はてなキーワード: キティちゃんとは
アンチコメントとの関わりや、芸能を続ける理由を語った部分の文字起こし。
※それ以外の部分は省略しています。
「(心無い言葉について)いろいろな人がいろいろな感情を持つことは自由ですからね。
それを共有するのか強要するのか、というのはだいぶ違うことだとは思うんですけれども、意見を持つことは自由なので。
でもこういう芸能のお仕事をしているとそれを目の当たりにして。見なくてもいいかもしれないけど、私は見てしまうタイプの人間なので、
言葉を目だけで写して、心にまでは入れないっていう強い日もあれば、心無い言葉でさえ心に入れてしまう弱い夜もあって。
人間って、そうですよね?
生きていたら、心に入れなくていいと思っていても、どんどんその言葉が心に入ってきて、頭に入ってきて、自分の自信がなくなってしまう夜って、誰にでもあると思います。私だけでなく。
実はね、今年はいろいろな発表もさせていただいて、でもその中でやっぱり、自分の自信が本当になくなる瞬間が多々あったんですね。
自分ってなんのためにいるんだろう。
なんのために芸能人をしているんだろう。
なにを届けられるんだろうか。
そういうことをすごく考える日々が、今年は特に多かったんじゃないかなと思います。
そんな中で皆様からのお声に助けられて、周りの人に本当に助けられて、自分の中で強くなれたからこそ、今こうして動画を回しているんですけれども、その過程の中で、
「こういう風なryuchellだったら芸能人として、出る意味があるかもしれない」とか、そう思えたことがあったので、
私が表に出続ける意味っていうところから、ちょっとお話をさせてもらえたらなと思います。
正直、ネットニュースだってやりたい放題じゃないですか。ふふふ。言いたい放題で、あの方々もお仕事ですけれども、それを信じて欲しくないなーみんなにはこんなこと・・・と思っていても、信じるじゃないですか。
何か物を見るとき、人を見るときもそうですけど、その人・物の裏側を見るよりも、表面だけを見て判断する人は、やっぱり多いのがこの世の中で、そういうもんじゃないですか。
その人たちに「違うよ」って一人ずつ言って歩き回れないし、しょうがないことなんですよね。
表に出るっていうことはそういうことだし、覚悟の上でやっているから。いろいろなアンチコメントとか直接私に送る方も、その人だって頑張って生きてるんですよね。
(アンチコメントを送る人は)もしかしたらみんなからも好かれて本当にムードメーカーで、愛されている人かもしれない。そう考えたら、(八つ当たりできる)芸能人って、すごくいいポジションなんですよね。
私に色々なお声をDMで送って発散して、その代わりに他で笑顔になれたり、明るくなれたりするのであれば、八つ当たりされる=その人の余裕ができるということなので。どんなに八つ当たりされても大丈夫なんです。
でも「あーアンチコメントかー」とか「この人は心無い言葉を八つ当たりで言ってきているのだな」と思える日もあれば、
目だけで通さず、心にも通してしまって。本当に全部を受け入れてしまって、病んでしまう夜も正直あったんですね。
ただ、私がそれこそ人前に出て、何がいいんだろう。何を求められているんだろう、何を届けられるんだろうと考えた時に、すごくアバウトかもしれないんですけど、
正直私は生き方が上手じゃないですね。皆様もわかると思います。(にっこり笑う)
数年前までは、若いのに夢を叶えて偉いね、すごいねとか、若いのに幸せを掴んで偉いねとかいっぱいいっぱい言われてきました。
そう見せてたんでしょうね。そう見えてたんだと思います。
でもきっと私にその幸せって似合わなかったのかもしれなくて。
カリスマとして芸能人として、皆様のことを引っ張っていく、そういうこともうできないと思うんです。できないかもしれない。
コメンテーターとかさせていただく中で。ずっとおこがましかったし、そんなことないと思っていて。ただ、だけど、イチ人間として、弱い自分・幼い自分というものを見せた・・・はみ出てしまった。今年はそういう年でもあった。
でもホッとしたというか、そういう気持ちにもなったりしました。
そんな中でみんなを引っ張ることはできないかもしれないけど、人の痛みや弱みがわかるぶん、みんなを抱きしめてあげられる。ハグできるタレントにはなれるかなって思ったんです。
