はてなキーワード: 将校とは
宮城事件(きゅうじょう[注釈 1]じけん)は、1945年(昭和20年)8月14日の深夜から15日(日本時間)にかけて、宮城(1948年7月1日以前の皇居の呼称)で一部の陸軍省勤務の将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件である。終戦反対事件、あるいは八・一五事件とも呼ばれる[1]。
日本の降伏を阻止しようと企図した将校達は近衛第一師団長森赳中将を殺害、師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠した。しかし陸軍首脳部・東部軍管区の説得に失敗した彼らは日本降伏阻止を断念し、一部は自殺もしくは逮捕された。これにより日本の降伏表明は当初の予定通り行われた。
初めてすぐ戦果が出ないことがわかってた特攻なんてものを終戦まで若者に強いる馬鹿な国だって植え付けただけだよね
特攻隊員の手紙やら戦中戦後の将校の書いた手記や記録に学んだら
<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>歴史を見れば明らかだが、何の抵抗もせずに降伏すれば、奴隷にされるだけだった。「こいつらを酷く扱いすぎると、suicide attackをしてくるかもしれない」という恐怖を先人が植え付けてくれたことは、その後の日本人を大なり小なり守ってくれている。この種の話は、西部邁先生がよくされていた。 https://t.co/HzVZL783Xy— Hideki Kakeya (@hkakeya) January 15, 2020
なんてふつう言わないよね
歩きスマホをしている人間はこちらを見ずにずんずんと歩いてくる。一方私はぶつかると危険なので道を譲る。相手は私に一瞥もせずに我が物顔で道を専有する。これが嫌なのだ。本来お互いに五分五分、道を譲り合い避け合うべきなのに、私が一方的に労力を割き、相手は何もしない。完全に私の敗北だ。自分よりも年齢の低い相手には、年端もいかない若造がこなくそと、自分よりも年齢の高い相手には偉ぶりやがってこなくそと、怒りが燃える。歩きスマホでなくても同じだ。複数人で横並びに歩いている人間が正面から歩いてきたときに、彼らは決して避けようとしない。なぜ私だけが避けなければならないのか。自分が惨めに思えて、腹が立つ。歩きスマホの相手に自らぶつかりに行くおじさんもきっと自分と同じ気持ちなのだろう。ドストエフスキーの地下牢の手記で将校にわざとぶつかった彼も同じ気持ちなのだろう。歩きスマホが危険だから嫌なんじゃない、自分が不当に不利益を被るのが嫌なんだ。
以下、ドイツの軍人「ハンス・フォン・ゼークト」の格言とされる有名な言葉である。細かいニュアンスは微妙に異なるがTwitterなどSNSでたまに見かける。
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有能な怠け者は司令官にせよ。
有能な働き者は参謀に向いている。
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この名言を見るたび「私は無能な働き者にならない」と決意した。私が仕事が出来ないのは怠け者なだけで、働き者になれば、有能とまでもいかなくても普通の働き者になれると信じこもうとしていた。「無能な働き者である」と自認し宣言する人を心の底から見下しバカにしていた。
「有能な働き者」になるために動き続けた。「仕事のミスが多い」と言われればミス記録を取り対策を考えて実行することを繰り返した(ミスは解消しておらず、ミスし続けている)。
「コミュニケーション能力が低い」と言われればコミュニケーションに関する本を何冊も読み、アサーションや論理思考の研修を受け、同じ悩みを持つ人とのコミュニティに参加した(コミュニケーション能力は上がっていない)。
「冷静沈着に行動せよ」と言われれば瞑想やマインドフルネスを勉強し実践した(コミュニケーション能力と同様)
私に合うライフハックがあると信じてライフハックを検索し、人に聞き続けた(コミュニケーションと同様)
常に何かしら考え、動いてるつもりでいたがなにひとつ変わっていない。知識だけども増え表面も内面も変化がない。年をとっていることを考えるとむしろマイナスである。「生きづらさ」だけが増加している。
そんなとき、知り合いに誘われて自己啓発セミナーの公演に誘われた。私はその自己啓発セミナーの雰囲気が苦手だったが誘ってくれた人は好きなので断れず参した。セミナーは理解できなかったが、一つだけ残った言葉がある。「自分の感情を楽しむ」である。
この言葉を聞いて私はショックだった。直感的に私は自分の感情を楽しむことができていないことを悟った。なぜ、自分の感情なのに楽しめていないのか考えることにした。
