はてなキーワード: ぬるま湯とは
私には好きな人がいます(仮にAさんとします)。仕事の関係で知り合った5歳年上の人で、最初はお兄さんみたいな頼り甲斐がある人ってしか思ってなかったんですが、打ち合わせをしたり仕事のあとでご飯食べに行ったりしているうちにだんだん好きになって、今から二年前に告白しました。
だけどAさんからは、
「君のことは好きだけど、恋人として見ることはできない」
って言われてしまいました。
付き合っている人はいないと聞いていたので、ひどくショックでした。前に付き合っていた女の子と分かれるときにゴタゴタしたし、今は仕事が面白いし、恋愛に情熱を傾ける気持ちになれないんだ、と彼は言いました。
本当は全然諦めきれない気持ちなんですが、しつこくしてもAさんから嫌われるだけだと思い、その後も「良い仕事仲間」として演じています。時には夜に電話をしたり、休みの日にふたりっきりで会うこともあります。恋人がいるようではないのですが、私とはそれ以上の関係になる気はないようです。
たとえそうであっても、Aさんと会ったり話をしている時間はすごく幸せなんです。だけど、別れてからの時間が、苦しくてたまりません。
私も木や石じゃないんです。強く抱きしめられたい、キスをされたい、抱かれたいって衝動に襲われて、居ても立ってもいられなくなるんです。モヤモヤして、自分の体を掻きむしりたくなります。
そういう気持ちのことを相談出来る相手が、大学のゼミで一緒だったB君です。男の人としては珍しく、聞き上手で私の話をなんでも聞いてくれます。女友達にも言えないこともB君になら話せてしまうんです。
卒業してまもなくB君は同じ職場の人と結婚しましたが、うちのゼミは仲が良くて、卒業後もみんなで集まることが多くて、B君とはよく顔を合わせていました。学生時代からの仲良しグループっていいなって、こんな関係がずっと続けばいいなって思っていました。
だけどAさんのことがあってから、彼とのこと相談するため、B君とふたりっきりで会うようになりました。
仕事終りに居酒屋で待ち合わせして、お酒を飲みながら相談を聞いてもらって、お会計は基本割り勘だけど、いつも付き合ってもらって悪いし、お金がかかるからといって敬遠されても嫌なので、「今日は臨時収入があったから!」などと言って無理に払ったりもしました。優しく私の愚痴を聞いてくれるB君のおかげで、ともすれば不安定になりそうな私の精神状態はなんとか保たれていました。
ある時、共通の友達にB君のことを話しました。どうして彼にはなんでも話せてしまうんだろうね、と。するとその友達は、大学生の頃、B君はあなたのことが好きだったんだよ、と教えてくれました。当時あなたには付き合っている人がいて、それで言い出せなかったみたいだけど、あなたの事が好きだから親身になって聞いてくれるし、話しやすいんじゃない?、と。
そのことは、私が薄々気づいていながらも、直視したくない現実でした。彼の優しさが私への好意に裏付けされていたことは、とうの昔に分かっていたはずなのに、私はあえて知らない振りをしていました。だって、もし私がAさんと会う度に、Aさんが心から愛している人の話を私にしたと考えたら、こんなに残酷なことはないじゃありませんか。このことを言われて、私がB君にしてきた仕打ちの重さに苛まれました。
そして、次に私がB君と会ったとき、私は彼に抱かれました。
私が彼に抱かれたのは、私が今までB君にしてきたことの償いをするため。それが私の大義名分でした。でも、彼に抱かれるという行為もまた、結局は自分の欲望を満たすために彼を利用しているだけだと気がつきました。Aさんから満たされないものを、B君で補っているだけだったのです。
そのことに気づいて泣いてしまった私の髪をなでながらB君は、ずっと好きだった、と私に言いました。だから君の望むとおりにしてあげたいんだ、と。
最初にB君と関係を持ったのが去年のホワイトデーの時だったので、あれからちょうど一年たつことになります。これまでの間、私は月に1度か2度、彼に抱かれています。B君と奥さんとの関係はその時からずっと良好だというのが、私の救いです。
私とAさんとの関係もまた、あの時から何も変わりません。
世間から見れば私たちの関係は道義にもとることだと分かっています。お互いに一番大切な人がいて、それでもなお求め合うのは欲張りなのかもしれません。だけど、
彼は奥さんのことを愛しているけれど、私のことが好きだという気持ちは抑えられない。
私はAさんのことが好きでたまらないけれど、私のことを満たしてくれるのはB君しかいない。
だから、私たちには他に選択肢がないんです。楽な方に逃げているだけと言われたこともありますが、楽じゃない道ってなんなのでしょう。一人で悩んでおかしくなるか、いっそAさんを殺して私も死んでしまった方が良かったんでしょうか。
現在の悩みは、今のこの状況がすごく心地いいことです。
AさんとB君、どちらと一緒になったとしても苦しい道が待っています。それならば、いつまでもこのままの関係で、Aさんからは心を、B君からはからだを満たしてもらえるのが一番幸せなのかもしれないと感じるようになりました。ぬるま湯に浸かっているような今の関係が心地よくて、抜け出せそうにありません。
このぬるま湯も時とともに冷めていくんですよね。でも、肩までどっぷりと浸かってしまっている私は、お湯が冷めていくことに気がつかず、そのまま凍死してしまうのかなあ。それはそれで、幸せな死に方かもしれないなあ、なんて、思ってしまうんです。
