はてなキーワード: ぬるま湯とは
自己啓発に、はまる人というのがいる。
基本的にネガティブ思考な人間あるいは、精神的に弱い人に多く存在する。
例えポジティブ思考であっても、「幸せになりたいがどうしたら良いか分からない」と考える人だろう。
また、ネット上では多少強気な発言をするにも関わらず、リアルでは長いものに巻かれろ的な弱い発言が多かったりする。
だから、実際に会うとそのキャラクターのギャップに驚くだろう。
ただ、実際問題のところ「善人」が多いのだと思う。
いずれにせよ、そういう人は「自分の言動に対して、もの凄く自信がない」。
だから、何かと流されやすくて騙されやすい。道しるべをしてくれる人に対して妄信するのだ。
もの凄く自信がないと、どうなるか?というと、誰か頼れる人を探す。
でも、そういう人は大抵コミュニケーション力が乏しくなかなか言いたいことも言えないので、リアルではなかなか探せない。
だから、自己啓発書を多読したり、善人を演じているみたいな自己啓発ブログを読んで信者になったりする。
この時点で、ただの娯楽レベルで楽しむなら問題はないだろう。
ただ、それから一歩進むと、自己啓発系のセミナーに行ったりして一種の妄信状態になる。
最初は、1000円ぐらいかもしれない。だが、次第に3万、5万、10万と上がっていく。
貯金を崩し、本来なら他に使うべきだったお金を費やす。これは、もはや娯楽レベルを越えているだろう。
そして、そこで仲間を作る。ただそこでも、特出した行動はせず「〇〇〇って凄いね、学べたね」と言い合う、慣れ合う、
だが本質のところでは何も変わらない。当然、あくまで自分と同じような立ち位置やレベルの人ばかりのぬるま湯だからだ。
心地よい代わりに、刺激がない。
だから結局のところ、自信をつけることには到らず、しばらくしたら次の寄生先を探す。
自己啓発教のFacebookのコメントとかを読んでみよう。気持ち悪いぐらい、お互いを褒めあっている。
むしろ、褒めるしか能がないのかと思うこともしばしばだ。それも褒め方が一様だ。
「これいいですね」「この考えはなかったです」みたいな。
いや、お前本当に考えて読んでいるのか?他に言うことはないのか?と感じる。
だが、それを求めているのだろうし、悪くはない。
それが実生活で役に立つか、というのは、参加者にとっては本質ではない。
要は、妄信した上での仲間が欲しいのだ。ファンの集いと言ったほうが分かりやすいかもしれない。
こうして、セミナー主が「右を向けと言えば、右を向き」
「左を向けと言えば、左を向く」従順な教徒が出来上がっていく。仮に誰かがその主催側を叩く発言をしたら、
積極的に擁護するだろう。そう、度が過ぎると、時として信じるという力は攻撃性を生む。
そして、それが正しいと思い込む。だから、周りへの勧誘をし始めたりする。
そして、セミナー主は、恐らく参加者に向かってこう言うだろう。
「学んだことは、アウトプットすることが大切です。
今回、学んだことは必ずブログ記事にしましょう」など。これで上手く販促活動まで出来る。
一度妄信してきた人間を操るのは、こんなに簡単だ。
だから、精神的に弱い人から搾取する方法としては、まずは憧られることが重要だ。
年収、職業、あるいは人間性。特に、人間性というのは、「演じやすい」。
例えば、ブログやTwitterで完璧にキャラクターを演じることも可能だろう。
その後、少しずつ同じようなことを手を替え品を替え、刷り込んで信者を作り、
そしてその本が売れたら雑誌やネットへの露出が増え、それを契機にセミナーや有料のメルマガなどを開設し、
儲かる仕組みを作り上げていく。
だから、セミナー主が大切にしているのは「発言そのもの」というよりは、空気だ。
ここには仲間がいます、安心ですよという空気を作り出す能力に優れている。
実際、発言内容だけとったら、スカスカな内容だろう。
だが、それをあたかも凄いかのように演出で作り出していく。これは、映画などに近いだろう。
「感動させること」は、「笑いを取ること」よりも技術的に簡単であるからだ。
だから、演出力が凄い。参加している人は、1つのエンターテイメントのように感じるだろう。
実際のところ、その辺の本を読んだことと、本質的には変わらないんだけれど。
ちなみに、笑える話だが、信者の中にはそこから自分なりの自己啓発を生み出し稼ごうとする人間もいる。
つまり、自分が成功するには他の自己啓発教を引き入れれば良いと考え、自らが教祖に名乗り出るのだ。
だから、自己啓発教の中でも教祖への道を歩き始めた人間のブログを見ると、
「メルマガ作りました、成功情報満載です!」とか「勉強会を開催しています!」とかの言葉が次第に増えてくる。
あたかもスキルアップするかのような、幻想を抱かせる言葉だもん。
世に仕組みとして多く存在しているだろう。
例えば、健康食品がそうだ。加齢すれば、それなりに人間体が悪くなるのは当然。
でも、そこに付け込んで「これを飲めば」と提示する。
あらかじめ誰もが抱く不安を利用するという意味で、すごく効率が良い。
これが「老人食品」だったら、どうだろう?