ryuchell強いね、って今でも言っていただいて、それは自信になるし誇りになります。プレッシャーになるとかはないんですけども。弱いって自分で言いたくないけど、強くなれない夜はryuだってあるのね。
だからこそ、そこを強みというか・・・強みにはならないかもしれない、わかんないけど・・・。人の痛みを理解できる、上手に生きていけないそういう人たちをハグしたり、もしかしたら時には画面の向こうかもしれないけど、より添えるような、皆様に寄り添えるような、そういうタレントではいられるなって。いたいなって、新たな目標ができました。
本を出したことがあるんですけども、そのタイトルは「こんな世の中で生きていくしかないなら」というタイトルで。
うーん・・・今でも世の中に対してキラキラと希望を抱く、そんな日は私には少ないです。
ただ、自分の人生を、そして自分の周りの人や動画を見てくださる人にはやわらかく、明るく幸せをゲットしてほしいと思っているので、そのきっかけになれるような、時には強さも与えたいし、笑顔も与えたいし、そういうタレントでいたいなって思いました。
まあ、こんな私ですが、これからもね。応援よろしくお願いします。
そして最後に言いたいんですけれども、最近すごくネットニュースとかで、可愛くなったねとか言っていただくことがすごく多くて、すごく嬉しくて。
ただ一つ言いたいのが、インスタとかほぼ毎日投稿しているので、可愛いアピールかよ、みたいな。どこ目指してるんだよ、みたいな、そういうお声もたまにいただくんですね。うふふ・・・。
で、確かになんか化粧もしてるじゃないですか。ネイルとかも・・・うふふ(爪を見せて)キティちゃん。
可愛いのは大好きなのでやっていて、ただ毎日SNS投稿しているのは、毎日ありがたいことにお仕事いただいていて、その時にメイクをしていただいて、衣装をつけてもらって、スタイリストさんにスタイリングしていただいて。その可愛いのを残しておきたい。
表現だけじゃなく、言葉だけじゃなく、体現する。私の強さ、私の個性をファッションで表現すると、人によっては「この人の強さ」として受け取ってもらえる時もある。
SNSではただ可愛いでしょ、イエーイってしているだけなように見せかけて、「私にとってこんなにキラキラ生きていきたい!」「私も!」と思ってもらえるようには生きられないかもしれないけど、「世の中って捨てたもんじゃない」「こういう人もいるんだ」とか、そういうお声をいただくとやっぱり頑張ろうと思っちゃうんですよね。
家族で仲良く着れるおそろいの服がほしいんだけど
ひろしTシャツ
みさえTシャツ
みたいな感じで、父・母・息子・娘がそれぞれ着れるデザインのTシャツがあればいいのに
私は母親の立場だからみさえのTシャツのグッズ売ってないのかなと検索したけどなかったわ
娘にキティちゃんのTシャツを買ってあげることにしたんだけど、せっかくだから私もキティちゃんのTシャツを買って娘とおそろいコーデしたい!と思ったらちょうどよくキティちゃんのママとキティちゃんがデザインされたTシャツが見つかり、「あ!私にぴったり」と思って喜んだんだけど
じゃあキティちゃんのパパのTシャツを旦那に着せたいと思って探したけど、キティちゃんのパパのTシャツは売ってなかった
たかみなが結婚発表のとき「よめ」「だんな」みたいな文字が書かれたTシャツを着た写真を公開してたけど
正直ディズニー自体はそこそこ好きだ。彼女と一緒にディズニープラスで映画をよく見ている
はっきり言ってディズニーシー自体は、やたら人の多い割にちゃっちいな遊園地だとしか思えなかった
トイストーリーマニアは田舎の科学館にありそうなシューティングだし、期待していたソワリンもちょっと浮くだけの4DX
そもそもアトラクション自体も子供向けが多く、その他も絶叫系くらいしか大人が楽しめるものがない
5アトラクションくらいしか乗れなかったけど、もう一回リベンジしたいと思えるほどのアトラクションがない
ジャンボリミッキーのショーも見たけど、何が楽しいのかわからなかった
子供(はしゃぎたい大学生含む)にとって楽しいのはわかるけど、踊っている大人の女性も多い
粋ったオタクみたいに「あたしガチ勢だから!」とか叫びながら踊っているのを見ると女も男も陰キャ感って変わらないんだなと感じる
彼女曰く、ディズニーは雰囲気とかパレードとか、キャストを楽しむものだといっていた
