わかる。子どもの頃から伝統文化とか言われるのをしていたんだが、中田氏、宮沢りえ、キムタクあたりが着物着たりし始めたときは、こっち来んな感ハンパなかった。
かばんが逃げなかった理由は簡単で腰に縄をつけていると思っていたから
向上した先で何を望むのか。
雨上がりの艶っぽい夜の中、成城学園前駅からグーグルマップを頼りに随分と歩いた。
静かな住宅街の中、突然漏れ出した煌々と眩しい光に夜空を見上げて思わず声が出た。満開のオオシマザクラが迫り出すように空を覆っていた。
世田谷区大蔵にある、ここ妙法寺は廻る大仏で有名だが、この時期は夜桜のライトアップをしている。
知人を誘ったけれども、明日告白するから早く寝たいんだと、ベッドイン前提の酷い理由で振られたのでおっさん一人境内を歩く。
ゆっくり歩きながらオオシマザクラ、枝垂れ桜と堪能した後、腰を落ち着けたくなって開放されていたお堂の中に入った。
寝椅子に近い座椅子に腰掛けると、硝子越に満開の桜達‼それから四十分、ほとんどの時間を独り占めして過ごした。
感動が過ぎると桜を見た感慨をあてつけのように、LINEに連投した。
お座敷を開放しとるのやけど、ちょっとした仏壇の香りが畳のい草に混じっていつまでも香っていたい。
素敵、ねぇ、ほんとに素敵‼‼
その後、お孫さんを連れてきた三世代のご家族がいらっしゃって、カメラのシャッター音とお孫さんの何かに駄々を捏ねる声を残して、去っていった。
じぃじ、お孫さんに全部敬語だ。自分の前を腰を折って通られたばぁばも品が良さそうだし、深窓の令嬢って親の親から違うのかな。
ばぁばどこ?という幼い声、とてとて襖の間を歩く拙い足音が耳を離れられない。可愛い。
照明は非常口を知らせる緑の看板以外付いてなくて、真っ暗。大きな窓から桜の照り返す明かりが、お庭のせせらぎともに静かに入ってきて、静けさの中によく響いた。
延々とお庭の池に流れおちる少滝のせせらぎが柔らかい春雨にも似て、優しい音だ。
RainyMoodみたい、眠い。
寝た。
羽織ったままだった外套が背中にもぞったので外して膝掛けにすると、妙にそこだけ生暖かい。
先日お世話になったお嬢さんの膝もも裏も同じような暖かさだったな。
見た。立った。帰る。
夜中に情緒不安に駆られて八千文字を分けて送っても読んでくれたので、
ほんとに見てないのだろう。
今を一緒にしたかったな、と残念は、またやってしまったと急速に後悔へ変わってゆく。
帰りは一段と寒さが増していた。
暖かくなると虫のように若者が夜の公園に集まって騒ぐ。飲食、タバコ、遊具破壊、ゴミ散らかしまでは目を瞑っていたけれど、今日は花火をしていて怖かった。まだ空気は乾いている。
大体は高校生くらいの男の子たちで、まだ肌寒いだろうに夜中に集う場所がないんだなと一瞬肩入れしてしまう。下手なハモりの「セロリ」が聞こえたときは、逆に切なくなってしまった。やっていいこと/いけないこと/やりたいこと/期待されていること、入り混じって焦燥感があった年頃を思い出してしまう。カッコつけたかった若さを思い出して恥ずかしくなってしまう。
しかし現実問題、彼らは迷惑だ。うまい棒、スーパーの照り焼き弁当、マルメンのクズが散らかり、すべり台はボコボコにされ、氷結ストロングの空き缶、スミノフの空き瓶が転がっている。砂場には意味不明な巨大な穴が空き、ダンボールがそこら中に散らばっている。
さて、大人としてあの子達に注意しないといけない。なんて言おうかな。どうやったらいいかな。速攻警察に連絡でいいのかな。そんなんじゃモテないよ超ダサいってフワフワしたガーリーな格好で言いに行ったら引っ込むかな…