「健康食品」という名称にすることで、最初は老人をターゲットにしていたはずの健康食品は、
次第に若年層にまで浸透し始めた。この仕掛けを作った考えた人って、つくづく凄い。
そして、実際、健康食品を購入する層というのは、それっぽいキャッチコピーで騙されているだろう。
実際にどの成分がどのような働きをして、どのように役立つかまで考えている人はそういないはず。
何となく体に良さそう・・と考える人間からいくらでも搾取できるわけである。
パチンコや宝くじも近いかもしれない。確率に関して考えることの出来ない人間が搾取されているだろう。
「宝くじとは、夢を買うことだ」みたいに、言い出したのは誰なんだろうね。上手いことを言う。
妄信状態というのは、一種の麻薬中毒だ。
その間に、本当にリターンがあるのかを冷静に考えてみよう。
一旦、毒が抜けるのを待って見よう。
もし、その結果必要なのであれば、言うことはない。
「お金が欲しい」「成功したい」「健康のままでいたい」と考える人間は、基本的に楽をしたがる。
そして、その楽をしたがる人間というのは、簡単に騙される。
世の中に、そうそう甘い話なんてない。
id:kanoseさんに、ブログ記事のブックマークコメントで
「ふと思ったけどブクマ集めた記事を他の人が自分が書いたと言っても、
元記事にURLを追記する以外、証明する方法ってないよなあ」と、言われたので一応。
///削除///
「脳」から「頭」に表現を変えました。指摘ありがとうございます。
「頭」から「能」に表現を変えました。指摘ありがとうございます。
何故http://anond.hatelabo.jp/20110320084023の発言を「良くない」なのに
「君の発言を含めてくだらないヘイトの応酬にしか見えない。」なのか?
そういう風に見下すことで、現実を見ていないんじゃないのか?
交通は便利だし、生活は便利だし、仕事のやりくりも地方に比べれば格段に易い。
それを「地方は不便で仕事も少ないからコンプレックスで僻んでるんだ」だって?
アホかいな。
”地方で生活して、仕事を取ってくる”事に腰を据えたら、東京がどうかなんて、本当にどうでもいいんだよ。
大変なのが当たり前なんだ。
交通機関の本数や、店の数なんて、地方から見たらアホかいなってくらい多い。
東京、便利で楽でいいよな~とは思っても、それってディズニーランドレベルの話。
東京勤務していた間は楽で良かったけど、それは一時的な気持ちだった。
けど、これが真逆だと、使えない、下らない事で不満を持って仕事をする、という人間が来てしまう。
俺はぬるま湯で浸かって仕事、生活してきたんだから、仕方ないかと思うが
増田の言う「地方コンプレックス」の逆がそうさせているのかもしれない。
元増田の提言しているのは、まさしくそういう奴らを増やすだけだ。
俺も東京勤務やったから、他社含め、ぬるま湯っぷりは把握してる。
ぬるま湯の中では無理なんだよ。実際。
例えばこの横増田の発言読んでみろよ
http://anond.hatelabo.jp/20110320084023
こんなのゆとりだけだろ?そんなヤツそういねぇよ!と思うかもしれないけど
実際多いんだ。
というか、大学生にもなって「なにもできない」なんてことはないはずなんだが、俺のかつての友人二名は何もできないのだ。
やりたい事もなく、やるべき事もなく、できる事もない(なら、やるべき事があるだろというツッコミは無用)
彼らは何もしないのだ。
はっきり言ってクズなのだ。
できる事が22にもなってひとつもないという時点で社会的需要はゼロに等しく、そういう高等技術を持ち合わせないような人は性風俗なり土方なりいずれ高等技術を持つものがロボットに置き換えるであろう単純作業のつなぎなりをするしかないのだ。
彼らは22にもなってその意味を知らない。
持たぬものは、死ぬまで奪われるという意味を。
それを知らないから当事者意識もなく、内定もないし起業するアタマもない。
刹那的な消費しかアタマにないし、将来を見越した貯蓄もしてない。
この両者に共通するのはどちらも親が高給取りであるということだ。
片方に至っては、親からむしりとるまでむしりとるかのように大学に居座ると公言している。
こんな奴が同じ大学生だというだけでも腹が立つが、こいつらは社会人をバカにしている。
お前のために働いてる親も、お前の周りを間接的になり整えてやってる社会人を、みなバカにする。自分には関係ないと。
こんな舐め腐った奴が同じ空間にいるというのだ。僕は殺意を覚えた。それが三年前だ。
僕は社会人として、責任と使命感を覚え、日々の職務に邁進している。まだ若造だ。ぶら下がり社員だ。しかし、いずれ社会を牽引しなくてはいけない。
それが現役世代として、社会人として、次を担う子供らのためにしなければならない義務だ。
彼らが今どうなっているかは知らない。もう付き合いはない。良かったと思う。社会人になれば友人は選ばねばならない。だからこそ、自分も選ばれるように日々精進しなければならない。ゆるいつながりはぬるま湯だ。身を滅ぼす。
今日も業務を終え、自宅でこの文を書いている。
なぜこんなことを書いているかといえば、僕から見ても「若者は覇気がない」し「行動もしない」し「甘えている」からだ。
なぜならどの世代にもいたという彼らは、今もういない、社会の主流からは外れて、「いない」からだ。
窓際族も家族を支える苦労があるのは察するが、後の価値ある世代のために引退いただきたいものだ。
今の覇気がない若者はこの窓際族と同じだ。不良資産と言ってもいい。
私が言いたいのは「ろくに行動しないくせに私たちと同じ待遇を所望するな」ということだ。
分相応の生活をするなら、何も文句はない。
そしてそいつらの最終的な拠り所が、生活保護であり、その金額が一部の働き手より高額だということが不快なのだ。
そういうとき、心ある(つもり)の人は「あなたがたの給与を挙げるよう行動するべきだ」と言いたいだろう。
なぜなら、彼らの生活金額は言ってしまえば前時代的、バブルなものであり、現代の水準に見直すことは必須だからだ。
そして、隣国とのバランスが変わりつつある今、我らの給与を上げろというのは時代に逆行するのと同じだからだ。
人権は平等ではない。平等であるよう努める必要もない。格差はなくならないのだ。
だからこそ非正規社員は正社員より切られやすいのであり、生活保護は彼らより不遇な扱いを受けるのが道理なのだ。
「働いたら負け」というのは一部企業ではもはや現実だ。しかしそれは打破されねばならない。「働くものこそが勝ち」なのだ。
そして上に合わせるのが国際的に無理な状況、下をより低きものとするのは絶対命題なのだ。
働け、されば与えられん。
働かぬものは、奪われて死んでしまえ。
60 名無しさん@十一周年 :2010/12/03(金) 12:00:30 ID:tLgbu9Xb0
仕事選べる立場じゃないのに、えり好みが激しすぎる世代なんじゃなぃ?
