2011-02-14

「何もできない」くせになぜ仕事を欲しがるのか

というか、大学生にもなって「なにもできない」なんてことはないはずなんだが、俺のかつての友人二名は何もできないのだ。

やりたい事もなく、やるべき事もなく、できる事もない(なら、やるべき事があるだろというツッコミは無用)

彼らは何もしないのだ。

はっきり言ってクズなのだ。

できる事が22にもなってひとつもないという時点社会的需要ゼロに等しく、そういう高等技術を持ち合わせないような人は性風俗なり土方なりいずれ高等技術を持つものがロボットに置き換えるであろう単純作業のつなぎなりをするしかないのだ。

彼らは22にもなってその意味を知らない。

持たぬものは、死ぬまで奪われるという意味を。

究極には奪われる側から奪う側に回るしかないという現実を。

それを知らないか当事者意識もなく、内定もないし起業するアタマもない。

刹那的な消費しかタマにないし、将来を見越した貯蓄もしてない。

この両者に共通するのはどちらも親が高給取りであるということだ。

片方に至っては、親からむしりとるまでむしりとるかのように大学に居座ると公言している。

こんな奴が同じ大学生だというだけでも腹が立つが、こいつらは社会人をバカにしている。

お前のために働いてる親も、お前の周りを間接的になり整えてやってる社会人を、みなバカにする。自分には関係ないと。

こんな舐め腐った奴が同じ空間にいるというのだ。僕は殺意を覚えた。それが三年前だ。



僕は社会人として、責任と使命感を覚え、日々の職務に邁進している。まだ若造だ。ぶら下がり社員だ。しかし、いずれ社会を牽引しなくてはいけない。

それが現役世代として、社会人として、次を担う子供らのためにしなければならない義務だ。

彼らが今どうなっているかは知らない。もう付き合いはない。良かったと思う。社会人になれば友人は選ばねばならない。だからこそ、自分も選ばれるように日々精進しなければならない。ゆるいつながりはぬるま湯だ。身を滅ぼす。

今日も業務を終え、自宅でこの文を書いている。

なぜこんなことを書いているかといえば、僕から見ても「若者は覇気がない」し「行動もしない」し「甘えている」からだ。

それが世代論ではな人間本質だという主張もあろう。

しかしそれは反論にはならない。

なぜならどの世代にもいたという彼らは、今もういない、社会の主流からは外れて、「いない」からだ。

窓際族家族を支える苦労があるのは察するが、後の価値ある世代のために引退いただきたいものだ。

今の覇気がない若者はこの窓際族と同じだ。不良資産と言ってもいい。

私が言いたいのは「ろくに行動しないくせに私たちと同じ待遇を所望するな」ということだ。

分相応の生活をするなら、何も文句はない。

そしてそいつらの最終的な拠り所が、生活保護であり、その金額が一部の働き手より高額だということが不快なのだ。

そういうとき、心ある(つもり)の人は「あなたがたの給与を挙げるよう行動するべきだ」と言いたいだろう。

しかし、それは叶わない相談だ。

なぜなら、彼らの生活金額は言ってしまえば前時代的、バブルなものであり、現代の水準に見直すことは必須だからだ。

そして、隣国とのバランスが変わりつつある今、我らの給与を上げろというのは時代に逆行するのと同じだからだ。

人権平等はない。平等であるよう努める必要もない。格差はなくならないのだ。

からこそ非正規社員正社員より切られやすいのであり、生活保護は彼らより不遇な扱いを受けるのが道理なのだ。

「働いたら負け」というのは一部企業ではもはや現実だ。しかしそれは打破されねばならない。「働くものこそが勝ち」なのだ。

そして上に合わせるのが国際的に無理な状況、下をより低きものとするのは絶対命題なのだ。



働け、されば与えられん。

働かぬものは、奪われて死んでしまえ。

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