身につける必要がある。文章構造を構築すれば、ESで負けることはまずない。この場合、必要なのは作家の書くような文章ではない。
①見出し
②根拠
③論拠
④まとめ
この流れに沿って組む、それだけでいい。これは文章表現のもっとも基本的なモデルの一つで、これさえ知っておけば凡そ困らない。まず、工夫すべきは見出しだ。人間というのは文章を読み込んでも、大体その印象的な一文くらいしか記憶できない。ということは、おまえが主張したい部分は印象的である必要があるということだ。各自、色々やれ。一行目はトポスだ。トポスというのは、詩的表現のことだ。手術台の上のこうもり傘とミシンの如く美しい、かつ意表をつくロートレアモンもかくやという一行目を書き出せ!
①ぼくはものすごい勤勉です
③トイレ掃除はみんながやりたくないものですがとても大事なことです。
全体像はつまるところこんな感じでいい。これをちょっと膨らませれば、大抵のESには対応出来る。根拠に加えて、論拠をきっちりと置くのがミソだ。もし、自信がないのであれば福澤一吉先生の「論理表現のレッスン」「議論のレッスン」を読んでおけ。この辺りの要素がミッチリ詰まっている。俺がシューカツに役立つと思った本はこれくらいだ。(ありがとう福澤先生!すっごい役立ったよ!授業寝なくて良かった!)そして、おまえはおまえが得意とする場所に話を誘導する、練りこんだネタの引き出しを開けさせる。そうすれば勝利は目前だ。
⑧トイレに貼れ
戦法はこんなもんだが、おまえが「出来る」と思っても、嘘をつくのはそれほど簡単なことではない。おまえの生い立ち、経験、人生そのものを偽る、というのは決して容易な話ではない。面接官っていうのはバカもいるが、全部が全部バカってわけじゃない。おまえの「ネタ」に対し、手を変え品を変えその真実性を試しにかかってくる。これに対応するためには、ストーリーを練りこむしかない。「小学生の頃は?」「中学生の頃は?」「彼女は?」「親友と呼べるのはどんな人ですか?」。これに対応するためには、おまえの人生そのものをNBLとしてのおまえそのものを作りこむしかない。これには、綿密に書いたおまえの「人生」をトイレに貼って、四六時中読むことだ。次第に嘘と本当の境目が不確かになる。これが大事だ。自分でもウッカリ信じ込んでしまうようでなければ、他人を騙すことなど出来ない。人生を偽れ、それを真実とするために!偽ることからしか真実は始まらない、少なくとも就職活動に関しては!
⑨その他
ここまで書いたテクニックは、就職活動のあらゆる側面に対応出来る。例えば「集団面接」。言わなくてもわかるだろう、全て基礎は同じところにある。いいか、背伸びする必要は常に無い。おまえの人生をちょっとヒネればそれは魅力的になり得る。おまえ、村上春樹は好きか?俺は特に好きじゃないが。あいつの書くメシのシーンを読んでいるとハラが減るだろう。つまり、そういうことなんだ。スパゲッティを茹でることにも真実は宿る、100パーセントの嘘にも事実は根付く。ほんのわずかの語り口の違いが勝負を分ける。語りの戦略を常に意識しろ、集団面接であれば「この局面で一番有効な語り口は?」と考えろ。例えば「ドイツに留学して・・・」という奴がいたら、その時は貧乏ネタで攻める。「来る日も来る日も勉強して」という奴がいたら、人間関係・アルバイトネタで攻める。嘘、というのは事実と違い、常に臨機応変であり得る。基礎さえ固まっていればヴァリエーションは無限だ。そのためにも、基礎になる部分はしっかり作りこんでおけ。そこさえ出来れば、ストーリーが暴走することはそれほどない。いいか、おまえは確かに大した人生を歩んでいないかもしれない。俺もそうだ。しかしそれは、語りの可能性を1ミリも制限しない。面接官にとっての真実は語られたことだけだ。それを忘れるな。
⑩へこたれるな
最後に。どれほどテクニックに習熟しても、就職活動はそれなりに難しい。大手企業に受かる確率は、確率論で言えば恐ろしく低い。しかし、へこたれるな。どれほど手ひどく負けても反省し、次に生かせ。企業は星の数ほどある、そしておまえを落とした面接官とおまえはこの先の人生、おそらく接点を持つことはない。あったとしても、ほとんど関係はない。全ての企業は練習台であり、踏み台だ。いいか、落ちても受かっても関係ない、それくらいの気持ちでいろ。何故なら、おまえの就職活動は夏まで終わらないからだ。いいか、何個内定を取ろうとも常に上を目指せ。夏だって採用はある。「ここが自分の限界」なんて決め付けるな。少しでも、ほんの少しでも上にいけ。だから、それまではスーツをクリーニングしろ。靴を磨け。ネクタイをきっちり締めろ。暑さに負けるな、ハンカチを洗え。
最後に勝つのは負けなかった人間だ。決して負けるな、これが一番大事なことだ。おまえの成功を祈る!