200 名無しさん@十一周年 :2010/12/03(金) 12:29:24 ID:ELgXG62z0
>>60
楽して高給じゃないと働かないって若者ばっかり増えた
211 名無しさん@十一周年 :2010/12/03(金) 12:31:14 ID:B72Tw8Md0
>>200
そんな仕事、民間には無いのになw
コンビニ、外食で働いている中国人は、留学生のバイトですけど?
あの人たち、金銭的にも学業的にも恵まれた中国のエリートです。
大学とか卒業したら、たぶんコンビニ・外食でバイトはしないと思いますw
こんな馬鹿でろくな知識もないジジイが偉そうにしているんだから日本はどうしようもない。
27歳女。ちょっと前は肌荒れに悩んでいたが、ここ一年ほど、肌を健康にするスキンケアを試してみてとてもいい効果を上げている。このスキンケアは、『角質培養』という名前で呼ばれているものだ。『カクシツバイヨウ』なんていうとなんだか難しそうな気がするが、要点をまとめるならば『肌を健康にするスキンケア』なのだ。
やり方はとても簡単。以下の二点を守るだけだ。
なんでこの二点を守るだけで肌が健康になるのか、簡単に解説したいと思う。
まず、人の肌のいちばん外側にあるのは角質だ。この角質というのはすでに死んだ細胞で何層にも重なっており、その奥にある真皮を守るバリアになっている。普通はこの角質が古く汚いのできれいに洗い流し新しくきれいな角質がいちばん外側に来るように洗顔し、バリア機能を高めるために化粧水などをつけるというスキンケアをする。
しかしこの方法にはちょっと難点がある。それは、角質の層が薄くなってしまい本来のバリア機能が低下してしまうということだ。それをフォローするために様々なスキンケア用品を使うが、角質の層が薄いためこれらがすぐに真皮に届いてしまい、自分に合わなかったりするとかえってトラブルの原因になってしまったりする。
肌を健康にするスキンケアでは逆の発想をする。古い角質でもきれいに見えるように角質を育て、肌本来のバリア機能を取り戻そうというものだ。
ではどうすれば古くてもきれいな角質が出来るのか?それは真皮の細胞を健康なまま死なせて角質化することで実現する。
そのためにまず、少しでも角質のバリア機能が回復するように無理に角質をはがさない洗顔をする。私の場合朝はぬるま湯のみの洗顔、夜はクレンジングと石鹸洗顔しかしていない。スクラブ入りやピーリング機能つき、メイクも一緒に落とせる洗顔料は過剰に角質を剥がしてしまうので絶対に使わない。
そして角質のバリア機能を高めるため、保湿をしっかりする。保湿剤は自分の好きなものを使っても構わないと思う。私はプチプラ品を使っているが、これで十分だと感じている。
最初のうちは汚い角質でも肌の上にとどめておくため、肌が荒れているように見えることがある。しかし角質のバリア機能を復活させるために必要なプロセスなので、なるべく耐えてもらいたい。そしてターンオーバーをするごとに、厚くて保湿された角質に守られて育ってきた真皮が少しずつきれいな角質になっていく。そしてきれいに育った角質は、ある程度古くなったら簡単な洗顔で自然と剥がれ落ちるようになるため余分な皮脂を貯めこむことなくニキビも減るという効果も出るのだ。
私は大体3ヶ月くらいで効果を実感した。元はインナードライのアブラギッシュな肌をしていたのだけれども、普通肌と言えるようになった。さらに、半年ほどで大人ニキビがほとんどなくなった。今では生理中に一つ二つ出来るぐらいである。
「"死にたいのに、死にたいのに、何回繰り返しただろう"もこれで何度目だろう」を繰り返す
否定的同一性と、その同一性の拡散を何度も何度も繰り返して
中途半端で、逃げ切れない癖に逃げ癖の付いたこの心が、摩耗するまでくるくると、今日も回り切る
人はその様を醜いとする
自分も己の姿に総毛立つ
ああ、気持ち悪いなあ
心を覆うものが人間に無かったら、きっと自分は耐えられないだろう
こんなものを晒していて生きていけるほど、強くなれない
でも、その方が良かったのかもしれない
こんなぬるま湯の現世よりは、熱湯の世界の方が良かったかもしれない
少なくとも、死に行くなら、少なくとも
今日の不幸語りでした
死ねば良いのに
アメリカに住み暮らしていつも思う事は、この国は戦時下にあるってこと。戦争して国家を起動させてる。その国の傀儡下で呑気にぬるま湯が気持ちがいい、と、惰眠をむさぼるチョイスをしたのが日本国民自身だったのです。で、この結果だ。国という外殻を意識しない事がリベラルだと勘違いした知識人達。
無能が「かわいい」と評価する事がサブカル的にいけてた時代の顛末がこれだろ。じゃあ、どうすりゃいいのか。決まってるだろ。自分の社会責任を理解し(精査レベルでもいいよ)何をすべきかを気付き、そして出来る事をやるだけだろ。国とは何か。国家と国民との距離感を認識し直すべきだ。
『自由』を無差別に流布した無策を呪え!『サブカル』をフラッグシップに展開した思考を戒め!『教育』をゆとりだなんだと手抜きを擁護した空気を自身で嘆け。そして日本はSF映画のような国になり、崩壊して行く。これが夢ならいいのだが、夢だけど夢じゃなかった、、、んです。