街の景観は綺麗と言えば綺麗だけど、わざわざ8000円なり年間パスを払ってまで見たい景色かと言われると疑問。一時間もかからずに一周できてしまうし、そもそも予約をしないと気軽にレストランにすら入れもしない。アプリをやっているときによく見た写真の元ネタっぽいカフェもたくさんあったけど、別に自由が丘とか青山にいけば撮れそうなものだなと思ってしまった。
苦労して並んだハンバーガーは包装が雑でソースが下に垂れている。値段もバーガーキングくらいだから文句はないけど、よく言われるディズニーキャストの心意気というものは感じられなかった。あれだけ人が多いと当たり前だなとは思うけど
たしかに夜の景色はライトアップされて綺麗だけど、あたり一面に敷かれた場所取りのシートが景観を損なう
昼間にはそういう場所取りをしている人がいるから、どうも雑多な感じが拭えない
そんなもんだから、ミラコスタなんて言うほど泊まりたいか?と思ってしまった
朝一で行くほど大したアトラクションもなければ、世界観とか景観も思ったより雑多
パリの高級ホテルくらいの感覚でミラコスタに憧れる人が多いからどんなものかと思っていたけど、はっきり言ってこんな高いだけのホテルの何がいいのかわからなかった。(泊まってはないので中のサービスとか装飾がいいのかもしれない)
結婚式なんて尚更よくわからない。そんなにミッキーに祝福されるのがいいんだろうか?ピューロランドでキティちゃんと一緒にグリーティングするのと何が違うんだろう?
ディズニーの作品にハマること自体はわかるだけに、残念な感想が拭えなかった
女の子はプリンセスになっていいんだとか、意外とオラオラ系の多い王子や実は繊細なキャラの多いヴィランに惚れるとか、いいと思う
昔コミックマーケットに参加した時も似たようなことを感じたなと思い出した
寒い中朝7時くらいに並んでみたものの、別に朝ダッシュするほどの展示もコスプレもないし、目的がないと素人の書いた絵を眺めながらただひたすらでかい空間を歩き回るだけで終わって疲れるだけ。
一回行っただけでも、ただ本を買うだけならダミーのサークルでも作ってしまえばいいのでは?と思ってしまうくらいには面白くなかった
楽しんでいるのは作り手というか、その空間の中に共同体を作っている人々のほうなんだろうなと思った
私はポムポムプリンのオタクだ。題名の通り、最近どうにもポムポムプリンがサンリオオリジナルの商品(サンリオショップやサンリオオンラインで取り扱う商品のこと)でハブられがちな気がしている。
ポムポムプリンは今年のキャラクター大賞で2位を獲得し、ここ数年ずっとTOP3を維持しているキャラだ。
にも拘わらず、だ。1位のシナモロール・3位のクロミ・4位のポチャッコ・5位のマイメロディはサンリオオリジナルの商品メインキャラの常連なのにポムポムプリンがハブかれるのが多く感じて来た。
というのも先日発売したいちご新聞を読んでこの気持ちが爆発した。中身は購入しないと読めないので詳しくは書かないが、簡潔に言うと今後展開予定の2シリーズにおいて、上記の1,3,4,5位のキャラクターはメインで登場するのにポムポムプリンだけマスコットなどの展開がなくシークレット商品のみの登場と明言されたのだ。
それ以外にもある。最近だときらめきビジューシリーズ・ぼーっとチルタイムデザインシリーズ・サクマいちごみるくコラボ。サクマコラボなんかはポーチや缶ケースは出たものの、マスコット化の選出には漏れている。
ちょっと前までさかのぼればキューピットデザインシリーズにエモきゅんデザインシリーズ、おしりピカッとデザインシリーズもそうだ。全て「1,3,4,5位のキャラクターはメインで登場するのにポムポムプリンだけマスコットなどの展開がない」シリーズだ。おしりピカッとシリーズなんてお尻がチャームポイントのポムポムプリンをメインにしなくてどうすると思うようなシリーズ名なのにマスコット化の選出からは漏れた。何故だ。何故1,3,4,5位のキャラクターは毎回のように出ているのに2位のポムポムプリンが漏れるのか。
毎回そのデザインのシリーズの合ったキャラクターを選出していればそうは思わないのだろう。例えば9月の「ときめき平成コギャルデザインシリーズ」なんかはあくまで「ギャル男」ではなく「コギャル」とついているのだから男の子のポムポムプリンがいないのは納得だし、逆に同日に出た「大盛りデザインシリーズ」はシナモロール・ポムポムプリン・ポチャッコの犬トリオをメインに3人が食欲の秋を楽しむのがコンセプトなので、そこにマイメロディやクロミがいないのも納得できる。
