はてなキーワード: 大槻ケンヂとは
僕はこの曲を聴いて二回泣いて、一回吐いた。
まず、一度目の涙は短絡的である。
働こう 働こう
別にどうでもいい、これで泣くなら泣けばいい。
ただ、しっかりと歌詞を読みながら聞いたら、
ももクロはとんでもないことを歌っているのではという思いが強くなった。
それなら二回目の涙をなかった、
むしろ頑張って働こうとさえ思うかもしれない。
働いていれば、上司か取引先かわからないが、不条理を感じるときもあるだろう。
それでもなにクソと頑張ろう、働くことで生じる不条理さに立ち向かおう。
こういう曲であれば普通に受け止められただろう。
この曲の作詞の大槻ケンヂはエッセイで「ヨギナクサレ」の雰囲気を
求められたと書いている。
http://www.red-hot.ne.jp/o-ken_esy/111031.php
「ヨギナクサレ」は、労働者が
無理かもしれないけど不条理に立ち向かうことを余儀なくされせざるをえないという歌だ。
「なんで働くかなんてわからない」ということが前提として歌われている。
だけど何のために、人は働くの?人に使われたら 負けなんじゃないか?
難しいことは掘り下げないとさ、わっかんないんだけどね
(中略)
働くと 働くと 君に会う時うれしいし
働くと 働くと 君の笑顔が見れるし
やっぱ働く意味なんてないんだ。むせび泣いた。
労働の喜びを今こそ歌おうぜ!
全員で叫べば見えるかも知れないぜ!
である。完全に見えないといっているように聞こえる。
「ヨギナクサレ」では鬱屈や閉塞だったのに、
これはもはや絶望を歌っているように聞こえる。
泣きながら吐いた。
働くこと、頑張ることの意味が一般的に言われていることと
別にいい、働く人にはわかっていることだ。
ただそれを大好きなアイドルが歌うなんて惨すぎるだろ。
大槻ケンヂの名を聞くと、必ず思い出す話がある。
SADSの清春が黒夢を名乗り、まだばりばりのビジュアル系でデビューもしていないころの話だ。音楽雑誌のリレー企画で、対談相手を指名する機会を得た清春は、かつてから大ファンだったという大槻ケンヂを指名する。当時のアーティストとしての格は大槻の方がはるかに上。デビュー前の黒夢とは雲泥の差があった。大槻には、得体の知れないインディーズバンドからの指名を断る自由があっただろう。それでもなお快く指名に応じた理由を、大槻は対談記事冒頭で述べている。
その理由はざっくりまとめると、「アルバムタイトルを聞いて、こんな類い希なるギャグセンスを持っている人に会いたくなった」だったと思う。
それは黒夢がインディーズでリリースした「中絶」「生きていた中絶児」「亡骸を…」3部作のことなのだが、この大槻の発言の後、つまり挨拶直後の冒頭から清春の言葉が重くなり、テンションが目に見えてダダ下がりしていくのである。
そう、清春はこれらのタイトルを至極大真面目につけていたのだ。当時の清春は「歌詞は全て体験談」と常日頃から言っており、3部作のタイトルも別れた恋人に「あなたには本当なら×歳になる子供がいたはず」と報告されたことに端を発すると公言していた。そんな若さも手伝って耽美まっただ中であった清春にとって、尊敬する大槻からギャグ扱いされたショックは察するに余りある。記事からにじみ出る清春の狼狽ぶりに、私たち読者は「天然の人って怖いなあ」という恐怖にうち震えたものだ。
それ以来、大槻ケンヂを見かけるたびに、問答無用で清春とのこの哀しい思い出を蘇えらせてしまう。おそらく私の脳内で、最もどうでもいい記憶のうちのひとつなのだろうと思うが、ここまで覚えているということはきっと一生忘れないだろう。清春ごめん。
目的別にブログを複数持つのは、なかなか効果的な手段だと感じた。
意味合いが多少違うが、「身内には口外できない趣味」を持っているような例でも、それは有効と思われる。
同人誌描きなどは特にそうだと思うが、世間の価値判断基準からすれば口外するのをはばかられるようなジャンル――エロ絵・猥褻系(SM・猟奇・GLBT・女装など)・ドラッグなど薬物系・軍事系・その他――に係わる事をつづるブログの大半は、ざっと見た限りは匿名で綴られているものが多いように思える。
そして、それらブログの著者の大半が匿名・職業も非公開であるのは、ひとえに「社会的生命の喪失」を殊更に恐れることの裏返しにほかならない。
残念ではあるが、社会的に逸脱した趣味を持つ者たちは古来からも『カブキ者』として排除されるのが日本の社会というものである以上、ブログが浸透しつつある現在においてさえ、そういう者達が「日の当たる存在」になることが無いのは、一種の宿命なのかもしれない。
作家やミュージシャンなどはそうと聞くが、「定期的に喉元までゲロのようにこみ上げて来る(by大槻ケンヂ)」衝動を文字・音楽・絵画といった形で吐き出さずには生きていけないタイプの人たちというのは、確実に存在する。もちろん中には、そういった衝動を『芸術』にまでたからしめる事で、アーティストとして糧を得て生きていける者も居ることは居るだろうが、同時に大多数はそういった懊悩を抱えつつ他の手段で生計を立てざるを得ない。