業務終了まで、まだ少しばかり時間が残る午後3時半。眠気の霧が晴れ上がり、また仕事に集中し始める頃合い。
契約職員という立場上、部署で一番下っ端の私には、毎日茶具の後片付けがある。
あわ立ちの悪い洗剤をスポンジにたっぷりと垂らす。カップの底に僅かに残るコーヒーを、蛇口から出るぬるま湯で薄める。
流し台の中で泡塗れになる様々な形のカップと、コドモのような私の手。
家でも職場でも毎日手洗いで食器を洗っているから、油分が失われてかさかさに乾いて、そこだけは大人のように見える。
手馴れたコトは手慣れた身体に任せて、頭で別のことを考えていればいい。
そうすれば、時間は案外早く過ぎ去っていく。
私には好きな人がいる。とても素敵な人のように私の目には映る。
人当たりがよく、部署内での人間関係は良好のようだから、多分他の人からも好かれている人だろうと思う。
妙に緊張をすることもなく(好意を自覚してすぐの頃は流石に心臓がいつもより大きく動いていたけど)、自然に会話を交わせる。
好きかもしれない。何となく、何となく、好きかもしれない。
いや違う。
とても好きなんだ。すごく好きなんだ。
この人とお付き合いが出来れば蕩ける様な幸福に包まれるんじゃないかと錯覚するくらいに。
そんなにまで好きならば、告白すればいいじゃん、と思われると思う。自分でだってそう思う。
だけど、4月に入社しこの部署に配属されて、もうすぐ1年、告白などという甘くも苦くもなる言葉は遥か遠くにある。
自分のありのままの感情を打ち明けるのが怖い。正確には、打ち明けた後に拒絶されるのが酷く恐ろしいのだ。
何を子どものようなことを、とは自分自身でも思うが、しかし今まで誰にも告白したことはないし、告白されたこともない。
生まれてきてから今に至るまで、誰かの恋人であった期間は一瞬たりともない。
世の中の恋する女性の行動力には感服するばかりで、自らの気持ちをオブラートに包むことなくそのまま手渡せる行動力が羨ましい。
毎年如月は14日、甘い陰謀の日の有無を言わさぬ流れに乗って、私も思いを打ち明けてみようかと、少し高めのチョコレートを買ってはみたけど、
結局渡せずに私と家族の胃袋の中に消えた。私の気持ちはどこかに行くことはなく、私の中に再び溶け込んでこの日は終わった。
詰まるところ、私はただの臆病者だ。成人して数年経つのに自分の言いたいことが言えない。もどかしい。
私は私の好きな人のことの、どこまで知っているのか分からない。
側面、あるいは切り取られた一部分だけを見て、好きだ好きだと思っているだけなのかもしれない。
とても滑稽なことのようだけど、実際に一部分しか見えていないのだから、仕方ない。
私の更に滑稽なところは、その一部分を妄想の水で膨らませて楽しんでいるところだ。
いつもご苦労様ねとか、片付けしてもらって悪いな、とか色んな人から詫びるような言葉を時々頂く。
詫びられることなど何もない。スポンジから生まれる泡と、捻った蛇口から止め処なく流れるぬるま湯。
そして沢山のカップと戯れながら、あの人の付き合うことが出来たら、と考える時間はとても楽しい。
あの腕に自分の腕を絡ませ、引っ付きながら歩くことが出来たら素敵だろうな、とか、
一緒にご飯をお腹いっぱい食べれたらそれだけで幸せかもな、とか、そういうくだらない妄想を延々と考える時間はひたすらに楽しいのだ。
そこにいる好きな人は、私の想像上の産物であって本物ではない。だからこそ楽しく感じるのかもしれない。
多分付き合うことのない人が、私に優しくしてくれる妄想。都合がいいにも程がある。こういうことも自慰と言えるのだろうか。
好きな人とも、あとひと月もすればお別れ。この妄想ともそれくらいでお別れが出来ればいい。
穏やかな春の日差しの中で融けて消える残雪のように、このどうしようもない恋心もなくなってしまえばいい。
だけど最後の日に何かないかと期待するこの心はへたっている。少女漫画の読みすぎだ。
奇跡みたいに都合のいい出来事など起きるわけもなく、そして何もなくこの恋は終わる予定だ。
それでいいのだ、たぶんね。
悪意から言っているのではないことは分かっている。
私自身の歪んだ思考が善意からの言葉をねじ曲げて捉えてしまっている。
胸の奥に去来する僻みの感情も、胃の奥からのきりきりとした痛みも、誰かが悪いわけじゃない。
自分のことは自分でしなければならないことくらい、分かっている。
それでも、「次の就職は決まったのか?」と毎日別の人間から尋ねられるのは辛い。
相手はほぼ全員公務員だから尚辛い。
3月末で臨時職員の契約期限が切れて、自治体の規定で更新はされない。
今の職場を必ず去ることになる。
働き口を見つけられなければ4月から無職。
周りの人たちは私のことを少しは認めていてくれているらしい。
だから、4月からどうするのかを心配して聞いてくれているんだと思う。
そんなの分かっているけど、悪いことしなければ将来安泰で、毎月お高い給料を貰って割と安穏と過ごしている人たちに、しつこくしつこく同じことを問われると、気が萎えてしまう。
と、言うより、腹が立つ。
憤っても嫉妬しても何にもならない。喚いたって何も変わらない。
でも、「今は不況だから大変だね」とか「ハローワーク?ツラそうっすねw」とか言われると、所詮他人事なんだから放っとけよ!と吠えて噛みつきたくなる。
臨時職員という一番下っ端の立場にあるから、上から目線の哀れむような言葉をかけられても仕方ない。
「俺が人事だったら増田さんのことをすぐ採用するのにな」とか慰めにもなってない。黙れこの野郎。
就職決まったの?