セーラームーンコラボのジュピターのコラボ相手がマロンクリームだったのもコラボ先のジュピターの性格に合ったキャラを選出しているようで個人的に非常に好感度が高かった。
毎回それならいいのだ。毎回そうやってシリーズの雰囲気に合ったキャラを選出しているのならそれでいい。別に私だって毎回ポムポムプリンのぬいぐるみを出せ!毎回メインキャラにしろ!などとは思っていない。
ただ、「キャラクター大賞の順位に見合った扱いを受けていない」この一点のみ気になって仕方がないのだ。
勿論沢山いるキャラクターの中でポムポムプリンは十分恵まれている方だ。それもわかっている。勿論他のキャラだってメインにいないことがあることだってわかっている。
でもどうしても、1位のシナモロール・3位のクロミ・4位のポチャッコ・5位のマイメロディが揃うシリーズで2位のプリンだけいないシリーズがこんなに沢山続けて出るのかと考えると悲しくなってくる。
どれだけキャラクター大賞の時期に頑張って投票しているのだと思っているのだろう。ポムポムプリンは一度干された経験があるからこそ、もう後悔しないように毎年毎年必死に投票している。グッズだって毎回購入している。
なのにどれだけキャラクター大賞で頑張ったって、どれだけグッズを購入したって、こうやって周りの上位キャラは毎回のように選ばれているのにポムポムプリンだけメインビジュアルにいないシリーズがこの数か月で立て続けに出たら悲しくなってくる。
思えば去年もタキシードサムのファンが順位に見合った扱いを受けていないと荒れていた様子を見た。最近はキキララのファンの子達も不安な声をよくTwitterで目にする。個人的にはキティちゃんだって最近グッズ出なさ過ぎなのが気になっている。ふわふわスノーデザインとかキティちゃんだけマスコットホルダー出ないのあれなんなの?キティファン絶対キレていい案件だったよあれ
あまりキャラ大の順位ばかり振りかざしているといつか順位が落ちた時に何も言えなくなるから言及したくない気持ちもあるが、でも本音ではキャラ大の順位に見合った扱いをしてほしいという気持ちが強いのだ。
別にキャラ大の結果を今後の展開に反映すると明言されたわけではないし、こっちの自己満なのだろう。でも、推しがキャラ大の結果で目視できる人気に見合った扱いじゃなかったら、悲しくならない方が無理な話ではないだろうか。
色んなものの感想を「カワイイ」で済ますことについて、違和感を覚える人は多いようだ。
このカワイイアプローチは、物事の分析を行わず、カワイイという言葉の中に押し込める、デフォルメしてしまうことに問題がある。何となく、カワイイを見つけ、カワイイという言葉でポジティブな印象を与えるわけだが、カワイイに収まらないはずの情報、たとえば裏の意図、悪意、反骨心、違和感などを削ぎ落としてしまう。カワイイウォッシュしてしまう。
もちろん、このカワイイウォッシュの力を意識的に使って面白い表現や商売をしている人たちもいる。アート作品や、キティちゃんコラボなどもそうかもしれない。しかし日常では、カワイイによって削ぎ落とされた情報のほうに、より価値がある、重要性が高いことも考えられる。カワイイに黙殺される情報のマイノリティ、カワイマノリティである。
拡大するカワイイという評価の中で削ぎ落とされたものや、拡大したカワイイにも含まれない、評価されづらい要素の集合。ここから新しい価値の発見を行うことが、カワイマノリティの復権、カワッサンスなのだ。
漫然とした毎日だった。
プライベートなことがひと段落し、転職もして、新生活(皮肉)でダラダラしてたのがまずかった。
心の余裕に悪魔が入り込んで、囁くんだよ。
「何のために生まれたの?で?何をして生きてんの?お?」
不快で、目の前の小さな快楽を得るためにYouTubeをぐるぐるする毎日だった。
さすがキティさん、社会的に意義のある活動を矜持を持ってなされていることがとてもよく分かる内容だった。敬意を覚えた。
その動画の中でも一番印象に残ってるのが、
"男性がキティちゃんを好きになるのは変ですか?"みたいな質問に対しての神返答。
「誰のどんな好きも、否定されない、否定しない、そういう世界になったらいいなって思うから、がんばる」
サビでしょこれ。
キティさんは、がんばる。
なぜなら、キティさんは、そういう世界になったらいいなって思うから。
そういう世界とは。
何を?