あ、あと。一応念のため言うが、筆記対策はしろよ。あんなもんチョロリとやれば全部取れるからな。筆記で落ちるようなことの無いようにな。
togetter『為末大「人を喜ばせる為に生きてやいないか」』を読んで思ったこと。
ブコメに書こうとしたけれど、長くなりそうだし、自分の思考まとめのためこっちに書いておこう。
内容をまとめると
・褒められる・認められる・評価されるためだけに生きていると、自分ではなく他人の望む人生になってしまう
・そんな他人依存症で生きるのは苦しい。一度じぶんと向き合って、自分の好きな方へ進むのがいいよ
「苦しんだことはないなー。やっぱり他人からの期待が大きい人だからこそ感じる悩みなんだろうな~」
というのが感想。
ただ2回目読んで、自分の仕事の現状に当てはまる部分があると気付いたら、色々と内容が心に入ってきた。
今。「起業する!」という上司を手伝うため、別の会社に移って半年。今は「何とか実績を!」という状況。
仕事は雑用含め、やりたいこととは違う方向に向かいつつある。会社の先行きは不透明。
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>もし誰かに期待されていたら早めにがっかりさせておいた方がいい。ほっておくと人生がいつの間にか人が期待する方向に向かい始める。
期待というか、この状況における、自分のすべき仕事・役割はわかるので、それをやっている。
すべきこと=上司や会社から望まれていること≠自分のやりたいこと という現状。
まぁ…確かに人生というか、仕事は周りの望む方に向かっている感はあるな。
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>人を喜ばせる為に生きてやいないか
これはなー…。
まず「人生≠仕事」なので一概に「そのとおりだ!」とは思わない。
仕事以外の部分では、そこまで他人(家族も)の望むことを自分の行動基準にしていないのか。
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>自分が幸せになる為に人を幸せにしている事と、人の評価を高める為に人を喜ばせる事は違う
いや、どうかな…
何のために「人の評価を高め」ようとするのか。褒められて、認められて嬉しいからだな。あと仕事も来るし。
てことはやっぱり後者だ。仕事に関しては評価依存・役割依存だな。でも仕事ならばそんなに悪いことか?
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>すごいと言われたい症候群も、がっかりされたくない症候群も、バカにされたくない症候群も、つまり他人にコントロールされている。
がっかりはされたくないな!
がっかりされるのは嫌だし、相手だってがっかりしたくないだろ。私も他人も嫌なことだと思うから、避けようとはするさ。
「すごいと…」「バカに…」はそこまで思わない。
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>人を喜ばせる為に生きている人は誰しもがそれ自体を幸せと感じられているわけでなく、むしろがっかりされない為に無理をしている場合が多いのでは
まぁね。「喜ばせる=仕事で期待以上のパフォーマンスを発揮する」だったら、多少の無理は。
やっぱり「仕事」という人生の一部のみでは当てはまらない部分も多いんだろうな。
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ここまで書いて思ったこと。
私は仕事を「食うための手段」だと完全に割り切っていて、そこまで心を入れていない。
いや、ベストな結果になるよう心血を注いでいるし、楽しいことも多い。けれど、人生と天秤にかけられるほど重きをおいていない。
以前は「仕事≒人生」だと思っていたし、「本当にやりたいこと」「自分の成長できる仕事」とかを求めて邁進していた。
ただ、邁進した結果「現実とのギャップ」とか「給料や仕事量との釣り合わなさ」の壁にぶち当たり、心のバランスを崩した。
今は、仕事と心をやや切り離して、仕事に色々望まないようにしている。
さて、では「人生」全体に関して…
生きているのは「生まれた惰性」と、子孫を残すため、あと死を恐れる本能だと思っています。
目的がなくても生きる意味は何かしらあると思う。いや、意味はなくても生きていけると思う。
わからないけれど…
誰しも、好きなこと・やりたいことが明確に自分の中にあるものなのか?