まだ決まっていません。
大変だね、でも頑張ってね、増田さんならきっと見つかるよ、真面目だし。
無責任な言葉を投げっぱなしにするくらいなら、何も聞かないでくれ。
一番危機感を持っているのは多分自分自身だから、煽らないでくれ。
自分の中の嫌な感情が混じりあって雪だるまのように膨れていって、時々叫びたくなる。
これからもここで働けるくせに、私と何もかも違う立場にあるくせに、無責任で勝手なことばかり言ってるんじゃない、私の問題なんだから放っとけ!
勿論こんなことを吐き出せるわけもなく、喉口まで沸き上がっていた言葉は腹の中へと戻る。雪だるまはまた大きくなる。
いつもはとてもいい人たちだ。
理不尽なことで怒ることとかもない(むしろ怒られないことが怖かった)。
その善意が今は痛い。善意を悪意のように変換してしまう自分の心が一番痛々しいのだろうと思う。
だけど、連休取って家族でハワイに行ってきた、とか、今日は調子が悪いからちょっと早めに上がるわー、とか。
大小の別はあるが、毎日のように飲み会を敢行。各人により1時間程度の誤差はあるが、ほぼ定時上がり(さすがに管理職級は除く)。
まさにぬるま湯の中にいながら、ハローワークのサイトで求人を検索する自分。
世間一般的に最強と言われる新卒カードが失効して、もうすぐ1年。
もうこんなところには二度と巡り会えないのだろう。
ここにいる人たちとも二度と会わないだろう。
逆に会いたくない。嫉妬と自己嫌悪で狂いそうになる。
就職出来ず、中途半端に働く道を選んだ自分が結局悪いのだけど。
色々と思うことはあるが、何を思っても思うだけでは何も変わらない。
だから前を向いて、せめて表だけでも明るく振る舞いたい。
だけど目の前では不況の嵐が吹き荒れる。
決意をしなければ歩けない。気を抜いたら吹き飛ばされる。何もしなけりゃあっと言う間の崖の下。そうしたらきっともう戻れない。
だから、安全な場所から私の背中を平手で叩いて押し出すような真似は止めてください、善意だとしても止めてください。
もう崖の途中の岩を片手で掴んで宙ぶらりんな状態なんだから。
ここから崖下に落ちようが別の岩を掴もうが、関係ないから、放っといてください。
うるさい、だまれ、しねばいいのに。
今に始まったことじゃないけど。
ひとつだけ言えるのは積極的に情報や物を発信する層から消極的な層に広がったんじゃないかと。それと禄に物事を検証しない。適当な嘘を間に受けすぎる。ソース調べろっつーの。
でも問題があってもtwitterの場合unfollowすることで反論をなかったことにできる。2chや増田ならレスを返すことで反論自体は消せないんだけど(スルーはできるが他者にとってそれはオカシイという意見は残る)
それと困ったことに「自分たちはマスゴミ、2ch、mixiを見てる人に比べて優秀だ」と決め付け、都合の悪い/自分の考えとは違う情報を跳ね除けている。例えば極度な円高になってきたとき「国が悪化する。鳩山民主は売国奴」という意見をどれだけ見かけたことか。円が少し安くなってきたけど、そんな情報は入っていないのか。民主が行ってる政策すべてがいいわけではないけど、悪い点だけを晒して擦り付けているだけじゃないのか。(ちなみに私から見れば情報が足りなくて何が良くて何が悪いか判断できていない)
こう書くと「お前もtwitterにいる連中をゴミと決め付けて客観視してるだけで大差ないじゃん」といわれるかもしれない。でも私が言いたいのはそうじゃなくて、新聞/メディア/2ch/twitterどこにいる人も物事をちゃんと調べて、何が良くて何が悪いかを考えるべきなんじゃないかと思う。
というわけで私は新聞・テレビのニュースも見るしtwitterもする。twitterのfollow範囲も似た意見しか見えないのでできれば違う視点をもってる人を探したいけどなかなか見つからない。ただし先ほど上げたゴミみたいと感じる連中を外すのも、それはそれで都合の悪い情報を跳ね除けてるだけな気がしてならない。まあ全部の情報の真偽を追うのも大変だから、せめて疑いを持つかぬるま湯につかってるか位は考えてみたほうがいいと思う。
でも全部の情報の真偽を追えるような人はそろそろtwitter去ってるんじゃないかなぁ。次の行き先がどこだかわからないけど。
最近のドッキリってまったくもってガチじゃなくて、仕掛けにどっきりですよ、という空気を出しすぎじゃない?本題のドッキリに入る前に小さい雑なドッキリを重ねて明らかに気づかせようとしてるとしか思えん。
それって結局下手なことして高感度下げたくない事務所からのNGでそんな感じにしていると思うんだけど、ここ最近、事務所>テレビ局の構図が露骨すぎない?