40超えたジジババのツイートは本当に気持ち悪い(ここで言うのは公開ツイートに対して)
まず気持ち悪いのはbio(自己紹介文)に「生年月日生まれの~です」って定型文だ(例:1972年8月8日生まれのオヤヂです(*^_^*)・・・)
年を喰ってるのは圧倒的にディスアドバンテージなのにそれを堂々と書いてるのが生理的に無理。茶でも汲んでろ
もう未来も見え切ってる人間に無理な話だが猫と酒と政治といったクソマジメ&ユーモアの欠片もない話を連投してる割合が若い人に比べて圧倒的に高い。
twitterの機能をまるで理解していない。加齢臭が移るから若い人の見ていないところで発信してほしい。
最後に40にもなって若い人に対して意見しようとしてる姿勢がキショい。
10代20代の若い人達がちょっと世間知らずなこと言ってしまうのは当たり前なのに我が物顔で「俺も若い時は~」って感じの意見をするジジババが多すぎる。
次世代の生産者は若者なのにもう消費していくだけ(これは少し極論)のジジババが味わってきた加齢集たっぷりの人生観を押し付ける行為は害悪以外の何物でもない。
これだけ言っているが僕は年上の人が嫌いな訳ではない。現に僕は両親を尊敬しているしユーモラスな大人も数多く知ってる。
でも、twitterに常駐してるジジババに関しては7,80%は僕の嫌いなタイプの年上だろう。
今日は入社式で入社時を思い出したであろうジジババが大量にタイムラインに溢れ、目障りすぎたのでこんなに棘のあることを言ってしまった。稚拙な文章で申し訳ないです。
でも、僕は30切る前くらいにはtwitterはやめて結婚生活、仕事、趣味にその時間を割り当てるのが適切な人の在り方だと考えるしこれからも変わらない。
※追記
twitterは他人の為じゃなく自分の為にやるもんだ!という意見を頂きましたが全くその通りです。いわゆる「生理的に無理!」ってだけです。
あと、ガキのツイートも同じくらい面白くないという意見についてですが上にも書いていますが10代の学生は未成熟なのでつまらないのは許容されるべきだと思います(これも個人の意見ですけど)
G 氏が役職につくと独裁の正当性を説く。 G 氏が下野すると民主主義の必要性を叫んで自分の意志を通す。
ミーティングでは人に嫌な思いをさせて自分の意見を通すのが常態化している。ミーティングが終わったら自分とは違う意見の人の悪口を Twitter に書くのがルーチン。
ご近所さんから鹿肉をローストビーフ風に調理したものを頂いた。
おいしい。
と言うか、ローストビーフと味の違いがわかんない。
ピッグ→ポーク、シープ→マトンみたいな言い回しは無いのかなと調べたら
この増田を書くにあたってググって初めて知ったわ。
みんな出せるかな?
殺気とは困ったもの。
物心ついた時から無意識であったり、意識してであったり出してしまう。
殺気=怒り、恨み、憎しみではない。
たとえば誰かが殺意を向けて睨んできても、襲いかかってきても怯むことはない。ただの狂気。
圧倒的力の差に寄る根拠や自身ではなく、自分が殺される可能性も内包した結果生まれるもの。
だから、眉間にしわを寄せるわけでも、目つきを悪くするわけでも、胸ぐらを掴んで喚き散らすわけでもない。
体全体から放たれる。
感じられる人間なら肌で感じる
先月も出してしまった。それ以来気まずい。
でも本当に実在する。なぜインターネットで普通に語られないのか?
これを抑える方法を知りたい。
こうだらだら、書いていると自分を守りたい大切にしたいと思う何かがあれば、殺気なんて出ないのかな。と思った
多分ないね。こんご