19:43
財布 30515円
クレカ 9080円
年金 15590円
(11912+30515)-(9080+12240+15590)=5517
http://www.bunkei-programmer.net/entry/2015/10/24/222929
そりゃ、こういう接し方もいいよ。
でも今一度考えてほしい。
同じ会社で同じ仕事してんだから相手のこともうちょっと知る努力をしろよ。
定型的なやり方は楽だよ。すっごい楽。
でもこれ続けてるとコミニュケーションが作業になっちゃうんだよね。
サーバの事になると必死にチューニングしたり新しい方法探したりするだろ。
それと一緒で人付き合いもチューニングしてけばいいんだよ。
人間は機械じゃないし、喜怒哀楽やバイオリズムで浮き沈みを持ってるんだから
嫌いな人間とも付き合っていこうぜ。
めんどくさいかもしれないけどさ。
「フェイスブックにやたら流れてくる『子育て大変!!』みたいな書き込みも記事も鬱陶しいし、それにいいねしてる人たちもなんだかなと思う」
うん、これはそのとおりだわ
「フェイスブックとかやっているヒマあるじゃん」と突っ込みたいよね、鬼女さんたちには
それに、便所の落書きまとめとか見ていると、
平日の真っ昼間に「育児大変なのよ!旦那は無理解でエネミー!ふじこふじこ!」的なことを言っているから
「あぁ^~」ってなる
よくがんばったね。えらい
では昔のアニメは脚本がよかったかと言えば少なくとも主観的にはそう思えない。
そんなもん純粋に脚本を評価しようと思って見ても覚えてるのは1話と折り返しと最終話付近だけですよ。
大体昔のアニメは脚本家とプロデューサーがホテルのロビーで脚本書いたら後はノータッチで
現場でどんどん書き換えてたっていうじゃないですか。
つまり最近のアニメの脚本が〜と言われるのは最近になってアニメの尺が短くなってきたから
全くどうしようもない。
人間に対する絶望しか感じず、もはや正しくあろうとすることが無意味に感ぜられ、
いっそ思慮浅薄な強弁をふるう猿になった方がマシかとも思われる。
だがそれは罪である。
お前が泣いて喜ぶ者にお前のオールを任せては行けないが、
そういう信頼をするということが忘れられているのがこの国で、
信頼をするということが鎖に繋がれることと一緒にされている。
この考え方を変えることで明日が始まるのだ。
もう収束しつつあるけれど、例のJKを観察した絵師の件って、一時期のバカッターと同じでしょ。違法行為じゃないけれど、バカなことを内輪でやって楽しんでたらそれを許せない人が出て来てぶっ叩かれてるっていう。
そこに表現の自由やフェミニズムの問題をやたらと絡めたがる奴ってなんなの? なんかカップラーメンの斬新な調理法をあれこれ頭悩ませて考えているヒマな人って多いんだなって印象しか感じない。
何事も、初めが肝心です。これは、優しく勃起へと導く言葉で、勃起は男性だけの努力ではなく、相互の歩みよりが必要であるという思想がにじみ出る珠玉の一言です。
ペニスを指す言葉は「チンコ」のような粗野な表現ではなく、丁寧な「お」のついた「ちんちん」が採用されています。これは、同じ言葉の繰り返しによってより安心感を高め、行為へのコミットを増強する作用があると考えます。さらに、「おっき」という初等的な言葉を重ねることによって、一層の効果が期待されます。
良い結果を得るためには、序盤での適切なフィードバックが肝心です。冒頭、喜びの感嘆を表現することによって勃起は間違ったことでは無いという正のフィードバックを行っているとともに、後半では徐々に固くなるペニスの認識を共有することによって、一つのゴールへと向かっていく一体感を醸成しています。
快感は決し悪いことでは無いということを、十分に認識する必要があります。ここでは、「あなたが気持ち良いと、私も嬉しい」というメッセージをしっかりと与え、男性の快感が相手との温度差を生み出さない、という共感の姿勢を表しています。
ここでは、ペニスをシゴくことを「シコシコ」という擬態語で表現することによって、リラックスした雰囲気を演出しています。
最後までやり遂げるためには明確なゴール設定が必要です。ゴールが近くなってきたら、最終的にどうなるかを明らかにしましょう。
ここでは婉曲表現として「しろいおしっこ」を採用しています。これは、出てくるものをどのように認識すべきかを優しく指示していると考えます。最後に出るのは、決して不自然・邪悪なものではなく、小便のように自然な現象であるということを示唆しています。また、「ぴゅっぴゅ」と言う言葉も擬態語であり筋肉の収縮に合わせて、粘度のある液体が飛び出す様子を余すところ無くとらえています。