誰の、どんな"好き"も。
キティちゃんをかわいいって思うおじさんだっていい。ロシアに詳しい丸の内OLだっていい。
キティさんは、がんばる。
なぜなら、キティさんは、そういう世界になったらいいなって思うから。
「誰のどんな好きも、否定されない、否定しない、そういう世界になったらいいなって思うから、がんばる」
Hello Kitty, 2021
この言葉に救われた気がした。俺が今まで言われ続けた自分の"好き"を否定した言葉を減らしていくために、キティさんががんばると言ってくれた気がした。
気がしただけで、嬉しかった。
ぶつかることはあっても傷つけることはないようにしてる。
「誰のどんな好きも否定されない否定しないそういう世界になったらいいなって思うからがんばってる」
キティさんのこと、かっこいいと思ってる。
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"好き"とは。キティさんとは定義が異なるかもしれないので、仮に『対象を知覚した時に反射的に起こる、時に持続性のある快感情のこと』と定義しておく。
https://twitter.com/chokudai/status/1501709426914332673?s=20&t=h9yN3oLRPJCC5zxpcYjZkg
初めて書くから読み辛いと思うけど勘弁してください。
自分は4~5年ほどVTuberの配信や業界の動きを見てきたが、個人的にはこの意見は違うように感じる。
この方がおっしゃっているのは既存の言葉で言うならVTuberよりもCTuberに近い。
『「バーチャル空間上にキャラクターを創造する新しい形」としてのVtuberというのは、とっくに死んでいた』というのはそもそもがVTuberはそういう存在ではなかったという話だ。
確かに「キャラクターの方向性は運営チームで決める」ということはできるけどVTuberとしてのキャラクターは昔から運営の設定よりも『魂』とよく呼ばれる「中の声の人」のアドリブや個性から産まれて来たものだ。
キャラクターの個性まで運営チームが決めるのであればそれは台本でリアクションなども含めたあらゆるセリフを設定し生配信のようなアドリブ性の高いものを排除しTwitterのつぶやきなども含めたすべてを管理するキャラクター監修が必要になる。
だが実際にはそこまでやっているVTuberはもともとほとんど存在していなかったハズだ。
既存のVTuberにも台本はもちろんあると思うけどそれはアニメやドラマのように一言一句決まっているものではなく筋書のようなものでキャラクターの性格や個性はほぼ『魂』に委ねられている。
だからこそVTuberファンは『魂』が変わると声だけでなく動きや言葉遣いやリアクションや知識量や趣味や交友関係やTwitterの受け答えが全て変わってしまうので「魂が変われば別人」と判断するわけだ。
逆にそれら全てを管理して完全に台本に則った喋りしかしない場合はCTuber(キャラクターユーチューバー)と呼ばれる存在になると思う。
前例が少ない上に私があまり詳しくないのでそれほど例を出せないが以前キティちゃんや星井美希がやっていたYouTube配信が高橋さんの言うところの「バーチャル空間上にキャラクターを創造する新しい形」ではないだろうか。
ただ個人的には真に「バーチャル空間上にキャラクターを創造」しているのはにじさんじやホロライブのような「絵が動く配信者」達だと思う。
なぜって彼らは今、完全3D空間の会場でライブをしたり現実とVRを融合させたりするコンテンツの最前線にいる人たちだから。
高橋さんは「中の人への依存が小さく、でも交流が出来るキャラクター」を望まれていたようだがCTuber方式で産まれたキャラクターでは非常に敷居が高い。
キティちゃんのようなやり方であれば中の人への依存度が小さくできるがこれは非常に活動の幅が狭い。
一言喋るだけでもセリフの監修が必要なうえにアドリブ性が無いので事前に回答を用意した受け答えしかできなくなる。
猫宮ひなたやゲーム部を例に挙げていたが、例えばそういったゲームが上手い設定のCTuberが居たとして、そのCTuberに「あの動きはどうやってやったんですか?」と質問しても当の声担当は自分のやったことではないので答えられない。
