はてなキーワード: 認知とは
社会がかなり合理化した現代においても無能な老人が高い地位について高給をせしめて若者に負担を強いている現状を見るに、生産能力のない老人を養うために本来自分の食い扶持ぐらい稼ぎ出せるはずの若い労働力が売りに出されたりしたんじゃないのかね
父の実家が代々続く田舎の農家で曾祖母が実権を握って嫁や長男以外の子たちを奴隷のように扱ってた時代の話を聞くと、老いて体力がなくなって思考が曖昧になってもなお尊大であり続ける祖父母や父母の意に反して山に捨てるなんてことができたとは思えんのだよな
平素はお世話になっております。
貴殿のご指摘を調査いたしましたところ、我々ソフトウェアエンジニアの間で「バグる (動詞)」が数十年に渡り不適切に利用され続けていたことが判明いたしました。原因は「バグる」という言葉が昭和のお子様に認知されて以来ファミコン以外に適用できなくなったのにも関わらず、ソフトウェア業界内でそうした事実が正しく認識されていなかったことによります。
二度とこのようなことのないようにインターネット上で広く周知徹底してまいりますので、何卒ご容赦賜りますようお願い申し上げます。
嫉妬では?
他人の成功や失敗で、お前の持てるものが増えたり減ったりするわけではない。お前にも相手にもそれぞれの人生があり全く違う苦しみや喜びがあり、お互い関係のないことのはずなのに比べてしまう
こちら都心に勤務でほぼ毎日山手線を利用してますが、もうオバさんとかオジさんとかそういう分類不要で、若いの(小学生くらい)からお爺さんお婆さんまでぶつかってきますよ。スマホ見ながら前見ないで歩くの普通。
2023/06/03
例えばこのブコメとか、「俺からすれば」ぶつかり◯◯の眷属にしか見えねえのよねわりーけど。
だって俺も品川経由で山手線使ってるけどぶつかってねえもんスマホ歩きに。
どう避けてるのかも思い出せないくらい自然にちょっとずつ避けてる。
逆にたまにいるタイプなんだけど
スマホ歩き見るとわざと衝突しにいくやつって確実にいるじゃん?
俺はスマホも進行方向も見えてるから目の前に変なの来ればわかるんだけど
そこで立ち止まったり目をあげたりするとギクッとした感じになるんだよね。
「スマホ歩きで前みてないやつに天誅!」て気分でぶつかろうとしてたしか思えない。
そんでもし俺が目をあげなかった場合はほんとにぶつかってて
そいつその後にネットで「ぶつかられた」って書くと思うんよね。
そういう認知とか歩く速度によってみんな感じ方が変わるからどうにもならん。
俺は歩くの早いから一番邪魔くせえしねと思うのはスマホ歩きじゃなくて
歩くのおせーのに追い越し車線的なスペースに広がってくるやつね。
前のやつと変わらない速度で歩くなら前のやつの背中につけって。
なんかちょっと視界が開けてきもちいーていどのことで無駄に道に広がるなよ。
追い越したい人間からもすれ違う人間からも邪魔きわまりないんだよ。
でもあのあほどもはそういう迷惑かけてるなんて気づきもしないし
これ読んでる多くの人は俺の方が異常者だと思うだろ。
なんか認知が歪んでそう
ここの男どもは女が直面する現実には全く無知で全然女の状況と噛み合ってないから、まともに聞いても無駄だよ
男のくせに女にアドバイスできるわけねえんだ
女への免疫(自分の性欲への慣れ)はあるけど、男への免疫なんてないよ。若い男を前にするとドキドキしすぎて話せなくなったり舞い上がったり緊張しすぎて変なことばかり言ったりしないだろ?
強いて言うならテストステロンが多い身体は性欲がめっちゃ強いという知識、あと日本だと男性がどういう価値観や声かけによって教育を受けてて女性と認知がずれてるかの知識が必要なだけ
人を傷つけずに生きたいと思ってたのは、今まで大事な人を傷つけたことに対する贖罪なのかなと今となっては思います。
今も他人を傷つけたくないです。
自分を傷つけることより恐ろしいです。
なかなか適した言葉がわかりませんがそういうものだと思います。
すべてが思うようになるなら、自閉症があるのでそれが治ったらいいなと思います。
自閉症が治って普通の人間になれたら、普通に仕事して、普通に恋人を作って、普通に結婚して…
毎朝一緒にご飯を食べたり、縁側でおやつを食べたり、休みの日にでかけたり、たまには家でゴロゴロしたり…そんな普通の幸せを噛み締めながら生きていきたいです。
今の自分はその普通を叶えるための努力ができるほど精神も身体も元気じゃないので死んでしまえたらいいのにと思ってしまいます。
見てくれてるかどうかわからないですけど、私のどうしようもない気持ちを赦してくれてありがとうございます。
まぁ増田が「愚痴」って言ってるのにあんまり突っ込むのも野暮だな
たぶん本当にあったことなんだろうけど、「今まで誠意がある対応をしてもらってたけど一人だけクソなのがいた」を「女はナメられる」に変換してる(後出しで色々あった、とは言ってるが)時点で認知の歪みエグ~(笑)とは思ってる
AI効果というのは、何らかの機構や機能における技術的進歩や普及を受けて、その機構や機能が実行しているタスクに対する人間(主に一般大衆)の側の評価が「知性」から「計算」へと格下げされること。
でも、それは逆に言うと「現時点で達成されていないことができるようになる仕組みは、何でも『知性』に見えていた」一般人の認知のほうに問題があるわけ。一般人はともかく、AI研究界隈の人達は、昔から「知性」のありなしに対しては高い基準を設け、その到達点としてAGI(汎用人工知能)を、その先にASI(人工超知能)を設定している。ここは時代や技術進歩の度合いに関係なくブレてない。そしてChatGPTはAGIではない。少なくともAI研究者は誰もそう思っていない。ワイゼンバウムの話は、生成AI登場の50年以上前に「文脈に応じたテキストを生成する能力を持つだけのプログラムを知性とはみなさない」という研究者がいた、という明確な反例。俺が書いていることはこの基準に照らしたもので、AI効果ではない。
逆に「テキストの続きを書く能力を知性とみなさないのはAI効果だ」と考えるあなたが、なぜ現在形で「テキストの続きを書く能力も知性だ」と自信を持って思えるのか知りたい。あなただって、タイプライターを叩くキツツキと生成AI、あるいはサーモスタットと制御系AIの間のどこかには「知性/非知性」の線を引くわけでしょ(そうでないなら、それは「何でも見方によっては知性と言えなくもないんです」というペダンティックな独り言でしかない)。
その線引きって、たとえばANIとAGIの定義のように、何らかの客観的・外在的基準に照らしたものなの? そうでないなら、その線の引き方こそが、あなた個人の主観に規定されてるんじゃないの?