原住民に襲われたりとか
本題すら雑になりつつあるし。
増田岡田の岡田が今までやられたドッキリは全部途中で気が付いていたけど、みたいな話もしてたし、一周回ってめちゃイケで雑なドッキリをドッキリでやるみたいなのも出てきたしもうこんな状況でも求めている人いんの?
※この記事は増田の家庭に関する重大なネタばれが含まれる恐れがあります
ラブプラスを購入した。
ものすごい種類の名前が収録されているので、絶対見つかりますとのことだから、期待ができる。
しかし、「マスエ」と正しく呼んでくれる選択肢は、見当たらなかった。
涙をのんで「マス」で入力するも、「マス」と呼んでくれる選択肢も見当たらなかった。
私は涙を二度のんだ。
私は泣く泣く、男性名を入れることを決意した。
しかし、見ず知らずの男性名を入れるのも癪だった。ピンと来ない名前で呼ばれたら、恋愛をしている気分が薄れてしまう。
だからと言って知り合いの男の名前を入れてしまったりするなら、彼女たちが恋愛する相手は、私ではなくその男になってしまう。
ああ、私はどうすればいいのか。
そこで私は、肉親である父の名前を入れることにした。
なぁに、いざとなったら、名前で呼ばれる事を拒否すればいいのだ。
最初の友達モードのころ。
もちろんみんな私のことを名字で「増田君」と呼んでくれるので、問題はなかった。
最初は私は、バリバリの凛子狙いだった。
しかし、プレイしているうちに、気づいてしまった。
寧々さんは優しいのだ。
寧々さんは甘やかしてくるのだ。
私はそういえば、今まで散々甘やかされて、ぬるま湯の中で育った、いわゆるゆとりだった。
こちらが甘えられてしまうような人材より、甘えさせてくれる人間のほうが、幾分か楽だ。
私は迷った。
しかし、楽だからという理由で寧々と付き合うなんて、そんな事があっていいのだろうか。
寧々はすっかり諦めて、ちゃんと凛子と付き合おう。
そう決意した矢先のことだった。
…この女、私に気があるなッッ!!
そこからの私はだらしなかった。
もう不誠実とか誠実とかどうでもいいと思った、だって好きなんだもん!
しばらく私は、凛子と寧々の狭間をうろうろした。
なぜなら、寧々に優しくされたら、それを拒否するなんて、そんなかわいそうなことできなかったからだ。
このままでは、どっちつかずだ。まずい。
私は魂の選択をした。
…私は、当初の予定とは違い、寧々に甘やかされる日々を選択してしまった。
そうして、私は寧々に告白された。
しかし、後悔はないのだ。私は寧々に心を決めたのだから。
寧々は告白の後、こう言った。
「これからは、下の名前で呼んでいいかな?」
寧々さんの頼みだ、断れるわけはない!
私はもう、ものすごい勢いで、タッチペンで「いいよ」を連打する。
液晶がカツカツと音をたてた。
「良かった、マスノスケくん」
…!!!
そうだった、寧々が見ていたのは、私ではなかった。
寧々が好きだったのは、私ではなく、私の父親だった。
これは、私が彼女を攻略するゲームではない、彼女が私を攻略するゲームでもない、私の父親が、寧々に攻略するゲームだったのだ!