ああ、結局まとまらなかった。
みんな意外とペーパーテストを信頼してるんだね。というよりも性悪説なのか。
試験や単位なんて本来は勉強のためのインセンティブに過ぎないはずなのに。
「勉強のための試験」が「試験のための勉強」になってる。本末転倒な気がする。
大学以上で学問することにとって(高校以下でも本当はそうだけど)、試験なんて必要ないと思うよ。
テストでいい点とっても、いわゆる「教養」とか「学力」とかとは関係ないのに。
大学は資格をとるために勉強するところなの?数値化して保証してもらわなきゃ不安なの?
大学での試験なんてあってもなくてもいい点とっても悪い点でもほとんど意味ないのに。高得点マニアの人とかは別として。
せっかく数値化の極地である大学受験が終わったんだから、点数で測れない学問に取り組むべきだし、そういったことに興味ない人は他のことやってればいいし。
どうせ大学で学ぶことなんて「社会(会社)」じゃ役に立たないよ。その証拠に就職活動が始まるのは3年の半ばからだ。
ほとんど実利的でない。無駄。でも、その無駄を追究できるのが大学ってところなのに。
カンニングは「やっちゃいけない」って決まりになってるからやっちゃいけないんだと思う。
日本では禁じられているから大麻をやってはいけない、レベルの問題だ。
そこに「人生」も入れて語ってくれ
いわゆる死生観の話。
ずっと昔から多くの人が考えてきた。いまだに答えは出ない。
http://anond.hatelabo.jp/20100523025636 が秀逸だったので
"魂"は肉体が生む「状態」でしかないからだ。障子に映る影絵のように。
「人間死んだら終わり。ただ無になるだけ。あなたの親も、恋人も、あなた自身も」
そう言われて心穏やかにいられる人は少ない。
「死んで肉体は滅びても、魂は死後の世界へ行くのだ。決して無くなりはしない」
そう言って、人々を安心させるために。
ところが近代以降の社会は、日常生活から死を追放した。( 死生学 - Wikipedia )
そのため「生きること」や「死ぬこと」について考える機会が減ってしまい、
身近な人や自分自身の死に直面して初めて、大きく悩んでしまう人がいる。
だから「生きること」や「死ぬこと」について
分かりやすくて安心できる「考え方」は相変わらず必要とされている。
昔ながらの「血縁」を中心とした「考え方」は、
生物の基本に忠実なので、実感を伴っていて分かりやすい。
「人は死んでも子孫達の血の中に存在し続ける」という考え方だ。
一方、「人格」に重きをおいて
「人生」を「生きている間に何を考え、何を遺したか」と定義する考え方もある。
こちらの方が一人ひとりの「自分らしさ」を出しやすい反面、
「何を遺すか」は一人ひとりが考えなければいけない。
「人は死んでも他者の記憶の中に存在し続ける」という考え方だ。
もともと答えはない。多くの人の共感を得たミームが後世に残る。
ただそれだけだ。
"魂"は継がぬ、というなら構わない。 が、そうでないならやるべきことはあるはずだろう。生涯や生とはなにか、と問うまえに。
「生涯や生とはなにかを問う」ことは、
「魂を継ぐ」にはどうすれば良いかを考えるための、第一歩なんじゃないだろうか。
それこそ、地道なLv上げでは焼け石に水なくらいに。
しかも実際のクソゲーよりも厄介なのはゲームのようにリセットすれば
最初のプレイ時と初期ステータスが変わるかどうかも分からない。
そもそもリセットしても再びこのゲームの電源が入るかも全く分からない。
恵まれなければ苦労してもLvは上がらないし、
初期ステータスの一部の状態異常もゲームオーバーまで治らない。
中盤以降ではほとんどジョブチェンジはできない。
こんなクソゲーをプレイすることは拷問以上の何物でもないという人も
決して少なくはない。だが、一度切りのゲームでリセットが効かないために
だから、途中で自ら「自殺」することでゲームを終了する人も多い。
だけど、ちょっとこのゲームを終了させるのは待ってみないか。
これらの「隠しルール」や「裏技」や「バグ技」を一通り試してみる
価値はあるのではないだろうか?