また性的・その他「収入手段にはほぼなり得ない」ような妄想がふだんから頭から離れず、さりとてそれを忘れ切る事もできない者など、世間にはゴマンと存在する。そういった者の多くは、「こんな自分は、ひょっとしたら病気なんじゃないか」と自覚しつつ、そういった悩みを他者に不用意に語ったり・あるいは知られたりして、自分が周囲や社会から「好ましからざる性癖の者」として排除される事を恐れ、だが同時に「こんな自分を分かってほしい・できれば趣味の同じ者どうしで語り合いたい」といった欲求を持っているものである。
だいたい、一般人かどうかを問わず、職場・家庭・趣味などの各面で「外部に見せる顔」が違うのは、じつは当り前の話でもある。
特徴的な例で言えば、プロ野球選手の山本昌が趣味の世界では「ラジコンキング」であったり、本職が音楽・ゲーム製作のプロであるにもかかわらず『ニコニコ動画』へPV投稿を行なう、などの行動が挙げられる。
もっともこれらは、実名・顔バレが起きてもさほど差し支えは無いジャンルでの話だが、一方で「一般社会でも有名な声優がエロゲ・エロアニメに出演」などになると、オモテ側での商業活動に偏見を持たれる要因ともなりかねない以上、必然的に“隠す”方向に傾くのは多少は止むを得ない話ではある。
それにそもそも、日本の社会は歴史的に『ホンネとタテマエ』を使い分ける事で成り立ってきた経緯がある。公の活動はタテマエで回し、夜の居酒屋などではホンネを吐く。良い悪いの問題ではなく、『そういう“二階建て”文化』を我々は現在に至るまで営々と構築してきたわけで、そうなれば「日常では言えないホンネを、ブログでは開陳する」行動に走る欲望を、誰が止められるというのか。
しかしよくよく考えれば、こんな事を延々と増田に書いてる時点で、しょせんは俺も同じ穴のムジナなのだろう。
というわけで、少しだけ本音を言わせてもらうならば
という事です。わらい。
とうとうきたかという感じだ。
モンちゃんというのは高校の同級生でもう10年以上の付き合いになる友達なんだが、宗教にはまってしまった。宗教じゃないのかもしれないけどおれにはそうとしか思えない。自己啓発セミナーってやつだ。ベーシックエンカウンターグループとかいうあれ。なんでも1セッション3時間を11セットやるんだそうだ。
そのさあセッションって、あれだろ?大槻ケンヂの小説みたいに一昼夜「私は悪い人間です!!!」って泣き叫びあって、最後には車座でハーブティ飲んで談笑して打ち解けあうとか、なんかそんなようなやつだろ?人間同士の結びつきは秘密の暴露と体験の共有がキモだと思っているおれには、そんな無理やりつり橋渡らせるようなやり口がすごくうさんくさく思えるんだが、モンちゃんはそれを「癒しだ」とか言い出した。
元々モンちゃんは、厄介な女の子――夜中に「これから死ぬから」って電話掛けてきちゃうような、手首にこれ見よがしな包帯巻いているような、飲んでる薬自慢するような、そういう女の子が好きで、好きというか、うっかり関係しては「ほっておけなくなっちゃって」とか言って疲弊しまくっている。
最初の彼女がそんなんでおれたちは本当に心配したけど、二人、三人、とその手の娘とばかり付き合うようになって、ああこれは共依存ですね\(^o^)/と合点がいったので心配するのをやめた、という経緯がある。そうしたくてしていて、かつハッピーなら、外野が口を出すことじゃないから。まあそれでも、思いつめた相手に刺されたりしないだろうかと危なっかしく思ってはいたのだが、「深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む」だっけ?いつのまにかモンちゃん自身も思わせぶりなmixi日記書いたり、批判を攻撃と受け取って排除しだしたり、メンタル系の薬を処方されていることを匂わせたり、「おまえはリア充だから俺の気持ちなんかわかんないよ」とか厭な笑顔で言うようになってしまった。
きっとモンちゃんはそのうち宗教まがいの自己啓発セミナーで知り合った厄介な女の子と付き合ったりするんだろう。そうなったら完全に終わりだ。絶縁覚悟で「いいかげんにしろ」と言うべきなんだろうけど、変わってしまったモンちゃんが悲しくて対峙できない。あんなにいいやつだったのに。もう32なんだからさ、モンちゃんのそれは「厄介な女の子の面倒を見る包容力のある俺カッコイイ」って自己愛なんだって気づいてくれよ。頼むよ。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』みてきました。すごく面白かったです。
現時点で2回みてます。たぶんもう1回ぐらいみにいくはず。
感想残したいけど、ブログとか持ってないので、増田に書きます。
とりあえず、結論は2つ。