全くその通りとしか言いようがない。
ついに今日を迎えてしまった。それまでは心のどこかに「19だから、未成年だから」という意識が少なからずあった。いや、かなりあった。別に悪いことはしてないけど良いこともしなかった。何もしなかった。そのことを「まだ子供なんだから……」と慰めのような言葉で紛らわしていた。誰かに言ってもらうわけでもなく脳内で何度も繰り返した。気持ちの悪い自慰行為である。しかしカレンダーをめくるように今日で僕は社会的に成人となった。もうあのフレーズは使えない。僕みたいな人間が成人とみなされていいのかと自分のダメっぷりにはいつも嫌気がさしている。小学生の頃夢想していた大人に僕はなれなかった。あの頃の自分に申し訳ない気持ちさえする。ごめんねマジごめん。ぬるま湯に浸かりすぎた僕はいきなり熱湯に浸かることも冷水を浴びることもできない。かといって風呂場を出る気もない。日本にも通過儀礼的な行いがあればいいなと思う。同窓会となんら変わりのない成人式のようなものではなくてある程度心身に苦痛を伴うような行事が。ま持論だけど人が変わるというのは一日程度で変化するような劇的なものではなく火にかけた水が沸騰するような漸進的なものだしそういう外部的な機会に頼ろうとしている時点でやっぱり僕はまだまだガキだ。通過儀礼も国全体として緊張感のない日本で行ったところでただのイベントに成り下がる気がする。やっぱり通過儀礼なんかなくていいや。ふふっあーあどうしよう。なんだかなあ子供のころはプレゼントもらえたりでウキウキしていた誕生日が今は全然嬉しくないや。自分は大人だと納得できる日は何年後になるのだろうか。叱責されて「君はまだ子供だね」と言われる方がまだよっぽど心地が良い。
いちいち動画見直すのも面倒なんで自分用にメモ。自分用だから細部適当
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6153483
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6165178
・全粒粉300g →これで5枚分
・ぬるま湯210g (水との比率は10:7、気温や湿度を見て調整すること)
・塩ひとつまみ
いい感じに捏ねたら濡れ布巾をかけて15分
中火で熱したフライパンに油を引かずに乗せて焼く。
色が変わってきたら裏返しつつ両面まんべんなく焼く。
膨らんでない場所を軽く抑えながらある程度膨らみ始めたら直火にかける。
一気に膨らみおいしそうな焦げ目がついて出来上がり。
・気温が低い時は水温を高めに
・IHの場合は膨らんだ箇所を押さえて膨らんでない箇所に空気を送りながら
色の濃い火が通ってない箇所も押さえて焼きムラを無くしつつ焼く。
膨らませた薄いの→冷めると美味しくない
膨らませない厚いの→冷めても美味しい
・一人分なら150gで充分。ちなみにパスタ1人前は100g
・焼き始めから頻繁にひっくり返すこと。
のんびり片面だけ焼いてると出来上がりの上下の生地の厚さに差が出てまずい。(下が厚くて上がペラペラに)
・直火にかけると結構簡単に膨らむ。
そこで「保身」と決め付けるからいかんのだ。
現実は冷たく、厳しい。
消費者金融圧迫とかも考慮すると確かに「イスラム金融化」と見方もできるが・・・
素直に見れば「銀行がつぶれて誰も騒がない」というのは「グリードな資本主義が日本にも定着してきた」とも言えないか?
銀行だって本来グリードにやってもいいわけで、そこでリスクテイクしたら、そりゃつぶれる銀行もある。銀行だって企業、当たり前の話。
グリード万歳、リスクテイクどんとこい、のアメリカは年に100行潰れてる。銀行倒産&ペイオフは、日常茶飯すぎてニュースにもならない。
キムタケ銀ペイオフが騒がれないのは、日本も銀行神話がくずれて、自己責任で銀行を選ぶ意識が預金者に浸透してきた、つまり資本主義の
常識を受け入れるようになっただけ、とも言えそうかと。
まあ、肝心の銀行は自体はあまり変わってなくてぬるま湯への郷愁があるっぽいけど、預金者の意識が変わった以上、いずれはアメリカ的な
方向に向かうんじゃないかな。
そしてそれに邁進する若者に出会います。
なぜそれは「夢」というのか、少し考えてみましょう。
夢は必ずサめるものです。夢を見ているとき、大体の人は目を瞑っているでしょう。
そうなんです。
夢というのは、周りが見えなくなるんですね。
そればっかりに拘泥するあまりに、周りが見えなくなってしまう、夢以上に大事なモノすら見落としてしまう、それが夢なんです。
だから、起きてください。起きて、周りを見渡してください。今の自分がどこにいるか確認してください。
夢なんてのは追いかけることはできません。だからバカと呼ばれるのです。
夢なんてものは、ないんですよ。
あなたは社会に対して、どんな役に立てるのですか?それは社会にとって本当に有意なものなのですか?