私は天を仰いだ。
そして同時に、重大な事実に気づく。
寧々と父は付き合っている。
つまり、私の父親は、寧々と付き合ったにも関わらず、いずれわかれたということだ。
若い青春の日々、確かにいろいろなこともあるだろう、まどうこともあるだろう。
私は、二人には、いろんな苦難を乗り越えて、でも幸せになってほしかった。
今こんなに幸せな二人だから。不幸せな二人が想像できなかった。
けれども、私の父親は、そのうち寧々を捨ててしまうのだ。
私は、寧々の幸せそうな笑顔を、これ以上直視することができず、そのままDSを閉じた。
人生につづく
あまり自分自身のことを振り返らないので、たまには振り返ってみようと増田になりすまします。
では簡単に、現在の私のことを書いておきます。
とにかく勉強というのが嫌いで、中でも宿題などの復習は、苦痛でした。
少し自慢のようになるのかも知れないですが、頭の出来じたいはそれほど悪いわけでもなかったらしく、
まあ、中学程度なのでそのような方はたくさんおられたと思います。
頭は悪すぎることはない、実際のレベルよりも少し下の偏差値の学校に入ると
更にあまり勉強せずとも留年はしないのではないか、といった考えのもと高校を探しました。
探しているうちに、商業科、工業科などの専門学科があることを知り、
それらは普通科の授業が、普通科よりも大幅に少ないという情報に辿りつきました。
商業科が少なく、頭が足りないか、余裕でいけるところの2択ぐらいしかありませんでした。
かっこいいから、という理由で、数少ない友人と一緒に工業科のデザイン系の学科の受験を受けました。
当時は、第一次と第二次とわかれて受験がありました。倍率が4倍と2倍ぐらいだったと思います。
この学校に入ると勉強しなくていいと、何故か当時は本当に思っていて、人生で一番勉強しました。
第一次はあっけなく2人とも落ち、友人は別の進路を選びました。
受験前日に、地元で同人誌即売会のイベントがあり、残念ながら2人で参加してしまいましたが、
それは小学生からのオタク歴を考えると、仕方のないことに思えます。
結局、甘くはなくデザインにも色々と勉強しなくてはならないことが多かったです。
カメラやビデオなどの授業もあり、露出の計算や、言葉を覚えることの量、
行ったことがないのでわかりませんが、普通科の方が種類の多さが少ないため勉強しやすかったと思いました。
また、勉強で追いつかない技術の面でのテストなど、留年の危機を3度ほど乗り越えての、ぎりぎりの卒業でした。
(デザイン系だったこともあってか、オタクな友人も増えました。(今でも数名とはやりとりが続いてます))
その時点で卒業が危うかったのですが、私は専門学校に通うことにしました。
オタク全開で、あまり大きな声でまわりの友人に進路は言えませんでしたが、
先行入学の権利のある受験の方を受けてしまい、少し早く進路が決定しました。
高校で生き別れた友人とも、同じクラスになり、オタクという強い絆を感じました。
マンガという単語が履歴書に載ってしまうことを承諾したような、強いオタクなのだから
さぞかし同人活動で東京には年に4回行くような猛者が集まるのだと思ってましたが、
実際はそうではありませんでした。私の、オタクとしての視野の狭さを突きつけられました。
当たり前ですが、少女漫画家、少年漫画家を純粋に目指す、キラキラの瞳の方がたくさんです。
同人誌?日本の歴史にはあまり詳しくなくって、などと返されることもしばしば。
漫画家を目指す上で、今では知識として持っていないのは勉強不足にも感じましたが、
そこは勉強嫌いな私が突っ込めることでもないので、オタク知識を分け与えました。
当の私も、同人活動はしたことがなく、漫画も描いたことないので、全くのど素人でした。
それはまわりも余りかわらず、マンガという単語を履歴書に残すには、浅い覚悟の人が集まったと思いました。
歴史は繰り返されました。
マンガを描くにも沢山の知識、それを上回る技術が必要でした。早々に後悔だけがつもりました。
唯一できたのは、高校時代に触ったおかげのフォトショップやイラストレーターの授業でした。
二年にあがり、進路の話しにだけのために私は学校にいき、たまに絵を描いて帰り、バイトをしました。
クラスじたいはクラス変えもなく、二年目の怠惰な空気の中、オタクの話しをだらだらとする、
私の通う学校は学校法人ではなかったため、早々に進路が決まると、
学校ではなく就職先にバイトとして入るなどといったシステムがあることを知りました。
勉強から遠ざかりたい、そんな思いで、思いつきのままに選んだデザイン会社で10月からバイトしながら、
やはりマンガもろくに描くこともなく、国への借金だけをこさえて卒業しました。
今でも、専門学校で得たものは、数名の友人と、私の駄目さの理解であったと思っています。
匿名だから安心したのか、普段よりも長くなってしまいました。
次書くとしたら、法律の話しまでいきたいです。
だからさ、そういうキチガイで精神年齢中学生みたいな馬鹿(=私)が専業主婦なんだって。