・劇場版50年後も語り継がれるような大傑作になると思う(キリッ)
・ぼくのかんがえたげきじょうばん第4部、タイトルはA
・劇場版50年後も語り継がれるような大傑作になると思う(キリッ)
ラスト付近「私が死んでも代わりにはいるもの」→「そんなことないよ!ばか!の」くだりについて。僕は人生の多感な時期の多くを2000年代に過ごしているので、(id:y_arimさんやid:maremlinが絶望したのもすごくわかるのですが)この旧劇場版とは正反対の結論に、とても感動しました。
多くの方がすでに指摘されていますが、2000年代の作品に「現実が厳しいかったりトラウマがあったりするのは、もう、しょーがない。そこでどう生きていくかが大事」みたいなテーマが多いのは、少なからず、1990年代のエヴァンゲリオンの影響があると思います。そして、エヴァンゲリオンが、その作中、執拗なまでに現実の不条理と厳しさを描きつつ『それにどう立ち向かっていくのか』と問題を提示し、それを乗り越えようと懸命に努力しながらも、土壇場の25話と26話で「やっぱむりっすわー、きびしすぎ」と全部放り投げてしまったことに対して、多くの人が共感しつつも、「それはないんじゃないか」「もっとほかにやりようがあるんじゃないか」と、新しい25話と26話をつくりだしていった。それが多分、僕が人生の多感な時期に夢中になった『ぼくらの』であり『ダービージョッキー』であり『フラワーオブライフ』であり『木更津キャッツアイ 』であり『EDEN』であり『ソラニン』であり、その他多くの、僕の知らない作品だと思うのです。
破の作中、シンジの聴いていたウォークマンは、いつもトラック25と26をいったりきたりしていました。
シンジによって救い上げられたレイの手には、トラック25と26の入ったウォークマンが握り締められていました。
『るろうに剣心』の単行本のおまけページで和月伸宏さんはエヴァについて、「途中までは面白かったけど、ラストはあんまり好きじゃない」とコメントしていました。
『るろうに剣心』のラストエピソード、自分自身の過去と向き合う人誅編は結局、不恰好ではありましたが、ハッピーエンドで終わりました。
2003年、大槻ケンヂが「グミチョコレートパイン」パイン編を出しました。不恰好なハッピーエンドでした。
『「グミチョコレートパイン」パイン編を読んで号泣。8年間待ちつづけて本当に良かった』
僕も今回の破をみたとき、同じようなことを思いました。
・ぼくのかんがえたげきじょうばん第4部、タイトルはA
新劇場版第3部のタイトルが急からQへと変更になった時点のを次回予告をしったときに、「じゃあ第4部は多分Aだなゲラゲラ」とか言って笑ってたんですが、
今回の新劇場版のテーマとかをゆっくり整理した今「もしかすると本当にAかも知れない」「むしろAであってほしい」と思いはじめています。
結論に至った背景は以下。
ウルトラシリーズとの類似点の多さと、「QときたらAだろ」という安直な連想の元、仮に第4部が『A』だとして。そこから当然に連想されるのはウルトラマンA(エース)です。
ウルトラマンAは、歴代ウルトラマンシリーズの中でもっとも多く敵に倒されました。それでも何度も復活しました。
ウルトラマンAは、シリーズ中唯一男女2人が力をあわせることで変身します。1人では何もできません。(途中からできるけど)
『瞬間、心、重ねて』のエピソードは破において、まるまるカットされました。(ちなみに個人的にTV版のベストエピソードだったので、すごく悲しかった)
ヱヴァンゲリヲン新劇場版は、再び執拗なまでに現実の不条理と厳しさを描きつつ『それにどう立ち向かっていくのか』という問題に対して、それに対して立ち向かっていく姿勢が強く示されました。しかし具体的な方法までは、まだ示されていません。僕は、その『Q』に対する『A』が、ウルトラマンAの出した答えと同じであってほしいと願っています。
「優しさを失わないでくれ。弱い者をいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。
たとえ、それが何百回裏切られようと……それが、私の最後の願いだ」
★★読(大学) 4. 「果心居士の幻術」 司馬遼太郎 地味。でもヘタに新撰組血風録とか読むよりマシかも。
未読 5. 「突破者―戦後史の陰を駆け抜けた50年」 宮崎学
★★読(会社員) 7. 「ドグラマグラ」 夢野久作 中高生でわかんのか? ふいんきの問題?
未読 10. 「ローダン・シリーズ<1>大宇宙を継ぐ者」 K・H・シェール,クラーク・ダールトン
★★★読(高校) 11. 「十角館の殺人」 綾辻行人 これは中高生でも楽しめた気がした。
未読 13. 「魔が堕ちる夜―デーモニックプリンセス 二次元ドリームノベルズ」 謡堂笹弘
未読 18. 「江戸川乱歩全集 第4巻 孤島の鬼」 江戸川乱歩