本来想定されているこの「ゲームの面白さ」を無くしてしまう。
でもこのクソゲーに面白さが感じられないのなら
せっかく一度だけでもプレイできるのだから、例えゲームバランスを
崩してしまうことになっても、新しい「面白さ」の発見に賭けてみる
というのもありなんではないだろうか。
「隠しルール」や「裏技」や「バグ技」はどうすれば知ることができるか?
そこはフツーのゲームと同じ。「とにかくいろいろやってみる」ことだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/h.hatena.ne.jp/umevoshi/9234073158546346500
okome_chan ていうかそもそも、「いる」とか「いらない」って言葉で人間を語れること、そこに何の疑問も挟まないことが嫌だ。女を、というより、「他人」を何だと思ってるの?と思う。愛玩動物にだってそんな言葉使わないよ。 2009/11/06
またまたご冗談を。「愛玩動物」を扱うペットショップに客が足を運ぶのはペットが「いる」からであり、ペットを買った後に足を運ばなくなるのはもう「いらない」からだ。かりに「そんな言葉使わない」としても、実質は使っているのと変わらないわけでねえ。
でだ、人間に対しても「いる」「いらない」の判断があるのは当たり前だわな。例えば入社試験はそれを行なうことそのものだし、結婚式に知人全てを呼ぶことはない。誰かが心の底から思い出を綴り、気持ちを切々と書いた本があるとしよう。本の形になった「人生」や「人間の精神」に対しては、さあ、どうか? これにも「いる」「いらない」の判断はされて何の問題もない。
え? 本は「単なる物」だって? じゃあそういう本を、書いた人間の前で破り捨てられるか? 普通はそういうことはできないだろ。それはもちろん、その本はあきらかに「単なる物」ではないからだ。「単なる物」も、「単なる物では無い物」も、動物も、人間も、「いる」「いらない」の判断をされて何の問題もない。
ただしだからといって、「いる」「いらない」の判断をすることと、理不尽に扱うこととはぜんぜん違う。よほどのバカでない限り分かるはずだな。ペットを「いらない」ということは、ペットをぶち殺したりすることや(人に飼われて)生活力のないペットを野に放り出すこととはぜんぜん違う。人間に対しても同じだ。「いらない」とすることは殺すことや理不尽な仕打ちをすることと同義じゃあない。
元の流れで言えば、「ラブプラスがあるから女はいらない」というのは、これを真に受けたとしてもせいぜい「ラブプラスがあるから(恋愛をする相手としては/恋愛を味わう対象としては)女はいらない」というだけのことに過ぎないだろ? 隣人として、友人として、職業人として、一人間存在として女がいらない、存在を認めない、というのとはぜんぜん違うはずだ(まあ「隣人として、友人として、職業人として、一人間存在として女である『必要』はない」くらいは言うかも知れんけどな。それはそれで、言ってみれば「男でも女でもどっちでもいい」みたいなもんだから、これはまったく男女平等だ)。にもかかわらず、ここにある区別をごっちゃにして「人権も自由も何もかもなくなる」だの「何をされても訴えもできない」だのいうのはただの妄想でしかない。というか、恋愛的価値=人間として存在する価値、とでも思ってんじゃあなければそんな発想そのものが出てこないはずなんだが。
なにかを過剰に「見積もる」ことがいい状態につながるとはとても思えない。それが実現可能なら、どう見積もろうと勝手にすりゃあいい。だが、実現できない過剰な「見積もり」を叫んだってどうもなるわけがねえ。それを人に押し付けたりするようならなおのことだ。「いる」「いらない」の判断を、人に対してしないなんて本当に徹底できるのかね?
