はてなキーワード: 優生学とは
うん。そうした方がいいと思う。産み分けというスタートの地点を変えるのではなくて、生まれてきた男の子に、真っ当な教育をしてあげるというのがいいと思う。人の脳は柔らかいから、もしその内に凶悪性を秘めていたとしても(秘めてないと思うけど)それを道徳心や克己心で抑えることができる。人間にはそれだけの力があると思う。
歴史的にも産み分けというか、優秀な人の子供だけを残そうという優生学的な動きがあった。だけど結果として、統計的に(うろ覚えだけど)、その子供たちのIQは平均すると高くなったけどバラツキも大きくなったと聞く。つまり、IQが高い子と小さい子の差が大きくなった。それは望んでいた結果ではないだろう。なので、人為的な操作というのは、思いもよらない副作用を起こす危険性があると言える。そういう意味でも男女の産み分けというのはよくないことだと思う。
優生学が学問か?っていう点はよくわからんけども。社会的な実践、社会運動的な位置づけで非難されることがあるんじゃね。
人間での遺伝子操作とかそういった点を指しているとすれば、学問としての実践を、倫理的な視点から歯止めがかかっていると言えるんかな。これが学問へのパッシングと言えるかについては別だと思うけれども。
ダーウィンの主張した「正しい」ダーウィニズムを捻じ曲げて作ったものが優生学だ、みたいな理解があって、俺もそうだと思ってたわけなんだけれど、よくよく考えると優生学の本質って「人類の品種改良」であって、品種改良というダーウィニズムよりもはるかに昔からある考え方なんだよな。
むしろダーウィニズムは、そう云う古式ゆかしいアイデアに振りかけられたスパイスなんだろうと。
どれほど否定されてもそれを信じ続ける冷酷な人達を大勢確保し続ける「優生学のしぶとさ」って、ダーウィニズムの強力さではなくて、それが古くから当然として信じられてきた「品種改良」のアイデアに基づいているからなんだろうな。
”ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ”斎藤貴男『機会不平等』
ノーベル物理学賞(生理学・医学賞ではない)を受賞した江崎玲於奈先生の遺伝と教育に関する見解がこれ。「間抜け」に聞こえない?
この見解がノーベル賞の権威で箔付けされて広がらないように、「いやいや江崎先生は半導体物理学の専門家で、遺伝の研究では業績の無い、素人ですよ」とツッコミを入れるべきじゃないかな?
漫画家が「ワクチンは政治家と製薬会社が癒着して金儲けのために売っている有害無益なシロモノ」と政治を語ったり、
歌手が「自分は母子家庭育ちの高校中退だが逆境をバネにして成功した。何でも国が援助するのは怠け者を作るだけだ」と政治を語ったりする、
結論ありきだが、これはどうしても一番にくる。
ナチスがユダヤ人を殺した根拠となったのが優生思想であって、まずそこの繋がりで良し悪しが決まっているところは絶対にある。現代の物理学がニュートンから始まっているように、現代の倫理・西欧人文思想はナチスの否定から始まっているところがある。学問と思想のフィールド事態がそれを肯定しにくいようになっている。
ナチス思想では、アーリア人がユダヤ人より優れているとされたが、実のところその根拠は極めて薄弱あるいは皆無だった。
では、現代で優生学をやるとして、根拠を持って何かしらの遺伝を優れていると判断できるのか? できない。
そもそも「遺伝的に優れている」という認識事態が、進化の考え方から逸脱している。環境適者が生存するのであって、他より優越したものが生存する訳ではない。従って生存しているものが優越しているわけではないし、今の環境で劣っているように見える遺伝が、将来圧倒的な強者になるかもしれない。
遺伝に優劣はないし判断できない。だから優生学は今でもなお疑似科学である。
優生学とまではいかなくとも、障害者の出生前遺伝治療、あるいは中絶という話をすると一つ問題点が生じる。治療あるいは中絶するということは、少なくとも障害者を「生まれるべきではない」と判断するということ。これは、これから生まれる子供やその親にとっては良いかもしれないが、既に生きている障害者をも「生まれるべきではなかった」と判断したことになってしまう。
現代の障害者たちは、倫理方面から、あなた方の障害は一つの個性ですよ、とか言われて生きている。しかしただ個性を持っているだけだったら、なぜその個性をもった赤ん坊が"治療"されるのか。
この欺瞞に、しばしば大きな抗議がぶつけられるのである。抗議にパワーを齎すために、こういう遺伝治療への判断を「優生学=悪」と呼ぶことがよくある(個人的にはこれは優生学とは違うと思うが、元増田が気にしているのはこっちでは?)。