最後のためらいを突破し、ラストスパートをかける一言です。いつものことと分かっていても、ゴールが近くなると高まる快感に戸惑いがちです。そこで、決して我慢する必要がなく、快感を享受することが良いことだという明確な宣言が必要になります。
シャワーの音を聞くと条件付けによって尿意を感じるように、条件付けを利用して、ここでゴールだという風に明確なトリガーを引いています。上と同じように擬態語によって、粘液の射出を誘導しています
これまで、快楽を完全に肯定されて、現実から引き離されていたところに、それを破壊してしまうかもしれない「吹き出す液体」と言う現実が襲いかかる。「ぴゅっぴゅ」などという可愛い言葉とは裏腹に、熱く濃い液体がドロリと滴り落ちる。快楽に包まれた幻想から、だんだんと快楽が引いて行き、現実に引き戻される。
この様にして、快楽の絶頂と現実性の回復を表す様子をここでは表現している。
ゴールを迎えた後は、フィードバックを行うことが大切です。
強烈な快楽の後には、虚無感と罪悪感だけが残ると想定されますから、そこを埋め合わせて余りある受容感が必要です。(快楽の絶頂を感じ、その後には何も残らない)こんな自分でも受け入れられていると感じさせる一言になっています。
ペニスを扱き、快感を感じることは一見とても容易で低レベルなことと思われがちですが、このような小さなステップを重ねていくが人間に大切です。ですから、ここできちんと褒めてあげることは非常に重要であり、快楽は間違っていないというメッセージを最後まで一貫して伝えることで完結します。
ヒモザイルの休載が決まったそう。残念、わりと楽しみにしてたのと、これを機会に一組二組のカップルが生まれればわりといいことだなと思っていたので。
よく言われていることではあるけど、あの漫画に関して男性はわりと寛容で、女性は厳しい人が多い印象。当方も男性であり寛容派。
正直あの漫画に特に悪意は感じなかった。そりゃ漫画を面白くするために面白可笑しい表現もあっただろうけど、具体的にどれが問題なのかもよくわからない。
最初の、主婦(だったか?)がまずかったのか? しかしああいう人が世の中にいるのは事実だし、それを描くのが悪いというのはよくわからない。(漫画の良し悪しと登場人物の良し悪しを混同してはいまいか?)描き方が悪かったのか? 漫画の中で主人公が納得してしまったことが? しかしこの先ずっとアシスタントではまずいことも確かだし、アシスタントも企画が成功すれば幸福になれるような種類の目標を持っているようだった。
思うに、あの漫画を叩いていた人は作者より「更に」お節介なのだ。
あの漫画の作者への批判は「勝手にアシスタントの幸せを決めるな!」というのがあったような気がするけど、それは叩いてるあなたにも決められないことだ。
そして叩いてる人にそれはできないし、作者にはそれができる(作中でもやっていた)
皮肉なことに、他人の不幸を決めつけて結果的に不幸を呼び寄せたのは(幸福への道をくじいたのは)叩いた側だった。
「あんなふうになったらどうしよう」
そう、それだ。あの作品への叩きは「あんなふうになったらどうしよう」だった。
勝手にアシスタントたちの境遇を「不幸」と決めつけ、そこに「問題」があると決めつけ、対話なしに、ただ自分自身の「不愉快」や「怒り」を根拠にぽろっと出てしまった言葉。
主婦の「あんなふうになったらどうしよう」は結果としてアシスタントを幸せに導こうとする「対話込みの」企画を駆動した。
野次馬の「あんなふうになったらどうしよう」は「対話なしに」「対話込みの」企画を停止した。
この差は何か?
単純に、「対話」をどの程度重要視するか、どの程度重要視する人物が周囲にいて、その人の行動をどのように促したか、だ。
思うに批判するにせよ、叩く側がやるべきは連載を(すなわち企画を)止めることではなく、より詳細な対話を促し「不幸なすれ違い」を無くすことではなかったか。
いまとなっては、遅いが。
■追記
コメント欄にも真っ先にこういう反応が……。
>自分がマンガを面白く読むためなら漫画家アシスタントのブラック作業環境はどうでもいい派か。
「あんなふうになったらどうしよう」と、やはり同じ、ということだ。
大好きな人がいて、
「大好きだよ!」「好きだよ!」「会いたいよ!」
全部、伝えているのに
肝心なことが言えない。
「付き合いたい」
そう言って、関係を崩すのが怖くて
「大好きだけど、彼女になりたいなんて言わないよ~」
と、強がる女(私)。
デートを繰り返すのに
何も言ってくれない男。
好きだとも、付きあおうとも。
会いたいとは言ってくれるけど。
会いにきてくれるけど。
好き好き言いながら
付き合いたくないっていう態度を取るんだから
そりゃ、男の方が可哀相でしょう~って
友達に言われた。
そうなのか?
男が「ほんとに俺のこと好きなの?」と聞いてくるのは何?
そして、「付き合いたい」って言ってもいいのだろうか。
束縛されるの嫌いという男だから