専業主婦なんてそんなの多いよ。まともな人は働いてるのが普通だから。
仕事辞めて間もない新米専業主婦は分からないかも知れないけど、
自分の家族と親戚と近所の人とママ友とかが付き合いのメインっていう人(ほとんどの専業主婦はそう)なんて
大抵まともじゃないし、最初まともだった人もまともじゃなくなってくるんだって。だってぬるま湯だもん。
新米専業主婦はまだ仕事を辞めて少ししか経ってないから、仕事を続けてる人との差とかも分からないだろうけど、
これが5年も経つと全然違ってくるよ。
やっぱり仕事を続けてない人(私のような専業主婦)って微温湯に浸かってるからぬるーい感じなんだよね。
残念だけど、こんなアホ(私)でも専業主婦なんだよ。
なんていうか、誰でも子供を産めば親になれるし、仕事をしてなければ専業主婦。
専業主婦って誰でもできるんだよね。
「保育園に預けるなんてかわいそー」って言ってる増田は「まとも」なのかもしれないけど(私はそうは思わないけど、きっと本人はそう思ってるね)、
私のようにキチガイで中学生みたいなのも専業主婦にはいっぱいいるんだよね。
現に通っても蹴ってる人はいるみたいだし。
共同研究とかもあり。COE関係があればいいんだけどねぇ。あれは限られるからなぁ。
アカデミックな分野に進みたいなら高専とかの非常勤やる方が自分のためになるし。給料は安いけど。
もちろんこういうのって簡単に見つからないけど、
見つけるように行動して、コネを作れば意外と見つかるものだし。
何よりダメなのは3年とか2年とかぬるま湯に浸かってしまうこと。
論文を適度に読んで、適度に書いて、3年目に適当な博士論文ってのが一番ダメ。
頑張らないと給料貰えないし、給料貰ったからには頑張らないといけないという立場になっておかないと。
というか、そういう癖を付けておかないと。
まぁ、任期付きの助教とかにはなれるだろうけど社会に出れなくなる。
そして任期が切れて大変なことになる。
ちょっと眠れないので、ここに書かせてもらいます。
当方今年27になる男。曾祖母の代から続く店で服売ってます。ちまちまとデイトレしながら。もち自営。
今日話した、クビ同然で仕事やめたことの内容を相手は深くは追求してこなかったけど。
今はぬるま湯で生きているので、人からみたら、自分はかなりちゃらんぽらんに見られるだろう。
ヘルニアや、膝の痛みで、行事とか休んだりするので、かなり自分に甘いやつだと思われているだろうし。実際そうだし。
前職の経験から、ものすごく自分に自信がなくなっており、人とかかわることに恐怖感がある。
自分にかかわることで、相手に迷惑がかかるのではないか、相手が不幸になるのではないか、と思えて仕方がない。
他人から見たら、言い訳でしかなくただの甘えですよね。
親や祖父たちの望むように生きてあげられればよかったのだけどね。
嫁とか子供とかは他人巻き込んじゃうから無理だわ。ごめん。
こんな恥まみれの人間じゃ無理。
http://anond.hatelabo.jp/20090211111554
そこはちょっと違和感あるなー。
良い結果が出たとしても、それは手段の正当性を証明したことにはならんでしょう。手段が正当でなかったことを(多少なりとも)免罪はするかもしれないけどさあ。で、そうやって良い結果が出たことを理由にして「あの手段を評価する」ということはやっぱり「度し難い」と評されても仕方の無いところではないかしら・・・。超たとえ話地獄に陥る可能性を恐れずに言うならさあ、雨乞いして雨が降ったからって、雨乞いってスゲーな!まじ最高雨乞い!ってならんでしょ。(や、これも明らかに間違った言い方なんだけど。少なくとも予算削ったことと財政黒字だしたこととの間には因果関係があろうし。どっちかというと例えるなら家族の誰かを生贄、とかそういう方向で考えた方がいいかな)
そりゃまあ、結果よければ全てよしと思いたいとこではあるけど、飽くまで認められるのは「結果的にオッケーだった」ということであって、その「手段が正しいかどうか」ってこととは全然違うし、ごっちゃにしたらいかんポイントではないかなあ。良かったのは結果だけよ、という。(ありむー的には、その結果にしたって長期で見たら信用ならねえよ、という話を併せてしているけど)
もしそういう「手段」の正しさを認めちまうなら、橋下知事とは比較にもならんような悪党が、何かあったときにそういう「手段」を悪用してしまうことに繋がりかねない。だから、結果から手段を正当化しちゃいけねえよ、ってことを言ってるんじゃないかなあ。
ここ、結構大事なとこじゃないかしら。
http://anond.hatelabo.jp/20090211111014
うーん、教育・福祉予算を減らすことによって財政黒字が達成できたにしても、その「教育・福祉予算の縮減」は必ずしもああいうポピュリズムに則ったやり方、世間を煽るやり方でなければ実現が不可能だったものかね。(や、まあ俺は大阪府民じゃないから、現場の人から、長年そういうぬるま湯に浸かりきった体質を甘っちょろいやり方でどうにかするなんて不可能ですからボケ!ガタガタ言ってるけど橋下のがよほどエライわアホ!と言われたりすると反論不能ではあるんだけど)また、「縮減するための予算」は本当に教育・福祉予算からでなければならなかったのか、ということも大事じゃないかなあ。どうも見てるとその辺おざなりになってそうだから・・・。