あなたは隣人に対して、どんな価値があるのですか?それは隣人にとって本当に有用なものなのですか?
22年というぬるま湯の中で何を見つけたのですか?
raceのないの人生で何か得られるものはありましたか?
http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819696E0E6E2E3998DE0E6E2E5E0E2E3E2869891E2E2E2
なんだかんだ言って、会計士って大した仕事してないくせにもらいすぎなんだよね。
大半は業務もITも金融も経営も税務も法律も経済も知らないくせに。
会計監査の大半は「封筒に宛名シール貼って投函」「2つの書類の数字が一緒か確かめる」「書類の印鑑を確かめる」なんていうレベルだから、中学生でもできる。
「リスク考慮した上でどの監査手続を行うか決定する」「会計処理や内部統制の妥当性を検討する」「見積りの数値を検討する」なんてのは専門家がやるべきだけど、
それをやるのに、わざわざ「封筒に宛名書いて投函する」なんて雑務をする必要ないよ。何してるかさえわかればいい。
大卒の新入職員が事務所で一日you tube観て30ウン万も給料もらえるとか、この業界くらいじゃなかろうか。
完全に、規制で守られているぬるま湯業界ですよ。市場が有効に機能していない典型的な産業ですよ。
そのためには、企業の経済的実態を描くことと、比較可能性を担保することが必要。
経済的実態を正確に描きたいけれど、認識・測定・報告(作成)・利用それぞれの観点から制約が生じる。
例えば、「今後10年間に渡って企業のネット・キャッシュインフローを10億円増加させる事のできるを経営者を雇った」なんてことがあった場合、
経済的実態を正確に描くとすれば財務諸表に反映させたいけれども、認識・測定の点で問題が生じる。
報告の点では、財務諸表の種類をあまり多く出来ない、勘定科目をあまり多く出来ないとか。
制約がなければ、P/LもB/SもC/Sも、あと数通りあったほうがいい。
こんなくだらない「そもそも論」から、会計で何が出来るか書きたかったんだけれども、めんどくさくなってしまった。
簡単に言えば
・勘定科目間でどのような関連があるか
・数値がどのように造られるか
なんてことを考えると面白いんじゃないかな。
2006年の夏、建設現場で日雇いのバイトをしていました。日給1万円もらえる仕事だったのでそれなりにキツイ内容です。マンションなどを建てる際に必要な資材の石膏ボードをひたすら運び込むというものです。
新入りの頃は一枚持つのがやっとでしたが、作業を重ねるに従い、一度に運べる量が二枚・三枚と増えていき、貧弱な僕もだんだん体力がついていくのが実感できてそれなりにやりがいを感じていました。
僕はあまり体力に自信のあるほうではありませんが、1人暮らしを始めたばかりでお金が必要なこともあり、ほぼ毎日仕事に出てがんばっていました。
その仕事に就き出して三ヶ月めの06年8月2日、仕事中から腰に違和感があり、今まで経験したことのないようなだるさ・重さを腰に感じていました。夕方、仕事を終えてバスで帰る道中、腰の違和感ははっきりとした痛みに変わっていました。座席に座っていることができません。まだ立っているほうがましです。
部屋に帰ってもその痛みはますます酷くなり、激痛といってもよい程になっていきました。
ただの腰痛だと思っていたので、とりあえず横になって痛みが引くのを待つしかないと思い、次の日の朝まで寝るつもりでした。
ところが夜中になるにしたがい痛みは増していき、もう我慢できるレベルを超えていました。
それでも、油汗をかきながら朝まで我慢し、トイレに立つこともできない僕は救急車を呼ぶ決心をしました。
なんだか恥ずかしかったです。生まれてはじめて救急車を呼びました。担架で運び込まれる時、近所の人が野次馬になってじろじろ見ていました。
近くの総合病院に着き、ストレッチャーでとりあえずレントゲン室まで運ばれました。
技師が仰向けの僕に向かって脚を曲げろだの横向けになれだのいろいろ指示をとばしてくるのですが、どんな体勢でも激痛が更に増し、無理でした。仰向けで脚を上に上げようとした僕は身体全体をつらぬくような鈍い痛みに思わず叫び声をあげてしまいました。
技師もあきらめたのか仰向けのレントゲンだけ取って終わっようです。
レントゲン室を出ると、若い看護師が僕の叫び声を聞いたようで、
「なんでこんなになるまで放っておいたの?」
といわれてしまいました。それに答えることもできない僕の手を、その看護師が握って、
「私も前にヘルニアやったからどんな痛いかよくわかるよ。」
と、慰めてくれました。
診察室で仰向けになったまま医師の診断を受けました。
仰向けのレントゲンしか取れなかったわりに腰椎椎間板ヘルニアの特徴である椎間板のはみ出し具合が顕著だったらしく、即入院ということになりました。
入院が決まった時、それまで入院なんかしたことなかった僕は正直びびりました。
しかもTシャツにパンツの格好で運び込まれ何の用意もなかったし、どうなるんだろうと思いました。
ぼくが運ばれたのは整形外科の6人部屋です。僕の他は40くらいのおじさんと、中学生の男の子と70くらいのおじいさん2人でした。
ベッドに寝たまま看護師から色んな説明を受けました。酷い痛みの中で聞いたのでほとんど頭に入りません。
小林さんというその看護師は30才くらいでこれからぼくの担当になるということです。
とりあえず優しそうな女性だったのでほっとしました。
