はてなキーワード: 強者とは
一方的に被害者面して強者に対し、「だらしない俺たちの面倒をしっかり見ろ」とか「富を再分配して平等を実現しろ」的なニュアンスの政治批判やリーダー、富裕層、インフルエンサー批判がネットに多いが。でも俺ら、自分たちがその強者の立場だったら絶対にその良い思い出来る立場を分けたいなんて思ってないだろうし、結局弱者である以上強者のお情けに縋って生きていくしかないのになぜか偉そうに強者批判を繰り返す。世界に自分が働きかけられるような勇気も気概もおつむもないくせに、ただ強者には心情を理解できるはずもない自分の凄惨な生い立ちを語って、自己満足に浸ってる。
ちゃんと生きる気も死ぬ気もない、消化試合の人生の憂さ晴らしのくせに、いやに理詰めで恵まれた人間を罵倒し貶めようとする。
主役になれない悔しさはわかる。でも主役になれなくたって人にはいろんな役割があるじゃないか。一生引き立て役だって素晴らしいんじゃないか
俺らはやっぱりメインキャラクターにはなれない。これはたぶん確定事項だ。でも誰かの人生が一瞬でも輝くのを手伝う一ピースになれたり、そういうことに幸せを感じることができたなら、ちょっとはましな人生になると思った。
ロシアの侵攻後、近代史においてはアメリカのほうが圧倒的に侵略戦争をしているという議論がある。
アメリカが武力介入をする際、それは侵略戦争ではなく、国際法に則った正義という裏付けがあるため、日本国内においてはアメリカがロシアのような扱いを受けることはない。
ただ、この国際法を作ったのは誰なのか?というのが凄く難しくて、法律が強者の理論になっているのではないか?と思うことがある。
もしも世界大戦の戦勝国と経済的に強い国がキリスト教ではなくてイスラム教の過激派だった場合、国際法に「女は勉強するな」っていうのが定義されていて、それが全世界共通の正義になる可能性がありえるのではないか?
強者男性によるナンパはそうでもないけど、弱者男性がポルノ見てるのはクソキモいからな。
真の命題ですな
Permalink | 記事への反応(0) | 言及する 20:49
■AIに成功者を分析させたらいじめっ子成分がいじめられっ子成分の5倍くらいはあるだろうよ
でないとあんなにイキイキできないよ
Permalink | 記事への反応(0) | 言及する 20:28
■敗者復活には仲間が必要
人付き合いにトラウマを与えられたら仲間を作るという発想は出ない
いじめっ子ならオーラの力でこいつを敵に回したくないという目線で見られその流れで簡単に復活だ
Permalink | 記事への反応(0) | 言及する 20:21
何かめっちゃかっこ良さそうじゃん
Permalink | 記事への反応(0) | 言及する 17:22
真似は出来ないよ
その適度なプッシュ力
Permalink | 記事への反応(0) | 言及する 16:12
人の役に立つ、それはいじめ側が人の大半であることを意味している
たとえばいじめっ子ファーストで新製品を紹介するだとかいじめっ子に響く詩を書くだとかはありふれた営みである
そして残念なことにいじめられっ子はいじめっ子の役に立ちたくないのでお金をもっていない
Permalink | 記事への反応(0) | 言及する 15:50
一番下っ端になるのだ
いじめっ子たちは大卒でもそれ以外でも最短ルートで社会に出ているのだ
Permalink | 記事への反応(0) | 言及する 01:05
かっこいいいじめっ子君の下で働いたら?
学校いけないのは自己責任で安い仕事があるだけすごく恵まれているんだよ?
だってさ
老熟してきたね
職場のヤンキーおばさんとオタクおばさんの特徴について気づいたこと
弱者男性と見做した相手には例え上司でもわがまま放題で話を割り込ませるが、
オタクおばさんは社交性が低いが意外と反抗的でコミュニティ内での序列に服従しない
暴行罪の意義ってある心理的距離では許されないような行為を処罰することがなのか?