私は「無能な働き者」である自分を否定し、架空のありもしない「普通の働き者」である自分を変えようとしていたのではないかと思うようになった。存在しない自分を変えようとしても無いものを変えることは出来ない。変えようとしても空転するばかりである。でも、私は私自身を変えたいとという考えは変わらない。変えるためには変えたいものちゃんと見なければいけない。
この考えが正しいとは思わない。間違っている可能性が高い。でも、やってみないと間違っていることもわからないの無能者だから。
先月にあったが精神的に落ち着いてきたので書捨ててみる。
今思えば俺、増田が弁護士に相談した事は実にくだらない内容で(当時は必死だった)簡単に例えるならば『桜を見る会に出席した野獣先輩がその縁で背後についた謎の政治的勢力の力を得てレスリングな自伝を出版する秒読み段階になったが桜会の世論の反感とばっちりで出版そのものがボツになったから訴訟』のようなくだらない内容だった。
結局「証拠が無いから…」と弁護士になだめられた時は目の前が真っ白になりポアラーヌ家に嫁いだ彰晃が「証拠は?しょうこは?」とポア将校制服で登場する幻覚を見るぐらい精神打撃を受ける程であった。
そして最後に弁護士さんから注意されたのが「あのさぁ、増田ニキに満足できない結果でクッソ申し訳ないが、増田は悪徳弁護士にひっかから無いようにい気をつけるんだぞ〜 」(震え声)
※実際はこう言って無い、ただ大阪弁は聞きづらいだけだ。
「え?悪徳て何?」
・増田が頼んだように書類制作をしてくれる弁護士だが書類が届いても相手が無視して終わり、ただ書類代金の数万円消費して終わる(勝ち目の無い法的拘束うんたらが無い書類)
・また悪徳弁護士が勝ち目の無い裁判(証拠が無い)をやり始め何十万の金がガバガバ減って1円も増田さんはお金貰えないで終わる。
てな内容のようだ。てな感じで弁護士に頼んだらから全て上手くいくとで無い事もある。時には我慢しなければならない。という事を覚えた。
法テラスガチャもいいがレズにホモな相談しても嫌な顔はしないがダークドン引きされた経験が去年あった。焦らずに距離が多少遠くても滞在適所な弁護士を探すと良いかも。
「旭日旗問題は2011年の奇誠庸発言から新しく作られたもの」説がガチで広まっているのでそれ以前の事例をまとめておく。
最初に述べておくと、筆者は「旭日旗批判が激化したのは2010年代からだが問題意識はそれ以前から存在した」という考えである。
//www.aya.or.jp/~marukimsn/news/n078.htm
ソウル在住の現代美術家・安星金(アン・ソングム)さんの展覧会が終了しました。会期中は3873人の観覧者がありました。「旧日本海軍旗」としての旭日旗(現在はイージス艦に掲げられるなど、海上自衛隊の中で復活している)をモチーフにした迫力あるインスタレーションが会場の半分を占めました。
(中略)
はい/154 いいえ/160
2 かつて帝国陸海軍の軍旗、今は朝日新聞社のマークとして知られている旭日旗の方が日の丸の旗よりもお好きですか?
はい/144 いいえ/174
//www.wowkorea.jp/news/enter/2005/0803/10002267.html
//birthofblues.livedoor.biz/archives/50412138.html
今度は人気グループBIG BANGのメンバー、TOP(本名チェ・スンヒョン)が、日本帝国主義のシンボル「旭日昇天旗」を連想させる模様が入ったジャンパーを着てテレビ番組に出演し、「親日ファッション」をめぐる論争が巻き起こっている。
//mimizun.com/log/2ch/asia/1189760638/
【韓国】「日本の自衛隊練習艦隊が旭日旗を掲げて入港したのは許せぬ。直ちに出て行け」
日本の自尊心だとされ軍国主義の象徴である旭日旗を堂々と翻して仁川港に入港した練習艦「かしま」など3隻には、実習将校180人を含め計750人の自衛隊員が乗り組んでいるという。
//yawanews.blog82.fc2.com/blog-entry-878.html
柔らかNEWS 『大日本帝国の再臨だ!』 洋ゲー『Red Alert 3』に韓国が猛反発
「Red Alert3」には「Empire of the Rising Sun」という新勢力を登場させて、日本帝国主義の象徴である「旭日昇天旗(旭日旗を韓国ではこういってます)」を使っており、まさに日本帝国そのものである。
//takeshima.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1240793401/
【サーチナ】「挑発行為だ!」 旭日旗掲げ韓国の観光名所を歩き回る日本人女性二人に非難殺到[04/27]
この映像をみた韓国のネットユーザたちの反応は様々。ブロガーのBlue2skyは「神風旭日旗を掲げて、しかも文化遺跡(南大門焼け跡)の前で写真までとっている。許されたものじゃない」と怒りを顕わにした。さらに、「もっと衝撃的なのは、この行動に無関心な市民の姿、抗議する人も、制止した人も誰一人いない」と続けた。ブログのコメント欄には、神風旭日旗を掲げての行為への強い非難とともに、「無知な二人に神風旭日旗がもつ意味をちゃんと教えるべきだった」という意見が目立っている。