説明が終わり、最後に
と聞かれました。
大丈夫じゃありませんでした。夜中からトイレに立つこともできず今まで我慢していたのです。
「すいません。オシッコしたいんですけど・・・」
「ちょっと待っててね。」
何も言わず僕のトランクスを全部脱がせました。僕は腰を上げて協力しようとしましたが痛みでどうにもならず小林さんにまかせました。
僕のペニスはこれ以上ないぐらい縮こまっていました。もともと仮性包茎で亀頭が隠れているのに今は包皮が完全にかぶってしまって象の鼻みたいになっていました。そんなペニスを見られるのは恥ずかしいものです。
「自分でやります。」
僕はそういって尿瓶を受け取るとペニスにあてがおうとしました。ところがちょっとでも身体を起こすと激痛が走ります。
無理でした。
「ほらー。無理でしょ。こういうのも全部仕事のうちなんだから恥ずかしいなんて思わなくていいのよ。」
ペニスが小さいからずっと支えていないとすぐはずれてしまいます。小林さんは排尿の間ずっと支えてくれていました。
長い排尿が終わり、尿瓶を床におくと、小林さんはウエットティッシュでペニスを拭いてくれました。包皮もめくって亀頭のまわりも優しく拭いてくれます。女性に触られたのは初めてだったので立っちゃうかなと思いましたが、それよりも激痛のほうが勝ってピクリともしませんでした。
小林さんは拭き終わると包皮をまたもとに戻しました。そして袋や腿の付け根もついでみたいに拭いてくれました。
「今井クン、パンツいちいち履いてたらたいへんだから、これ付けとこうね。」
そういうと、ふんどしみたいな帯をつけてくれました。
「痛み止めの座薬いれるね。」
さっきのT字帯を取って僕を横向けにさせました。
「すぐ済むから我慢して!」
座薬を奥のほうまで突っ込んできます。うんこが出そうな感覚がしましたが我慢しました。
「痛みが我慢できないようだったらこのボタンを押してね。」
小林さんは戻っていきました。
それから2時間くらいすると、徐々に痛みがやわらいできました。ほっとした僕は試しに起き上がろうとしました。
ダメでした。
ちょっとでも腰を曲げると激痛が走ります。
ただ仰向けに寝ている分には痛みがないというだけでした。それでも痛みがやわらいだことで心が随分軽くなりました。
昼ごはんはおにぎりでした。寝ながら食べられるようにとのことでしょう。左手に点滴をしながら、小林さんに時おり手伝ってもらいながら、食べました。
「とりあえず寝ている分には痛みがなくなったけど、まだまだ絶対安静だからね。無理に起き上がろうとしたら駄目よ。」
そう言いながら口の周りや手を拭いてくれました。
この日、昼間ずっと眠っていたせいで夜中に目が覚めました。
やってきたのは三十代半ばの初めてみる看護師です。この人も優しそうな雰囲気でした。
「今井さん、どうしましたか?」
ささやき声で聞いてきます。ハスキーで色っぽい声です。見ると白衣の胸やお尻の所がパンと張っていてグラマーな人でした。
「すいません。オシッコしたいんですが。」
その人、川上さんは、うなずくとすぐに僕のT字帯を取り、ベッド下から尿瓶をとりあげて、ペニスをあてがいました。
昼間、小林さんにやってもらった時はすぐ排尿できたのに、なぜか今回はなかなか出ません。オシッコしたい感覚はあるのにです。
それでも川上さんはジッと出るのを待ってくれています。
ようやく小便が出始め、ほっとしました。
「よかったね。」
そういって戻っていきました。
朝食の後、清拭がありました。
近藤さんというまだ学校出たばっかりな感じの看護師が僕の身体を拭いてくれました。熱い湯に浸したタオルで力強く拭かれるのはとても気持ちの良いものでした。
「オシモのほうは洗いますね。」
そういうと、お尻の下に差し込み便器を置いて、ぬるま湯と石鹸で洗い始めました。袋の皺の部分や、お尻の穴まで丁寧にやさしくこすってくれます。
勃起しそうな感覚はありましたが、とても恥ずかしく、また入院したばかりの不安な精神状態だったためかペニスはやわらかいままでした。
依然として起き上がれず、つらいです。
入院してから一度も大便をしていません。
まだ、ウンコが出ない。看護師さんが浣腸しようとしたが強硬に断りました。そんなの恥ずかしすぎます。
今日こそベッド上で排便しようと試みました。
でもだめです。いくらきばってもでません。
小林さんが浣腸してくれました。初めての浣腸です。浣腸した直後から鋭い便通がきました。
「5分我慢してね。」
とのことだったので必死で我慢しました。
「まだよ。まだよ。」
と囁いています。
5分後、差し込み便器めがけてシャワーのように排便しました。大量のウンコです。差し込み便器にはおさまらず、下に敷いたビニールシートにもウンコが垂れました。
小林さんはさすがに排便の間カーテンの向こうにいてくれましたが、すごい音やニオイは隠しようもありません。他の入院患者に対しても恥ずかしく、申し訳なく、もう死んでしまいたい気持ちでした。
「おー、いっぱい出たねー。よかった、よかった。」
小林さんは笑顔で僕の汚いウンコを始末してくれます。ほんとに穴があったら入りたい気分でしたが彼女の笑顔に救われたように思います。
「お尻洗うね。」
なんだか汚いウンコも見られたせいか恥ずかしいとかいう感覚がなくなったようです。パンパンに張っていたお腹もすっきりして心まで軽くなりました。
小林さんに洗ってもらってる間ペニスが半立ちになってしまいました。こんなことは入院以来初めてです。スッキリしたせいでしょうか。これはこれで別の恥ずかしさがあります。必死で違うことを考えて勃起をしずめようとしました。