じゃあ俺みたいな人間は困るわ。
距離感を測るのが苦手な自覚あるから、どのぐらい仲良くなったらセックスシンボル以外の部位に触れたり顔をもちもちと触ったりすることが許されるのかもわからないから、スキンシップを介した人間関係及び恋愛関係の進展ができない。
「家事能力」というと一時代前の良妻賢母を崇拝するみたいで気持ち悪いけど、一人でも居心地良い住まいでおいしいもの食べて清潔で着心地のいい好きな服を着る、風呂にゆっくり入る、
そういう基礎を自力で整えられて、それなりに日々満足して暮らしていける、そういうタイプはメンタルも安定しているし倫理観もおかしいことにならない。
(女のほうが寿命が長いのは結局それができるひとが多いからだと思う。)
漬物が好き、食べ物を残すのに罪悪感がある、というのはたぶんその手の生活強者だと思う。
彼氏いなかったのは、そういう女は彼氏ができたらあんまり別れないし、自分も浮気なんてしないからだよね。
見極め方って難しいけど、生活に関する雑談すると見えてくるとこあるよ。
たとえば「正月のお雑煮ってどんなだった?」って聞くと、生活強者は「うちはこういう出汁で、こういう具で何味噌だったよ」って解像度高く返ってくるし、「え、普通のお雑煮だよ」とかだったらちょっとよくないかもしれない。
恋愛の出会いの現場って、そういう所帯臭さとか地味な生活とはある意味対極だし、恋愛遊びだけしてたら変な女としか出会えないのかも。
怠惰であれば自ずと弱者になっていく。一見強者男性に見える男も、一歩間違えば弱者扱いされることがある。
例えば、こうやって増田にこんなことを書くのは俺が弱いことのあらわれである。何らかの不満を持っているし、承認されたいという弱々しい感情がある。
しかし弱者男性はこう書かれているのを見ると、凛々とした顔で仲間を見つけたと引きずり込もうとする。
男性は、男らしさから逃れることができない。逃げようとしても、生物学的に男であるからだ。
また、人間は生きている以上、誰かを蔑視及び誰かに敵対せざるを得ない。すべての人間に対して無関心・フラットな感情ではいられないからだ。
俺は弱者男性を意識して選択し、弱者男性のみを徹底的に嫌うようにしている。もっとも都合がいいからだ。弱者男性差別は世界的に許容されており、覆る気配は無い。
俺は、弱者男性とラベル付けされる人間たちそのものよりも、その弱者が持つミジンコさ・雑魚さを嫌悪している。
意識的に嫌う以上、無意識的に嫌っているオスたちよりも幾らか誠実で理性的だろう。
俺はその「弱者男性でいさえすれば全てが許される」とかいう安住の地と訣別して、強者として自分の人生を歩みたい。
弱さは罪である。この世は弱肉強食と言うとこの世は適者生存だという反論がされるが、どの時代でも自由に適合できる人間が強者で、不適格なのが弱者ということだ。
弱者男性を明確に憎悪することで俺はポジティブフィードバックと合わせてより一層激しく強者男性になれる。恐怖と脅威と地獄が俺を強くする。
ある精神的な面から見れば俺もまた弱者男性かもしれない。しかしそれがどうした。一般的に見れば俺は強者である。
俺は、すべての弱者男性を勝手に俺の踏み台にする。こうはなるまいという反面教師として捉える。
いずれ俺は弱者男性に対しては建前のみ並び立てるだけで何一つとして感情を向けず、何も言わなくなり、人生のどの段階においても遭遇することはなくなるだろう。
弱者男性たちはこの文章など読まない方が良い。どうせ言ってもわからない。弱いから受容できない。その通りだと膝を打てない。
この文章を見ただけで「敗北」の二文字が頭に浮かんだにも関わらず、自分の弱者としての格を維持したいがために俺と敵対しようとする。