//blog.livedoor.jp/toanewsplus/archives/344071.html
【米国/ゴルフ】ミシェル・ウィーが描いた‘旭日昇天旗’の絵で論難[06/05] : 東亜news+
ミシェル・ウィーは独特の感性と秀でた絵の腕前を見せたが、韓国ネチズンたちは不満だという反応を見せている。彼女が公開した絵の中に日本軍国主義を象徴する‘旭日昇天旗’が含まれていたためだ。
http://www.research.kobe-u.ac.jp/gsics-publication/jics/27-1/kimura_27-1.pdf
「旭日旗への批判が高まったのは2010年代である」ことを肯定しつつ「奇誠庸発言がターニングポイントではない」としている。
こちらでターニングポイントとして挙げられているのは2013年のサッカー東アジアカップ日韓戦である。
Googleトレンドを使って「旭日旗は2011年以前には検索されていない」ということを主張する人もいるが、そこから分かるのは「その2011年ですらほとんど話題になっていない」ことと「2011年以降も旭日旗に対する関心は薄い」ということである。
https://trends.google.co.jp/trends/explore?date=all&geo=KR&q=%EC%9A%B1%EC%9D%BC%EA%B8%B0
2010年以降に最初に山が出来ている2013年8月について検索してみると「サッカー東アジアカップの日韓戦での旭日旗問題」や「東亜日報が旭日旗ファッションの広がりに警鐘を鳴らす」などの記事が引っかかる。奇誠庸よりもこちらのほうが話題になったというわけだ。
もう一つの山は2016年8月に出来ているが、こちらは「少女時代」のメンバーがSNSに日の丸の絵文字や旭日旗デザインを掲載して炎上した、という記事が引っかかる。
ただし、たとえば「独島(독도)」や「慰安婦(위안부)」などのトレンドと比較してみれば、「旭日旗」の話題性は相対的にかなり低いことが分かる。
Googleトレンドを引き合いに出すなら「2011年」がターニングポイントになったのはむしろ日本の側ではないか?
https://trends.google.co.jp/trends/explore?date=all&geo=JP&q=%E6%97%AD%E6%97%A5%E6%97%97
まとめると、
・日韓問題に関心のあるネットユーザーを中心に2000年代から旭日旗を問題視する風潮があった
・日韓対立が深まるにつれてネットユーザーによる炎上が一般にも知られるようになった
・2013年ごろから社会的にも「旭日旗」に対する問題意識が形成されていった
といったあたりだろうか。
女性差別への問題意識は以前から存在したが、「表現狩り」的な炎上は2010年代に入って急激に増加した。
先鋭化した一部の人間の行動が大きく取り上げられるものの、大多数の人間はその問題に無関心である、というような。
ともあれ「旭日旗問題は2011年の奇誠庸発言から作られたもの」という主張は、それ以前から批判はあったという意味でも、奇誠庸発言に影響力はなかったという意味でも、不正確な言説だと言える。
昔の軍の将校さんってこんな感じだったんかね
以前「チコちゃんに叱られる!」でもし戦車と戦うことになったらどう対処するか、というトピックが挙がった。番組中の答えは「下の走行ベルトの間に潜り込み、キャタピラに鉄パイプを挟み込む」というものであったが、案の定ネットでは「その前に機銃で撃たれる」「旋回されたらひき潰される」といったツッコミの声が上がった(尚、MGS4の作中の無線では「以前『歩兵が一対一で戦車に立ち向かうにはどういう方法があるのか』と現役の陸軍将校に尋ねたら『歩兵が一対一で戦車に勝つ方法は絶対ない』と断言された」というやり取りがある。これは小島秀夫監督が実際に質問したことらしい)。
もっと言うとそもそも普通の乗用車ですら、人力で車の馬力に対抗するのはスーパーマンでもない限り無理なのは言うに及ばずだが、映画や漫画みたいに武器を使って止めるのも不可能ではないらしいが相当コツや条件が要るっぽい。車のドア程度の鉄板なら拳銃でも貫くのは容易らしいがエンジンはライフル等の大きめの銃や弾でないと厳しい様で、それに上手く運転手やエンジンを仕留めたところで動いてる途中だったら慣性の法則で暫く動き続けるわけだから、こっちに猛スピードで突っ込んでくる途中だったら狙いを定めている間に、また何とか弾を急所にぶち当ててもその後避ける前に跳ね飛ばされる気もする(ここら辺参考https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1291277912 https://www.goo-net.com/magazine/104742.html 後者の実験では止まっている車相手に撃っている)。生身の人間と鉄の塊の乗り物というのは、どうやらその時点で両者には歴然たる力の差が生じる様なのだ。まあそうでなければ毎年交通事故で4000人近くも死者はでないであろう(これでも減少傾向らしいが)。