曖昧にごまかすか適当な嘘をつくか、あるいはその場でキャラ監修者がセリフを考えるかしか無くなってしまう。
3DCGの扱いに造詣が深く、キャラクターの設定監修にも長けているアイドルマスターの運営と10年以上キャラクターを支えてきた声優でもキャラクター生配信は結局1度しか行えなかったあたり、その難易度の高さが伺える。
以前聞いた話だが、ゲーム部のメンバーにファンが「シャンプーは何を使っているか」質問したところ、「海外のとても高いシャンプーを取り寄せている」と返答があったそうな。
キャラにあった良い返しだと思うが、声優変更後に別のファンが同じことを質問したところ「どこでも売っている普通のシャンプー」の名前をあげたそうな。
これは魂が変わるとキャラクターの存在を維持できない1つの例だ。
自称CTuberだったゲーム部ですらこの有様だったのだから魂変更によるキャラクターのブレを防ぐにはとてつもない労力が必要なことがわかる。
(まぁゲーム部がCTuberだと言い出したのは炎上後の苦し紛れの言い訳だったわけだが)
なのであくまで個人的意見だけど『「キャラクターと声優の同一視」が行われる環境が出来てしまった』のではなく『声優が変わるとキャラクターの個性や魅力を維持するのが非常に難しいという事実が環境に知れ渡った』だけだ。
だからキャラクターとしてのVTuberが死んで変わってしまったのではなくそもそもVTuberというのはこういうものだと自分は思う。
そしてそういった問題点を解消したやり方こそが、『魂』とキャラクターの融合なのだ。
『魂』の個性をそのままキャラクターの個性とすればキャラ監修もセリフ台本も必要無いし自由な活動ができる。
全てを『魂』に任せる分属人性は高まるが、これが最もパフォーマンスに優れたやり方でありVTuber業界としての新時代のキャラクターの作り方なのだ。
別に高橋さんを論破しようとか人格攻撃しようという気はさらさら無いが、こういった『VTuber業界は変わった』論は往々にして前提が間違っている気がする。
CTuber路線があまり流行らなかったのも結局は労力に見合わずモデルとして破綻していてもともと無理があったのが原因だろう。
もしCTuber路線が本当に面白くて長期の企画として成立するならばビジネスとして確実に消えたりはしないハズだ。
そのあたりを踏まえずに「にじさんじやホロライブのせいでVTuber業界の流れが変わった!おかしくなった!」というのは筋違いとしか言いようがない。
結論としては、『V業界が変わった』という事実は存在せず、またCTuber路線の存在が居なくなったのもそもそも無理があっただけで他のVTuberの存在は関係無いということだ。
以上。
サンリオはいま会社としてキャラクター通してみんなともだちになろうというポジティブなメッセージを発信しているし、キティちゃんもYou Tubeでジェンダー問題を取り上げていて、何年もかけてそういう企業ブランドを築いてきてサンリオとそのキャラクターのファンたちもその理念に賛同してキャラクターを愛してるところがある。
そういう企業メッセージからはずれた10年以上前のアニメのセリフ出されて言ってること(企業メッセージ)とやってることが違うじゃねえかとなってるところも大きい。あのセリフはアニメ放映当時でも毒舌、ブラックジョークの扱いでしかなかったしピュアにマイメロ好きな人からはマイメロちゃんのイメージを貶めるなと反発もあった。
それに実際、女の敵が女かというと、女が権利を求めて立ち上がったとき性被害を訴えたとき、それを叩いて黙らせようと必死になってるのって女じゃなくて男なので敵はほぼ男。つまり事実にも反したセリフなんだよな。
アニメ放映当時ですらブラックジョーク扱いだったのにそこから15年経ってるのにその感覚引っ張ってきたらここ何年もかけてサンリオがキティちゃんやマイメロ他のキャラクターたち使って築いてきた世界観や価値観を崩すようなもんなんだよな。
ジェンダーがとか女性、フェミニストが絡んでそうと見るとおんなに文句言える!馬鹿にできるぞ!と客でもないのに客のふりして「フェミがー!!キャンセルカルチャー!!!」と叫びに来る人たち(男が多い)もお呼びじゃないよお前たち…となる。
サンリオが掲げる価値観にも外れるセリフだからここに来て何故今更あれをぶち上げてしまったのかちゃんと説明してほしいとは思うな。