はてなキーワード: 嘱託殺人とは
「セックスワーカーの地位向上のためには、自由市場に任せるのではなく、国が積極的に保護・介入すべき」という意味では性風俗”規制”には賛成だな。
セックスワーカーはむしろ「才能のある一部の選ばれた人間だけが従事できる、ハイレベルな専門職」となるべきであって、「誰でも無免許で」許されるべきだとは思わない。
安楽死・尊厳死が合法化した後でも「嘱託殺人」という罪状が残るように、セックスワークが合法化した後でも「売買春」は違法であるべきだと思う。
例えば、「セックス本番は数日前から予約が必要で、数回の打ち合わせが必須」とする。無免許のアルバイトを雇うとして、「免許持ちのプロが打ち合わせに立ち会うことを義務付ける」とか。その程度が落とし所かなぁ。
大学教員は1回の授業90分のために給料を貰ってる訳じゃなくて、その日までの準備時間に賃金が発生してると考えられている。それと同じで、セックスワーカーも「一回の本番」にお金を払うのではなく、「それまでの準備」にお金を払うという意識が一般的になって欲しい。
卒後数年経った。ようやく仕事に慣れて外来もこなしている。最初の数年に比べて最近2年ほど、患者への姿勢が変化してきたと自覚している。
ここ2年程での変化は、親身さ・親切さがすり減ってきたといえる。
正直言って、患者さんたちとの接し方を変えないと自分がもたないなと思う気持ちがあり、結果親身さが減ったのだと思う。
親身になって接しても、心ない言葉をかけられることも少なくない。それは必ずしも患者さんが悪いわけではなく、「親身」の表現が結果的に患者さんの満足度を下げる方に働いてしまったりするなど、まぁ技術的な未熟さによるものもそれなりにあると思う。それも勉強である。
でもやっぱり、客観的にみてひどいことを言われたりすることはあるし、砂に水をやるようなコミュニケーションに疲れた、すり減ったところもある。医師は患者を選べないとはそういうことだ。
ある部分では医師-患者の適切な距離を学んでいるともいえる。医師と患者は他人なのである。どんなに親身になっても同一人物になることはできない。それを弁えることはプロフェッショナルとして必要なことだと思う。
だからといってニヒリズムに陥るところまでいくのは行き過ぎだと思う。そういった方向性がもしかしたら、嘱託殺人みたいなことに遠くつながるのかもしれない。
外科でできる手術は終え、転移があるので抗がん剤治療を長く続けたが、結果進行を止める術はすでになくなり、抗がん剤を入れたところで副作用がつらいだけ、という状況に至った場合、抗がん剤をやめ痛みの緩和を主眼に置き、残された人生の質を向上させ静かに死んでいく選択肢を、現在すでに選ぶことが可能になっている。
そういった経緯で基本的にはできることがなくなり、自宅で介護の後に親を看取った。がんになったことがないので全身を襲う痛みの辛さは分からないが、痛みを緩和する医療麻薬入りの貼薬では効かなくなり、その場合座薬を使うが、これを入れるのも相当に痛がる。意識も(麻薬いれてるんだから当然だが)あやふやな感じになり、これでQOLマジで上がってんのかよとも思うが、家にいること、家族が側にいることはやはり大きく違うようだ。最終的には大きく喀血し、多臓器不全で亡くなった。
はたしてこれは安楽死とは違うのだろうか? 抗がん剤を入れ続ければ、おそらくあと数カ月の延命は可能だったろう。その分の命を奪う行為であることは違いないはずだ。その選択をした本人や家族や医師は、医療の不作為による殺人、あるいは嘱託殺人には当たらないのだろうか?
外科でできる手術は終え、転移があるので抗がん剤治療を長く続けたが、結果進行を止める術はすでになくなり、抗がん剤を入れたところで副作用がつらいだけ、という状況に至った場合、抗がん剤をやめ痛みの緩和を主眼に置き、残された人生の質を向上させ静かに死んでいく選択肢を、現在すでに選ぶことが可能になっている。
そういった経緯で基本的にはできることがなくなり、自宅で介護の後に親を看取った。がんになったことがないので全身を襲う痛みの辛さは分からないが、痛みを緩和する医療麻薬入りの貼薬では効かなくなり、その場合座薬を使うが、これを入れるのも相当に痛がる。意識も(麻薬いれてるんだから当然だが)あやふやな感じになり、これでQOLマジで上がってんのかよとも思うが、家にいること、家族が側にいることはやはり大きく違うようだ。最終的には大きく喀血し、多臓器不全で亡くなった。
はたしてこれは安楽死とは違うのだろうか? 抗がん剤を入れ続ければ、おそらくあと数カ月の延命は可能だったろう。その分の命を奪う行為であることは違いないはずだ。その選択をした本人や家族や医師は、医療の不作為による殺人、あるいは嘱託殺人には当たらないのだろうか?