→http://anond.hatelabo.jp/20090103032255
人間関係が薄くなりすぎているのでは? カウンセリングや認知療法では人間関係の代わりにはならないだろうし、抗鬱剤で承認が得られるわけではむろんない。人間関係を具体的に広く深くすることに踏み出せれば前に進めると思うが。
* * *
一つの参考として読んで下さい。私も鬱病経験者なので一人の経験者の立場で書きますが、この病気の十全な改善のためには、「自分が生きる」とか「生きる」ということについての或るていどの深さのある肯定が必要なのだろうと感じます。
「こんなに苦しいことがあふれている生を続けていく意味は何?」というような問いを抱えていて、その問いの答えが分からない状態だと、色々な辛いことや苦しいことが剥き出しになって自分に迫ってくるように感じられて非常に辛いし、憂鬱にもなります。具体的な行動に踏み出す気力も出にくくなります。
「こんなに苦しいことがあふれている生を続けていく意味は何?」というような問いは要するに人生の意味を問うている問いなのでしょうが、鬱状態だと人は意味や価値について一種の盲目になる(意味や価値をあまり信用できなくなる)ことがあるので、そういう状態で「人生の意味や価値を問う問い」について答えを出そうとしても無理があるのではないかと思います(鬱状態でなくても扱いに困る問いですが)。
「こんなに苦しいことがあふれている生を続けていく意味は何?」といったように人生の意味や価値をストレートに問おうとするから答えに窮するのであって、答えに窮しているから憂鬱にもなるのでしょう。だとすると、そもそも「こんなに苦しいことがあふれている生を続けていく意味は何?」というような形式の問いを抱くことが憂鬱さの原因の主要な1つかもしれない。だとすると、この原因を取り除くためには問いの形式を変えるべきだと思います。
どのように変えるかというと、例えば「生きているとはどういうことか?/人生とはどういう事態か?」という問いに変えるわけです。つまりこれは「生きる」とか「人生」という語の意味自体を本人が再定義する試みであって、これを果たせば鬱病者当人が自分の現状を或る意味でクリアに見ることが可能になるし、あるべき生と比べて現状に何が足りないかということを自覚することもできるでしょう。「人生の意味は何?」というような問いの1つの答えが副産物として得られる可能性もあると思います。
「生きる」とか「人生」という語を単に通俗的な意味でとらえているだけだと、「生きる」とか「人生」ということを通俗的な意味の外側から見る視点が得られないでしょう。そうすると、通俗的な意味での「人生」に幻滅すれば精神的に行き詰まり得ます。「その行き詰まり状況を打破するためには、本人が人生を積極的に肯定しなければならない」といったときに、そこでいう「人生」の語は通俗的な意味を超えたものにならざるを得ないのではないか。それを提供するのは宗教かもしれないし、哲学かもしれないし、文学かもしれないし、何らかの直観かもしれないが、理性を否定したりトンデモに堕ちたりはしないかたちで「人生」という語の意味を本人なりに再定義することはできるはずです。
>>薬なんか飲んでも極論、治らないんだよ。
>>本人が回復しようと思わないと治らないんだよ。
人生観に関して行き詰まっている人間は、行き詰まりが打破できないがために「自分は回復の見込みが無い」と思い込んでいる可能性もあると思います。ですから、「生きているとはどういうことか?/人生とはどういう事態か?」ということを考えることを通じて少しでも人生観を更新すれば「回復しようと思」い至ることができるでしょう。そして「こういうことが自分の善き生である」ということが明瞭に意識のなかに立ち現れれば、具体的な行動にもつながると思います。
そういう試みを鬱病者本人が一人でやるのは正直しんどいかもしれないので、信頼できる伴走者的な人と一緒にすすめた方がいいと思います。とりわけ、「こういうことが自分の善き生である」と意識するためには他者の存在が欠かせないでしょう。回復した後も社会のなかで生きていくのだから、「自分の善き生」というものは他人との具体的な関係のなかで築いて(気づいて)いかないといけないと思います。
