はてなキーワード: 相撲取りとは
大怪我をした直後に患部が麻痺しているのを「痛みを感じないって事は逆にヤバイな……」と考えるべきなのは皆経験上理解しているはずなのに。
「整う」はそれを痛みを感じることなく実行し、その結果として本来は相殺に使われる分の痛み止めを直に快楽として受け取っている状態だ。
ガン治療に使うモルヒネを平時に接種して気持ちよくなるのと原理は何も変わらない。
異常な状態に対処するための異常な状態を意図的に起こすことで体にかかる負荷を甘く見ない方がいい。
オーバークロックをしたCPUの寿命が通常よりも短いように、異常な状態に晒され続けた肉体の健康寿命は短い。
たとえば相撲取りなんかは普通の人よりも20歳ほど平均寿命が短い。
肉体に負荷をかけることが健康寿命を犠牲にしているのは明白なのだ。
それなのに世の中ではサウナやランニングを健康的な趣味であると過剰に持ち上げたがる。
交感神経に適度に負荷をかけることが、ストレッチによる肩こりの解消のようなある種のチューニングとしての効果を持つのは実証されている。
だが、それを過剰に繰り返すことで危険を感じた肉体が脳内麻薬を出す状態に持っていくのが健康に良いわけがない。
ランニングも軽く流して体を動かすのを楽しむだけならいいが、限界の向こうに挑戦して脳内麻薬でアヘアヘするのは不健康への形道切符だ。
この辺の部分を軽んじている人が世の中には多い。
ラーメンブロガーの塩分を取りすぎた食生活を人生の非効率な運用と嘲るような人間が、自分はサウナで整っていくのを健康的だと勘違いしている様などはネットでよく見る。
やめろ。
気持ちよくて健康に良いことは沢山あるが、物凄く気持ちが良いことは大抵の場合体に悪い。
適度な性行為はホルモンバランスを整えるが、首絞めオナニーは最悪死に至る。
過剰に気持ちよさを求めるならそれと何かが引き換えになっていることを自覚するべきだ。
そういった人間を遊び半分に増やしている連中は自分が日々天国にはいけないようなクズへと近づいていることを少しは自覚した方がいい
以前ここでちびまる子ちゃんのエピソードを教えてもらったのだが、
日本人、とくに静岡県民の良さが凝縮されているような話だと思う。
■ 藤木のひきょうを直す会の全容
ある日、藤木の卑怯に心底うんざりしていたまる子・永沢・小杉・山根の4名は、藤木の卑怯は子供のうちに直しておいた方が良いと考え、「藤木のひきょうを直す会」を旗揚げし、放課後に藤木の卑怯の直し方について真剣に議論することを取り決めた。
ちなみに関連動画にある”藤木のテーマ「卑怯者」”は会の旗揚げが決定する直前に藤木が心の中で歌っているもので卑怯な自分に対する嫌悪と半ば開き直っているかのような歌詞が秀逸である。
話し合いの前半戦は永沢主導の下、卑怯について各自で調査・研究した事を発表し、それに対しての意見を述べ合うというグループディスカッション形式がとられ、小学3年生にもかかわらず大学のゼミ顔負けの本格的な議論が行われた。
しかし…
話し合いが後半戦に差し掛かると当初の議題から大きく脱線し、何故か個性を生かした自分の将来像についてが議論され始めた。というのも卑怯は他人に迷惑をかけるものではあるが、本人からすれば危険な状況下に直面した際に、己の身を守る事のできる才能であり、個性として受け入れるべきではないか?という流れになったためである。
いつしか小杉はメタボを生かして相撲取り、山根は胃腸の弱さを生かしてモデル、永沢は玉ねぎのような頭を生かして玉ねぎおじさんのお店のマスターという短所ともいうべき個性を一種の才能であると前向きに考え、将来に想いを巡らせ始めた。
結局、藤木の卑怯を直す方法は見つけられなかったが、この話し合いを通して子供たちが、お互いの個性を尊重し合い、自らの将来の可能性を模索する事ができたという点では、決して無駄ではなかったのである。
https://dic.nicovideo.jp/a/%E8%97%A4%E6%9C%A8%E3%81%8F%E3%82%93