あと、破綻したら全てを失うのだから、手段を問わずに受け入れろ、つー手法は、いくらでも悪用が利くから安易に認めちゃまずいって。こーゆー言葉はあんま適当じゃない気がするし、またぞろ論争を巻き起こしそうだけど、トリアージを実施するときだって、黒タグ付く人に「全員診てたら全員助かんないから君諦めて」って面と向かって言い放ったりはしないでしょ。削られざるを得ない立場の人に対する慙愧の念みたいなもんはあるわけで。
そこを正当化しちゃって、削らざるを得ない立場の相手を「お前が甘い」「おかしい」と説教するのは何か政治のお仕事ではないと思う。行政が道徳やったらいかんて。まして、福祉・教育の予算を受ける相手って基本的に強者じゃなくて弱者なわけでしょう。中学生泣かせちゃったのとか、ああいうのを通じて支持を集める政治手法って相当ヤバくみえるわけです。おれが過敏なのかな。
橋下知事が、こうした手法を駆使して予算を削ろうとしたのでなかったなら、同じように教育・福祉予算が削られたとしても、橋下知事批判は相当に穏当なものとなったのではないかしら・・・(無論、それでも左翼的な視点からは批判しうる余地は残るけどさ)。
罵倒と叩きは違うらしいよ。
以前、「なあに、その粗末なものは」みたいなファンタジー文言を持ち込む形で罵り方を指定して、罵ってもらって喜んでる人がいたけど、その人の文章センスの無さに対する指摘とか「あのしつこい人がいるからスレに行きたくない」みたいな感想とかが陰口として出されたら、その人いなくなった。
罵倒されるのが好きというより、そういう軽くてぬるいところで「こんなことしてる俺終わってるなーナハハハ」って即席かつナルシスティックな絶望して、悦に浸るのが好きだったんだと思う。実際に叩かれる事の無い立場でフィクションのハラハラドキドキを楽しむ、昼メロ好きな専業主婦と同じような娯楽摂取スタイル。
そういうタイプの人に、実際の生々しい憎悪の存在をつきつけるのは酷だと思うんだ。罵倒に飢えるほどお気楽な生活してる人なんだから、耐性少ないと思う。別に酷だからやめときなさいとは言う気も無いし、弱点を突いて人を狼狽させるのが好きなタイプもいるだろうから、そこは各人の好き好きでやっていけばいいと思うけど、とりあえず自分が大元増田みたいなぬるま湯好きの人を見た時は、そうか気持ち良いんだね良かったねって、それこそぬるーく見守る事にしてる。最大多数の最大幸福。
まぁ、当たり前っちゃあたりまえなんだけども。
スクリプトがうんたらかんたらとか、EAに対抗するにはでかくならいといけないだとか、いろんなところがいろんなカタチで
迷走している日本のゲーム業界ですが、言葉も文化も違うんだから海外と同じ事やっても勝てねぇって。
金策と人海戦術が得意な海外で組み立てられた理論を日本に輸入したってうまくいかねぇよ。
ただ、HD機市場は国内だけじゃとても商売が成り立たないんで必然的に海外目指さないとダメっていう人もいるね。
でもさ、それはやっぱり外国の猿真似したところで売れるはずないんだよ。
日本発で世界に受け入れられたものって、海外の人間の嗜好にあわせたものよりも
日本にしかなくて海外の人間がうらやむモノが受け入れられたんじゃない?
PS2時代のぬるま湯でそういうのを探すことをせずに目先の金稼ぎに奔走してたんだから
今そのツケが回ってきてるのは当然っちゃ当然だよね。
まぁ、苦しむしかないんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20090203224844
元増田です。
よもやこんなに反応が返ってくるとは思いませんでしたよ。そして、その大半が馬鹿馬鹿しくて取るに足らない発言なので頭が痛くなってしまいました。いちいち反応していても時間の無駄なのでちょっと分類化して遊んでみました。
もちろんこれに当てはまらない真っ当な反応をしている人もたくさんいます。その人の言葉はきちんと噛み締めて、今後の糧にするのでご安心ください。
例えば「そんなところからは抜け出せばいい」と言ってくれた人。大丈夫です。今は大学を越えた優れた人間のサークルを作ろうとしていて、その人たちとGEISAIに乗り込みます。各大学の文化祭を見て回って、探し歩きました。いずれ大学だけでなく学歴や年代を越えたすごいサークルになるでしょう。
それでは私が分類した「オタクが攻撃されたときのパターン」です。
(1)定義避け
これは「××はこうだ」と攻撃された時に「本当の××はそうじゃない」と言って逃げる方法。相手の前提を無視して勝手に再定義を行い、恣意的に相手の前提を外して「本当の××」を打ち出して逃走する。さらには「お前は本質を見極められないタワケだ」と見下せるオマケ付き(このオマケが大好きでこの方法を繰り返している人は多そう)。