更に言うならば戦車や乗用車どころかナイフ一丁だけでも生身の人間との力の差は格段に生じる。バイオハザードシリーズの影響かどうもナイフは過小評価されがちな武器に思えてならないが、また川崎の事件の時も「警官は拳銃でもっと容易に犯人を止められなかったのか」的な声が上がっていた様だが、相手を狙って撃つという攻撃までにある程度精密でややこしい動作が求められる飛び道具より、でたらめに振り回しても相手に掠りさえすればダメージを与えられる刃物系の武器の方が至近距離では有利なのは明らかだ。この辺りのツイートやまとめを参照されたい https://twitter.com/whitefox_cos/status/1136476293241851905 https://togetter.com/li/1269686 https://togetter.com/li/1361097 また、プロの格闘家や武道高段位保持者ですら刃物を振り回している相手に格闘で立ち向かうことを危険視しており、結局走って逃げるのがベストな対処法らしい。 https://togetter.com/li/1360923 https://twitter.com/miepapa530228/status/1135035845545611266
軍医エフロシーニヤ・グリゴリエヴナ・ブレウス大尉の話が公開された。
もともとミリオタなのでソ連や独ソ戦はそれなりに知識があるけど、さすがに30年近く前になくなったソ連のことだと日本の読者はしらない事も多いんじゃないかな?原作は旧ソ連の人向けで特に用語とかの解説もないし。
レニングラードといえば900日近くの包囲された街。
スターリングラード、スモレンスク、クールスクなんていわれてもピンと来ないよね?
今回の東プロイセン攻勢やロコソフスキー元帥なんかも説明いるよね?
微妙に楽勝っぽい東プロイセン攻勢は同時期の沖縄戦なんかと比べて連合軍の死者が沖縄ではせいぜい2から3%なのに対し、10%近い死者を出してる。
コムソモールやピオネールどころかコルホーズもよくわからんという人も多そう。
そう言えば、ライフルが自分の身長よりも長いという描写もあるけど、当時のライフル銃は120cm近くある大型のもので、通常時は銃剣をつけたままなので特におかしい表現ではない。
あ、そういえば自動走砲大隊って、でてきたけどこれなんだろ?自走砲のことかな?と思ったけど、別の箇所には普通に自走砲ってあるし。
と話が脱線したが、そういう前提知識を仕入れる本ていいのあるかな?
速水螺旋人、津久田重吾 の「いまさらですがソ連邦」はかなりいいところ行ってるかな?今なら kidle で prime 会員なら無料で読めるよ!
でも表紙で旗を持ってるピオネールの少女がでかでかと載ってるけど、ピオネールやコムソモールは速水螺旋人のイラストコラムで軽く触れてるだけだったかな?
で独ソ戦自体となると、「どくそせん」はミリオタがミリオタ向けに書いた本と言う感じだし、手頃でこの一冊と言うのは浮かばないな・・・なんかいいのある?パウル・カレルを21世紀の今勧めるのはないし。
重傷患者は応急手当を受けると、すぐにトラックに乗せられ、アメリカ軍の病院施設に送られた。まだ身動きのとれる負傷者はしばらく現場に残された。日本語将校のジェーファソンは残っていた住民、に尋ねた。「日本兵はまだ壕にいるのですか」「いる、いる、沢山残っている」と住民は叫んだ。みんな知らなかったのだ。大塚軍曹の一隊は住民に紛れて、投降していたのだ。
ジェーファソンは言った。「日本兵を殺しますか、生かしますか」「クルセー、クルセー」(殺せ、殺せ)。壕の中であれほどイジメられていた住民の怒りが爆発したのだ。ジェーファソンは爆破班に告げた。「住民はこの壕を爆破して日本兵を殺せ、と言っている」。爆破班は強力な爆薬を壕のあちこちに設置して、スイッチを押した。ドカーン。轟然と爆音は響き、黒煙が空高く舞い上がった。
トラックに乗っていた住民の多くがその黒煙がモクモク上がるのを目撃した。皆「ヤッター」と思った。あの日本兵に対する恨みは黒煙と共に空高く上がった。黒煙はやがて消えていったが、住民の恨みは心の底に残った。
20世紀最高の頭脳といわれたホンノイマンは原爆は京都に落とすべきと進言した男です。
その理由は、日本人の精神のよりどころであり、日本文化のシンボルとしての京都を破壊することで日本人・日本国へのダメージを最大化できるからだそうです。ついでに町全体がグリッドになっているので爆撃の目標を見つけやすいということも言っています。
ホンノイマンは世界中の歴史や文化に精通しましたから、日本人の大切にしているものを完全に理解した上でそういうことを言っているわけです。
米軍の将校達はこのあまりに恐ろしい案を却下して広島を選びました。
知能が高いということは人類にとってそんなに大切なことでしょうか。