未読 19. 「赤い影法師」 柴田錬三郎
★★読(会社員) 22. 「ディアスポラ」 グレッグ・イーガン 会社員になってから読んだが難解すぎて楽しめなかった。宇宙消失とかの方が楽しくない?
★★★読(会社員) 23. 「EGコンバット」 秋山瑞人 「ガンパレードマーチ」っぽいなあと思った。「猫の地球儀」の方が好み。
未読 25. 「ドゥイノの悲歌」 R・M・リルケ
★読(高校) 26. 「夏への扉」 ロバート・A・ハインライン 昔のエスエフってこんなのかー。という感慨。期待しすぎるとがっかりする。
★★読(高校) 31. 「人間失格」 太宰治 背伸びして読んだが、よくわからなかった。
未読 34. 「道程」 高村光太郎
未読 35. 「鼻行類―新しく発見された哺乳類の構造と生活」 ハラルト・シュテュンプケ
未読 36. 「プログラミング言語C ANSI規格準拠」 B・W・カーニハン,D・M・リッチー
未読 37. 「ムーンチャイルド」 アレイスター・クロウリー
未読 38. 「外科室・海城発電 他5篇」 泉鏡花
★★★★★読(大学) 39. 「ラヴクラフト全集(1)」 H・P・ラヴクラフト 予想外に楽しかった! マジお勧め。
未読 40. 「饗宴」 プラトン
未読 41. 「書を捨てよ、町へ出よう」 寺山修司
未読 42. 「妖聖記」 竹河聖
未読 45. 「スローターハウス5」 カート・ヴォネガット・ジュニア
★★読(会社員) 48. 「黄昏の百合の骨」 恩田陸 同作者「麦の海に沈む果実」の続き。一冊だけなら「夜のピクニック」。
未読 50. 「黄金の羅針盤 ライラの冒険」 フィリップ プルマン
未読 51. 「フリッカー式 <鏡公彦にうってつけの殺人」 佐藤友哉
未読 52. 「未来のイヴ」 ヴィリエ・ド・リラダン
★読(大学) 53. 「桜の森の満開の下」 坂口安吾 これもアレコレで引用されてたんで読んでみた系。
未読 55. 「マッチ棒遊びの本―ひまつぶし決定版」 大島正二
★★読(大学) 56. 「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」 村上春樹 大学時代に村上春樹よく読んだけど、特に残らなかったなあ。
未読 57. 「マルコヴァルドさんの四季」 イタロ・カルヴィーノ
★★★★★読(大学) 58. 「さようなら、ギャングたち」 高橋源一郎 大学時代に高橋源一郎もよく読んだけど、理解できなかったなあ。でも、これは面白かった。
未読 59. 「すべてがFになる」 森博嗣
未読 60. 「発作的座談会」 椎名誠、木村晋介、沢野ひとし、目黒考二
未読 61. 「知性について 他四篇 」 ショーペンハウエル
未読 63. 「バガージマヌパナス―わが島のはなし」 池上永一
未読 66. 「黒猫」 エドガー・アラン・ポー
未読 67. 「わが闘争―完訳」 アドルフ・ヒトラー
★★★★読(会社員) 70. 「猫の地球儀」 秋山瑞人 かなり好きなSF。小・中学で「星虫」とか読んだ後に読むといいよ。
未読 71. 「グミ・チョコレート・パイン」 大槻ケンヂ
未読 75. 「函の中の失楽」 竹本健治
★★読(会社員) 78. 「戦闘妖精・雪風(改)」 神林長平 神林長平のSFって読みづらくて苦手。
未読 80. 「今夜、すべてのバーで 」 中島らも
★★読(高校) 82. 「妖精作戦」 笹本祐一 新盤「星のダンス」とか「裏山の宇宙船」じゃないんだ。
★★★★★読(中学) 85. 「百億の昼と千億の夜」 光瀬龍 漫画もよかった。中二病も突き詰めるとこうなるという感じ。
未読 88. 「失われた時を求めて<第一篇>スワン家の方へ」 マルセル・プルースト
★★★読(中学) 89. 「星を継ぐ者」 ジェイムズ・P・ホーガン ホーガンは甘すぎてもう読めないなあ。中学生ぐらいの時は楽しめたけど。
★★★★読(中学) 91. 「MOTHER2」 久美沙織 隠れた名作。
未読 92. 「若きウェルテルの悩み」 ゲーテ
未読 93. 「信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」 宇月原晴明
未読 95. 「星の墓標」 谷甲州
未読 96. 「鴉」 麻耶雄嵩
未読 99. 「フィーヴァー・ドリーム」 ジョージ・R・R・マーティン
未読 100. 「しあわせの書―迷探偵ヨギガンジーの心霊術」 泡坂妻夫
昔はモノを思わなかったことであるなあ。
「KERA」という雑誌の最後のページに大槻ケンヂのコラムがあるのだけど、
そこで「おしゃれは自己肯定の表れだ」みたいなことを書いてあったよ。
バンギャでオーケン好きだからかもしれないけど、すごく納得できた。
私も少し前までは全然おしゃれに興味なかった。
好きな形とか色はあっても、Tシャツに5000円以上出す気が知れなかった。
普段着は普段着、お洒落着はお洒落着、という2極化しかなかった。