これは何にだって使えるが、しかし、いったい何が「本当の××」を保障してくれるのだろうか? 相手の言った「××」が「本当の××」でない可能性があるのなら、定義避けの連中が打ち出した「本当の××」だって「本当の本当の××」でない可能性が出てくる。そんなんじゃ袋小路だ。
相手に何かモノを言うのなら、まずは相手の前提を受け入れて共有しなきゃ発展性は生まれない。そうじゃなきゃいつまでも不毛な定義付け争いに終始してしまう。
(2)冷笑
相手の言っていることを全く無視して、主に相手の人格や行動を冷笑することによって優位を保とうとする。攻撃されてダメージを受けていることを必死に覆い隠そうとして出る態度。
例えば今回なら「元増田もそういうのと程度が同じだってわかってるのかねえ」「『詰まんない詰まんない』言ってる人間が楽しい人間であった試しがない。」「いまさらダイエット成功おやじの引用か」などが当てはまる。
相手の粗を探してディティールまで読み込み、冷笑できる部分はないかと必死に探す。そこまで読み込むのなら普通に自分の意見を構築して発言すればいいのにそれはしない。いや、できないのかもしれない。
言うまでもなくこんなのは意見になっていないし、一連の行動は「相手を言い負かしてやったぞ、俺ってクール。クールな俺はこいつの言っているダメな××には当てはまらない」と自分のプライドを取り戻すための行動にすぎない。傷ついた心を自分で必死にベロベロ舐めているのだ。
そもそもこの人は戦場に出た途端に速攻で撃たれて病院送りになってしまったようなもので、戦争に参加していないので無視すればいい。もしくは「ああ、この人は負傷してしまったんだ」と慈悲の目で見守るのがベターだろう。
(3)自己責任
相手の訴えている不満や現状を全て「自己責任」に帰すことで意見をねじ伏せる非常に乱暴な振る舞いだ。
例えば「君が入れる程度のガッコには相応の人材しかいないんだよ」「普遍的な進路を選んだ時点でオタクを逃げ場にしてるのはお前も同じだ」「話は聞かせて貰いました!増田が全面的に悪い」などだ。
相手の言っていることや取り巻く状況を一切無視して、相手の立ち位置を批判して黙らそうとする。これも何にだって使える万能ツールだ。
「映画がつまらないのは面白く見ようとしないお前が悪い」
「親が死んで辛いのは今まで精神の研磨をしてこなかったお前が悪い」
しかし、我々の口は何のために存在し、思考とは何のための時間で、対話とはいったい何のためにするのだろうか。少なくとも、相手を見下して気持ちよくなるためにするものではない。このような態度を取ってしまう人が21世紀になるまでの人類の歴史が、いったい何を発展させてきたかを考えてみてほしい。
(4)決め付け
相手の書いていない部分は全て自分よりもレベルが低いと決め付けて安心しようという態度。
「自分の行動について書いていないから何もしていない口だけに決まっている」
「ブログについて何も書いていないからアクセス一日数ヒットの弱小ブログに違いない」
「どこの大学か書いていないから偏差値の低いバカ大学のはずだ」
ともすれば、「そうなんだろ。言ってみろ!」と尋問を始めてしまう人もいる。相手の言っていることを全く見ないその行為は、相手が自分よりも低い存在だと確認して安心したいだけである。
相手のパーソナルな部分を探ろうとしてどうなるというのだろうか? 唸るような実績を相手が出していたら意見を受け入れるのだろうか。なんという権威主義だろう。
しかし、何で自分の自尊心を守るためだけの発言なのに「言い負かした」気になってしまう人がネットには多いんだろう? 例えばkanoseさんの発言はすべてこれらを駆使しているだけです。
急いでぬるま湯に飛び込んで傷を癒しているだけなのに、まるでそれがクールかのように必死に装っている。傷ついたときが思考のアップデートの絶好のチャンスなのに。
よな。
この時期になると、いわゆる2軍連中はバレンタイン禁止だの、チョコなんていらねーだので団結する。
インターネッツが無い頃には、そういう2軍の連中も、相対的に数が少なかったり、1軍に昇格したりしてたんだけど、インターネッツがあるとそこはもう無限に広がる驚愕の2軍の荒野。
いかに自分が2軍メイツかをアピールし合う妙な場所になっている節がある。負ければオイシイみたいな。
結局共感してくれる2軍メイツがいるという「場」が気持ちいい物だから、いつまでたっても2軍のぬるま湯から上がろうとしない。
それでもちゃんと前見てる奴なら、そんなのはアホくさいチキンレースだという事を自覚して動くもの。
インターネッツが無ければ、2軍連中はまわりに2軍メンバーがいなくなり、共感してくれる場を失うという焦りから、人並に行動を起こし始める所なんだけど、インターネッツは尽きる事のないぬるま湯。これ。
そして2軍メイツが結局たどり着く所と言えば、なにもできないで歳をとった、気持ちの悪い何か。
なんか最近そんな奴が増えている気がする。
昔のオッサンオバハンもこんな気持ち悪い感じだったんだろうか?