「今井クンは本読むの好きなんだね。いっつも本読んでるもんね。」
小林さんも気をそらそうとしてるのか、それとも単なる世間話のつもりなのか、話しかけてきます。僕も母に持ってきてもらった村上春樹を語ったりしました。
おかげで完全に勃起せずにすみました。でも小林さんの洗い方はとても気持ちよく、やばいところでした。
ブロック注射を打つにはベッド上で横向きになりネコのように身体を丸めないといけません。そんな姿勢は今の僕には発狂しそうなほどの痛みをともないます。
それで全身麻酔を打ってからということになりました。
麻酔を打って、徐々に薄れていく意識の中で、なぜか小林さんのことを考えていました。
なぜかペニスが痛い。どうやら尿道に管を入れられているみたいです。しかも勃起しているから余計です。起き上がってみようとしましたが麻酔が抜けきってないのか身体に力がはいりません。
勃起が収まってからナースコールを押そうと思っていたのに、その前に看護師が来てしまいました。初日、夜中に小便をとってくれたグラマーな川上さんです。
「目が覚めたんだね。どんな具合?」
「まだ、身体に力が入らないです。」
「ブロック注射は何回かに分けてやるから、すぐに痛みが取れるわけじゃないよ。無理に起き上がろうするのは絶対だめよ。」
川上さんは点滴の具合を確かめ、それから僕のお腹をさして言いました。
「ちょっと確認するね。」
ふとんをはがしT字帯をとりました。
ペニスに管が入れられているのが見えます。しかもまだ勃起しています。
「はあ、痛いです・・・。」恥ずかしさをこらえて言いました。
「抜いちゃうね。」
そういうなり左手で陰茎を持ち、右手でそろそろと管を引き抜き始めました。
痛いのかと思っていたのは杞憂で、それどころかなんとも言えない快感が走りました。
なんというか、射精寸前のような感じです。
「あっ・・・・」思わず声が漏れました。
「痛い?」川上さんはいったん抜くのをやめました。
「あ、いや、そうじゃなくて・・・」
「じゃ、抜くよ。」再びそろそろと管を引いていきます。また変な感じがしてきました。なんかほんとに射精しそうです。
しかし、無事、管は抜かれました。ペニスは腹側に向かって反りあがり、ビクンビクンゆれています。オナニーしてて射精寸前でやめた時みたいなもやもや感がありました。
「洗うね。」
「え?あっ、今はいいです。明日でいいです。」
必死で言いました。今、洗われたらホントに射精しかねなかったからです。
そういいつつ、川上さんは腰の下に差し込み便器を入れました。彼女の目の前でペニスはビクンビクン動いています。
「大きくなったこと気にしてるの?若い子はたいていそうなるんだから、いいのよ。」
川上さんは先に薄いラテックスの手袋をはめます。ほんとに薄そうな感じで、はめても彼女の綺麗な白い手がほとんど透けて見えています。あんなのでこすられたら・・・。どうなるんだろう。
僕は川上さんの準備している様子を伺っています。彼女はいわゆる綺麗なおばさんとでもいうか、色っぽい熟女とでもいうか、とにかくそんな感じの女の人で、ただ若いだけの女性よりも本当に妖艶な雰囲気を漂わせています。しかも、オッパイが大きいのが服の上からでもまる分かりで、白衣の胸の部分がパンパンに張っています。
そんな彼女を見ていると僕のペニスは全く小さくなる気配も見せず、血管を脈打たせてビクビクうごいています。
(ああ、どうしよう。射精しちゃったらどうしよう。)
そんな僕の思いにもかまわず、川上さんは僕の脚をカエルみたいに左右に広げ、容器に入ったお湯をペニスにかけました。
(うわっ、なんだ?すんごい気持ちいい。)
ただお湯をかけられただけなのに柔らかな羽でさっとなでられたような感覚が走りました。
「あ・・・、くっ・・・。」
言葉にならない声をあげてしまいました。
「熱かった?大丈夫?」
「はい、大丈夫です・・・。」
川上さんはガーゼで石鹸を泡立てています。クリーム状になったところで、両手でその泡をすくい、ペニス全体に塗りだしました。
ラテックスの手袋はほとんど意味をなしていません。彼女の温かくてすべやかな手がそのまま僕のペニスに絡みついてきます。
彼女はまずお尻の穴と睾丸から洗い始めました。左手でお尻の穴をなでながら右手で袋をゆったりと揉んでいます。僕はあまりの気持ちよさに汗をかいています。必死で別のことを考えてはいるのですが、意味がありません。特に睾丸をやさしく揉まれることがこれほど気持ちいいとは思いもよりませんでした。自分でオナニーする時に睾丸をさわるなんてしたことなかったのです。
「あっ・・・。」
「どうしたの?ここは汚れやすいのよ。」
「あんっ!」思わず大きな声をあげてしまいました。
「痛いの?だめよ。がまんしないと。綺麗にしないとだめなんだから。」
新たにソープをすくうと今度は陰茎部をゆっくりと洗い始めました。左手で睾丸をやさしくマッサージしながら輪を作った右手で陰茎を上下にゆっくりとしごいています。確かに洗ってはいるのですが、その動きは僕にとってもはや快感を送る以外の何物でもありません。
「ほらぁ・・・。だんだんきれいになってくねぇ。」そんなことを言いながら、川上さんは包皮をむいて亀頭を完全に露出させました。
左手でおもいっきり皮を下にさげ、人差し指と親指で輪を作った右手で亀頭のカリの部分をクリクリと撫で回しています。
「はぁ・・・あぁぁ・・・」僕はもう気が変になりそうです。