何がきっかけだったのかは忘れたけど、
普段着にもお洒落要素を取り入れようと思ったら、これが結構悩むんだよね。
・オカンがジャスコで買ってくる服=自分の意思は入ってない
・自分のお金で自分で選んで買う=自分の意思が入ってる
ここが大きな違いなんだと思う。
その服やセンスの善し悪しは別問題であって、
「着る物が自分を表現していることを知る」ことが「お洒落(への第一歩)」なのだと思う。
まあ、どのくらいの数のUMAオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「UMAオタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないUMAの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、UMAのことを紹介するために
紹介するべき10体を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にUMAを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、精神的に過大な負担を伴うUMAは避けたい。
あと、いくらUMAオタ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
UMA好きが『ネッシー』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
UMA知識はいわゆる宇宙人的なものを除けば、川口探検隊は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「チュパカブラ以前」を濃縮しきっていて、「チュパカブラ以後」の人型UMAを決定づけたという点では
外せないんだよなあ。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多なUMAについて、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、UMAオタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなUMA(そうUMAオタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「UMAオタとしてはこの二つは“首長竜”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のUMAオタが持ってる宇宙への憧憬と、矢追純一監修のUFOオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも矢追純一的な
の二点をはじめとして、オタ好きのする特徴を有しているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「猫だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
ネガが飼い犬に噛みちぎられたことで、特徴的なしっぽの検証を行うことができなくなったこと、
大槻ケンヂが楽曲のモデルにし、と学会もねたにしたことなんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりUMAは大人の夢だよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「スカイフィッシュ」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、このUMAに懸賞金をかける糸魚川市の思いが好きだから。
断腸の思いで賞金一億円、っていう金額が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「そもそも見つかったらUMAでなくなる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
つちのこの胴の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
ただのまむしならきっちり1m40cmあるだろう。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて賞金一億円、というあたり、どうしても
「つちのこはただのまむしの見間違いと認められないオタク」としては、たとえ糸魚川市が賞金を出す気がなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。つちのこ自体のレア度と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でビッグフットを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ネッシーよりも前の段階で、UMAの存在意義とか不確かさとかはビッグフットで頂点に達していたとも言えて、