人生への幻滅や人生観の行き詰まりが原因で鬱病になっているのだとすれば、その鬱病者の人生観の方をこそ誰かが理解し解きほぐしてあげるべきだと私は思います。あなた一人の手に余るならば第三者にも頼るべきでしょう。
人生観の更新で「健康」を創ることはできると私は思うし、できる以上はするべきだと思います。「健康」に生きることが善であるとお認めになるのであれば。
〈参考〉
http://anond.hatelabo.jp/20081006001624
大学生は実はもう立派に大人になってて、その合間に大学へ行っている、ということ
そして大学に行っていない時間というのが立派に「人生」であるということ
だから大学生が自分の人生を遊びに使おうがバイトに使おうが学業に使おうがそれはその人の自由
その代わり、その行動によって引き起こされた結果を受け入れなければならないということ
後、親に感謝すべき
立派に大人なのに親から学費を出してもらったり生活費を援助してもらっているとしたら
その特権階級とやらは親によって保障されている
まぁ感謝といっても何か行動を起こせとは思わない
感謝する気持ちがあればそれでいいと思う
とかよく年長者の方々は言うし、実際自分でも最近そう感じる。
だけども、だからといってどうすればいいんだべ…
確かに早いよ。なんか成人したあたりからすんげー早いよ。
「新刊発売まで一ヶ月待って」と言われたら、中学生の自分だったら発狂しそうなほど待つには長い時間だったけど今の自分にとったら「あ、なんだ一ヶ月か。なんか色々してたらすぐだな」とか思えるようになった。(それはそれで利点もあるけど)
分かってる。分かってるが、でもだからどうすればいいんだ?
「人生なんてあっという間だぞ!」と父は言うが、だからといってどうすればいいのか分からない
足掻いてみても時は止まらんし。
人生短いんだからやりたいことをやれって?
やりたいことなあ……
そりゃまあ一応やりたいことは無くは無いよ。様々な制限を度外視して思うままに語ってみるなら、豪遊生活したいとか思うよ。世界一周してみてーとか思うよ。他人に凄く注目されてみたいよ。
んでも、そんなこと現実問題出来ないし。
そんなん、そんな大きなことじゃなくて、もっと小さいことだよ、って言われたら、ぶっちゃけ特にない。
そのレベルになると、「やりたいこと」というより「やりたくないこと」が上がる感じ。食事の支度もしたくねーし働きたくもねーし、家でダラダラオタク趣味にのめりこんで、時々自分のサイトでも更新してみたり、ニコニコにUPする動画作りでも時たまやってみたりとかしたい、みたいな感じになってくる。
んでもそんなこと今してたらそれこそ老後どうすんだって話で。そもそもその間どうすんだって話で。
そんな感じで、いくら「人生なんてすぐすぎるぞ!あっという間だぞ!」なんていわれたって、「んなこた知ってるよ。でも、だからどうしろっていうんだ」としか言いようがない。オッサンたちは偉そうにそんな事言うけどさ。いい事いってるつもりなのかもしれねーけど。そんなん薄々分かってきてるよ。でもどうしようもねえんだよ。「マジで好き勝手やりまくって、50で死ぬ」なんて覚悟もねえし。いや、本当言うとそうしてみようかという気は少しはあるけど、でも50になった俺の気が変わったらどうする?やりたい放題やって、後に何も無い状態で、「さあ、20歳の頃に決めた年になったぞ。死のう」だなんて本当に思ってくれるのか、未来の俺は。もしそう思えないとしたら、どれだけ悲惨な事になるやら目も当てられない。
でもだからといって働いてわずかな時間で趣味を少しばかり楽しんでそれで人生終わっていくなら
それが「嫌だ!!嫌だ!!」ってわけじゃないが、「なんか意味ねーな」って感じはする。
今死んだって同じじゃねえ?みたいな。