「んー?どうしたのぉ?今井クン、ちょっと変な気持ちになっちゃったかなぁ?でも、だめよ。キレイにしてるんだからぁ。」
言いながら、川上さんの右手は亀頭全体をコネコネとこねくりまわしました。
総毛だつような快感が下腹部を襲いました。白衣を着た肉感的な女性が僕のペニスを撫で回している。想像するだけで射精しそうなのに、今、その手が実際に快感を送り込んでいるのです。
「ここは念入りにしないとぉ・・・」
過敏な亀頭全体を逆手に握り、ひねりを加えながら上下になで上げています。ぬちゃぬちゃという音が病室に響いています。
もう、限界でした。腰が甘くとろけ、溶けそうな甘美な快楽につらぬかれました。
「あーっ・・・・!!」
信じられないほどの快美な感覚に包まれながら、僕は射精していました。今までのオナニーなんて比べものになりません。ペニスを中心に腰がどろどろにとろけてしまったようです。
身体全体をビクビク痙攣させながら長い長い射精をしました。射精している間も、川上さんは優しく亀頭をこねくりまわしています。おかげで精液が飛び散らずにすんでいます。
「今井クン、出ちゃったねぇ・・・、いいのよ。しょうがないよねぇ。全部出しちゃってね。」
そんなことをつぶやきながら、川上さんは優しく亀頭を撫で回し続けます。
「フフッ、よかったねー。気持ちいいねー。いっぱい出してね。」
ようやく、最後の一撃まで出尽くしました。まだ腰は痙攣していますが。
「今井クン、全部出たの?全部出さなきゃだめよ。」
持ち前の明るさと行動力で社内評価絶賛続伸中。(自分でいうのもなんなんですが。)
中小企業だし。
というわけで、給料は安いながらも安定した生活を送っております。
しかし、最近悩みがあるのです。
それは、「22歳なのに安定を求めていいのか?」ということ。
過去には自ら起業して、「目指せホリエモン!!目指せジョブズ!!」
と思っていただけに、20代は挑戦してなんぼではないかと考えています。
しかし、安定というぬるま湯につかってみると居心地は良いものです。
このまま偉くもなれそうだし、仕事も楽だし。大体定時に帰ることができるし。
今までの成功に対する欲が無くなってきました。
というよりは、安定から抜け出す怖さが出てきたって感じなのかな。。。
とまあ、そんな感じで安定にどっぷり浸かっているわけでございます。
というわけで、以下の3点が目下解決すべき(折り合いをつけるべき)課題なのであります。
大きな挑戦することこそ人生において最大の成功なのか?
はたまた安定をより大きなものへと育てることが幸せへの最短通路なのか?
「挑戦しなかった後悔」と「安定を捨てる→挑戦して失敗した時後悔」はどちらを取るべきなのか?
せっかくはてなに投稿しようと思ったので、是非とも皆さんがどう思うかを聞いてみたかったりします。
宜しければご教授下さい。
しんどい時、すぐそばに居てくれる人が居なくても乗り切れるようになるにはどーしたらいいんだろう。
好きな人が遠くに居るのが当たり前になりすぎて、すぐ会える距離に好きな人がいる状態というのがわからない。
助けてほしい。なでたりなぐさめてくれる人がすぐ隣に欲しい。
誰かにさらっていってほしい。中途半端な状況をすかーんと打ち放つような一撃が欲しい。
わたしにはその一撃を起こす力がない。なんでか分からんが、ない。
ぬるま湯の今に完全に浸かっている。
澱のたまった流れの穏やかな場所に身を置いている。
このままじゃよくない。よろしくない。
ここ1年くらいずっと同じことを言ってる、けれど、次どうしたいのやらよくわからない。
好きな人が身近にいれば解決するのか、そんな訳ない。
セックスとか、食べることに溺れるのも悪くないけど、それもそろそろいいや。
なんかわからんが、どーにかしなきゃ、どーにかしなきゃ、という気持ちばかりが先走る。
どうりで海外の一流大学では、高学歴が一般企業に就職できないという意味での「学歴難民」や
「高学歴だけど使えない奴」が発生しないわけだ。
それは都市伝説。発生してるから。
ネット上の知人のアメリカ人とかで、一流大出てるのに就職できないって言ってる奴を何人も知ってるし、はっきり言って向こうの就職難に比べたらこっちの就職氷河期なんてぬるま湯もいいとこ。あと、俺が勉強してるドイツ語の教材でも「心理なんか勉強したから高学歴なのに就職できない」なんて登場人物が出てきたりもした。
つーか、哲学や純文学で「ビジネス」ができるかどうか、少し考えてみればそれぐらいのことはわかるだろうに。
これだから「反知性主義」って言われるんだよ。
参考:
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/05/post_42ec.html
ハンディを負っている訳でもないのに努力を怠る人は好きじゃない。
しかし実際には、
安定した世界に包まれることが多い気がする。
低い位置で安定している。
そういう、ぬるま湯みたいなやつを嫌っていたんだけど、
最近は考えを変えた。
それはそれでいいというか、
どうしても、そういう風になってしまう気がする。
そのお陰でPCは普及したし、分かりやすかった。
mixiも同じ。
Googleだって、低い位置で安定するようにならないとは限らない。
排除される者というのが出てくる。
競争が起こらない。
新陳代謝がなくなる。
しかし、それには目をつむっても、
いいのではないかと考えるようになった。
そう考えると、
肯定的に捉えられる気がしてきた。
状態としては悪いけど、低い位置で安定している。