こういうUMAが人々の中で語り継がれていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくUMA好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる川口探検隊でしかUMAを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
赤く光る「目」あるいは「背中の大きな翼」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「UMAは夜現れる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそモスマンは、宇宙人のペット以外ではあり得なかったとも思う。
「UMAは夜現れる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はモスマンにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうただの鯉をこういうかたちでテレビに出して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9体まではあっさり決まったんだけど10体目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
チュパカブラから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けと
なったUMAでもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいいUMAがいそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
今では割とまともなリアボチ(リアルでボチボチ)生活を送っている自分なんだけども、まとめサイトにある加藤の独白を読んだ上で、(http://d.hatena.ne.jp/heartless00/20080610/1213066999)ここのエントリにある
僕と加藤は同じ年でオタクで派遣で非モテロ志向がある。大槻ケンヂではないが「(あの頃の)僕の代わりに捕まってくれた」とどうしても感じてしまう。
とか酒鬼薔薇事件に関連付けたエントリ読んだりとか、踊るダメ人間の「この世を燃やしたって一番ダメな自分が残るぜ」をこのタイミングで見て、それこそ自分が一番ダメだった中学生時代を久しぶりに思い出した。流石に殺してやろうとは思わないまでも、男女が仲良く楽しそうなクラスの奴らみんな「しねばいいのに」とか思ってたんだった。(ドラえもんの独裁スイッチが欲しかった)そんでサボテンとバントラインの映画館爆破に甘美な憧れを抱いたりしてたんだった。そんで酒鬼薔薇事件がおきた時もなんとなく嫌悪感よりはまず「ああ、分からんでもない」と思ったんだった。
はてなにも既にそういう感情を抱いたことある人たくさんエントリ書いてるし、東浩紀も書いてるけどこういう感情ってそんな異常なもんでもないのではないよね。たぶん。これを非モテと童貞と派遣での人間扱いされない怒りとかあれこれの劣等感で煮詰めてくと、誰でもああ成り得るんではないかなと思った。
「踊るダメ人間」で、大槻ケンヂはこう歌った。
「世界を燃やしても、ダメな自分が残るぜ!」と。
マイケル・ジャクソンは、こう歌った。
「まず、鏡の前の男(Man in the Mirror)から変えてみよう」と。
160 :最近風呂入ってないけど、 :2006/10/31(火) 19:32:46 ID:w586Zf1z0
ジャスラックに纏わる伝説で一番凄かったのがオーケン事件。ググると結構出てくる。
大槻ケンヂが自分のエッセイに筋少時代の曲(高円寺心中。もちろん本人作詞)の歌詞を引用したんだけど
製本後いきなりジャスラックが「知的財産権は我々にある。使用料をよこせ」って言って来て
かなり頭に来たけど事を荒立てるのもアレだから素直に支払った。
その後、印税明細が来るのだが何故かジャスラックからの印税が一円も無い。
一応、ジャスラックの名目は「中間マージンとして摂取後、アーティストに一部印税を支払う」んだから
オーケンが払った使用料の何%かは還元されなきゃいけないハズなのに1円も還って来ない。
ジャスラックに「歌詞使用料が振り込まれてるはずだろ?つか、払ったのオレ自身なんだから間違いない」と問い合わせるも
「知らない」「わからない」の一点張り。