じゃあそれなら最後に死ぬ前にありったけの金で遊んじゃう?ってそんなことした後で俺が死に切れないチキンであることは俺が一番よくわかってるんだが。
大体やりたいことなんていったって、本当にやりたいのかなんてわかんねえよ。
今突発的にそう思ってるだけかもしれないし、もしかしたらすぐ飽きるかもしれねーし、天職めいたものが実は他にあったりするのかもしれないだろ。本当は全ての可能性をそうやって検証したいけど(俺は変な所で几帳面なため)そんなん無理だろ。とすると「やりたいこと」なんていうのも環境と運で決まることであってだな……この先全ての人生を捧げるに値するのかなんて全然わかんねえ。そんなん学生が分かるわけない。「○○になりたい!」とか思うのは、大抵の場合、「テレビで○○を見て憧れて」「本で読んで憧れて」とかだろ。ていうか社会生活してないんだからそういう理由くらいしかないわけで。そんなんで捧げる覚悟決めちゃっていいのか?って俺なんか思うんだけど、結構皆さっさと決められてるのはすげえ。例えば16歳の時立派な警察官の話を読んで、警察官になるよ!とか言ってる奴だっているわけだ。現に俺の友人にいるんだけど。そいつには言わないけど、俺はひそかに思ってしまうわけ。「じゃあお前、16の時その本読んでなかったら警察官になるって思わなかったわけだよな?逆に言うとその本読んだから思ったわけだよな?その本がお前の将来を決めてしまったんだぞ?その本だけでお前の将来決めちゃっていいの?」とか思っちゃうわけ。ていうかなんで皆そういうことを思って迷わないのか不思議なわけ。「って一生迷ってるわけにもいかないじゃん」って、まあそりゃそうなんだけどさ。それにしたってなんでそんな迷いが無い感じなの?俺は上のような事を考えるだけで大袈裟な話発狂しそうになる。この人生の、「帯に短し襷に長し」ぶりがもう腹が立って仕方ない。人生腐ったふりしていじけてすごすには長すぎる。かといってやりたいことやるには短すぎる。もうその「人生」自体に腹がたつんだよ、俺はどうしようもできないから。人間ってシステムっつーのか、この生命体の仕組みに腹が立つわけよ。いっそ何も考えず犬のように生きられたらいいのに、中途半端に自我とかあるからうざったい。ある種、生まれてきた時点で望みは叶わないって決定しているようなものだ。このジレンマっつーか、なんつーのか、俺はもう物凄い八方塞感を感じている。
すぐすぎるなんて分かってるけどじゃあホントどうすればいいんだ。
オッサンたちだって、んなこといってるけど、じゃああんたら若い頃にそう気がついていたとして、何か出来たのかよ?
どうせ気付いても何も出来ないなら寧ろ気付かないほうがいいのかもしれないな。
空しいっつーか腹が立つっつーか、色々とやりきれない。畜生。
うーん。解説ありがとう。でもやっぱりわからない。
という文章はわかるよ。だけど、
アニメ、漫画、ラノベ、ギャルゲ、エロゲ等のオタク趣味に共通するものがある。
これらは全て、「コミュニケーション」、「相互理解」、「幸福」、「道徳」、「哲学」、「愛」、「人生」、「セックス」等の、「生の構成を多分に支えているもの」のメタファであるという事だ。
例えば、漫画の中で、キャラ同士が話をするのは、現実に人同士が話をすること、つまりコミュニケーションのメタファだ。
歪められた生へのメタファは、オタクの生へのルサンチマンを肯定する。
だが、密かにオタク達に語りかける内容はだいたい一緒だ。
「現実は君の事を否定するけど、君は本当のところ、全然間違ってなんかいないんだよ」
実際には、現実は人を否定したり肯定したりしないし、人そのものに正しいも間違ってるも無いんだけど。
と
が繋がらない。
原文を整理すると
「オタク趣味」は「生へのメタファ」なんだけど「好き勝手に歪められて」いて(誰に?)、「だが」(なぜここで逆接?順接じゃないの?)「密かにオタク達に語りかける内容はだいたい一緒」の「ルサンチマンの慰め」である
ってことなんだと思うんだけど、違う?
もしこれで要約があっているなら、括弧の中に書いた疑問点を補足して欲しい。